肺ガン末期の兄が全快した
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月24日】1996年に法輪大法を学び始めた私は、心身共に受益しました。修煉前の私は、貧血、心不全、血色素量不足、鼻炎、気管支炎、咳、不眠症、頭痛、体がだるいなどの病気を患っていました。1992年9月のある日、私は突然気を失って病院に搬送され、検査の結果、腎不全、肝機能障害、再生不良性貧血だと言われました。しかし、病院では治療法がなく、自分で栄養に気をつけることと疲れないようにすることしか打つ手はありませんでした。当時、私は41歳でした。

 私は負けず嫌いな性格で、同僚や友人に体の弱い自分を見せたくないため、無理してこらえ、休まず、入院せず、気を失った時でも入院をしませんでした。一度、雪の日に自転車に乗って転倒し、半月板を損傷して、医者から手術が必要だと言われましたが、私は断固として断り、無理にそのまま数年間、放置しました。大法を修煉して半年後、私の病気は完治し、足の痛みもなくなり、半月板も完全に回復しました。

 修煉の中で、何度か病業の現象も現れましたが、いずれも師父の助けの下、難関をくぐり抜けました。私は修煉して20年間、薬を1錠も服用せず、健康そのもので、多くの大法の奇跡を経験しました。そのため、妻、娘、娘婿、孫達も皆大法は素晴らしいと言っています。妻は修煉をしていませんが、時間があれば、『轉法輪』を読んだりしています。1999年7.20、江沢民が大法に対する迫害を開始した最も厳しい時期でも、家族の誰もが私の修煉に反対せず、「三つのこと」をいつも全力で支持してくれました。時には、資料の消耗品の購入なども手伝ってくれました。

 師父は「佛光が普照らせば、礼儀が圓明となる」[1]とおっしゃいました。20年間、私は家族、親戚と共に法輪大法の神秘を体験し、師父の浩蕩たる佛恩を浴びてきました。以下では私の周りに起きた不思議な話をいくつか話し、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。

 師父の説法録音を聞き、末期の肺がんの兄が全快

 私の故郷は山岳地帯の農村にあります。2001年の初め頃、兄は体の具合が悪くなり、手の痛みが日に日にひどくなって、最後には自分で服も着られないほどの状態になりました。旧暦の12月23日、兄が我が家に来た時、階段も上れないため、弟が背負って上がって来ました。痩せ細り非常に衰弱した兄を見て、私はとても驚きました。彼らが食事をしている間、私は法輪大法の素晴らしさと病気治療の効果を話し、そして、自らの経験と煉功してから病気が全快したこと、そして何年間も薬を服用していないことを話しました。食後、兄に師父の説法ビデオを見せました。兄は学校に行ったことがなく、字が読めないため、説法を聞かせるしかありませんでした。

 翌日、私は兄に付き添って病院へ検査に行き、専門家の話を聞きました。そして、相前後して、市立病院、県立病院、癌センターなどにも行きました。それ以外の時間では、兄は家で師父の説法をまる3日間聞きました。26日の午後、私が仕事から帰って来ると、兄は立って、笑顔で私に「もう痛くなくなった」と言って、そして手を上げて見せてくれました。私もびっくりして、しばらく言葉を失いました。兄は目に涙を浮かべながら「師父に感謝します」と言いました。当日の夜、三つの病院の検査結果が届きました。結論は同じく「末期の肺がん」でした。あと3日で正月を迎える時期でしたので、医者は「年を越してから治療プランを決めましょう」と言って、がん予防の薬を少し処方してくれました。年を越して、兄を連れて病院で再度検査をしてみたら、レントゲン写真ではガンがなくなり、石灰化しか残っていないことが分かりました。医者は前後の2枚の写真を見比べて、とても不思議そうに「それじゃ、お金の節約になったね。治療しなくてもいいよ」と言いました。こうして、兄は1日も入院せず、いかなる治療薬も服用せず、奇跡的に健康を回復しました。当時、兄を病院に送ってくれた運転手も、兄が入院せずに治癒したと聞いてとても不思議に思ったそうです。2013年に私は再び運転手の家を訪ねたとき、兄の病気のことを聞かれました。私は、彼らにその経緯と大法の素晴らしさを話し、三退をして平安を守る事を話しました。彼の家族全員が即座に中国共産党、共産主義青年団と少年先鋒隊から脱退の意を表明しました。

 『轉法輪』を読み、妹婿は師父のご加護を得た

 2010年、正月15日の元宵節が近づいて来ました。農村では家々が提灯を掛ける風習があり、14日の午後、妹婿は梯子を電信柱に寄せかけ、電信柱にひもをつけて提灯をかけようとしました。しかし、梯子が不安定なため、バランスを崩して梯子と共に倒れ、積み上げていた石に頭を打ちました。梯子の下敷きになった妹婿は口から血を流し、頭が腫れて気を失いました。びっくりした妹は弟を呼び、妹婿を病院に搬送して応急手当をし、レントゲン写真、CT検査、整骨科でも検査を受けました。検査が終わった頃、妹婿も目が覚めました。整骨科主任は検査結果を見て、「大丈夫だよ。薬を飲むほどでもない。転んだだけだから、しばらく休めば元気になるよ」と言いました。その日の夜10時、妹婿らは帰って来ました。

 私は修煉を始めてから、大法の素晴らしさを実感し、彼らのために『轉法輪』を取り寄せました。妹婿はあまり字が読めないのですが、しかし、『轉法輪』は読めました。しばらくの間、時間があるとき、或いは農閑期の時、彼はよく『轉法輪』を読んでいました。こうして、彼らは福報を得て、何度も師父からのご加護を得られました。

 師父に守られ、車のドアに挟まれても無傷だった

 2014年の夏、姪が車で帰省すると言うので、私も彼らの車に便乗して、故郷に帰って真相を伝えようとしました。途中、高速道路のサービスエリアでトイレを済ませ、急いで車に乗ろうした時、私の右手はまだ扉を持ったままなのに、姪は車のドアをバンと閉めました。私の四本の指が挟まれました。妹はびっくりして、すぐにドアを開けましたが、しかし、私の指は内出血もなければ、挟まれた痛みも感じませんでした。姪と姪の婿は怖くなって顔色が変わり「痛くないですか、大丈夫ですか?」と心配そうに聞きました。私は「師父に感謝しましょう。師父は弟子のためにこの難を引き受けてくださいました」と言いました。以前、姪と姪の婿は大法のことを半信半疑でしたが、今度は、自分の目でこの一幕を目にして大法を信じるようになり、中国共産党とその関連組織から脱退しました。

 修煉を始めてから、我が家に起きた奇跡はまだ沢山あります。師父に対する感謝の気持ちはどんな言葉でも言い表すことができません。再び師父に感謝し、師父の済度に感謝いたします。これから必ず心を込めて法を学び、自分の観念を変え、三つのことをしっかり行い、多くの人を救い、師父について家に帰ります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/31/344921.html)
 
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