娘の美しいつぶらな瞳を取り戻す 
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年5月30日】2004年の冬、娘は2歳になり、誰もが褒めるきれいな子に成長しました。ある日、昼寝をした後、私は子供の右目が少し赤くなっていることに気づき、しかも黒い眼球の真下の縁に小さな白い点があって、目やにかと思い、まぶたの上から揉んでみましたが取れませんでした。おかしいと思ったのですが、日が暮れようとしていたため、翌日夫と一緒に子供を病院に連れて行こうと考えました。念のため、私たちは数日間連続していくつかの大型の権威ある病院に行って、専門家に見てもらい、角膜炎という最終結論に至りました。医者はこれが頑固な病気で、焦ってのぼせたり、風邪を引いたり、熱を出したりすれば炎症がすぐに再発し、一生涯において患者に付きまとい、ひどい場合は黒い眼球全体が真っ白になると言われました。なぜこれが頑固な病気かというと、目のこの位置に神経が通っていないため、薬は効かないそうです。私と夫はその場で立ちつくしてしまいました。

  当時、私は修煉して7年目に入りましたが、自分をしっかり修めていませんでした。その後の半年間、私は定時に子供に目薬をさしたり、軟膏を塗ったりして、子供の目を見ていて心が砕けました。

 2005年の夏のある日、幼稚園へ子供を迎えに行った私は疲れてソファーに寄りかかり、ソファーの隅っこに座って中華かりんとうを食べている娘を見て、「こんなにきれいな子なのに、この目はもうどうしようもないのかなぁ」とまたも心が苦しくなりました。泣きたくても涙が出てこない私は師父を思い出しました。私は頭を後ろに反らして目を閉じ、無気力のまま、心の中で黙々と師父にこう言いました。「師父よ、私達親子をお助け下さい。私たちを救えるのは師父しかおられません」。そう思った瞬間に、ソファーの隅っこで中華かりんとうを食べていた娘は突然「お母さん、師父」と言いました。私は目を開けて、娘に「今、何と言った?」と聞きました。「お母さん、師父です」と娘は言いました。「どこ? どこ?」と私は聞き返して、「そこだよ」と娘は小さな指で私の左側の肩を指しながら言いました。私は心が激しく鼓動し、しかし、後ろを振り向きませんでした。なぜなら、振り向いても何も見えず、振り向く勇気もありませんでした。その2年間、私の修煉状態はよくないにもかかわらず、師父が私の願いを聞き入れて助けて下さり、本当に恥ずかしい限りでした。それと同時に、私は興奮し、娘は助かったと思いました。

 翌朝、娘が目を開けた瞬間、私は心の準備があったものの、やはり現実に驚かされました。娘の目は澄みきっていて、あの潤んだ美しいつぶらな瞳、あのかわいい目でした! 私はうれしくて興奮して、本当に言葉では表現できない気持ちでした。その後、私はこの事を一部始終夫に言いました。彼は何も言わなかったのですが、彼の驚愕、興奮の表情から、彼も複雑(彼は当時中国共産党を恐れていて、私の修煉を反対していた)かつ、感謝の気持ちでいることが分かりました。

 娘は14歳になりました。健康で美しい彼女は師父が明るくて美しい目を下さったことを知っています。そのことに触れると、彼女はいつも感激の涙に咽(むせ)いで、「師父が救って下さったお陰です。そうでなければ、私はきっと目の不自由な人になっていたでしょう」と言いました。

 師父に感謝いたします!

 ひざまずいて師父を拝みます!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/26/348717.html)
 
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