「2017年米国東部修煉交流会」アトランタで開催される
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文/アトランタの法輪功学習者

 【明慧日本2017年5月10日】「2017年米国東部修煉交流会」が4月23日、ジョージア州アトランタで開催された。ジョージア州各地の学習者、およびミシシッピ州の一部の学習者が交流会に参加し、29人の学習者が日ごろの修煉体験を参加者と分かち合った。

'图:2017美东南法轮<span class='voca' kid='53'>大法</span>修炼心得交流会在亚特兰大举行。图为部份参加者合影。'
交流会に参加した一部の学習者

 アトランタ市内のホテルで開催された「2017修煉交流会」は厳かに盛大に行われ、ステージの前は鮮やかな花籠で飾られた。交流中のアナウンスは英語で行われ、体験を発表する際は英語または中国語の字幕同時通訳がなされた。

 孫さんはある都市の協調人で、彼が交流したタイトルは「協調する中で修煉する」であった。トラブルの中で如何に自分の内に向けて探し、神韻プロジェクトの協調において、神韻交響楽団および神韻芸術団の公演を主催する中で、如何に心の平静を保ち、努力して同修と交流し、神韻の財務上において細心の注意を払い、心を込めて尽くしたかを話した。同修との交流を通して、彼が悟ったのは出会ったすべてのことが偶然ではなく、多くはトラブルという形で現れ、トラブルの中で同修の多くの人心がはっきり見え、「しかし修煉者として必ず自分の問題を探すことです。なぜならばトラブルの中で、師父が私たちの執着心を暴露させ、自分が意識できない問題を気付かせた」ことであったという。

 陳さんは発表の中で、修煉のすべてが新たに「心」から始まるという(中国語では「新」と「心」は同じ発音)。ある日、毎週の神韻の会議で、ある同修が多くの不満を口にし、協調人が新しい学習者を重用していて、古い学習者を使わず、そのため古い学習者は実力があっても発揮することができず、新しい学習者は学法も、煉功もついていけてないという。会議の雰囲気が一変し緊張が高まり、彼女は自分のことを言われていると気づき、心から師父に感謝し、修煉の機会がまたやってきたので、必ず心を動じてはならないと思った。しかし会議が終了したあと、いろんな心が渦のように現れた。彼女は座禅をして発正念を行い、心を静めた。この時頭に師父の法が現れた。「一つの心が動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[1]。そして体が一瞬震動し、自分は大局を重視しなくてはならない! 人に言われることを恐れる心を放下し、その執着から解脱しょう! と悟った。

 トムグエンさんは欧州からの留学生で、アトランタ大学で学んでいる。彼は昨年の冬に大法と出会い、その法理が博大で奥深く、誠実であると感じたという。彼はわずかな空白時間を利用して学法をし、新経文を読み、自転車に乗るとき、或いは歩いている時は師父の『広州説法』を聴いている。時間が経つにつれ、彼は体の変化に気付き、だんだんと自分の良くないことや情緒、および自我を守る背後にある執着まで意識出来たという。大法を修煉して数カ月で自分の世界観が根本から変わり、日常生活まで変わり、生命の意義についての理解が明晰になったという。

 謝さんはアトランタの学習者で、同修の良いところを見習い、人心を取り除き、どのように生活の中で法を正し、大法が人々の怨念を溶かしたか、仕事の中で如何に法を正したかについて交流した。彼はかつて同修に対してマイナス的な考え方をもち、同修に対して不平不満の心を持っていた。同修の良いところを見習うことを通して、彼はこれらの心の背後にある執着を意識し、努力して取り除いたという。ある学術会の時、論文の受賞を通して、彼は自分の奥深くに名利心が存在することに気づいた。

 曹さんは如何に真に法の中に溶けたかについて発表した。彼女は法を得た時は真に自分の帰るべき場所を見つけたと感じ、法を得た喜びと感動で、自分は真に世間のものを放下できると感じ、師父について家に帰ろうと思っていたが、修煉が長くなるにつれ、ますます修煉の難しさを感じ、人として放下する難しさを、修煉の初心に帰るまで考え及ばなかったという。最近、数件の出来ごとを通して、彼女は自分の修煉の遅れに気付き、真に自分の内に向けて確実に修煉し、いい加減にしてはならないと悟ったという。

 徐さんは96年に修煉を始めた古い修煉者である。20年来同修と協調し合い法を正す道で、修煉とは一歩一歩高めて、成熟に向かわせる過程であると認識している。2009年に彼女は当地のあるプロジェクトの協調人を担い、仕事はなにかを行うのではなく、修煉であると認識した。協調は交流、相談、合わせる、恥を忍んで重責を担うことであると認識した。彼女は協調する過程で修め、忍耐する心ができ、受け入れる容量も広くなり、付き合いやすい同修と、そうではない同修を束ね、それぞれの特徴を最大限に発揮してもらい、その人たちに法を正す道を歩ませたという。

 廖さんは、努力して心性を高め、修煉当初の初心に戻れた修煉体験を発表した。彼女は95年12月に修煉をはじめ、99年に残酷な迫害を受けるまでの3年間は、その当時の大法弟子と同じように、主に心性を修め、名、利、情を放下することであった。法を得て修煉を始めた当初、人生の真諦が分かり、人生の至宝を得た喜び、心がぱっと開けた軽やかさ、物事に出会った時に驚かず穏やかな気持ち、名利を放下した自由で闊達した状態が心を満たしていた。しかしアメリカに渡ってからは、かえって怠け始め、精進しなくなった。環境にゆとりができ、行動が自由になり、何時でも法を実証することができるので、「他人のことを先に考える」という意識がだんだんと薄れていった。他人の問題点を見ることが多くなり、自分に対する要求がますます低くなり、内心の平静を保てなくなった。意見が合わなければ言い争い、穏やかな態度で自分の意見と考え方を語ることができなくなり、つらい思いをさせられ不公平な待遇に遭うと、忍耐できなくなって怒り、闘争心が爆発していた。このような出来ごとが何回もあり、完全に大法弟子のかけらもなかった。彼女は今はその状態を変えようとし、まず自分が修煉当初の心理状態に戻して、何時でも、どんなことにおいても真・善・忍の基準で自分を要求して、抑制し、努力して心性を高めているという。

 午後6時30分、「2017米国東部修煉交流会」は円満に終了した。交流会に参加した学習者らは、同修の交流を聞いて自分をよりよく修め、自分の修煉の遅れを見つけ、そして今後の修煉の路で努力して、勇猛邁進することを誓った。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「最後の執着を取り除く」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/30/346433.html)
 
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