【明慧日本2017年9月13日】(ニュージーランド=明慧記者 亦清)ニュージーランド法輪大法修煉体験交流会が2日、オークランドで行われ、それぞれの街から来た14人の学習者がそれぞれの体験をみんなと分かち合った。学習者たちは法輪大法の法理を以って生活の中のトラブルと損得を量り、一思一念で真・善・忍という宇宙の特性を用いて正した。また、トラブルに遭えば無条件で内に向けて探し、自我を放下して全体で協力し、衆生を救うプロジェクトの中で最大の役割を果たした。魔難が来た時は、正しい念を持って正しく行い、神の奇跡が再び現れた。交流の過程で拍手の音が雷の如く響き、多くの同修が感動で涙を流し、この純正なエネルギー場によって何度も浄化された。
師父と大法を信じ交通事故の魔難から抜け出す
王九春さんはかつて北京清華大学の教授で、今年70歳になり、昨年11月7日朝8時過ぎに、ひどい交通事故に遭い、レントゲン写真で右足の5カ所が複雑骨折していることがわかった。右側のくるぶしとひざをつないでいる腓骨が完全に骨折し、突き出ていた。そして、ひざの皿、右足の左くるぶし、右くるぶし、右足のかかとがすべて複雑骨折していた。
地元のワイカト病院・ミードクリニカルセンター・整骨科の古参医師スティーブ・マチェズニー氏はすぐに手術プランを立てた。しかし、王九春さんは断固として家に帰ろうとしたという。そこで医者は「あなたは自分の病状がどれだけ深刻かわかっていますか? 今が貴重な治療時期であり、有効な時間は非常に切迫しています」と言った。
王九春さんは「私は大法に作られた生命だ。師父は最も最もミクロな微粒子の中から宇宙をお作りになり、大穹をお作りになったのだから、分子で構成されたこの物質の中で車にはねられて怪我をした足を回復させるのは、とても簡単なことだ。病院の治療効果が良いか悪いか、レベルがどうか、といったことには関係なく、これはみな旧宇宙の理が管轄する範囲の物であり、私はこの理には関わらない。私には師父がいらっしゃり、私は大法に作られた生命なのだ」と思ったという。
魔難が降りかかっても、王九春さんは非常に冷静で、完全に師と法を信じて精進する状態にあった。しかし、病院側は王九春さんの精神に問題があるのだと思い込んだので、最後には同修の助けを借りて、リスクと法的責任に、自分が責任を持つという一連の法律文書にサインした後、家に送り返された。しかし、家族は王九春さんを理解せず、毎日罵声が耳に響き「寝たきりになったら誰が責任を負うのか」と王九春さんに質問した。王九春さんはまず、心を静めて学法して内に向けて探し、旧勢力が行うすべてを否定した。そして、師父が弟子に要求されたことに従い問題を考え行動をつかさどり、決められた時間に学法し煉功し正念を発し、動けなくても煉功音楽を聞いて手を動かした。それから、法を実証する仕事は全ていつも通りに行ったという。
12月23日の再検査では、ひざ関節は癒合しつつあり骨のかけらは見当たらず、骨折箇所の位置と方向は良好だった。王九春さんはいかなる薬物も治療方法も用いず、ただ法輪功修煉に任せただけで、5カ所の複雑骨折した足が迅速に回復した。この出来事は、地元の華人コミュニティーを驚かせた。コミュニティーの責任者は中国領事館と親しく付き合っており、以前、何回か真相を伝えたことがあったが、領事館はいつも口実を設けて避けていた。足の傷が回復した後、大通りでコミュニティーの責任者が真正面から歩いてきた。まだ距離が離れていたにもかかわらず、嬉しそうに大声で、「あなたはほんとうにすごいですね!」と叫んだ。また、中国でスポーツ医学に携わっていた華人は、王九春さんに会うと、「これは医学史上、初めての壮挙ですよ!」と言った。
オークランドのある著名人は大企業の社長で、ニュージランドの政界、ビジネス界とマスコミへの人脈が広く、とても名が知れていた。王九春さんの話を聞いた後、とても不思議に思い、わざわざ王九春さんを訪ねて来て、確かにすでに自由自在に行動をしているのをその目で見て、目の中に敬服が満ち、「すばらしい! なんと、法輪功だったのですね! 法輪功にはこんなにも大きな功力があるのですね!」と何度も賛嘆したという。
法を正す修煉の中で王九春さんは、「私たちが何度も経験した魔難は、実は旧勢力の按排であり、大法弟子を陥れると同時に、多くの人々をも陥れている。私たちは旧勢力の按排の中で修煉するのではなく、旧勢力の按排を徹底的に否定している。法から法を認識し、内に向けて探し、正念で関を乗り越えれば、大法の奇跡が現れるのだ」ということを悟ったという。
天国楽団の中で向上する
李克偉さんは、「自身が参加する天国楽団の中で、メンツを重んじる心や苦を舐めることを恐れる心、恨む心を修めて取り除き、さらに、衆生を救い済度することの尊い機縁を悟った」ことについて交流した。
