文/黒竜江省の大法弟子 馬忠波
【明慧日本2017年4月24日】私は馬忠波といい、かつて二つのがんを患っていましたが、法輪大法が私を生まれ変わらせ、慈悲で偉大なる師父が私の命を救ってくださり、いつも加護してくださいました。明慧ネットにかつて私に実際にあった話が掲載されました。それから何年もの間、師父のお教えをいつも忘れず、自分を修め、自分を真の大法弟子として精進してきました。
2015年、私の家でまた法輪大法が奇跡を表し、法輪大法の師父が長女と孫の2人の命を救ってくださいました! 科学の実証主義ではどうやっても解釈できない出来事を今日ここでお話し、大法の超常と素晴らしさを再現したいと思います。
一、医院が失策し 親子が高い危険に陥った
2015年1月6日、娘が地元の病院で帝王切開手術を受け、主任医師が自らメスをとりました。娘の子宮と卵巣には瘤があり、帝王切開手術の後に大出血し、緊急に輸血が必要になったときになって血液型が違っていることに気づいたのです。---もともと病院側の不注意で、娘のIHA陰性血(-)をIHA陽性血(+)(IHA・突発性アルドステロン症)と分析したのです。この血液型は大体1万人に1人で、とても希少であるため「パンダ血」と呼ばれており、地元の病院には保存がありません。病院側の失策だったので、病院は私たち家族を騙して血液型のことをずっと言わずにおり、ただ人力だけで救助しようとし、3人が順番で絶えず娘のお腹を押して強制的に子宮収縮させようとしただけでした。その時、医者たちはとても驚き、術後も家に帰ろうとせず、ずっとそばで見ながら手を休めることはありませんでした。私は娘に心の中で「法輪大法は素晴らしい」と念じさせました。このようにして、夜中の2時過ぎまでの7、8時間の間ずっと押し続け、娘はやっと危険を脱しました。
しかし、赤子は次の日の昼までずっと寝たままで、砂糖水を口元まで持っていっても飲みませんでした。夜になり、娘婿の6番目の姉がやってきました。6番目の姉はハルピンで医者をしており、娘がこんなに失血しているのに医者が輸血しなかったことを聞いて不思議に思い、医者に「こんなに失血しているのになぜ輸血しないんですか? お腹を押してどうするのですか? すぐに輸血すべきです!」と訴えました。すると、病院側はこの時になって初めて、娘の血液型が特殊であることを伝え「病院にこの血液がないのに、どうやって輸血するのか?」と言いました。
娘婿の6番目の姉は病歴を見せてもらうように要求しました。病歴には、娘と赤子ともに「危険度が高」く「1級介護」であると書かれていました。そこで私たちは「赤子の母親の危険度が高いことはすでに知っていたが、赤子の危険度はどの程度なのだろうか?」と思いました。6番目の姉は医者なので「この血液型の女性が赤子を産んだ場合、母親と同様に陰性の血液であれば危険はないのだが、もし赤子が父親と同じ陽性の血液型であった場合には危険がある」ことはわかっていました。さらに、娘は今回が初めての出産ではなく、赤子の体内には陰陽2種の血液が存在し、「溶血現象」の症状が出やすく、そうすると、赤子の体内で2種類の血が排斥し、互いに血球を殺しあうのです。このような状況では血を交換しなければならず、全身の血をどちらか一方の血液に変えなければならないところ、誤診したために、地元の病院では全く血を交換することができず、ハルピンの大病院に行かねばなりませんでした。
次の日、赤子の人間ドックを行いました。6番目の姉と4番目の姉は検査結果を持ってハルピンへ行き、医者に会って事実を確かめました。すると「新しく生まれてきた赤子は先天性の脳性まひで、脳の発育不全である上に、脳腫瘍があり、卵大の大きさである」という診断が下され、その時は「良性腫瘍である」という診断が下されました。
各検査結果が正午までに出そろい、医者は急いで私たちすべての家族の目の前で「お子さんはもうだめです」と言い、危篤通知書にすぐにサインするよう娘婿に言いました。しかし、6番目の姉はすぐにハルピンに転院させるよう要求しました。すると、医者が私のそばで「だめです、もう間に合いません、お子さんはハルピンまでもちません。たどり着くまでに、心不全で突然死するでしょう」と言うのが聞こえました。
