河北省保定市唐県の劉青芝さん 15年間行方不明のまま
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 【明慧日本2017年5月27日】河北省保定市唐県の法輪功学習者・劉青芝さん(当時44歳)は、2002年8月、警官に連行され思想改造施設に拘禁された翌日から行方不明になった。15年来、家族は劉さんを探すため、家の全財産を使い尽くした。しかし、劉さん依然として行方不明のままである。

'刘青芝'
劉青芝さん

 劉さんは唐県の北店頭郷魏庄村に在住し、2000年に法輪功を学び始めた。2002年8月21日の午後、唐県公安局の李建柱、馬永峰、李増良と北店郷派出所の所長・李順利は、数人の警官を連れて劉さんの家に押し入り、家の中の法輪功の書籍、法輪功の真相資料および法輪功創始者の写真を押収し、劉さんを思想改造施設に連行した。劉さんの新婚の息子夫婦も警官に滅多打ちされた後、郷派出所に連行され、夕方になってようやく帰宅した。

 帰宅した息子は母親を心配し、唐県の思想改造施設に駆け付けた。劉さんは独屋に閉じ込められ、生活用品が一切ないため、息子は家に戻って布団を持って行った。

 翌日の朝、息子はまた思想改造施設へ母親の様子を見に行ったが、靴だけが置いてあり、母親の姿が見えなかった。劉さんの夫・尤恕辰さんは思想改造施設の責任者・董永茂に「妻はどこへ行ったのですか? どうやって行ったのですか?」と尋ねたところ、董は手を後ろに組んで歩きながら「知らない」と言った。

 尤さんは時任の県副書記・李志遠を訪ね、「妻がどこにもおらず見つからない、どうしたのでしょうか?」と聞くと、副書記・李は「法的な手続きをしなさい」と答えた。2回目に副書記・李を訪ねた時、すでに人事異動し、ここにはいないという。

 尤さんはさらに県610弁公室の責任者・李増良を訪ねたが、李増良は直接質問に答えず、遠回しに話をごまかした。尤さんはまた政保科長・李建柱を訪ねた。李建柱はかえって二度夜中に劉さんの家に行き、尤さんに「劉は家に帰ったか、もし帰って来たら、この場でことは済む」と言った。その後、尤さんは何度も李建柱のところに出かけて聞いたが、まったく進展がなかった。最後に、李建柱は「訴えるなら、私を訴えなさい」と一言だけ言い放った。

 尤さんは河北省、河南省、内モンゴル、山西省、山東省などの地域を探し回って、唐県や近辺の曲陽などのテレビ局まで行き、行方不明で探している情報を発信したが、依然として音信がなかった。そして、尤さんは2002年から県公安局、検察院、県委員会、政法委、県610弁公室などの関連部門を駆け回ったが、これらの部門は互いに責任をなすりつけ、「見つからない」と言った。最後に、政法委の書記・劉俊宇は、「3万元をあげるから、改めて妻をもらったら」と言った。

 劉さんを探すため、家族は数十頭の羊と豚6頭を売り、農作業とアルバイトの収入もすべて投入して探し回った。またそのために、数十年の貯金をも使い果たした。幸せだった家族は、江沢民の迫害政策の下で家産を傾け、身内は離散した。15年経った現在でも、劉さんの行方が依然として分からないままである。

 中国共産党の江沢民グループの正体は、法輪功学習者の生体から臓器を摘出し売買している罪悪が国際社会に暴き出された。これらのことから妻の行方不明を考えると、尤さんは「もしかしたら自分の妻も臓器狩りに遭ったのではないか?」と連想せざるを得なかった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/15/348199.html)
 
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