【明慧日本2017年6月25日】米国ハーバード大学の国際衛生修士、医薬顧問の陳平さんは、2013年9月末、上海の自宅で連行された後、懲役3年3カ月の不当な判決を下され、上海市徐匯区留置場と上海市女子刑務所で薬物迫害を受けたため、脛(すね)は太腿(ふともも)より大きく腫れあがった。
以下は、陳さんが自ら述べた内容である。
私は2008年に法輪功を学び始め、それまでにずっと真理を探求した。
大学時代に上海医学大学で学び経済学の修士を取得し、それから米国に渡り、ハーバード大学の国際衛生修士を修了した。帰国した後、裕福な生活の中でも何となく幸せを感じなかった。
ある日、『轉法輪』を読み、法輪功こそ私がずっと探し求めていた真理であることが分かり、法輪功に出会えて本当に幸運だと思った。
2010年のある日、家に大勢の警官が来て、法輪功の書籍を押収し、私と一緒に学んでいた高校生の娘に法輪功を放棄するように脅迫した。夫は重圧に耐えられず離婚を要求し、年配の両親や親戚、友人たちは、私のことを心配した。
2012年7月の初め、私は長寧区仙霞路の近くで、法輪功の迫害内容が書かれた資料を通行人に配布していたところ、警官により連行され27日間不当に拘禁された。警官は私の手足を繋ぐように手錠をかけ、歩く時には腰を曲げたままで歩き、その姿勢でトイレに行くことも困難になり、夜も身を縮めて寝なければならなかった。遠方から面会に来た弟、妹の話によると、両親は毎日眠られず、母親は毎日いつも泣いていると言った。
拷問のイメージ図:手足を絡めるように手錠をかける |
2013年9月27日、身元不明者たちに上海市徐匯区龍華派出所まで連行された。家にあった法輪功書籍、プリンター、パソコンなどの物品が押収され、懲役3年3カ月の不当な判決を下され、上海市徐匯区留置場で14カ月、上海市女子刑務所で25カ月間拘禁された。
2014年11月25日、私は上海市女子刑務所に移送され、囚人服を拒否したため、5、6人の監視役の囚人らに無理やり囚人服を着せられた後、3.3㎡の独房に閉じ込められた。同じ独房に閉じ込められているのは法輪功学習者・董玉英さんだ。左側の3.3㎡の独房に法輪功学習者・夏海珍さんがおり、右側の3.3㎡の独房に法輪功学習者・王全娣さんが閉じ込められていた。
翌日の朝、私は通常通りに煉功したため、監視役の囚人は私を押し倒して、3人が私の上にすわりこんだ。そして、テープで私の手を腰部に縛り付け、これが2週間にも及んだ。また、私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と叫んだため、警官の指示で、監視役の囚人らは口をこじ開けて汚い雑巾を突っ込んだ。その時爪で下唇を摘まれ下唇が裂けた。私は全身の力をふり絞って「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と叫んだ途端、彼らはびっくりして皆逃げた。
2015年8月のある日、警官は私の脈を測ったり、怪しげな体温計で私の体温を測って、高熱だと言って上海市刑務所総医院に送った。そこで、ベッドに7週間縛り付けられ、無理やりに点滴され、血色素が低いと言われ、警官は家族に危篤だと通知した。
拷問の実演写真:ベッドに四肢を縛り付けられる |
2015年11月3日、水を飲んだ15分後、二度下痢をし胃腸が火が燃えるように辛く、それから食物の中に薬を投入されたことに気付いた。私は「法輪功学習者の食べ物の中に毒薬を投入しないで下さい」と警官に言うと、警官・周蘭は「ここの水はその味だ」と答えた。同時に、監区長・仇敏穎は否認せず、「お前には何も決める権利がない」と言った。その後、また上海市刑務所総医院に送られ、ベッドに35日間縛り付けられた。
昨年2月15日から3カ月半の間、私は薬を投入された食事を拒否し断食した。監視役の囚人は私を床に固定し強行に灌食を行い、手を口の中に挿し込んだため、口から出血し、髪の毛と体中血だらけになった。毎日3~5回頻繁に行ったため、服はいつも濡れ、口の傷も治らないままだった。
拷問のイメージ図:野蛮な灌食を受ける |
身長174、体重70キロだった私は痩せて50キロにも満たさず、脛は太腿より大きく腫れあがった。トイレに行かせず、我慢できなくて何回も尿が漏れた。拷問室で法輪功を誹謗中傷するビデオを強制的に見せられ、私は座って無視するわけにはいかなく、座らずに立ち上がった。毎日8時間以上立っていたため、両足は腫れ上がった。ある日、監視役の囚人が私を座らせように押さえたが、私は再び立ち上がった。その時、4、5人の警官と監視役の囚人らは一斉に私を椅子に押さえ付けた。
上海市女子刑務所で受けた迫害は、言語で表現することができないほど、残酷なものであった。出所の時、警官達に「『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を覚えて下さい、この言葉をしっかり覚えさえすれば、何処にいても、いつも希望があります」と最後に伝えました。