医者が言い終わると、4番目の姉は私たち家族をそばに呼び寄せ、ハルピンからの診断結果を見せて「赤子はすでに脳性麻痺と脳腫瘍であると診断が下され、障害児と確定されました。障害は致命的ではなく、現在の致命傷は、危篤通知が下されているのは赤子の血液によって引き起こされたものである。---赤子の血液型は父親のO型の血液で陽性(+)であるため、母親のへその緒を通して体内に陰性の血液(-)が伝わり相性が悪く、赤子を昏睡状態に陥らせている。赤子はミルクが飲めず、各指標がすべて悪く、その中でも血糖値が2.2で、赤子を治せる薬は何もない!」と伝えました。
以後、娘はもう赤子は産めず、産もうとしてもお腹の中で死んでしまう可能性があり、今回の赤子が生まれたのは奇跡だ、ということを医者は言いました。実際、娘は以前すでに2回流産しており、その時、大法を紹介しても娘は信じませんでした。そして、今回妊娠し、娘は時として師父の説法を聞き、煉功し、あまりまじめではないが、いつも大法のご加護を得て、赤子の命が助かりました。
医者の話は私と家族にとって青天の霹靂であり、天が落ちてきたようなショックで、家族全員が泣きました。娘婿の4番目の姉は、赤子の状況を娘に伝えるように私と娘婿に言いました。はじめ、赤子は腹が張っているので入院治療している、とだけ娘に伝えていました。4番目の姉は、娘を7階(娘は6階で赤子を出産した)に連れて行き、赤子の最後の少しの生気を見せる方法を考えるように、と私と娘婿に言いました。
私は身をひるがえし外へ飛び出しましたが、どこへ行けばいいのかわからず、娘婿は私が飛び出していったのを見て、急いで後を追いかけ、涙を流しながら「お母さん、言ってはダメです、春雨(娘の名前)は耐えられません」と言いました。そこで私は「言わないわけにはいかず、母親の娘には赤子を一目なりとも見せるべきでしょう」と言うと、娘婿は「それでも言ってはいけません、春雨は本当に耐えられません、だからごまかしましょう!」と言いました。この時の私の心情は本当に複雑で言葉で言い表すことができませんでした。そして、涙を流しながら娘婿に「やはり、彼女を上に連れて行き、赤子を一目見させてあげる方法を考えましょう!」と強く言いました。
娘婿はとうとう下に降りていき、娘をだまして、上に行って私たちの赤子を見ましょう、と娘を促しながら言いました。しかし、娘は失血が多かったために顔面蒼白で頭もふらふらしており、エレベーターでさえ乗れない状態で、娘婿が娘をだき抱えながら少しずつ7階に上がり、赤子を見せに行きました。私は涙を流しながら外に出て、朝から地方に出かけて姪の結婚式に参加した夫に電話をかけ、赤子のことを話しました。その時、夫は食事をするところでしたが電話が終わると、すぐにタクシーに乗って地方から飛んで帰ってきました。私の姉は夫を見るとすぐに駆け寄り、その様子から夫は状況が危急であることを知りました。その後、姪が病院にいた次兄の嫁に電話して問い合わせ、次兄の嫁が赤子が危篤である状況を伝え、病院がもう治療できないことを伝えたため、兄の家で結婚式に参加していた親戚たちはみなこの病院での出来事を知りました。
その時は寒中で、風邪で病院に入院していた人が特に多く、階上の人も階下の人も皆、赤子の状況を知っており、親切な人がたくさん見舞いに来てくれ「この赤子は病院が怠ったせいだ」と噂になりました。
二、絶望の中で大法に助けを求める
目の前で起きているすべてが本当のことであるとは、まったく信じられませんでした! そこで娘婿の2番目のおばに「赤子は本当に治らないの?」と聞きました。すると、おばは涙を流しながら「そうよ」と言いました。そこで、私はまた「それなら死を待つだけなの?」と聞くと、おばは「医者が治せないのに、私たちに何ができるの?」と言うので、私は「私だったら、赤子を見るのにこんな風にほおっておきません」と言うと、おばは「それなら、何か方法があるの?」と聞きました。
そこで私は「私は法輪功の修煉をしており、法輪功は法輪佛法で万能なので、赤子を助けてもらうよう師父に助けを求めます! これから赤子に師父の説法を聞かせ、みなさんにも聞かせませんか?」と言うと、おばはきょとんとしていましたが「聞きます、聞きますとも、医者が治せず、妹もお寺へ念仏に行ったのよ」と言いました。みんな大法を信じていませんが、今は何も方法がないし、もし少しでも望みがあれば、みんな同意するわ。
「大法を信じれば奇跡が起きる、法輪大法の師父を信じさえすれば、赤子の命を救うことができる」と、経験から強く思いました。数人の叔母と娘婿は、赤子に法を聞かせることを一緒に相談し、最後には、赤子の祖母である私も赤子を救うために一心になっているのだから、私を止めずに聞かせたいなら聞かせよう、と皆考えました。
