修煉は休むことなく、ただひたすら精進する
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文/オーストラリアの大法弟子

 明慧日本2017年8月19日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 修煉を始めて以来、私はずっと敬虔な態度で学法し、入浴して着替えてから、姿勢を正して座り学法します。雑念を取り除いて一心不乱に『轉法輪』を読み、体のすべての細胞にも一緒に本を読ませます。自分が歩んできた修煉の道を振り返ってみれば、そのような厳粛な学法の習慣で、強固な修煉の基礎を築いたと思います。それに加えて、私は家の近くで煉功を設立したため、煉功場を維持するために自分自身は毎日きちんと煉功を続けています。私のように1999年以降に修煉を始めた人は、個人修煉が法を正すことと結びついているので、私はそのような修煉の道を歩むことになり、同時に「三つのこと」をこなさなければならないと分かっています。

 普段、大法の法理に則っていない思想が湧くと、それを頭から排除して、大法弟子のあるべき清浄な状態にしています。そのため、私にはほとんど雑念がありません。それは長年来、苦に耐えて動揺せずに大法の事を多く行うことの保証になります。師父に感謝します。師父は私を怒りっぽくせっかちな人間から、相手のために考えることができる修煉者に変えてくださいました。

 2011年のNY法会に参加してきてから、真相を伝える拠点を設立すべきだと私は思いました。しかし、神韻公演が終わったばかりで、少しゆっくり休んでからにしようと私は考えました。ある日、高速道路を走った時、突然、修煉してからなくなっていたてんかんの症状が再び現れて、すぐにでも気絶しそうで、交通事故をおこしかねませんでした。自分の修煉を振り返ってみると、安逸心が見つかりました。

 私と同修たちはシドニー市の中心部で真相を伝える拠点を設立して、毎週固定的に金曜日にそこで活動を展開しました。私と同修たちはそこで多くの活動をして、迫害反対の署名を多く集めました。多い時は、週に3回も活動を行っています。

 衆生を救い済度することほど重要なことはないと分かったので、生活の中のいかなることも、真相を伝えることを第一位に置いています。そこで迷いと怠りがあれば、すぐ邪悪に隙を乗じられて、真相拠点に行けない事由がたくさん出てくると思います。だんだんと、修煉は実はとても簡単で、何をするべきかが分かったら、その通りに実行すれば良いと体得しました。私はよく「臓器狩りは何を意味するのか」と自分に問いかけます。それはつまり、中国国内の同修はいつか麻酔も施されずに生きたまま臓器を摘出され売買され、一つ一つの細胞が巨大な苦痛の中で死んでいき、体は火葬されて消えていくことを意味します。ふだんは、目に小さい砂ぼこりが入っても痛いと感じますが、「臓器狩り」に比べたとき、言い訳を探して家で安逸を享受して、迫害の真相を伝えないでいられますか? 私の責任感と使命感はそのように自然に出てきます。

 「三つのこと」をこなすと同時に、家庭の生活も切り盛りしないといけません。多くの同修と同じように、私には子供がいて、80歳をすぎて体に障害を持つ舅と姑がいて、そのうえ私は店を開いて商売をしています。「三つのこと」もしっかり行わなければいけません。生活と修煉をどうやって両立させますか。答えは、衆生を救い済度する情熱さえあれば、師父はすべてを解決してくださるのです。もし毎日の限られた時間をできるだけ真相を伝えることに使おうとすると、家事や雑用に時間と力をそれほど取られなくなります。私が精進しない時には、子供が熱を出し、舅と姑は転んで入院し、家庭内のトラブルも増えます。私が週末の時間をできるだけ真相を伝えることに用いる時、子供にダンス、バイオリン、水泳などを学ばせることができます。我が家の子供は毎週明慧小学校に通い、表面からみると、毎週同修がついでに我が子の送迎をしてくれていますが、実はそれは師父の按排で、その同修に私を助けさせておられるのだと私は思います。

 やるべき事に対し、先に「自分は何ができるか、自分の能力はこれに適するか」を考えると、常人の理を大きく見て、それによって自分を制限することになるのではありませんか。救うべき衆生のことを大きく見て、困難を小さく見る時に、師父からの助けとご加護を感じ取ることができます。

 例を一つ挙げます。ある日、運転中に突然ブレーキが効かなくなったとき、私は少しも慌てずに、車に「心配しないで、必ずあなたを安全な場所まで運転していくから」と話しかけました。それから、私は車をゆっくり道端に止めました。その日は日曜日なので、店はみんな閉めていました。翌朝そこに行ってみると、なんと私の車の向かい側にちょうど車の修理の店があって、トレーラーを呼んでくる手間も省けました。

 真相を伝えるに当たって、限りない困難と試練を経験しましたが、修煉は川の流れに逆らって舟をこぐようなもので、しっかり前に進まなければ下流へ流されるしかありません。時には家を出る前に下痢をしたり、頭痛がしたり、くらくらしたりして、体が耐えられる限界だと感じることがありますが、しかし一日の活動のスケジュールはすでに決まっているので、私が行かなければ他の人に迷惑をかけると考えて、私はいつも思い切って家を出ます。

