文/陝西省の子供大法弟子
【明慧日本2017年9月9日】私は2003年、陝西省漢中盆地に生まれ、陽陽といいます。私の住む地域の気候は四季のいづれもが、春のように穏やかで温かく、「小江南」と呼ばれています。毎年、菜の花の開花時期には、各地から観光客がいっぱい訪れます。しかし、私はこの美しい景色の観賞には無縁です。というのは、私は健康な体を持っておらず、他の子供たちのように歩くことや走ることが出来ないからです。そして、家族と一緒に出かけることが出来ません。
数年前、法輪功を学んでいる叔母が、「あなたの病気が治る」と言ってくれました。あれから、私は叔母の言葉をずっと、胸にしまって置きましたが、時に叔母が私を慰めるために言ったのではないかと思っていました。しかし、その日がやってきました! 今年のお正月、叔母が私を法輪大法の修煉の道に入るように、叔母の家に連れて帰りました。それから、2カ月足らずで私は生まれ変わりました。
私は小さい頃から病弱で、薬を常に飲んでいて、皮膚が魚の鱗のように一層剥がれては、また一層剥がれ、剥がれ続けていました。しかも、頭皮も例外ではありませんでした。乾いて割れた皮膚が水で洗うととても痛いので、頭、体を洗うとき、私は最初から最後まで泣き続けました。また、手の甲にいくつかの突起があるので、手がまっすぐ伸ばすことが出来なくて、物を握ったり、道具を使ったりすることが出来ませんでした。同じ年齢の子供たちと比べると私は背が低く、両腕両足とも硬直していて広げられず、筋肉が死んでいるかのようでした。
3歳のとき、両親は他の子供たちとの違いがわかって、私を西京病院に連れて行きましたが、何の病気かわかりませんでした。私はいつも、「大きくなったら、きっと普通の人と同じようになれる」と思っていました。6歳のとき、私の手の甲、膝、足首が腫れ上がり始め、両足が変形して、一歩だけ歩いても痛みました。それで、両親は再び私を西京病院に連れて行き、「多細胞増殖症」だと診断され入院しましたが、数万元をかけても快方しませんでした。
私を見ると、ただ足が不自由だと思われますが、実は見た目より悪く、痛みが耐え難くなって、トイレへ行くのもとても大変なことになっていました。授業の休み時間が数分しかないので、トイレに行くのが間に合わないと思って、水を飲むことを控えなければなりませんでした。しゃがむことができないので、排便が自宅の座れるトイレしかできませんでした。服を着る、学校へ行く、足を洗うなど、私は早く済ませることが出来ず、たくさんの時間を使っていました。私は学校へ行っても字が読めるぐらいで、成績も悪かったのです。
昨年の新学期の始め、私の足の変形がひどくなり、ますます痛みが出て、より深刻な状態になりました。歩くのがもちろん困難で、時には立ち上がるのも困難になり、右目の視力が悪化して光が当たると涙が出て、白い光しか見えなくなりました。それで仕方がなく、泣く泣く休学しました。両親は私を1カ月入院させましたが、数万元かけても、ほんの少しの鎮痛効果しかありませんでした。父1人で家族4人の生活を支えるために、頑張って働いていますが、弟が週に一缶の粉ミルクを飲むので、支出も多いのです。私の体は家庭の経済的負担になり、家族にも精神的ストレスになりました。
今年のお正月、叔母が家にやって来て、まず、私の勉強のことを聞かれました。母が私の体の状況を叔母に話しました。聞いていた叔母はとても悲しみました。そして、叔母は、「私と一緒に法輪功を学びましょう」と言われて、「学びたい」と答えました。それから、叔母は私を連れて叔母の家に行きました。
叔母の家で私は3日間かけて、『轉法輪』を読み終えました。とても良い本だと思いました。冬休みが終わって、学校の始業式の日、師父が私の体を浄化してくださいました。「師父が私の面倒をみてくださっている」とわかっていました。その日の夜、「海に浸かっている子供が、師父に救われた」という不思議な夢を見ました。その日から、私はずっと数十年来繰り返して見ていた夢で、誰かに追いかけられて殺されそうになる夢を見なくなりました。