三、二つの夢が赤子に向けられた
実家の次兄の嫁と姪もこの時は病院におり、私が赤子に師父の説法を聞かせようとしていると聞くと「わかった、わかった、わかったから、役に立たないことをしても、赤子はこんな状態なのだから、何を聞かせたって無駄よ、もう一度言いますが、こんなに小さな赤子に何が理解できるの? 娘婿側の家族の人たちに笑われるわ!」と言って必死に食い止めようとしました。
この時、2日前に見た夢を思い出し、死んでから何年もたつ娘の姑の夢を見て---私は娘の姑には会ったことはなく、知らないのですが、姑は「春雨はこの2日間で赤子を産むので、あなたは春雨と一緒にしっかり赤子の世話をしてほしい」と言いました。そして、目が覚めた後、とても不思議に思い、娘婿に電話して夢の中の情景と娘婿の母親の様子を尋ねると、娘婿は「夢の中に出てきたのは私の母親のようです」。娘婿の姑には5人の妹がいるのに、なぜ託されたのかわからず、さらに、娘はそれから20日間以上過ぎてから赤子を出産しました。この夢のことを思い出して、この赤子とは縁があると確信したので、必ず赤子に法を聞かせ、救わなければなりませんでした。
私は娘婿と階下に行き娘に会うと、娘は「お母さん! 怖すぎるわ!」 「どうしたの?」と聞くと、娘は恐ろしい夢を見たのだと言い、夢の中で赤子を抱きながら前を走っており、後ろから男が大きな刀を持って追いかけてきて、赤子の首をはねようとしていたというのす。私と娘婿はそれを聞いてとても驚きました! これは赤子の病状と合致している! 私たちは互いに目を見合わせ、互いに頭を振り、というのも、かわいそうな娘は赤子のことをまだ何も知らなかったのです。私は「ほかの空間にいる債権者が、赤子の命を奪おうとしているのだ」と思いました。この時「娘の姑が赤子の危険を夢で知らせ、私が大法を修煉しているので、姑は私に赤子を守るように託したのだ」とわかりました。
すぐにタクシーに乗って帰宅し、師父の説法用の小さいラジオを手にしました。帰宅するとすぐに師父に線香をあげ、師父の写真の前にひざまずき、赤子を救っていただくよう師父にお願いしました。しかし私は「大法は超常的だが、超常の理に符合しなければならず、娘と娘婿は修煉しておらず、赤子もまだ小さく、師父が常人のために生命を延長なさったりできない」ことも知っていました。そこで私は「以後、赤子に大法の修煉を教える責任を私が負い、今から赤子に師父の説法を聞かせます。さらに、この子は大法弟子の家の子ですから、この子を通して奇跡を表せば、多くの人に法輪大法のすばらしさを見せることができる、と私はさらに希望します」と心の中で願いました。この赤子がもし本当に大人と一緒に修煉することができれば、師父が自分の小弟子に関わってくださることは当然のことだと思いました。
その日の午後、夫が病院に駆けつけ、状況を全部了解後、病院がすでに何もできないことを知り、どうしようもないというように「早くそのラジオ(師父の説法が録音してある)を赤子に聞かせよう、早く」と催促され、私は「夫は私の体を回復させた奇跡を目撃していたため、この絶望の時、夫は大法を思い出し、大法に一縷(いちる・わずか)の望みを抱いたのかもしれない」と思いました。
四、赤子は救われた
説法を流している片方のイヤホンを保育器の穴を通して伸ばし、手で赤子の耳に当て、私は保育器の外に置いてあったイヤホンで説法を拝聴しました。私の思考は高度に集中し注意深く、赤子と一緒に師父の説法を拝聴しました。その夜、娘の姑の数人の姉妹とその家族がそばで見守っていました。
2時間以上にわたって、ただ赤子に師父の説法を聞かせ続けていると、なんということでしょうか! 赤子が泣き始め、さらに、ミルクも飲み始めたのです! 最初は15ミリリットルのミルクを飲みました。娘婿とその家族は喜んで太ももをたたき続け、何度も「早く、続けて聞かせて、早く、続けて聞かせて」 さらに座ったまま2時間以上聞かせると、腕と足が動かせるようになり、泣き声も力強くなり、さらに30ミリリットルのミルクを飲みました。
赤子がすでに危険を脱したました! 偉大な師父が赤子の命を救い、娘婿は自分の目でそれを目撃し、胸が張り裂けそうになり、その後、思い出すたびに体を震わせながら「お母さん、怖かった、まるで悪夢のように、本当に怖かった!」と言いました。