 真相拠点に着くと、同修たちが1人も来ていなくて、私1人で車から横断幕と資料を下ろす時、思わず愚痴を言いたくなりますが、私は自分に「大法の仕事をするにあたって、いつも同修に頼って、手伝ってほしいと思ってはいけない。自分を厳しく要求すると同時に同修たちを思いやらなければならない」言い聞かせます。そこで、愚痴ったり、同修を責める執着心は大いに消去されました。

 月曜日から金曜日まで、私は取引先に荷物を配達しています。真相拠点は毎週金曜日に運営するので、金曜日に臨むためには、木曜日に店の仕事と家事を終えてから、しっかり学法と発正念をして修煉状態を整えなければなりません。

 自慢ではありませんが、学法に対して私はとても真面目です。師父は「私は話したことがありますが、あなたが行なったことは法に則っていなければ、法の力がなければ、あなた自身がしっかり修めることができなければ、そのことを円満に行うことができません。あなたはそのことを行なったかもしれませんが、そのことは作用を働かず、人を救うことができず、邪悪の要素を解体することにもあなたは作用を働くことができません。ですから、法の勉強はやはり最も重要で、最も重要なことであり、あなたが行おうとするすべての根本的な保障なのです」[1]とおっしゃいました。

 だから、どんなに忙しくてもどんなに疲れても、学法の質と量を保つように私は工夫しています。もしも心を静めて本を読むことができなければ、私は1~2時間かけて発正念をして思想を浄めます。本当に体力が持たない時、私は1時間ぐらい仮眠してから学法を始めます。どんなことがあっても、毎日私は少なくとも2時間の学法を保証しています。

 我が家の店のことですが、もともと水曜日に届くはずの荷物が、金曜日の朝にようやく届くことが何度もありました。何回か、私は倉庫に一箱一箱の荷物を搬入した後、疲れきった体で車を運転して、真相拠点に駆けつける途中に暴風雨になったことがあります。その時に、同修たちは次から次へと電話をかけてきて、「今日は真相拠点は中止しますか」と尋ねます。もし私の中で安逸心が勝てば、つい「中止しよう」と答えがちですが、悪天候は邪悪が段取りした妨害と試練に過ぎないと私は見破ったので、私は少しも躊躇せずに「決して中止しません。あなたたちが来る来ないに関わらず、私は必ずそこに立ちます。正と邪の戦いに私は逃げたりしません」と答えます。どんなことが起きても、毎週金曜日にそこで真相を伝える活動をキャンセルしません。法輪功への迫害と臓器狩りがなくなるまで、私たちはずっとそこで真相を伝えて迫害を止めさせる署名を続けていきます。

 暴風雨で、飛行機も運航停止になる時も、私たちは相変わらず「出陣」します。救われるべき衆生はきっと拠点に来てくれると信じるからです。スケジュールが確定したら、天候などの虚像に騙されてはならず、その時に躊躇して自分の安逸心に負ければ、師父の苦心の按排が台無しになると私はわかっています。

 多くの場合、天候の激しい変化は修煉者の心を試すためのもので、険しい天候を見て活動を続けるかどうか、私たちは試されています。例えばある日、暴風雨の中で、10人の同修はしっかりと「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を掴むと、なんとしばらくして風雨は止みました。そのように、私たちはどしゃ降りの中で横断幕を出したあと風雨がだんだんおさまったことは、数え切れないほどありました。

 正しい念と正しい行いは、師父が大法弟子に求めておられまするものです。真相拠点を創立した日から、金曜日は真相を伝えるための日なので、私は必ずそこに立たなければならないと自分に言い聞かせました。3年経ちましたが、私と同修は当初の計画を守って1回も怠ったことがなく、天気も知らず知らずのうちに良くなりました。3年後の今日、私たちはもう一つ主流社会に向けて真相を伝える良い場所を見つけました。そこを行き来するホワイトカラー族は黄色いシャツを着て煉功し真相を伝えている私たちを見て、最初の不理解から次第に私たちに感謝するようになりました。

 師父のご加護を頂き、大法弟子としての正念を以て神通力を使って、私は真相を伝える仕事を順調に協調させ、自由自在に運転して資料や設備を各真相拠点に搬送しています。そして、撮影、通行人への取材も私は進んで引き受けていますが、やっている中で自身の技能も向上しています。私は正しい念と正しい行いをしているため、師父が私にそれ相応の能力をくださったのだと思います。師父、ありがとうございます。

 臓器狩りはまだ中国で毎日のように発生しているので、海外の修煉者は2、3人集めて、どんな住宅地でも横断幕1枚を出せば、迫害停止要求の署名活動ができます。誰にも頼らずに自分が主力になって、1人で10人、100人のパワーを発揮することができます。

 今、私は金曜日の真相拠点の活動に参加するほか、土曜日にシドニー市内の華人が密集する住宅地にも臨時の拠点を出して真相を伝えています。数年来、奔走と疲労は私にとって日常茶飯事になって、のんびりした環境で育てられた私の安逸心は、法を正す仕事の中でとっくに消去されました。

 私は小学も卒業しておらず、地図も読めず、車のナビも使えません。しかし私は真相看板と横断幕を載せて、ナビに頼らずにただ自分の正念に頼って車を運転してシドニーの市街を行ったり来たりする時、師父について千軍万馬を指揮し、戦場を駆け回る前世に戻った気がするのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」

 (2015年オーストラリア法輪大法修煉体験交流会の発表原稿)

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/19/315914.html )