明慧法会|私は法を実証するために来た生命
■ 印刷版
 

 文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2017年5月19日】

 師父、こんにちは!

 大法弟子の皆さん、こんにちは!

 私がとても光栄に思うことは、宇宙の神がみな感心する法を正す時期の大法弟子になれたことです。15年間の錬磨の中、師父の慈悲深いご加護の下、だんだんと成長し、自分の根がすでに大法の中に深く根ざしていることを信じることができます。さらにこの15年間、師父が私のために多くのことを引き受けてくださったことも知っています。特に迫害され、心性が関を乗り越えられなかった時、大法は私の心を次々と開いてくださり、師父の法理が私の観念を変えてくださったので、私は今日まで歩んで来ることが出来ました。以下では、この数年来のわずかな体験を書き、同修のみなさんと交流するとともに、師父にご報告いたします。

 貴重な書籍を授かる

 1998年4月18日、病気治療のため自分で煉功の場へ行きました。すると、煉功してわずか3日で、20年以上治らなかった肩こりが無くなり、その日、輔導員から貴重な書籍『轉法輪』を貰いました。この貴重な書籍を受け取って仕事が終わるとすぐ読み始め、週末は何もせずにただ『轉法輪』を読みました。

 『轉法輪』を一度読み終わって驚いたことは、なんと全身の病気は意外にも自分の道徳や品格、先祖との間に借りがあったからだというのです。私はずっと自分が物事の道理をよくわきまえた人間であると思っており、小さい頃から勉強が好きで、家事もでき、学校ではいつもクラス委員長を任され、社会に出てから数年で村全体の教師の中の「極めてすぐれた人」と言われるまでになりました。村、区、市級の優秀な教師や優秀なクラスの担任者などと評価され、若い時には小学校の優秀な教師として評価されたので、自分には知識があり能力があり、自分の仕事に敬意を払い職場を愛し、品格があると思っていました。しかし、『轉法輪』によって自分の内面の世界を見てみると、努力して仕事をしていたのは教えている子供のためでは全くなく、自分の名声のため1日も早く昇進し、人よりも一段と優秀であることを実証するためであり、姑に服を買い与えるのは他の人によく見られたいからで、心からの親孝行のためでは全くなく、姑に対する時と自分の母親に対する時とではその気持ちは全く違っていました。

 『轉法輪』を3回読み終わった時、数多くの自分の良くないものが見えました。職場では勝ち気で負けず嫌いで、同僚の「よくない」という言葉は聞く必要がないと思っていました。生徒がプレゼントをくれるのは、自分の教え方が良かったためだと思い込み、家では勝手気ままにふるまい、夫を見下し、姑と比べて自分に与えられるものが少ないといつも夫と喧嘩し、すぐに離婚寸前になりました。仕事の時間以外はマージャンをやり、宴会の時は酒を飲み、さらにポルノビデオを見たりなどし、これらはみな「真・善・忍」と逆行していました。師父は「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」[1]と説かれていました。

 師父の法は私の心を明るくし、トラブルに対する思考と方法を変えました。初めて法輪大法を学び始めてまもなくのある日、ひどい風邪を引き高熱が出て喉が痛くて話すことが出来ませんでした。しかし、まったく怖くなく薬を飲もうとさえ思わず、苦しかったのですが、心の中では嬉しく、なぜなら、師父が体を浄化してくださっているのだ、と知っていたからです。夫が慌てて病院に連れていこうとしたので、「大丈夫よ、師父が関わってくださっていますから、心から師を信じ法を信じてさえいれば、師父は見守ってくださいます」と言いました。そして、頑張って本を読み煉功すると、2日で良くなりました。私はとても興奮し、生まれてから初めて注射も打たず薬も飲まずに病気が良くなったなんて、本当に素晴らしいと思いました。

 その頃、毎日オートバイで煉功場に行っていましたが、多くの法を暗記し1時間以上の座禅ができる年配の同修が羨ましく、師父の写真に向かっていつも「どうしてもっと早く法輪功を学ばさせてくださらなかったのですか、そうすれば業をもっと少なくできたのに!」とつぶやいていました。『轉法輪』を授かったその日から、毎日『轉法輪』を1講読み(不当に拘禁されていた期間を除く)、トラブルに遭えば、法にはどのように説かれていたのかを思い出すことができました。体の変化が非常に速く、心臓病や偏頭痛など多くの病気が知らない間に良くなり、さらに、最も重要なことは心が広くなったことで、生活が希望に満ち溢れました。数カ月後、70歳過ぎの姑を進んで受け入れ、姑にも大法を教えると、私の変化を見ていたのですぐに大法の修煉を始めました。1998年には夫が修煉を始め、すぐに酒、たばこ、ギャンブルの悪習がなくなり、続いてすぐに子供が大法に入り、家で学法チームを作り庭は煉功場になりました。大法は1家の運命を大きく変え、仲睦まじい家庭を与えてくださいました。私の仕事と生活はすでに修煉に溶け込み、毎日、決められた時間になると何をするのかが規律となりました。そして、私は生命の意義と自分の責任、自分の使命を知りました。

