明慧法会|師父は私の身辺にいらっしゃると信じています
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 文/中国の大法弟子

 明慧日本2017年4月22日】『轉法輪』を読んだその日から、何度も読み、数百篇も読み、その後は何度も暗記し、20回近く暗記しました。師父は『轉法輪』の中で何度も「修は己にありて、功は師にあり」[1]と言及なさっています。19年来、師父が説かれた「修は己にありて、功は師にあり」[1]という法理に対して多く悟り、多くの恩恵を受けました。

 きちんとした家庭

 私と子供が学法して2年ばかりの頃、相次いで連行され、私は6年の間不当に拘禁され、子供も3年以上不当に拘禁されました。私たち家族は一緒に住んでいましたが、この事で離婚の危機に直面し、家庭が破壊されそうでした。私は頑張って真・善・忍を信仰し修煉を放棄せず、家庭をきちんと維持したいと思いました。しかし、当時は自由を失い、収入源もありませんでした。ですから、やり通そうとしてもとても困難でした。

 私は大法を固く信じ、師父を信じています。師父は「わたしの法身は何でも知っています。あなたが何を考えているかも全部知っています。そして、わたしの法身は何でもできます」[1]と説かれており、師父が私の身辺にいらっしゃると信じており、私のすべては師父がお決めになるのだと信じています。夫は留置場や刑務所に来る度に「離婚する」と言いました。師父は所長や監区主任の口を借りて夫を批判し、同修もできるかぎり夫を説得し、刑務所内の同室の人が夫宛に手紙を書くよう私に言い、書いた手紙を修正してくれました。手紙を書くとき、師父は私の知恵を開いてくださり、慈悲と善の心で夫を感化してくださいました。

 私が家に帰った後、夫は私を思いやって面倒を見てくれ、積極的に家事を分担して行い、私のために学法する時間を残してくれ、修煉を支持し、三つのことを行うことを支持してくれました。まったく師父の説かれた「これを自分で取り仕切れますか? とても無理なことです。それらすべてを師が段取りをして、やってくれるので、『修は己にありて、功は師にあり』と言われるのです。 あなた自身はそういう願望を抱いて、そう思うだけで、実際のことは師がやってくれるのです」[1]のようでした。

 このような良い家庭を身をもって体験し、それは師父の慈悲なるご加護があってはじめて、仲睦まじい家庭があり得るのだ、ということを深く知りました。

 私はいつでも師父の法を見ることができた

 1999年11月初旬、地元で初めて市の労働教養所に不当に拘禁されました。法輪功を修煉する前、病気がちで生死の境を何年も彷徨(さまよ)っていた私が、修煉してから2年で生まれ変わったように病気が無くなりました。こんな私が生きて家に帰ることができるのだろうか、と家族は心配しました。私自身も「労働教養所で、どのように学法するのだろうか?」と心配しました。しかし「師父がそばにいらっしゃり、すべてを師父がお決めになっているのだ」と固く信じていました。師を信じ、法を信じるこの心を、師父がご覧になり、学法の機会を按排してくださり、毎朝、煉功することもできました。

 師父の毎回の説法がタイミングよく伝わってきて、説法を拝見するたび知恵が開かれ、すぐに暗記でき、書き写す機会が按排されるので、同修にもそれを見せました。師父の『フロリダ州法会での説法』は同修が持ち込んでいたので、1段ずつ暗記し、1段ずつ書き写し、さらに1段ずつ読み合わせながら数冊分書き写し、十数人の同修たちと回し読みしました。

 刑務所内で、師父の経文を書き写しているのを警官に2回ほど見つかり、すぐに私を立たせて人を呼んであちこち捜査しましたが、何も探し出せませんでした。その警官は、「刑務所内で新聞紙のようなものを持っていたのに、どうして何も見つからないのか? おかしな」と言いました。そして、その警官が行ってしまうと、再び経文を書き写しました。それ以後、警官は長い時間私に注意を払っていましたが、何も見つかりませんでした。師父の慈悲なるご加護によって、平穏に一つ一つの難関を乗り越えることができたのだ、ということを深く知りました。

 もっと不思議だったのは、ある同修が『轉法輪』を1冊持ち込んだので、守りを固くし、あのように検査が厳しい刑務所の中で『轉法輪』を読み、さらに、師父の按排により、2004年の経文『考えをはっきりせよ』と『洪吟二』を同修が渡してくれたので、すべて暗記して同修に聞かせました。これは「修は己にありて、功は師にあり」[1]ではないでしょうか! 師父だけが行えることではないでしょうか!