翌朝、数人の医者が病室に来て赤子がまだ生きており、さらに見たところ正常そうなのを目にし、1人の女医が「この子の生命力はなんて強いの! この子は強いわ! 少ししたらすぐに人間ドックをしなければ」と何度も独り言を言いました。検査結果が出てくるとすでに危険を脱しており、血糖値は4.5に上がっていました。出生時に320以上の単位を示していた黄疸は1夜の内に7、80から100ばかりに下がりました。医者は理解できずに「1晩でこれだけ下がるとは!? 1晩でこれだけ下がるとは!?」と何度も同じことを言っていました。
続く2日間、毎日赤子に法を聞かせ、私も一緒に聞き、絶えず発正念しました。イヤホンが壊れたので、新しいイヤホンを買いに行きました。新しいイヤホンを買って帰ってくると、新しいイヤホンもやはり片方しか使えなかったので、「どうしようもないですね、片方しか使えませんから、今は聞かせるのをやめて、私だけが聞きます」 娘婿がそばでそれを聞いて、慌てて「赤子に法を聞かせなくても大丈夫なのですか? 赤子に法を聞かせなくてはだめなのではないですか!」 そこで「イヤホンが壊れたのよ」 すると娘婿は、壊れた2つのイヤホンを一つにする、と言い、その晩、みんなが寝静まる中、明かりも特別暗い状況下で、娘婿は注意深くイヤホンをつなぎ、赤子に聞かせました。
娘と同室の患者は、私たち家族がひっきりなしに泣いているのを見て赤子の状況を知り「病室に戻ったときに表情を表に出さないように」と私たちに忠告し、赤子の母親が知ったら耐えられないからで、同室の患者はすべて、娘の前では口をつぐんで何も言いませんでした。
その時、病院の6階と7階にいた多くの人が赤子の状況に注目し、最初は医者が治せないと言っているのを聞き、その後、赤子が良くなったのを見て、好奇心を持って「赤子はどうしてよくなったのですか?」と私に聞きました。そこで、患者たちに私の体に起きた奇跡を伝え、それから、赤子の体に起きた奇跡を伝えると、多くの患者が法輪大法の不思議さに敬服しました。その数日間で自ら三退した人は2、30人に上りました。
ある時、店で流行りの服を着ている女性が「あなたの家の赤子はいったいどうしてよくなったのですか?」と聞くので、私は「どうして知っているのですか?」と言うと、その女性は、当時家族が入院していて、私の家族が友人に泣いて訴えているのを見ており、赤子のことも知っており、さらに、病院では治せないことも知っていましたが、赤子がどのようによくなったのかは知らなかったので、心の中でずっと心配していたというのです。そこで、法輪大法の師父と法輪大法が赤子を救ってくださったことを伝えると、その女性はとても感動して「素晴らしい、信じなければだめですね」と励まされました。
五、巧みな按排
大法のすばらしさと功徳が非常に大きいことを人々に伝えました。赤子が火曜日に退院し、戸籍登録する時、村の農業提携所(農村合作医療)に無意識にたどりつき、実際、戸籍に関してはすでにかたづいていました。ただ資料がまだ上級機関に引き渡されておらず、戸籍登録する時にちょうど農業提携所に出くわし、そのまま赤子の農村合作医療を済ませました。娘婿は街の戸籍で正式な労働者ですが、娘は農村の戸籍でした。もともと娘婿の数人のおばは「赤子の戸籍は父親の戸籍に入れるべきだ」と言っていましたが、その後、赤子に脳腫瘍と脳性麻痺が見つかり、父親の戸籍に入れられず、娘の戸籍に入れなおしました。娘と娘婿は赤子は障害児だったので、金曜日に退院手続きを取りに農村合作医療に行き、合わせて4千元を請求されました。請求した医者は「こんなに小さな赤子が清算できることは今までありませんが、コンピューター上では手続きはすべて済んでいます」と言われました。請求金額を清算するお金を握っていた娘婿は「これは特別なことだ、こんな奇跡が起こるなんて全く思ってもいなかった!」と喜びました。家の経済条件があまりよくなく、娘婿は「これは大法を信じたことでもたらされた大きな幸せだ!」と言いました。
さらに、もし今回、赤子が地元で生まれたのではなく、ハルピンの大病院で生まれたのであれば、総医療費は、少なくとも8万元から10万元の莫大な金額になっていたはずです。私たちのような普通の家庭では受け入れがたい金額です。ありがたいことに、偉大な師父は、知らず知らずの間に、すでに、全てに対して巧みに按排されていました!!
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
(明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)