【明慧日本2017年6月2日】羅・文斌さん(39歳 男性)は大学卒で、無実な罪を被され11年6カ月の間刑務所に不当に拘禁され、その間非人道的な拷問を受け続けたため、出所してからも若い優秀なこの教師は、心神喪失し体も衰弱しきって仕事ができず、出所以来、ずっと親にたよって養ってもらい生活をする身になった。
羅さんは元南昌市青山湖区羅家第一中学校の優秀な教師で、1999年中国共産党政権の江沢民一派による法輪功に対する残酷な迫害がはじまってから、羅さんは2回の家宅捜索を受け、3回も留置場に入れられ、2回も不当な判決を下され、合計11年6カ月の実刑判決を受け、さらに数千元の罰金を科された上、公職を追放され、卒業証書、教員免許証など全てを青山湖区公安局の警官に奪われた。出所以来、いまだに体が衰弱したままで、普通の仕事ができずにいる。
羅さんは1998年末から法輪功の修煉をはじめてから胃痛や体質も良くなり、人生も楽しく感じ心も明るくなった。いつも法輪功の教え「真・善・忍」を基準として、より良い人間になり、周りの人に優しく接し、相手の立場に立って考えることを心掛けていた。職場では真面目に仕事に取り組み、誠実で個人の利益に対し淡泊になり、自分の欠点を直した。当時、羅さんは羅家第一中学校で教師を勤めていたとき、自分の教え方を改善し生徒たちにこれまで以上により多くの愛情を与え、責任感も強くなり教え方のスキルもアップし、周りの同僚や生徒たちにも良い教師だと認めらるようになった。
7年間の不当な判決を受け、豫章(よしょう)刑務所で拷問を受けた
2000年10月ごろ、羅さんは羅家第一中学校で法輪功迫害の資料を配布したとき、学校側の管理職・胡木雲に羅家派出所へ通報され、その後直ぐ拘禁され訊問を受けていたが羅さんはそこを脱出し、やむを得ず地元を離れ、数カ月間不安定なつらい生活を強いられた。
2001年2月、羅さんは四川省営山県で法輪功の真相資料を配布した際、不当に地元の派出所に連行された。1週間後、南昌市青山湖区公安局と羅家派出所の警官に南昌市に戻され、その後、懲役7年の実刑判決を受け、2001年の年末に江西省豫章刑務所に拘禁された。
刑務所に拘禁された羅さんは、自分の信仰を諦めず無罪を主張し、独房に入れられることを拒んだが、独房に入れられ拘禁された。その間、羅さんは殴打され、腕を背中に回され手錠をかけられたまま吊し上げられたり、すぐ目の前の壁に面して長時間立たされたり、刑務所規則の暗記を強要されたり、軍事訓練(体罰)を強いられたり、灌食されたり、手を地面に付き体を曲げる体罰を受けたり、長時間労働などの多くの虐待を受け続けていた。
強制的に転向を受ける間、7、8人の受刑者は刑務所の警官の指示を受け、羅さんに睡眠を与えないように当番制で羅さんを見張り、無理やり法輪功を誹謗中傷するビデオを見せ、面壁させ、転向意思表明の文章を無理やり書かせようとした。命令に従わない場合は強く殴打され地面に押し付けられてから、金属のハンガーを数個ねじり束ねてから、それで頭部を殴打された。数日間連続で絶えずこのような暴行、拷問を受け、羅さんは意識不明になり恍惚とした状態になった。
6回も独房に拘禁され、5回刑務所内の思想改造施設で精神的に迫害をされたため、羅さんは心身ともに大きなダメージを受け、体重が激減した。2008年2月26日羅さんは7年間の刑期を終えて、豫章刑務所から出て家に戻った。
再び4年の刑務所生活を送り、九死に一生を得る
2009年9月17日の朝方、羅さん南昌市青雲譜区法輪功の真相資料を貼る際、パトロール中の警官に塔子橋派出所に連行された。そこで足が地面から離れ、両手を高い窓のさくに吊し上げられたまま訊問を受けた。その後、南昌市第二刑務所に入れられ、囚人服の着用を拒否したために、受刑者たちは刑務所の警官邹任新の指示を受け、羅さんをいじめ肘で羅さんの背中を強く打った。