 6年間におよぶ刑務所内での向上を経て「修は己にありて、功は師にあり」[1]の内涵を深く体得し、さらに「佛法は無辺なのです」[2]を本当に目の当たりにしました。

 真相を伝える

 刑務所から帰った後、再び不当に拘禁されることを恐れて、1日中家で学法し、法を暗唱し、さらに、同修と接触しませんでした。なぜなら不当に懲役刑の判決を受けたのは、3人の同修が迫害に耐えきれない状況下で私を告発したからです。この恐れる心を師父がご覧になり、同修を按排され、師父の経文『人心を放下し、世の人々を救い済度する』が届けられました。

 家に帰ってすぐに読み、暗記しました。師父は「現在から、特に中国大陸の大法弟子、新しい学習者も古い学習者も長い間執着している人心を放下し、全面的に早く世の人々を救い済度してください」[3]と説かれました。さらに師父は「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救い済度することこそ、皆さんがやって来た時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です。ですから、大量の衆生は皆さんが救い済度する対象になります」と説かれました。師父のお言葉は深く私の心を打ちました。

 「なんと、私は個人修煉の中にとどまっており、さらに『個人の解脱』のために修煉しており、これはなんという私心なのか!」と突然悟りました。使命感と責任感から、家を出て衆生を救い済度しに行こうと決心しました。師父は、私が衆生を救い済度しに行こうとする心を持っていることをご覧になり、同修を按排して、明慧の交流文を私に読ませ、『共産党についての九つの論評』を3回読み、『厳正声明』を暗記しました。絶え間ない学法の中で大法の法理が絶えず現れ、心性の境地が絶えず向上していきました。

 また、師父は真相を伝える能力を開いてくださり、私の知恵を開いてくださり、縁のある人を私のそばに送り、面と向かって真相を伝え、迫害の真相資料を配りました。どこへ出かけようとも、縁のある人が私のそばにいました。バスを待っている時にも真相を聞く人がおり、バスに乗れば、一緒に座った人が真相を聞き「三退」して降りていくと、また1人真相を聞く人が現れて来て、ある時は、電車に乗ると、前後左右の人がみな真相を聞き、間違った駅で降りると、そこにちょうど真相を聞いてくれる人が待っており、降りたい駅で電車が止まらず次の駅まで行くと、ちょうど数十年ぶりに昔の同級生に出会い、真相を聞き「三退」しました。「真相を伝えるということは方法ではなく、重要なのは法に対する悟りであり、心性と境地の向上なのだ」と思いました。冒頭から3年、三退した人は1万人を越えましたが、それ以降は計算しませんでした。

 協調をとる

 当時、地元の同修は全体を形成しておらず、ある同修と交流して、私が家を出て昔の同修を呼び戻し全体を形成できたら、と希望しました。当時の私は人心が絶えず出てきて、再び不当に拘禁されるのではないか、この家を失うのではないかと恐れ、子供は外にいたので、孫を連れて朝晩学法していましたが、その孫をも失ってしまうのではないか、そうすれば誰が孫の世話をするのかと恐れました。各種の人心が妨害し、遅々として同修を探しに外へ出かけられませんでした。まるで師父が説かれた「真に人を妨げるのはほかでもないその心なのです」[1]のようでした。

 2009年6月下旬のある日『轉法輪』第四講を読んでいた時「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」まで読んだときに心が震えました。そして「この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[1]まで読みました。

 師父の法が心を打ち「十数年も修煉していたのに、私の慈悲心はどこへ行ってしまったのか?」と自問しました。そして「執着を放下し、人の情を放下し、家を出て昔の同修を呼び戻しに行こう」と決心しました。

 家を出てちょうど1週間経った時、警察官が我が家に来て、家族に私を探させ、さらに、人を手配して探し回り、家族と親類はみな監視下に置かれました。それから、私は路頭に迷いました。1年後、同修と街を歩いていた時、地元の警察署長が向かいから歩いてくるのが見えました。そこで「師父がおおいをかぶせてくださるので、彼には私が見えない」と思いました。すると、私と同修は署長の肩をかすめて通り過ぎ、本当に署長には私が見えませんでした。本当にすべて師父がお決めになったことでした!

