ロシア人の法輪功修煉の話
■ 印刷版
 

文/ロシアの法輪功学習者

 【明慧日本2017年5月25日】法輪大法が1992年、中国から伝えだされてから、中国の億を下らない人々の益するところが大きく、現在、法輪大法はすでに世界のあちこちにまで伝えられ、それぞれの民族に有益です。法輪大法を修煉してから、多くの人が人生に対して迷わなくなり、知恵を持ちゆったりと落ち着くようになり、性格がおおらかになり、法輪大法が世界各国の修煉者に与えた素晴らしさについての話は尽きません。

 韓国系ロシア人女性:大法を修めて福が家に集まった

'玛琳娜'
マリナさん

 現在54歳のマリナさんは韓国系ロシア人で、法輪大法を修煉してすでに13年で、今はモスクワに住んでいます。何年も前に家族がモスクワに引っ越し、この大都市で生活を始めた後、ここの生活に慣れるために、多くの人と同じように努力し、全力投球し、大変苦しい思いをしました。しかし、法輪大法を修煉した後、生活に対する態度の中に以前と同じような考え方はなくなり、現れた奇跡と、もたらされたとんでもない幸せに、マリアさんはとても驚き、そして喜びました。それでは、マリアさんの話を聞いてみましょう。

 ソビエト連邦の時代に成長した私の世界観は共産党の教育に基づいており、多くの人と同じように共産党の思想改造の犠牲者で、頑なな無神論者であり、利益に目がくらんだマテリアリスト(訳注:唯物論を信奉する人)でした。『轉法輪』を1回読んだ後、功を学ぶ過程で、何の困難もなくタバコを止めることができました! 私は20年間タバコを吸っていました! 何回も禁煙を試みては失敗し、毎朝目覚めたらすぐにタバコを吸い、夜はいつもタバコが吸いたくてたまらなくなって目が覚めました。この法輪大法の神の奇跡が最初に私の目の前に現れた時のことは、いまになってもまだ驚嘆し興奮することがあります。

 モスクワで小さなアパートの部屋を買いましたが、買った後、その地区はすぐに立ち退きを迫られました。しかし、立ち退かなければならない人は新しい住居に換えてもらえる、ということを知りました。向かいの家を見ると、さっそく立ち退きの工事が始まっていました。その時、私が執着したのは、いつまで待ったら私たちの所の立ち退きが始まるのか、ということで、住宅地の入口の門の通知をいつもじっと見ていました。計算してみると、大体数年間の工事で、いったいどこから立ち退きが始まるのか、私たちの家の立ち退きは最初なのか最後なのか「いつになったら新しい住居が手に入るのか」と考え、近所の人たちと話をするたびに気をもみました。

 修煉をして、自分がかたくなになっていたことに気づいたので、二度と苦悩すまいと決めました。そこで、部屋の内装を簡単に直し「立ち退きがいつでも構わないし、新しい住居がどんな住居でも構わない」と思いました。しばらく経ったある日の事、同僚の1人が、私になぜ見に行かないのか、と聞いてきました。「見るって何をですか?」「あなたのアパートの入口に立ち退きの通知がかかっていましたよ」私たちの地区の立ち退きは、ちょうど私たちのアパートから始まり、頭からでも尻尾からでもなく、ちょうど私たちの17号から開始されることになったのでした。それから、取り換えてもらえるアパートも非常に良く、広さや建物の配置もアパートの中でいい部屋が割り当てられました。修煉者が執着しなければ、出るべき結果は自然に出て来るに違いありません。

 軍医大学卒業生:大法が人生の迷いを解いた

'基里尔'
キリルさん

 サンクト・ペテルブルク軍医大学を卒業したキリルさんは、2008年から法輪大法を修煉し始めました。法輪大法の書籍を読んだ後、人生に対する戸惑いが晴れ、人が本当に追究すべきものが何かがわかったそうです。キリルさんはこう語ります。

 学生時代はよく気功に関する文章や武術に関する書籍を読むのが好きでした。家にもこの方面の本がたくさんあり、それというのも、その頃、父親が気功を練習していたからでした。子供時代のことはよく覚えているのですが、この方面の雑誌を読んだ後、学習してみようと試み、たとえば、身軽に屋根を伝い塀を乗り越える術などを試してみました。そして、時には気功を練習したり、関連書籍を読んだりしました。

 その後、サンクト・ペテルブルク軍医大学に入学し、すぐ別の環境に投入されました。大学4年の時、父親が大法書籍を1冊よこし、まじめに読んでみることを勧められました。1回読んで、因果応報の道理がわかり、とてもうれしかったのですが、まだ本格的には修煉の道に入りませんでした。

 そして、卒業して入隊した後、その後の人生の道と最終的な目的を考え始めました。そして、かつて読んだことのある法輪大法の書籍で「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。したがって、ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます」[1]と説かれていたのを思い出しました。私は修煉すべきなのだと、この時わかりました!

