文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年6月27日】今朝、夫と一緒に帰省しました。途中、私達は建築の話題から近年中国政府が強制的に民家を取り壊し、メンツ工事(実用性のない表向きだけを追求する工事)を行い、そして建築用土地の売買を通して腐敗、汚職をし、偽りの繁栄を作り上げていることを話しました。そして、海外ではこのような功績を上げるための偽り工事が少なく、財政は国民の福祉の改善に力を入れているなども話しました。福祉の話題に触れると、私はすこし変だと意識して、その話題をやめようとしました。最初、夫は私の味方をしていましたが、突然、彼は苛立ち、「そんなことを言ったって何の意味があるか。お前は誰よれも分かっているという、その口ぶりが気にいらない。他の者は皆バカだと思っているのか。皆知らないと思っているのか。知っているのは何の意味があるのか。お前はここで生活しなければならないだろう。こんな政府だから、どうにもならないだろうが」と激高しました。
彼の豹変した態度に私は驚きました。彼の背後にある党文化の邪霊を一掃するように発正念をし、そして、少し反論しようとしましたが、彼の興奮がさらに勢いが増して来ました。私は直ちに議論を止め、心の中でしばらく正念を発し、沈黙を守りました。しかし、内心では、理性を失った夫に対して不満が募り、彼を相手にしたくないと思いました。この時、師父の詩、「慈悲は能く天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[1]が頭に浮かびました。自分の状態が正しくない、どうして操られている常人と言い争う必要があるのだろうかと思いました。そして、自分には、言われたくない心、闘争心、怨恨心などがあることに気づき、そこで、自分を清らかにしました。しばらくしてから、落ち着きを取り戻した私は、話題を変え、笑いながら夫と会話を続けました。
午後、『精進要旨二』を学びました。 『参考としての予言』を習った時、長い間、自分が西側の民主と自由に執着していることに気付きました。師父は「実は今、共産悪党の社会がマルクス主義に従っているのみならず、世界の先進国が実施している社会福祉なども資本主義制度下の共産邪悪主義のものです。表面では自由社会のように見えても、実質上、全世界はみな共産主義を実施しているかのようです。邪悪な共産主義の国から西側の先進国に来た人は、ある同じ感覚があります。すなわち、「ここは共産主義と同じようで、ただ、暴力による革命がないだけです」ということです」 [2]と説かれました。
私は目が覚めました。自分の問題がはっきりと分かりました。その前、親戚や友達と一緒に同じ話題を話した時も口論となり、私がいくら例を挙げて話しても、彼らは納得してくれませんでした。彼らは大法に反対はしませんが、しかし、アメリカなどの西側諸国が我が国を虎視眈々と狙っている(中国共産党の長年の洗脳教育)と思い、『九評』を聞こうともせず、信じようともしませんでした。一方、私は心がつられ、プリプリと腹を立て、慈悲心がなくなり、鉄が鋼にならないのを悔む(能力があるのにそれを十分発揮できないのが残念であるの意)ような気持ちでいっぱいになりました。
彼らが中国共産党に長年洗脳され、変異した観念を根強く持っているのは事実ですが、一方、自分は中国共産党に対する怨みを持ちながら、「人には優しくない」、「闘争心が強い」などの党文化の要素も持っているため、当然彼らの党文化を排除することは出来ませんでした。そして、自分は西側の「民主」や「自由」に執着していることに気づかず、議論の中で、大法を守ると言うことより、常人になってしまい、人心と感情にコントロールされ、正念を失いました。そのような行動は人を救えないだけではなく、邪悪に隙きに乗じられ、私達が何か政治活動をやっているような間違った印象を与えてしまう可能性もありました。常人として、社会体制に執着しても非難すべきところがないのですが、しかし、私はすべての常人の心を取り除き、常人から抜け出さなければならない修煉者として、当然それらのことに執着しては行けません。今の世の中のすべては旧勢力が法を正す時期に、必要に応じて按排したものに過ぎず、異なる社会体制もこの時の世界の秩序を守るために作り上げたものに過ぎません。
多くの民主主義の国々はその民衆と一緒に大法と大法弟子に大きく支持してくれています。それは彼らが自らの位置を決め、未来を選択しているのです。彼らの支持に感謝しますが、しかし、ただ、それだけのことではないでしょうか。師父は 「人類社会は、修煉には素晴らしい場所なのです。それというのも、この中の一切のものがみな、人間の執着になりうるからです。ここから抜け出し、人類社会に対する一切の執着を取り除いてこそ、初めて偉大であって、初めて圓満成就できるのです」 [3]とおっしゃっています。
私は最も純正な心を持って人を救い、大法を守り、もうこれ以上人間のものを執着せず、そして、それに動じないようにしなければなりません。なぜなら、われわれは人間から抜け出し、神に向かう生命だからです!
個人の体得です。法に則っていない所があれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志先生の詩: 『洪吟二』「法は乾坤を正す」
[2] 李洪志先生の著作: 『精進要旨二』「参考としての予言」
[3] 李洪志先生の著作: 『精進要旨二』「非政治」