大興安嶺の学習者・高淑英さん 迫害されて危篤に
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 【明慧日本2017年4月30日】大興安嶺地区塔河県法輪功学習者・高淑英さんは今年4月16日に不当に連行され、留置場に拘禁されて迫害され、現在危篤状態である。22日朝2時ごろ、国保大隊の警官ら数人が「一時的に仮釈放し、家で裁判の開廷を待て」という書類に高さんにサインさせ、指で押印させてから解放し、家族に高さんを背負わせて帰宅させた。

 しかし、高さんの自宅の鍵と一部の私物は国保大隊の警官・崔玉芝に握られており、家族は高さんに衣服を着替えさせようと思っても鍵がないために家には入れず、着替えできなかった

 高さんは元中学校の教師であり、かつて頭痛、低血圧、低血糖、婦人科病、出産時にあった病気などを患い、毎日数種類の薬を飲んで注射を受け、民間療法を試してもどれも効き目がなく、数代に渡る医者の家系と言われていた高さんだが、逆に病気はますます深刻になった。結局、高さんは仕事ができなくなり、夫にいつも離婚すると要求され、しかもお金はすべて病気の薬代に使い尽し、高さんは「どなたか健康な体にしてもらえないか」と毎日寝たきりの中で考えていた。

 ある日、高さんは『轉法輪』を入手し、それから修煉を始めて、やがて健康を取り戻し、家庭も平和で皆が幸せになった。

 江沢民は法輪功の創始者に対して嫉妬したため、19997.20から法輪功への迫害を開始した。高さんはただ「法輪大法は素晴らしい」と伝えただけで何度も連行され、拘禁され、精神病院に入れられた。

 今年4月16日昼すぎ頃、高さんは塔河第一中学と高校の建物にDVDを配布し、ポスターを貼っていた際に、建設派出所の警官により連行され、後に塔河警察所の2階の国保大隊事務室に連れられ、そこで強制的に所持品の検査、身体検査をされ、バッグの中の私物までも全部押収された後、手錠をかけられて警官とともに自宅へ連れて行かれ、家宅捜索が行われた。

 2台のパトカーが高さんの自宅に行ったが、押収されたものを運ぶためにもう1台の車が呼ばれた。プリンター、横断幕、法輪功の関連書籍、写真のコピー用紙、A4の用紙、布、印刷油など、視野に入った価値のあるもの、修煉と関係のないものまで押収された。鍵は警官の崔玉芝に取り上げられたため、具体的にどのぐらいのものが押収されたか分からない。

 高さんは尋問室に引きずり込まれ、鉄の椅子に座らされ、いろいろ尋問された。高さんは答えていないにも関わらず、警官は勝手に嘘を書き込み尋問記録を作った。それが終わると健康診断を強要され、断ると手錠を一層強く掛けられ、手首がすぐに腫れあがった。血圧を検査された後、心臓の検査が始まる直前に腹が突然に痙攣しだし、心電図の検査ができなくなった。しかし、崔警官らは無理矢理高さんを鉄のベッドに押さえ込み、胸と腹を数時間にわたって露出させ、他の男性警官ら数人が卑劣な話をしながら検査を行った。夜から朝にかけて、高さんへの健康診断がやっと終わり、高血圧症と 虚血性心疾患(心筋梗塞・狭心症)と診断された。

 朝5時、崔警官らは慌てて高さんを留置場に連れて行った。その時、高さんは既に歩行できなくなり、留置場に受け入れを拒否されたが、崔により強要されてやむを得ず受け入れた。崔は「穴を掘って、あいつを北の方の山に埋めろ」と高さんを脅かした。

 高さんは翌日の夜までに水や食事を提供してもらえず、突然倒れて全身を痙攣させ、冷たい磁器のタイルの上で、一晩中、起き上がれず横になっていた。留置場の監視人がこれに気づき、警察所に「釈放しようか」と要求したが許可されなかった。崔警官はまた数人の警官らを率いて留置場に向かい、高さんを尋問した。

 高さんは食事できず、水も飲めなくなり、吐き気が絶えずしており、吐いた物は白いものばかりだった。頭が朦朧として息苦しく、腹と胃も深刻な不具合で痛み、ベッドで絶えず転げ回っていた。

 4月21日夜9時、留置場の当番の警官は医者を呼んできたが、高さんは目から黄色な液体が出てきて、何も見えなくなり、唇が乾いて裂け、話し声が非常に小さくなり、危篤状態になった。それにもかかわらず、高さんをまだ釈放しなかった。こんな時、警官の目の前で、高さんに暴力を振るった囚人がいたが、警官は見ても見ないふりをした。その中の1人の囚人がそれを見づらくて、ペットボトルの水を持って高さんの口に注いだが、高さんはもう飲めなくなっていた。

 22日朝2時ごろ、警官の一団が留置場に来て、高さんをパトカーに引きずり込んだ後、家族に背負わせて帰宅させた。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/25/346124.html)
 
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