内に向けて探し、魔難を乗り越えてきた
■ 印刷版
 

文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2017年5月13日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私はトロントに住む法輪功修煉者です。今日、交流したいことがあります。師父の助けの下、内に向けて探す事を通して、自分の執着と身体への妨害、厳重な負傷を乗り切った経験を話します。

 消業か妨害か?

 師父は説かれました。「現在、業の消去にしても、邪悪の要素による妨害にしても、すべて旧勢力がやったことであり、同じことです。言い方が違うだけです。旧勢力がやったことを私はすべて否定し、認めません。大法弟子が苦しみに耐えるような事はことさらあってはいけません」[1]

 2015年4月18日、私は思いもよらない事故で、救急病院に送られました。自分でもどのようにしてこのような状況が発生したのか分かりません。一秒前には立ってバスを待っていたのに、一秒後には歩道に座り込んでいました。とてもびっくりして、自分を嘲笑しました。バスがもうすぐ来るから起き上がろうとしましたが、立とうとしても立てず、左腿が無くなったような感覚で、まるで存在していないかのようでした。私は師父にそれが見つかるように助けを求めました。その時は痛いと感じず、また身体の一部が負傷した事もわかりませんでした。

 翌日、臀部股関節の代置手術を行うとき麻酔をしましたが、外科医が手術を始めたとき、私はまだ完全に眠っていませんでした。最後に思い出せるのは、氷のように冷たいメスが皮膚上で動き回っていることでした。そのメスが身体の中に入って来ましたが、痛いとは感じませんでした。その後リカバリー室(一般病棟内にある重症室を指すもの)で目を覚ましました。全身が冷たく感じ、同時に何が起こったかを思い出しました。私は中国でのことが思い浮かび、法輪功学習者が臓器を摘出されていることを思い出して泣き出しました。

 私はいつも世人に、中国で発生している法輪功学習者への迫害と、臓器を摘出される法輪功への迫害の真相を話していましたが、本当にその恐怖の感覚を体験した事は今までありませんでした。私のこの手術を通して、メスが自分の身体の中に入り始める感覚を知り、臓器狩りの本当の恐怖を初めて理解したのです。

 臀部に金属が入れられました。これではどうやって煉功が出来るでしょうか? 私はその時、自分が大法弟子である事を自覚しておらず、希望を無くした感覚になりました。当時、我慢ができずに泣いてしまいました。私は師父に助けてくださるようにお願いしました。突然頭の中に『轉法輪』の中の一段の法が現れました。「先生、わたしは不妊の手術を受けました、あるいはわたしは何かを摘出されましたが、それでも煉功できますか、とわたしに聞く人がいますが、それは影響ありません。他の空間の身体は手術を受けておらず、煉功はあちらの身体が作用しているからです」[2]と師父は説かれました。

 負傷を修復する中で、私の股関節は以前のように、自在に活動範囲を広くすることは出来ません、と医者と看護師に言われました。それはもう二度と、双盤が出来ないという事だと分かりました。私は崩れ落ちる感覚になり、もし双盤が出来ないなら、自分は修煉して圓満出来ないと思いました。まるで家への帰り道に迷った子供のように、前進する方向を見失い、希望が無くなったように感じました。

 深く落ち込み、修煉を放棄しようとしました。しかし、慈悲なる師父は私を放棄されず、ずっと私の身辺にいてくださいました。師父は、他の同修が来ることを按排してくださいました。同修は私を手助けして、一緒に学法もしてくれました。絶えず法を学ぶことを経て、双盤が出来るかどうかに関わらず、これらは心配のいらない事で、一切は師父がお決めになることだと認識しました。私が出来ることは、求めることなく精進して、三つのことを良く行うだけです。

