【明慧日本2017年4月27日】天津市の法輪功学習者・滑連有さん(50代)は同市の濱海刑務所に収容されて1年が経った。刑務所で滑さんは断食して迫害に抗議をした。滑さんは面会しに来た妻や娘に刑務所で受けた野蛮な灌食や侮辱されたことを話した。それを聞いた家族は弁護士を雇い、刑務所を訴えようとした。
滑さんは天津市北辰区に在住で、天津市ブラウン管会社の職員だった。会計士の資格を獲得した滑さんは真面目に仕事をやり遂げ、周りに良い人だと公認されている。
昨年4月14日午前10時過ぎ、滑さんは自転車に乗って出かけたとき、佳栄里派出所の警官に不当に連行され、午後に天津濱海刑務所に送られた。滑さんは断食して迫害に抗議したが、辛い灌食をされた。明慧ネットは滑さんに対する迫害の報道を出し続けている。
今年3月13日、滑さんの妻は刑務所に行き滑さんと面会した。滑さんは「2月末、過量な灌食をされて、胃袋が破れそうになった。そのため、新生病院に運ばれ胃から灌食したものを吸い出されたが、とても苦しい思いをした。3月4日、椅子に縛られた。3月7日、車椅子に縛られ、監視され拷問するように指示された受刑者に腕の筋肉をひどくつねられた」と話した。
それを聞いて、家族は3月20日、刑務所と刑務所管理局に手紙を出し、滑さんに灌食したものや与えた薬を公開するように、また、滑さんに拷問するように指示を出した者、指示を受けて実施した者の名前を公開するようにと要求した。しかし、家族は今現在、何の返答ももらえず、ただ、管理局から刑務所の電話番号だけを教えられた。
4月10日、滑さんの妻と娘が滑さんと面会したとき、滑さんは車椅子に乗って出てきた。滑さんは「監視され指示された者に陰部を強く握り回され、陰部の皮膚がひどく傷ついた。また、隊長・梁にペンとリモコンで口を殴られた」と話した。
家族は滑さんのため、弁護士を雇った。弁護士は現在、滑さんの冤罪を申し立てようとしている。
滑さんは法輪功を学んでいるとの理由で、2001年、当局に懲役5年の実刑判決を言い渡され、刑務所に収容された。刑務所の迫害により、精神状態が朦朧となった。
2012年4月24日、滑さんは再度、懲役7年の実刑判決を受け、濱海刑務所に収容された。断食して迫害に抗議した滑さんは、断食の617日目に警官らにより担架で運ばれ自宅に帰って来た。
2015年6月、滑さんは法輪功の迫害を引き起こした江沢民を告訴し、刑事責任を追及するようにと求めた。
しかし、昨年4月14日午前、滑さんは再度、不当に連行され天津市濱海刑務所に送り込まれた。