 私は法を実証する生命

 人生で最も楽しかった日々は1年ともたず、1999年7月20日、江沢民集団が法輪功への迫害を開始したので、他の同修と同じように私も巨大な圧力に向かって表に出て法を実証しました。学校では会議を開いて1人1人に態度を表明させ、保証書を書かせました。今でもはっきりと覚えているのですが、その時は毎日『真性を見る』を数十回暗唱しました。校長は硬軟両様で迫りましたが、私には手を焼き人里離れた条件の悪い小学校に押しやり、和の乱れたトラブルの多いクラスを担任させました。さらに、私に授業は割り当てられず、6人の生徒たちが宿題をやらず、毎日職員室で宿題をやっている現状の改善を引き受けさせられました。しかし、私にとってはそう難しくはなく、なぜなら大法を修める者には知恵があるからで、殴ったりすることなく、生徒たちに宿題をやらせることをなんなくやり遂げました。

 学校が始まって1週目、宿題は授業の後に残って単語を2回書き写すことでした。法の知恵を利用し、生徒たちに対して私が心から大切に思っていることを感じさせると、素行の悪い生徒は私が差別していないと言い、私が善良だ、と言いました。すると、生徒たちは宿題をやり始め、授業では積極的に発言するようになり、喧嘩(けんか)の現象も起きなくなりました。いつでも大法の要求に従い、どこでも良い人になり、自分の実際の行動をもって大法を実証しました。学校では、いくつかのクラスの戸が閉まらなくなっていたので、家から角材を持って来て修繕しました。生徒が参考書やあんちょこを買う時もロイヤリティーを受け取りませんでした。校庭の草刈りなどの学校の雑用についても、生徒を引率して積極的に行いました。模範教師の期末評価についても、自ら青年教師にその評価を与えました。ある時、労働の際、校長が「みんなが法輪功の修煉をすれば、学校は校長がいなくても大丈夫だ」とまで言ってくれました。

 2000年、北京へ法を実証しに行ったため9カ月間、不当に労働教養に科されました。戻って来ると、また新しい学校へ移されました。いつも「私は法を実証する生命だから、どこにいても自分が大法弟子であることを忘れずに行ってはじめて、人を救うことができるのだ」と自分に言い聞かせました。はっきりと覚えているのですが、若い教師が私に「あなたがこの学校に来る前、あなたはずいぶん馬鹿な人だと思っていましたが、一緒に仕事をして初めて、あなたが馬鹿ではないことを知ったので、あなたの前でわがままができなくなりました」と言いました。実際、その若い教師が言うほど私は良くないので、大法の要求に大きく及ばない、ということを知っていました。

 2005年から三退を勧めることを始めると、教えている27人の生徒のうち25人が三退し、12人の教師のうち11人が三退しました。ある時、ある教師がいつも私たちと仲が良かったので、すぐ三退すると思っていたら、少し説明しただけではダメで落胆しました。しかし、その教師の将来のことを考えると諦めきれず、ある日の午後、その教師の名前を紙に書き、さらに「共青団と少年先鋒隊を脱退しましょう」と書きました。そして「お姉さん、三退は人の生命にとってとても重要なことなのです」とその教師に説明し、紙に書いたものを見せました。すると、その教師は興奮して「こんなに簡単なのですか、それなら大丈夫です、家族も脱退させますので名簿をください」と言い、1週間後、その教師は家族7人を脱退させ、さらに『轉法輪』の本を1冊注文してきました。「これらすべては師父がなさったことであり、慈悲で偉大なる師父は縁のある人を1人も残したくないのだ」ということを私は知っており、法を正す時期に師に手伝い、法を正している弟子として、1人も残さずに行わなければならず、千回法を伝えてでも人々に法輪功の真相を知らせなければなりません!