 またその期間、本当に全体の重要性を認識しました。修煉し始めたばかりのとき、全体という概念を受け入れるのがとても難しく、また全体があり得る事だと信じられず、誰かの一部分になりたいとも思いませんでした。ただ自分の事だけを考えていました。自分という個性を失うのが怖く、放棄することを恐れました。今は、師父が按排された全体の修煉形式は、私たちの修煉を助けるものだったことが分かりました。私はこのことによって、自分の私心が見えたので、それを改めることを決心しました。

 まず自分を探し始めました。自分の何の執着心が間隔と、邪悪の迫害を引き起こしたのかを見てみました。そしてたくさんの心を見つけました。例えば恐怖心、嫉妬心、利己心、および各種の欲望を追求する心です。しかしこれらは全て、表面のものにすぎないことを知っていました。必ず自己を深く掘り出してこそ、やっと問題の根源が見つかるのです。どんなに苦痛でも、必ず自分の根本の執着を探し出し、それを取り除き、人心を放下して何も考えないようにして、つまり師父が私たちに良く行うようにと要求された三つのことを行うだけだと決心しました。

 内に向けて探す過程で、長い間心の奥深くに埋め込まれていた多くの執着心を見つけました。これから述べることは、過去に修煉者の正念で事を行ったのではなく、どれも人心を用いて行ったことで、交流の中でそれを暴露して、それらの執着を取り除きます。

 1、学法

 長い間、学法の時にずっと妨害がありました。学法の時、精力を集中することが難しく、絶えず居眠りをしてしまいました。ある時は学法が終わって、重荷を下ろしたような感じでしたが、同時にとても焦りました。なぜならその日、私は本当に学法したわけではなく、学法している時に思い浮かんでいたのは、日用品を買うことや、夜に何を食べようかとか、娘はいつ会いに来てくれるのかを考えていたのです。

 師父は説かれました。「この大法を良く勉強することができなければ、あなた自身の圓満成就は保証されません。しかも、あなたが行なった全ての大法のことは常人が何かを行なう時と同じようになり、常人の考えで、常人の基点から行なってしまいます。それが常人であり、せいぜい常人が大法のために良いことをしていることになるに過ぎません。皆さんは大法弟子なので、法を離れて事を行ってはいけません。皆さんはまだ最も表面にあるまだ変化していないこの部分を絶えず変えているので、法の勉強を離れてはいけません。必ず法を良く勉強すべきです。法を勉強している過程で、皆さんは絶えず自分にある良くない要素を消滅し、まだ変化していない最後のこれらのものを変えることができます。今まで私はなぜ皆さんに法を勉強しなさい、法を勉強しなさい、法を良く勉強しなさいと強調してきたのでしょうか? これは極めて重要なことだからです」[3]

 一定の間、法を良く学べなかったときには、まるで常人と同じような感じになってしまい、時間を浪費して、常人と日常会話をしたりして、彼らに迫害の真相を伝えていませんでした。真相を伝える場で、署名活動や話をするとき、私が説明しても聞く人がおらず、また署名してくれる人がいない事に気づいていました。

 しっかり法を学んでいない状態の下、娘たちの関係にも影響をおよぼしました。彼女たちはお互いの悪口を言いあったりして、私がどちらか一方の肩を持つと状況はさらにひどくなります。しっかり学法していない時に、私は非常に利己的になりました。

 事故が発生する前、私の身体は長期にわたって妨害を受けていました。その状態はすでに数カ月にもおよんでいました。知らず知らずのうちに、邪悪の迫害は私にとって機会を作っているのだと思うようになりました。

 現在は真に学法の重要性を理解しました。また執着と悪い観念を持ちながら学法するのは、師父と法に対して非常に不敬である事も分かりました。それは実際には、犯罪と同じことなのです。

 退院して帰宅してから数カ月後に、松葉杖で歩けるようになった頃、二つの中文の学法グループに加入しました。精力を集中させて学法をすることが増えるにつれ、自分が変化していくのを感じました。思想が純粋になり、他人の角度から問題を考えることが出来るようになり、以前のように利己的ではなくなり、多くの頑固な観念が消失しました。大法は本当にとても強大で、とても素晴らしいものです。