 ある町に同修を探しに行きました。その町には行ったことがなくさらに同修の名前も知らず、お互い会ったこともなく住所も知りませんでした。しかし同修の安全のために、人に尋ねるのは具合が悪かったのです。バスを降りた後、1本の道に沿って真っすぐ行くと、お年寄りに出会ったので、ちょっと尋ねてみると同修の母親でした。「師父がこの道を歩かせたのだ」ということを深く感じました。その後、この同修が他の同修のところまで案内し、他の同修がまたその他の同修のところに案内し、町全体の同修がすべて見つかりました。

 またある日、電車に乗った時に隣に座った人に真相を伝えると、その人は「三退」した後「もともと私は法輪功を学んでおり、迫害されてあなたたちを見失いました。ほとんど字がわかりませんが、ずっと心の中には師と法しかなく、師父がずっと私を見守ってくださっていることを信じて、必ず会われるはずだと待っていた」と言われました。その人の家族もとても喜び、さらに、その人は他の同修のところに案内してくれました。その後、その人はいろいろな場所でアルバイトをしていたので、会うにはとても困難でした。しかし、会いに行くと、師父が按排され、その人が私を見つけるので必要な経文と資料をいつも渡すことができました。ある日、その人に会えなかったので帰ろうと思った時、その人が突然現れ、江沢民告訴をするので手伝ってほしいと頼まれました。「今日は師父が按排してあなたに会わせてくださいました」と嬉しそうに言いました。私もとても嬉しくなり、その人を手伝って告訴状を書いて郵送しました。

 ある同修(以下・Aさん)が「長い間、山にいる同修が1人います」と言いました。真夏のまばゆい光と険しい山を望み、「この荒れた山河をこんなに暑いのに、あんなに高い山に登って、その同修が家にいなかったらどうしよう」と思いました。本当のことを言えば行きたくありませんでした。しかし、また「師父がそばにいらっしゃるのだから、すべては師父が按排してくださる」とも思いました。Aさんが私と同修の甲さんを連れて、その同修の家に着いた時、疲れも暑さもふっとんで感じませんでした。その同修は大変喜んで「私はここで20年も修煉しており、あなたたちが来るのをずっと待っていました」と言いました。私は心の中で「師父、ありがとうございます!」と申し上げました。

 さらに、全体を形成しなければならなかったので、私に協力してくれる同修を探さなければなりませんでした。そこで、師父に按排をお願いすると、1人の同修が来るように本当に師父が按排してくださいました。

 資料拠点を立ち上げる

 多くの同修が見つかったので、真相を伝える資料が必要になり、資料拠点を立ち上げなければなりませんでした。路頭に迷っていた私は、資料拠点を立ち上げるために、長年路頭に迷っている別の同修を探さなければなりませんでした。その同修は地方にいるのに、どうやって探せばよいのでしょうか? しかし、師父がそばにいらっしゃることを信じていたので、師父に助けていただくようにお願いしました。そして、出かけて2日目、本当にその同修が見つかり、その同修を通じて技術担当の同修も見つかりました。

 帰途の路上で、大法弟子が作った歌を感動しながら歌いだし「師父、師父、師父の慈悲はこんなにも偉大なので、必ず、必ず頑張って歩まなければなりません」のところまで歌うと、感激の涙がぽろぽろと流れ落ちました。数日後、技術担当の同修を迎えると、直ちに資料を作り出し、すぐに地元に八つの資料拠点が花を咲かせました。地元に小さな花が咲いたのを見て、「いつも師父、ありがとうございます!」と心の中で申し上げました。

 またある時、パソコンのXPのシステムをWindows7に変換しなければならず、当時は、どこに持って行けばシステムをインストールしてくれるのかわからず、困っていました。そこで、同修に助けてもらおうとパソコンを提げて行きました。するとちょうど、その同修の家に遠くから来た同修4人が新唐人テレビのパラボラアンテナを設置しており、設定し終わって帰るところでした。そこで、困っていると言うと、同修4人は笑いながら「私たちはもう帰るところでしたが、まるであなたを待っていたかのようですね」と言い、4人の中の1人の同修が「インストールしますよ」と言ってくれました。本当に重荷を下ろしたようにほっとして、心の中で「師父、いつも、いつも、ありがとうございます!」と申し上げました。その同修はさらに「あなたの地区ではまだどのくらいインストールの必要なパソコンがあるのですか、それらのパソコンをここに持ってきてくれれば、時間がある時にまた来てインストールしておきますよ」と言いました。こうして、私たちの地区のパソコンのシステムはインストールが完了し、さらに、新唐人テレビ局を受信するためのパラボラアンテナも、しっかりと取り付けました。

 ある同修のプリンターが故障したので、直してもらうためにプリンターを持って街の同修のところまで行き、修理が終わってから持ち帰りました。するとしばらくして、また2台のプリンターが故障したので、システムをインストールしてくれた同修にこのことを話しました。すると、その同修は「プリンターについては詳しくないので、帰って同修を探してみます」と言いました。すると2日経たないうちに、その同修がプリンターを修理してくれる同修を連れてきてくれ、なかなかのやり手で、その日のうちにプリンター2台の修理が終わりました。なんと、プリンターを直してくれた同修は遠くからわざわざプリンターを直しに来てくれたのでした。そこで、心の中で「ありがとうございます、師父! ありがとうございます、師父!」と申し上げました。

