明慧法会|「人間が神になる道」の法理を悟る
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文/中国西南地区の大法弟子

 【明慧日本2017年6月1日】法輪大法を堅く信仰していたために、9年以上不当に拘禁され、長期にわたる拷問によって生活はほとんど自活できなくなりました。2010年末に出所しましたが、専門知識と能力はほとんど消失してしまい、警察は依然としてしょっちゅう妨害に訪れ、さらに、洗脳班に不当に連行して迫害しました。何度も恐喝を受けたために、親戚と友人は私と接触しなくなり、この2年近くの間で、四肢と五官の活動は快復してきましたが、健常者のようにはいきませんでした。経済的困難に加え、社会で生きていく能力の喪失により、修煉環境が悪くなり、三つのことをしっかり行うのも難しくなってしまいました。

 仕事を探しましたが、過去に行っていたのは科学研究であり、過去の専門レベルと成績を話しても、多くの職場は私を採用しようとしませんでした。10年近く世間から隔離されていたので、自分自身でさえまったく任に堪えないと感じていました。余った時間に学法し、余った時間に真相を伝えようということがいつも気にかかっていたので、満足な仕事を見つけるのが難しかったのです。このことで、私はとても困惑しました。

 心を静めて法を学んでいると、ある日突然、師父が法の中で説かれ、今日大法が切り開いてくださった「人間が神になる道」[1]について、さらに明確な認識と理解がありました。そして「ずっと仕事を探して来たのは、生存のためであり、自分と家族を養えるようにするためであり、さらには、三つのことを行うことのできる時間の確保のためで、これは表面的には常人の状態に合わせて修煉したがっているように見えるが、実は消極的であり、これは人心から大法を理解したのであって、積極的に自分が神になる道を歩んでいるのではなく、このことをずっと悟らずにいた」ことに気づきました。

 そして、師父の説法を心を込めて学びまくると、突然悟り、これからどうすればいいのかがわかりました。そこで、自分の専門領域に限って仕事を探すのではなく、自分と家族を養っていけるだけの給料が毎月ありさえすれば、どんな仕事でもやろうと決めました。私が求めていたのは社会奉仕の仕事で、それが自分の修煉と真相を伝える環境であり、この環境の中で自分を修めると同時に大法を実証し、自分の道を切り開こうと決めました。

 そこで、高校生向けの仕事を探し始めました。なぜならこのようにすれば、社会に容易に受け入れられると思ったからでした。包装機を修理する仕事で私を雇ってもらえそうでした。そこで私は「私は計算機を修理したことはありますが、機械の修理はやったことがありません、しかし、やってみたいと思います、すぐにマスターする自信があります」と言いました。すると、採用部署は私の回答にとても満足しました。

 はじめは私自身に学ばせるために、古い、廃棄する包装機を持ち出して、各部品を分解して、再び組み立てました。わからないところは親方に聞きましたが、親方たちは、私は動作がとろく、多くの道具を使いこなせない、と思っており、私がマスターできないのではないか、と心配していました。問題があると親方たちに聞きましたが、親方たちは答えたがらなくなりました。私自身もいつも機械を弄って体中傷だらけになり、体中油まみれになりました。しかし「どんな困難であろうと、心性の向上のために与えられたものであり、さらに、この困難とトラブルの中で大法を実証をしなければならない」とわかっていたので、苦を舐めても恨みませんでした。

 通常、顧客や同僚に助けが必要な時は、自分の仕事をやめて、積極的に顧客や同僚を手伝いました。貨物を運搬するのは力が必要でしたが、私は力がないので、10キロの貨物はなんとか車に載せられますが、50キロの貨物になるとどうにもならず、さらに、力がないために、いつも貨物が山積みになってしまい、このように1日で十数トンの貨物を車に載せたり下ろしたりすると、夜寝る時には全身が痛くなり、多くの人がこの苦しみに耐えきれず、この仕事を去りましたが、煉功さえすれば、体の痛みと疲労はすぐに消えました。私がいつも傷だらけで苦しんでいるのを店の中で見た親方は、この仕事をやめるようにと私に勧めました。私は毎日起きるのも困難で「もっと楽な仕事に変えるべきか」といつも自分に問いましたが、頑張りきれない、と思った時はいつも「これが私の修煉の道であり、神になる道であり、これがもっとも正しい道であるので、頑張り続けなければならない」と思いました。この確固とした信念がいつも私を支え続け、各方面からの皮肉やあてこすり、および苦労を防ぎとめました。

 このようにして、1カ月間の試用期間が終わりに近づき、親方たちの手助けの下、長い間陳腐化されていた2台の機械をきちんと修理しました。私の手助けもあって、店長が売った商品は以前の倍になりました。社長が私を雇ってくれるかどうか心配していた時、店長がフォローしてくれたので、店に残れただけでなく、社長は200元のボーナスをくれ、私が苦労をいとわず勉強好きだ、と言いました。このようにして、2カ月が過ぎ、店にあった廃棄寸前の古い機械はすべて私が修理し、さらに、店長に協力して販売したので、社長が900元のボーナスをくれました。3カ月が過ぎ、ある日突然「機械の修理に熟練してきて、物を運んでも疲れず、50キロ以上の貨物も1人で車に乗せたり下ろしたりできるようになり、体も痛くない」ことに気が付きました。私が営業職もお手の物であることに社長と店長が気づいたので、修理と営業を同時に行うよう、私を手配しました。

 私が苦を舐め、善行を積み、心性を重んじ、仕事に対する真面目さ、社長や顧客に対する責任感の高さは、社長や顧客が今までに見識を持ったことがないものだったので、顧客はみな、私から物を買ったり、私に修理を頼み、職場の同僚も喜んで私と一緒に仕事をしました。この時になって、私はゆっくりと、法輪功の真相を公に伝えることができるようになりました。時には、店に妨害に来る人や、私が真相を伝えるのを反対する人がいましたが、その時は、店にいる同僚がすぐに私に助け船を出しました。このようにして、私の仕事は、心性を修煉し、真相を伝える良い環境となり、給料も上がりました。年末のボーナスも、社長が5千元くれました。

 経済状態が改善し、仕事も安定すると、親戚や友人たちも私に近づき始め、以前のように、私と接触することによって身の安全を心配することはなくなりました。1年後、ベランダのコンクリートの柱に、ステンレスの欄干に、ブドウの木の枝と葉っぱに、優曇華の花が咲き、1カ月近く咲き続けました。師父と万の神が私を励まし、褒めてくださっているのだ、ということがわかりました! 私は道を正しく歩みました。

 その後、私と妻(大法弟子)は自分で会社を作り、1年間努力して会社の経営を安定させ、月の収入は千にも万にものぼり、さらに多くの時間と精力と真相を伝える環境があり、従業員たちを諭し導く時も、いつも真心、善良、我慢強さを以って身を処して指導すると、心性を重んじる中で、会社は発展し、安定し、大きくなっていきました。

 2年後、私たちのビジネスはますます繁盛し、真相を伝える力もますます大きくなりました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/2/318481.html)
 
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