 2、自我を実証する心と顕示心

 今まで私が世人に真相を伝える出発点は、人を救う事でした。しかし、だんだんと自分を実証するようになりました。真相伝えの場所に着いたら、まず師父に縁のある人を送って下さるようにお願いして、人々が来ると、私はとても容易に彼らに話しかけます。彼らは私が話すのを興味深くずっと聞いていました。それから私はだんだんと嬉しくなり、まるで出発点を忘れたかのように、自分に対して満足するようになりました。それは人を救い済度しようとしているのでなく、自己を実証することに替わってしまいました。

 思い出してみれば、私が語っていた事は、人々に法輪功と、この迫害を分からせるための話で、出発点は良かったのですが、彼らと話し合う過程で、その目的を忘れてしまったのです。師父が私の所へ送ってくださった人たちは、私を喜ばすためではなく、私の使命は彼らを救い済度することです! この過程で私は無意識のうちに、大法を利用して自分を実証する結果になったので、この出発点も修煉または世人を救う事でなくなり、完全に自分の顕示心と人心を満足させることになっていたのです。

 師父は『轉法輪』の中でこのように説かれました「修は己にありて、功は師にあり」[2]

 私は内に向けて探し始め、自我を実証する心と顕示心を探し出しました。これらの心はとても危険であることを、必ずはっきりと認識しなければなりません。必ず法を用いて量り、これらの執着を暴露し、これらの執着を取り除きます。現在はっきり分かったことは、私がここに来たのは衆生を救い済度するためで、技能をひけらかすためではありません。私が知っている事と出来る事は、正法時期の大法弟子として誓約を完成させるために使うものです。私の持っている一切のものと、掌握している知識は全て師父が私に下さったものです。師父は万事万物の源で、一切は全て師父が行って下さっているのだと心の中で知っています。私がするべきことは、良く法を学ぶことと、自分を良く修することです。それでやっと、古から今日にわたって誓いを立てたことを完成させられるのです。私はもう再びあの人心に固執することはなくなりました。師父が私に按排して下さったのは最も良いもので、ずっと見守って下さっています。私は必ず良く修して師父に申し訳が立つようにします。

 3、発正念

 発正念をするとき、ずっと15分座っていても、ある時は全くすべき邪悪を一掃することをしていませんでした。もし他の同修がいる状況下であれば、自分の姿勢がきちんとしていて、背中がまっすぐであることを見せ、手の形もとても良くします。ですから、これらをするのは他人に見せるためであって、一掃することが出来ていなかったのです。

 しかし、ずっとこのようではなく、ある時は平静に座ることが出来て正念を発することが出来ますが、それでも私はずっと、自分に邪悪を一掃する能力がある事を信じきれていませんでした。ですから、発正念は私からするととても難しく、これははっきり言えば、師父が要求された発正念に対する信念が欠けていたという事です。

 私は一歩進んで内に向けて自分を探し始めました。そして劣等感と自信の欠乏を探し出しました。この執着があるから、師父の説かれることを真に信じ切れていなかったのです。師父は説かれました。「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません」[4]

 師父は説かれました。「大法弟子の誰もこのことを軽視してはならず、いかなる口実でも正念を発することをおろそかにしてはいけません。自分自身をきれいにすることができなければ、あなたはしっかり行なうことができません。更に、自分自身をきれいにすることができなければ、他の人まで妨害してしまいます」[3]

 学法を続けて、絶えず心性が高まるにつれ、法に対する理解がさらに深くなりました。大法弟子として、真に自分の正念がとても強大であることを信じる事が出来るようになりました。そして正念は、私自身と、私の身辺の一切を変える事が出来ることが分かり、正念の作用の下、大法の仕事はとても堅実になり、世人を救うことが出来ました。