 自分を正す

 2015年7月初旬、江沢民告訴の告訴状を提出し、同修が書くのも手伝いました。その後、江沢民集団は江沢民告訴の事実確認を利用して私たちの家を不当に家宅捜索し、不当に連行しました。一部の同修が耐えられず、責任を私に押し付けました。そのため、2015年8月下旬から、日夜監視され尾行され、それが10ヵ月近く続きました。その間、同修の安全のために、同修との接触を少なくし、機会があれば1人で真相を伝え、迫害の真相資料を配り、家で大量に『轉法輪』を暗唱しました。この過程で、絶えず法理を読み取り、絶えず自身に存在する問題に気付かされ、絶えず自分を正しました。

 迫害が始まってから、同修6人に続けて告発されたので納得がいかず、不当に懲役を受けたことでいつも同修を恨みました。この時は同修2人に告発されました。心が咎めた私は、自分がしっかり修煉できておらず、同修への情に執着し、仕事そのものに対して執着していたので、自身の空間場が不純でそれは自分の誤りであり、全体に損失をもたらし同修を傷つけ、同修を落としてしまったことを認識しました。そこで、私を告発した同修と何度も交流し、師父の説法と資料を渡し、同修が早く戻って来られることを願いました。師父は「本当に修煉するには、心に向かって、内に向かって修め、内に向かって探さなければならず、外に向かって探してはいけません」[1]と示されました。師父の法は私の心の中に伝わってきました。

 ある時、若い同修が働いている会社の入り口の前を通った時、その若い同修が資料を持って一生懸命に調べているのを見かけました。その顔には心優しい笑みがにじみ出ていて、この和やかな情景が目に入り、すぐに胸の奥がキューンと温かくなり、衆生に対する同修の善の気持ちが痛いほどわかり、心が震えました。私は入り口の外で、同修とは5メートルと離れていなかったので、静かに同修を20分近く見守ってからその場を離れました。

 道中、同修の慈悲深いあの情景が常に浮かび上がってきました。そして、師父が按排してこの1幕を私にお見せになったのは、自分に善がなかったために何度も不当に連行され、拘禁され、労働教養に科され、不当に懲役刑を受けることを招いたのだ、ということを見せるためだったのだと思いました。

 ある日の正午、その同修に資料を持っていくと、「今日は当直なんですよ」と言われ、今日は師父が、ちょうど切磋琢磨し合えるこのようなすばらしい機会を按排してくださったのだと思いました。その同修は、江沢民告訴をしたために、警官が家にやって来たので法輪功の真相を伝えました。自分がなぜ法輪功を修煉しているのか、身心と家庭にもたらされた大きな変化を伝え、なぜ確固として修煉しているのかを伝え、中国共産党がなぜ法輪功を迫害しているのかを伝え、なぜ江沢民を告訴しなければならないかを伝え、警官自身が自分と家族のために素晴らしい未来を選択しなけばならない等など多くのことを伝えました。同修の心境は穏やかで清らかで、口調は善に満ちており、同修は話しながら涙を流していたので、一つの慈悲の心が邪悪を溶かし、警官達の良知を呼び覚ましたのだということがわかりました。数人の警官達がリビングに座って真相を聞き終わると、何も言わず、何もせずに、持ってきた捜査令状を持ち帰ったそうです。

 私自身に照らしてみると、警官達が家宅捜索に来た時、善のない口調で「金銭のために生き、権力のために死ぬなんて、つまらない人間ですね」と言いました。すると、警官達は大法書籍を持って行き、私を警察署へ連行し、長い間拘禁しました。私は自分を内に向かって探さず、警察署の指導員を「あまりに邪悪だ」と言って恨みました。そして、それまで協調の過程が、自分の修煉の過程であることに気づいたことはありませんでした。同修に照らし合わせた時に、自分の善のなさに気付かされました。

 私の体験は多くて、一つ一つ挙げきれません。しかし、いつも、すべては師父が按排なさっており、私の歩むべき道もすべて師父が用意してくださったものだと感じました。この20年間、自分が歩んできた道を振り返ると、どの1歩にも師父の苦心がにじみ出ているのではないでしょうか。「修は己にありて、功は師にあり」[1]まったくその通りで、これは絶対に間違いのない真理だと思います!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『人心を放下し、世の人々を救い済度する』

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/2/336979.html)
 
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