 ある時、「610弁公室」の人員が私を不当に連行しに学校に来ましたが、目的を達することができず、その後、学校経営者が家から18キロ離れた山村に私を転勤させました。校長は私に会うと「あなたは多くのトラブルをもたらしました」と言いました。そこで私は「すべては私がもたらしたものではなく、中国共産党の江沢民集団による迫害です」と校長に伝えました。その時、上層部から、私の授業には見張りを付けクラス担任をさせるな、という指示があったことを私はまだ知りませんでした。3日目の授業の時、とても心が辛くなり、あの後味の悪さは形容のしようがありません。

 授業が終わった後、1人でグラウンドへ行き、こらえきれずに涙が落ちてきて、心にわけのわからない苦悩を感じました。突然「車行きて十万里 剣を揮い悪を消すこと急 天傾きて掌を立てて擎え 法は正しくて陰罹を去る」[2]という師父の法が私の脳裏に入ってきました。そして、自分の執着を見つけ出し、面子に執着する方面において乗り越えられず、名に執着していました。師父は弟子のため、衆生のために巨難を受け入れてくださっているのに、私は小さくなってしまいました。心を放下すると、事情は変わり、4日目、誰も私を監視しなくなりました。9日目、1年生のクラス担任が授業中に倒れ、学校経営者と教師3人が病院へ行きました。私が自らクラスの授業に出ると、校長が戻って来てとても感動してくれました。このクラスの担任は元々優秀だったので、父兄たちは私を認めず、ある父兄などは教室にまで来て「うちの子供は何もマスターできていない」と言い、ある父兄は「子どもの練習帳にどうしてみだりに線を引くのよ」と言い、ある父兄はノックすらせずに教室に入って来て「転校させろ」と言いました。そこで、私は父兄に「毎年、通学の交通費に千元以上かかり、それ以外にかかる料金も多く、また、皆さんは裕福ではないので私に2カ月間だけ時間をください。もし2カ月経っても私がだめだったら、皆さんのためにいい学校を探します」と言いました。

 父兄が同意したので、校長もとても感謝しました。もし大法を修めていなかったなら、どんなに頑張っても今日のように対応することは出来なかった、ということを私は知っていました。大法のおかげで、私は一人一人に対して慈悲深く対応することができました。

 学期末に村の指導者が学校に来て学力の測定をし、とても厳しく行いました。私のクラスは全村8クラスの中でトップでした。ある教師は「十数年来、わが校は試験でトップ3に入った事はありません」と言いました。そして最終的に、私のクラスは全校で最も人数の多いクラスになりました。

 2年生のクラスを受け持った時、ある男子生徒の家が貧しく母親はおらず、父親が怪我で入院したので、生徒が「休学したい」と電話をかけてきました。電話を切った後、病院へ行き、生徒を私の家で引き取り、毎日その生徒を連れてバスを2回乗り換えて通学し、食費を渡しました。このことに、すべての父兄と教師が感動しました。ある教師が職員室で「法輪功修煉者のどこがよくないのですか! もしみんなが修煉すれば、社会はもっと良くなるに違いない!」と言いました。

 小学校で1人だけ「三退」していない教師がいましたが、教育事業を支援しに来た教師でさえ、私は4人三退させました。また、家庭訪問を利用して父兄に真相を伝えて「三退」させ、村長、女性主任、会計係、学校の夜番のおじさんでさえ、共産党とその関連組織から脱退しました。

 ある時、突然「610弁公室」の人間が20人以上、私を不当に連行するために市内からやって来ました。その時、教えていた生徒はすでに5年生になっており「先生は法輪功を学んでいるので、最も良い人です。警察官が不当に連行しに来ましたが、彼らこそ悪い人たちです」と生徒に言いました。「610弁公室」の幹部が教室にやって来て、「一緒に来ないのなら、あなたを解任します!」と言いました。すると、生徒たちが私を囲み「私たちの先生は良い人です! 法輪大法は先生を助けます!」と一斉に叫びました。ある生徒は父兄を呼んできました。どちらも譲歩せず平行線の状態が1時間以上続きましたが、中国共産党が退散していきました。

 想いもよらなかった事でしたが、この出来事によって、さらに交通が不便な学校に転勤させられました。しかし、私の心は以前のように涙を流したりせず、すべてに対して自然に対処しました。どこに転勤させられようと、そこで真相を伝えなければならないことがわかっていたからです。私はすでに定年退職し、この迫害を受けた十数年間、村の5カ所の学校を回り、多くの縁のある人に出会い、人を救う中で少しずつ成長しました。

 回想してみると、これらはすべて過ぎ去ったことです。師父、ありがとうございます! 今後、もっと精進し、三つのことをもっとしっかり行います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩 :『洪吟二』「除悪」

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/16/299625.html)