私は飢えている子供のように、大法から栄養をいっぱい吸収しました。病気の苦痛は、大法を得た喜びと比べものにならないと私は実感しました。
以前、古詩を学ぶ授業の中で先生は、「古人はみんな善良で意志が強く、やろうと思えば、それを最後までやり遂げました。古人はとても素晴らしいのです。私たちは古人のことを誇らしく思いましょう。古人に見習いましょう。国家にも民衆にも良い影響を与えられる人になりましょう」と言いました。その授業で私たち生徒も、「先生の言うような人になりたいです」と明言しました。しかし、授業が終わると、生徒たちは言ったことと違う行動を行っていました。1人の生徒がもう1人の生徒のノートを不注意で踏んでしまいました。ノートを持っている生徒は、すぐにノートを踏まれた生徒を罵りました。罵られた生徒も負けずに、罵り返しました。授業が終わると、古人に学ぶことを忘れ、すぐに元に戻りました。
修煉してからも母には、「あなたはご飯を食べるのが遅い」とよく怒られましたが、私は真・善・忍を覚えており、「今の私は以前の私と違って、法輪功を修煉しているのだから」と思って、言い返さず、泣かず、怒らずにいられました。師父が「做すところ到るは是れ修なり」[1]と、教えてくださいました。常人に出来ないことでも、修煉者には出来ます。
私は叔母と毎日、『轉法輪』を読み、法理に従って自分を律しています。その他私は毎日、『憶師恩』、『伝統文化』物語、『三字経』、『絶処逢生』(一見不可能の状態から回復して、救助されること)などを聞いています。私は「福宝宝」(赤ちゃん)の絵を描くのが好きで、師父の『洪吟』のイラストがとても好きで、よく真似して描いていますと、私を励ますように、師父は私に蓮の花を見せてくださいました。
煉功することは私にとっては、とても大変なことですが、足が立たず、腕が上がらず、他の人が普通に出来ることが、私にはとても苦労で出来ないことです。それでも、私は一秒一秒で苦痛の中で堅持し、涙が服を濡らしましたが、動じずに堅持し続けました。「痛んでいるのは私の業力だ」と分かっているからです。いつも、功法を終えた後、本当に全身が軽く感じ、気持ちがよくなっています。両手を腹部に重ねるとき、両手のエネルギーを感じ、腹部に何かが回っているのを感じたことがあります。叔母は法輪が私の体を調整していると教えてくれました。
ある日の午後、左手の突起が熱くて痛みが伴った後、冷たい気が出ていると感じました。その後、突起が小さくなりました。なんと、素晴らしいことでしょう! そして、両腕が頭の上に上げられなかったのですが、師父が調整してくださると、上げることが出来るようになりました!
いつも家に篭っていた私は、希望を持ちました。家を出て川沿いに行くと、まるで噴水のように音楽が流れているように自然界の音が聞こえ、空と繋がる七色の美しい写真のような景色が見て取れ、美しい花々を見ました。そして、この頃になると私は良く食べれるようになりました。
師父が私の体を調整してくださっただけではなく、私の知恵までも啓発してくださいました。小学校のとき、どうしても覚えられなかったピンインを覚えられるようになり、字もきれいに書けるようになりました。そこで私は、『洪吟』、『洪吟三』を書き写しました。今は日々の修煉の日記を書き、私が生まれ変わっている嬉しくて、楽しい過程を記録しています。
私は現在、毎日充実して生きています。標準語はもちろんのこと、言葉の表現力も高まりました。「やることが早くなり、効率もよい」と叔母が私のことを褒めてくれました。叔母は母のように、毎日私の衣食住の世話をしてくれています。
修煉して間もない私なのに大きな変化が起きています。それは、顔は白くて赤みがさし、ソバカスが薄くなり体重が増え、硬直していた手足の筋肉が柔らかくなり、肌に艶があり、体が軽々と動き、曲がったままの四肢が大きく、大きく、真っ直ぐに広げられました! 思いもよらないことです!!
師父、本当にありがとうございます! 感謝の気持ちでいっぱいです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『洪吟』「實修」