刑務所に数カ月拘禁された後、羅さんは西湖区裁判所に懲役4年6カ月の実刑判決を受けた。2010年5月、羅さんは南昌刑務所に入れられ長時間労働をさせられ、受刑者たちの監視、虐待、面壁の体罰、夜寝る時でさえ監視され、寝返りを打つだけで蹴られ目が覚めてしまい、体を休めることもできなければ、身の安全も保障されなかった。
羅さんは拷問に屈することなく信仰を放棄しないため、迫害の手段はますます卑劣になり、夜15分の睡眠しか許されず、受刑者に鉄のパイプで殴って起こされ、1週間ずっと睡眠を略奪され心身ともに衰弱した。羅さんは刑務所に与えられた大量な仕事の生産ノルマを達成できず、警官の意地悪な命令に従わないため、みんなの前で殴打されひどい腰痛で立つことすらできなかった。その後、両手を鉄のドアに手錠で固定され、体をひどく引き伸ばされた。時間が経つに連れ手錠は皮膚に食い込み、腕も疲れて痛くなった。このような拷問が3、4日間も続き、耐えられないほどの辛い思いをした。
南昌刑務所内は受刑者たちへのいじめは日常茶飯事であり、全く憚らずに拷問されたことによって体が不自由になったり、心神喪失になったり、命を失ったりする受刑者もいる。通常は受刑者たちが面壁されたまま長時間立たされたり、刑務所規則の暗誦を強要されたり、隊列進行させられるなどごく普通な手段である。1晩13回も起こされ、ベッドを降りてから体を真直ぐに伸ばし名前を呼ばれた時、大きな声ではっきり答えなければならないので、正常な睡眠が全く取れなかった。羅さんはこのような非人道的な迫害に反対したため、十数回も昼から夜まで長時間にわたり鉄のドアに手錠をかけられ、トイレに行くのも許されなかった。そのため、羅さんは食事を減らすしかなかった。毎回このような拷問が2、3日続き、羅さんは呼吸が出来ず、危うく意識を失いそうになったことが数回あった。また39度以上の高熱が出て、医務室へ運ばれことも数回あった。
心身喪失になり、労働力を失った
羅さんはその後、10カ月間刑務所内にある強制的に転向させるための思想改造施設に入れられ、不本意な転向の体得を書くように強要され続けた。労働教養グループに移されてからは、7、8回合計14カ月の間、独房に閉じ込められ。長時間ドアに手錠で吊し上げられる回数が多いため、羅さんは心身ともに大きなダメージを受けた。そのような非人道的ないじめの辛さは普通の人間が耐えられる範囲を遥かに超えたものだった。
2014年3月、羅さんはたくさんの苦難を乗り越え、九死に一生を得て、4年半の刑期を終え、刑務所を出て家に戻った。しかし、家に戻ってからも精神が朦朧とし、頭痛が起き、頭が呆然としたり震え出したり、白目をむいたり、けいれんなどの症状が頻繁に現れた。ときには自己コントロールができずに手足をむやみに動かしたり回転させたり、理由もなく大きな声で叫び、全身無気力な状態を感じるなど様々な症状がみられた。このような諸症状は刑務所で不明な薬物の投与によるものと思われる。出所後、多数の病院で治療を受けたが、いまだに改善されず深刻になる一方だという。
羅さんは法輪功を修煉してから心身ともに健康になったが、このような理不尽な迫害を受けた。豫章刑務所、南昌刑務所で合計11年6カ月もの間、非人道的な虐待や拷問を受けてから、1人の若き優秀な教師は心身喪失になり、働くこともできず、親に養ってもらわないといけない身になってしまった。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2017/2/26/162314.html)