 その頃、士官学校で科学研究の仕事に従事し、当時そこでは、有毒化学製品とその防護について研究しており、大部分が動物の体を使って実験していました。ずっと事業の成功を追い求め、ある時点ですでに学術論文の準備を始めたので、教員は私を軍隊から部門を移しました。書籍の中の殺生の問題について説かれている所を読むたびに、いつも涙があふれました。そのため、心理的プレッシャーが大きく、眠れずに、胸が苦しくなりました。

 そして「修煉したいのであれば、この仕事に従事することはできない」ということを理解しました。そして「幸せな生活」と修煉との間で選択しなければなりませんでした。そして「これは生死の関であり、私が大法に基づき着実に修めることができるかどうかを見ているのだ」ということを悟りました。そして、その仕事を離れましたが、依然として部隊にはとどまっていました。師父の新経文を読んで、三つのことの重要性に気づき、インターネットで真相を伝え始めました。

 私がいた大都市には、私のほかにも大法弟子がいたことを知りました。週末にはできるだけ公園へ行き法を伝え、真相を伝え資料を配りました。しかしそこには、多くの辛いことがあり、なぜなら私1人だけなので、道行く人は時には理解せずに嘲笑したり、冗談を言いましたが、わずかですが、道行く人の中には興味を持ってパネルに見入る人もいました。

 その時は法を得たばかりで、しかも私1人だけでしたが、それでもがんばってきました。師父は「人間はしょせん人間であり、肝心なとき、なかなか人間の観念を放下し難く、かえっていつも何らかの口実を設けては自らを納得させようとしています。ところが偉大な修煉者とは、すなわち、重大な試練の中にあって自我を放下し、さらに一切の常人の考えを放下できる人です」[2]と説かれました。

 数年後、退役して家に帰った後、公立病院の内科の仕事をしました。病院で仕事をしている間、いつも他の人にカード型の真相カレンダーと資料をプレゼントしました。時には、同僚たちはより多くを理解したので、その時は同僚たちに『法輪功』を読ませ、煉功DVDをプレゼントしました。

 しばらく経ってから、法輪功学習者の生体から臓器を摘出することに反対する署名集めが始まり、それを知った後、署名表を持って主任医師のいるメイン棟へ行きました。会計主任の所に行くと、みんなサインしてくれました。立ち去ろうとした時、会計主任の部下のところにも顔を出すように会計主任に言われ、部下の人たちに説明すると、みんなサインしてくれました。会計主任と部下の人たちがサインの事で私を支持してくれたので、私はとてもうれしくなり、同僚の大部分がサインしてくれました。

 同僚たちに真相ミニカレンダーを配り、書籍と煉功DVDをプレゼントした以外に、同僚たちにさらに深く真相を伝えたい、と望んでいました。しかし、他人に真相を聞かせて恩恵を受けさせるほどには知恵を持っていない、とも感じていました。しかし、だんだんと真相を伝えることに成熟し「その時が来た」と思い、試しに同僚たちに真相を伝え始めました。その時、私が書いた報告のテーマは「医学倫理と道徳」でした。報告の中で「法輪大法を修煉し始めた後『良い人になり、道徳心が高くなると体が健康になる』ということがわかりましたが、なんと有益なのでしょうか!」と書きました。そして、各種の医学調査の結果を列挙しました。一部の同僚たちが活気づき始め、同僚たちも自分の知っている例を話し始めました。このようにして、ついに私の望みはかなえられ、内容の深まった講演を行ったのでした! 慈悲深い師父に感謝申し上げます!

 法輪大法が伝えだされ、世界のそれぞれの民族と多くの国に佛光があまねく照らしました、師父の無限の慈悲に感謝いたします! 法輪大法が人々に幸せと素晴らしさをもたらしたので、受益者の心は感謝の気持ちでいっぱいになり、佛法の荘厳さと素晴らしさが現れたので、修煉者はそれを言葉では言い表せず、また、自分が法輪功修煉者になれたことにこの上ない光栄を感じています!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「位置」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/20/347258.html)
 
関連文章