文/河北省の大法弟子 新生
【明慧日本2017年6月18日】法を得て20年になります。その間、弟子に対する師父の洪大なる慈悲や済度、保護、悟らせを深く感じました。師父は私達のために苦痛に耐えておられ、本当に時々刻々弟子を守っておられます。師父と大法がなければ今の元気で幸せな私はいません。師父がいらっしゃるから、私は本当に幸せ者です。
1996年3月、私は病気の身体でしばらく歩いては休み、休んでからまた歩きながら公園に行き、身体を動かすために歩いていた時に、大法を得ました。私は法を得る前にすでに8年間も病気で苦しんでいました。26歳の時、子供を出産してから高熱が下がらず、ひどい貧血と心拍の低下があり、いつも生命の危険に晒されていました。そのため、8人が交替で私を運んで汽車に乗り、また医者に同伴されながら、北京の大きな病院に行き治療しました。高熱が下がらなかったため、全身は頭から足まで氷のうに埋もれ、3回も骨髄のサンプルを採取されました。血色素は3.5グラム パー デシリットル(女性の正常値11.3-15.5. g/dL.)しかなく、危篤状態に1日に何回もなりました。毎日高熱40度以上が2カ月間続きました。漢方薬、西洋薬、難病と雑病の専門医に診てもらっても効果がなく、最後に生まれつきの障害性貧血、小児関節炎リウマチ、ウイルス性心筋炎と診断されました。それから、輸血、漢方薬、大量のホルモン注射で維持しました。1988年に私は北京の病院で7カ月間入院し、1989年には5カ月間入院しました。医者は「あなたは全身が病気だからこれ以上治療できないし、維持するしかありません」と告られました。当時私は自分で生活の面倒をみることもできず、かつ自分の実家と夫の実家のすべての貯金を費やし、毎日泣き暮れ死ぬより辛い日々を送っていました。
ちょうどその時、私は法を得ました。数カ月間の学法と修煉を通して、真・善・忍の基準に従って振る舞ったら、身体の病気がすべてなくなりました。1997年私は8年間休んでいた勤務先に戻り、引き続き働けるまでに回復しました。周りの同僚たちやクラスメート、親戚、親友達はみな大法の超常さと不思議さを目にしました。
その後、会社の景気が悪くなり、私は退職の手続きをしました。仕事がなくなり、一時期スーパーマケットの前でドリンクを販売する仕事につきました。時節柄、特に夏になると、毎日数十箱のミネラルウオーターや、ボトル飲料のほか、アイスクリームや自制のコーラーや、スプライト、ファンタなどコップ入りの飲料の販売、またタバコとお酒なども販売していました。冬になると、お茶や、果汁、熱い飲料を販売しました。オーナーは70歳ぐらいの女性でしたが、気性が非常に風変わりで、私たちに対する要求が非常に高く、常にあら捜しをしていました。少し間違ったらいつも非難されました。ここで働きはじめた頃、一度私が顧客に大法の実態を伝えると、彼女は非常に恐れて「あなたが再度こんなことをするのなら、この仕事をやめてもらいます」と言われました。私は彼女が大法の真相がわからないと知り、彼女に大法の素晴らしさを伝え、また私が法を得てからの心身の変化を伝え、大法は世界で広く伝え出されていると説明しました。オーナーは少しずつ真相が分かり、受け入れてくれました。
私はコツコツと働き、朝早く出勤し遅く退勤しました。特に夏になると、冷たい飲み物やアイスクリームを作るためにスーパーマケットから水を運んでこなければなりませんでした。私は他の人がやるのを待たず、自らその仕事をやりました。仕事を終える前にはボトル系の飲料などは翌日の販売のために冷蔵庫に入れながら、同時に販売も続けなければなりません。オーナーがいない時、他の人は密かに公衆電話をかけたり、飲み物を盗んで飲んだり、アイスクリームを盗んで食べたり、またタバコを販売したお金を自分のポケットに入れました。私は常に煉功者として自分に要求し、そのような真似(まね)はしませんでした。ですから、オーナーは常に親戚や友人に「ほら、法輪功をやっている人は本当にすばらしいのよ。彼女に対しては誰よりも安心しているわ」と言いました。