 手術してから約5カ月後のある日、脚を組む時が来たと感じました。その時はまだ地べたに座るのは容易ではなく、クッションの上に座りたかったのですが、何度も試す過程を経てから成功しました! しかし双盤をすることは出来ず、左脚は半直で、45分座れるだけでした。少し経ってから、とても静かになり入静したような感覚になり、それから私は入定しました。その時、他の空間で自分の身体が美しく双盤の姿勢で座っているのを見ました。それはまるで負傷前の身体と同じでした。

 入定する時、一つの念がありました。必ず自分を師父に任せ、去るか留まるかに関わらず、全て師父の按排に従います。

 私は自分がとても穏やかになったと感じました。まるで一つの重荷が肩から下りたような感じでした。

 それから心の中でまた一念が生じました。私が正しくすれば、師父は私に按排して下さいます。この身体上で発生した一切は、全て重要ではなく、最も重要なのは、真の自分に回帰することです。もし私が戻れなければ、私の他の空間の身体と、私の宇宙の中の衆生、この一生の中の家族も含め、親戚、友達、また天国の中の私の本当の母親、それらの全てが淘汰されるのです。

 ここまで書いてくると、涙が両頬に流れました。良く出来なかった結果は本当に恐ろしいものです。良く出来ないことは絶対に許されません。私は必ず永遠にこの一点を覚えます。

 結語

 慈悲なる師父は私を見守り、私を助けてくださり、この魔難を乗り越えることが出来ました。この関を乗り越える過程で、私は真に師父と大法を信じる事を学ぶことが出来ました。人心を放下する過程は容易ではありませんでした。しかし私の心が動かなければ、私が自我を放下することが出来た時、師父は私を見守ってくださり、私が魔難を乗り越える事が出来るようにしてくださいます。毎回ここまで思い至った時、心の中は感激でいっぱいになります! 慈悲なる師父はずっと私のそばにいてくださっている事を知っています。大法の威力はずっと現れるのです。

 師父は説かれました。「実は修煉さえすれば、私はあなたの身近にいます。修煉さえすれば、私はあなたに最後まで責任を持つことができ、しかも私は時々刻々皆さんを見守っています」[5]

 現在、私は何が真の修煉なのかを理解しました。「内に向けて探すことは最も有効な方法です」[6]の法理を理解しました。私はずっと内に向けて探し、この心は利己的ではないか、あるいは動じたのではないかを見ています。どんなに苦痛でも、必ず修して生生世世に蓄積された人の観念を捨てます。悲しみや遺憾はどれも大した事ではなく、最も重要なのは極端に走らず、落ち込みの中にずっといない事です。ただ正念を保ち修してこれらの人心を取り除けば、向上して一つの新しい次元に到達出来るのです。

 大法を実証する過程の中で、毎回心が動じたことを目にしたとき、内に向けて探し人の念を掴み、また迅速にそれを一掃します。私はずっと人を救うことが最も重要であることを忘れず、また絶えず昔誓約したことを思い出せば、ずっと師父と大法が導いてくださいます。

 正法時期に、たくさんの事が出来るのであればやるようにし、人を救うという一念を抱えて精進して行います。一切は全て師父の掌握の中にあることをずっと覚えて、師父が按排して下さるものは最も良いものであることを忘れません。私はただ信じて信念を保つことだけです。今は落ち着いてきて、遺憾と自責を私の修煉の道の上に置いていません。精進して邪悪を一掃し、私の衆生を救い済度します!

 時に、だるいとか良く学法しなかったり、または利己的に求めたり、このような人の念が出現したとき、私はすぐそれらに気づき、放下出来るとわかっています。

 師父、私を新たに、真に奮い起こして下さって感謝いたします!

 師父、ありがとうございます! 同修たち、ありがとうございます!

(2016年カナダ法輪大法修煉心得交流会)

 注:
 [1] 
李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [6] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/2/332286.html)
 
関連文章