李克偉さんは天国楽団での多くの神聖な現れを証明した。インド全国の精神的指導者の会に参加した時、天国楽団は石段の真ん中の位置で160人以上の隊列が並び、演奏しながら宗教指導者たちが演奏の音色の中を建物の中に入って行くのを待っていた。驚いた事に、宗教指導者たちに花びらを撒く担当の青年2人が、絶えず天国楽団の団員の体に花びらを撒いており、楽団員全員に撒き、とても熱心に撒いてた。袋の中の花びらが残り3分の1になった時にやっと手を止め、宗教指導者たちのために花びらを残した。後で、学習者が青年2人に、「どうして花びらを楽団員に撒いたのですか?」と聞いた。すると2人の青年は、「天国楽団はとてもすばらしく、とても神聖で、天国楽団が演奏している時、団員の皆さん一人一人にみな色とりどりの法輪が回転していました。そして、回転しているうちに楽団全体が回転している大法輪に変わり、これが素晴らしく、しばらく回転していました。すると、楽団員全員が1本1本のハスの花に変わり、ハスの花の中にあなたたちの師父がお座りになり、金色の光が燦然(さんぜん)と輝いているのが見えました。すべての団員が師父のお腹の中で演奏しており、すばらしい光景でした! それは、とても、とてもすばらしい光景でした!」と言った。
そこで学習者は「そうです、師が法を正すことを手伝うすべてのプロジェクトはみなこのように偉大で神聖なのです!」と言った。そして「天国楽団の一員として、私は手に持っている太鼓(これも法器)を大事に使わなければならず、楽団全体の演奏の要求基準に達して、はじめて大法の素晴らしさをさらに素晴らしく人々に表すことができるのです」と言った。
大法を修煉して ぬかるみから抜け出した
見た目が美しくしとやかに見える西洋人学習者のグレイスさんは、昨年、法を得る前は常人の中で迷い、酒を飲み、麻薬を使い、ソーシャルメディアにおぼれ、さらに、同性愛の欲望を持っていた。いつも憂鬱に感じ、焦りがあり、落ち込みが激しく、行動のすべてが目に余り何を行っても気が済まなかった。
『轉法輪』を最初に読み終わった時、同性愛の欲望が根絶されたと感じ、学法をすればするほど、この欲望が弱くなっていった。そして「最も修煉が難しいことは、外在的な善し悪しの区別を見わけることではなく、本当の自分と、観念や業力、執着で構成された『偽りの自分』を内に向けて見分けることだ」ということを悟った。観念、業力や「偽りの自分」を取り除かなければならず、その第一歩目は、魔難や衝突にあった後、内に向けて探せば、表面に戻って来た執着や欠点を見つけ出せるということだった。第二歩目は、執着が表に戻って来たことに気づいた時、執着にコントロールされず、大法に基づいて行う、ということだった。
大法の中で、グレイスさんの体と心は純粋になり、毎日、幸せと満足を感じているという。
旧勢力の按排を否定する
卲さんは十数年がまるで1日のようで、真相を伝えるメディアの営業の仕事に大真面目に取り組んできた。2012年初め、突然、重い消業状態が現れ、約1カ月間ベッドから下りられず、眠ることもできなかった。眠れない苦しみの中で、「師父は法の中で、いかなることにも正反両方面の要素の法理がある、と説かれていらっしゃったが、私のこの苦しみの正の要素はどこにあるのだろうか? 眠れない、ということは、24時間、法を聞けるということではないのか! 普段は学法する時に、いつもウトウトと眠気を催してしまうが、今なら続けて法を聞くことができる。学法しさえすれば、魔難の中から抜け出すことができる」と思ったという。このように思った時、邪悪に打ち勝つエネルギーが心に満ちてきた。同時に、修煉において、内に向けて探していない、という深刻な問題にも気が付いた。家庭の問題であろうと、同修と共同で行う人を救うプロジェクトであろうと、嫉妬心や自分を実証しようとする心を修めて取り除き、自分を正さなければならない、ということに気が付いたという。
1カ月後、毎日ベッドから下りて1、2時間眠れるようになり、顧客と面会したり、電話して広告の依頼を行った。はじめたばかりの頃、スーツを着て顧客に会った時に、拷問にかけられているかのように体が痛かった。大法は卲さんが人を救うエネルギーの源泉なのである。
師父のご加持の下、一生懸命努力し、さらに多くの企業やメディアと協力した結果、卲さんの業績は急激に進展した。この数年の消業の中、もともとの卲さんの体の各部位の正しくなかった状態は、次第に正されていったという。
法会が終了し、出席した学習者たちは「大法弟子はこの上ないさまざまな魔難を経験し、修煉は個人修煉から衆生を救い済度する最終段階に向かっている」ということを悟った。個人修煉の段階であろうと、生死の試練を経験した段階であろうと、あるいは、衆生を救い済度する段階であろうと、修煉の要求には少しの区別もない。同修が精進し着実に修煉する心の変化の過程で、私たちは自分と同修との差、法の要求との差を見つけ出し、すべての弟子に対して師父が大きく費やしてくださったものをさらに実感し、精進し、さらに精進し、さらに多くの衆生を救い、師父の慈悲なる済度を無にしません。