文╱中国の大法弟子 徳寛が口述
【明慧日本2017年6月20日】私は農村生まれで農村育ちの農夫です。当時、家には兄弟が多くて、生活が貧しかったため、私は小学校に三年間だけ通って中途退学しました。その後、人民公社で毎日くたくたになるまで働きました。まだ幼かった私は、家族6人の生活を支えるために、いつも無理して頑張って働きました。その結果、体を壊して病気だらけになりました。1998年5月、私は幸いにも法輪大法を修煉し始めました。修煉することによって病気が治り、体が健康になり、そして人間の生きる真の意味も分かり、私の人生はすっかり変わりました。
一、交通事故で骨折しても自然に治癒した
2010年5月のある日の夕方、バイクで田舎に戻る途中、突然、真正面から一台の車が突進してきました。通行人にぶつからないように、急ハンドルを切ったため、私はバイクと共に地面に転倒し、意識を失いました。意識が戻って来た時、誰かから「あなたはスピードを出し過ぎだよ、家はどこなの?」と聞かれている声が聞こえてきました。その人は洋服が私のバイクに引っ掛かって破けたため、私に弁償してほしいとのことでした。しかし、よろよろと立ち上がって、左手がだらりと下がっている私の様子を見て、彼はもう何も言わなくなりました。誰かが私の親戚に電話をしてくれました。すぐに妹婿が車で迎えに来てくれました。そして、知り合いの接骨科の先生の家に私を送ってくれました。先生は鎖骨骨折だと言って、布を使って私の手を胸のところに固定し、そして、薬を出して飲ませようとしました。「私は修煉者です。薬を飲まなくても治ります」と言いましたが、先生は「薬を飲んでくさい。お金はいりませんから」と勧めました。しかし、私はそれを断りました。翌日、私は手を固定していた布を外して動かしてみると、それほど痛くないため、普通に煉功しました。3日目、頭がすこし痒く感じたので、手で触って見ると、頭のてっぺんの横に衝突によってピンポン玉ほどの凹みが出来ていたことが分かりました。痛くもないからそのまま放置しました。二週間後にはすべて回復し、農作業も普通にできるようになりました。
接骨科の先生は人に会う度に、「法輪功を修煉する人って凄いですね。骨折しても薬を飲まずに煉功するだけで元気になるのですから」と言いました。
その後、妹婿が彼の知人の話をしてくれました。彼の知人は同じように交通事故に遇って骨折し、病院で金属板を使って骨折部を固定してもらって、そして3カ月も入院し、1万元以上の治療費を払いました。退院後、家で10キロぐらいのものを持ち上げようとしただけで、骨折した所がまただめになって、病院で再び金属板で固定してもらって、お金をたくさん払っただけではなく、1年ぐらい仕事が出来なかったとのことでした。最後に妹婿は「やはり法輪功を煉功したほうが治りが早いですね」と言いました。
二、再び骨折して、同じく自然に治癒した
2013年11月のある日の朝、私はバイクに乗って、親戚の家の収穫の手伝いに行きました。道路は通行人が少なく、前方に一台の車がゆっくりと走っていました。しかし、その車が突然Uターンしてきました。それを避けるため、私は急ハンドルを切って、道端の砂を積み上げた山にぶつかり、転倒しました。その時は痛いとは感じず、立ち上がって手を動かすと、右の鎖骨のあたりがおかしいと感じ、中で骨と骨の摩擦音も聞こえました。私は、鎖骨を骨折したと分かりました。その時「私は法輪功修煉者で、きっと大丈夫だ」との一念を強め、バイクに乗って、親戚の家に行きましたが、親戚は留守でしたので、そのまま友達の家に新唐人テレビの衛星放送の受信調節に行きました。その後、バイクで帰宅し、いつも通りに法を学び、煉功をし、人を救い、10日ほどですべて治りました。
三、機械で切った指が奇跡的に回復した
2013年の春、生計のため、新しい商品を開発しようとしました。立形式フライス盤で作業をした時、うっかり左手の親指の指先を削り、そして、人差し指と中指の指先を切ってしまいました。その時、血が噴き出して止まらず、私は大声で「法輪大法は素晴らしい! 真、善、忍は素晴らしい!」と叫びました。私は垂れた皮膚で指先をしっかり包み、もう一つの手で手首をしっかりと握り、水で手を流し、そして、5元を払ってガーゼを買ってきて傷口を手当しました。私はいつも通り法を学び、煉功をし、3日で傷口が癒合しました。その後、指先も少し伸びて来て、2週間後、普通に働けるようになりました。今、親指は少し短くなりましたが、すでに完治し、他の2本の指もとてもよく回復しました。
事故が起きた後、親戚は私の手を見て「どこで手術をしたの? とてもよく回復したわね」と言った。そして「○○さんは長春市の有名な医者に頼んで、2000元も払って治療してもらったが、あなたほど回復していないよ。今でもまだ完全に治っていないの」と言いました。