その後、私が真相を伝えても彼女は何も言わず、場合によっては私を助けてくれました。一度、販売時うっかりしてもらった50元を100元と計算してお釣りを渡しました。後で気づき非常に苦(にが)い思いをしました。心の中で絶対にオーナーに損失を被らせてはいけないと思いました。そして、自らオーナーにこのことを告げ、賠償しようとしました。当時、オーナーは非常に驚き、「どうしてこれほど正直者で素晴らしい人がいるのだろうか。あなたが言わなければ誰もわからないのに」と言いました。「私は法輪大法を修煉し、真・善・忍を修めています」と答えました。そして、自分の財布から50元を取り出しオーナーに渡しました。オーナーはどうしても受け取りませんでした。彼女は初めてこんな素晴らしい人に出会ったと言いました。私は「受け取ってください。そもそも私のミスですから責任を取らなければなりません」と言うと、このことはまた彼女を非常に感動させました。
一度、ご夫婦の同修が卸業を始めようとして、何回も私に彼らの手伝いをするように頼まれました。なぜなら、私の以前の仕事は卸業で、仕事の環境や時間、給料などすべての条件が今の飲料水の販売より良かったからです。当時私は心を動ぜず、同修と一緒に仕事をするのはいいが、季節がすぐに変わり私がこの店を離れたら、オーナーはまた新しい人を探さないといけない。そして、その人が業務がよくわからなければ、私個人の利益のためにオーナーに多大な迷惑と損失をもたらすのではないか、それは修煉者としてやるべきことなのかと考えました。師父は私たちに「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[1]と教えてくださいました。そして同修のところには行かず、飲料水の販売の仕事をやり続けました。疲れていても、私は心が清々しく平静でした。それは師父のお話を聞いたからだと思いました。
また他のいくつかの不思議な体験を分かち合いたいと思います。夫は私が大法の仕事をすることを非常に支持し、時には私を手助けしてくれます。なぜなら、私の身体は大法を修煉して元気になり、そうでなければ絶対に今日まで生きて来られなかったはずです。これは彼が自ら目にしたことです。中国共産党の迫害に対して彼も少し恐れ、心配していましたが、私が修煉することを阻止したことはありません。家事はすべて夫がやり、非常に大法を信じています。普段どこか具合が悪くなると「法輪大法は素晴らしい」と心の中で唱えます。一度彼は腰に帯状疱疹(ほうしん)ができ、非常に痛かったのです。私は彼に「あなたは医者に診て治しますか、それとも大法は素晴らしいと念じますか」と聞くと、彼は少しも躊躇せず、「大法は素晴らしいと念じるよ」と答えました。彼は毎日何回も「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じました。数日後には、彼の帯状疱疹は治り、数年間患っていた甲状腺機能亢進症までも治りました。
結婚していない時分、息子の嫁は運転を学びに自動車教習所に通いました。路上試験の時、一回で合格できず非常に緊張していました。その時、彼女は私が以前に伝えた、「何かトラブルにあったら、法輪大法は素晴らしいと念じてね」という言葉を思い出し、心の中で念じました。不思議なことに、再び車に乗り運転するとすぐに合格しました。
祝日をお祝いする時、姑一家は2枚の記念写真を撮りましたが、1枚の写真の中に、私の頭上と息子の髪の毛に、まだ結婚してない息子の嫁の顔の法輪が旋回していました。もう一枚は息子の嫁の胸の前で非常にはっきりとした法輪図形が映っていました。これをみた親戚や友人はみな法輪大法の不思議さを目の当たりにしました。
師父は「仕事は仕事、修煉は修煉です。ただし、あなたは修煉者ですから、自分に高い基準を要求していることは仕事に反映され、社会、家庭、異なる社会環境に現れてきます。つまり、どこにおいてもあなたは良い人で、皆に良い人だと思われます。つまりこのような関係です」[2]と説かれました。大法を修煉して、本当に幸せで光栄です。大法を修煉することにより私は幸せになり、元気になりました。
再度、師父の慈悲と済度に感謝致します!
大法弟子を無私に助けてくれた人々にも感謝致します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』