住宅配分のことで 大法の教えを守る
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文/中国の大法弟子 春紅

 【明慧日本2017年9月19日】1994年5月私は父と一緒に重慶で開催された、師父の法輪功伝授班に参加しました。私の両親と兄弟2人とも大法弟子です。修煉の初期、師父の新しい経文が比較的多く、毎回経文が届くと、皆常に心がゆさぶられ、感激の涙を流しながら絶えず繰り返して読ませて頂きました。修煉状態が非常によく、真面目に法を学びました。また、法は得難いもので、私達が一生待っていたのは、他でもないこの法であると知っていました。

 師父は「人間の生命には限りがあり、往々にして、よく計画を立てていますが、自らの将来に残された時間がまだ間に合うかどうか、あなたに分かるのでしょうか?」「いったん機会を失ってしまえば、六道で輪廻して、いつ再び人身を得るのですか!」[1]と説かれました。

 師父の広大な慈悲に弟子は震撼され、最終的に人間が世間にきた目的と意義が分かり、さらに大法を大切にするようになりました。

 当時は、仕事も勉強も大変忙しかったのですが、精進し、着実に修煉するために、私たちは常軌を打破し、睡眠時間を減らして、その時間分多く学法しました。1995年から朝3時過ぎになると、家族全員が起床し、集団学法と煉功をしました。私達は勉強の時間を捻出するため、普段歩く時も、乗車している間も、仕事の時も、いつも学法し、法を暗唱しました。一言でいうと、私達は非常に時間を大切にして、出勤し、仕事をし、勉強し、日常生活をし、修煉の時間をすべてきちんと按配し、祝日になると私はほとんどの時間を学法に使い、毎日寝る前に1日中の自分の振る舞いや、考えが法に則っていたかをチェックしました。

 大学を卒業してから、私は病院で臨床外科の仕事をしました。1997年10月、病院で一つの住宅が空き、それを配分することになりました。会社の従業員はみな病院から住宅を配分してもらって、住宅がないのは私1人だけでした。私と妻は借りた家で住んでいましたので、当然、その住宅は私がもらうべき住宅でした。

 当時、私達の課室にはそろそろ退職する人が1人いて、彼女は情報伝達が速く、私の前で彼女と仲の良い同僚に電話をかけ、相手に速く上司と裏で取引をして、この住宅をもらうようにと伝えました。偶然なことはないのです。私と仲の良い姉さんは、このことで私から遠く離れていきました。彼女は住宅がない私のために話すのではなく、逆に住宅のある人のために走り回っていたからです。

 この空いた住宅を私が手に入れられるか、どうかということが、芝居のように私の目の前で上演されました。

 住宅は私の切実な利益に関わり、我が家で至急解決しないといけない問題でした。私は住宅がないが、他人は住宅を持っているので、この住宅は理屈でいうと私がもらうべきです。しかし、肝心なところは、この住宅をもらおうとする他の人たちが出てきました。彼らは人間関係を利用して、様々な理由で住宅をもらおうと画策しました。そして、この住宅一つに対して、数人がもらおうと争う局面が現れました。この住宅は私が必要とし、他の人も必要としたため、このことは私の人心を激しく刺激してきました。

 もしも自分の家庭の利益を重くみるなら、必ず他人の利益を軽くみることになり、もしかして、人の利益を損ない、自分のためだけに考えることになり、わざわざ取り上げるには値しません。しかも、争って住宅をもらおうとする人達は、人間関係を利用して、様々な理由を作っていましたが、実は、それも因縁関係です。ですから、師父は如何なることもみな因縁関係によるものだと悟らせ、このことを慎重に考えるようにと、私を悟らせてくださいました。

 師父は「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます」[2]と説かれました。私は修煉者の境地の高さ、心の広さ、人間社会のすべてを見抜き、身体以外の物を淡々と見て、人を先に自分を後にし、慈悲をもって人に接し、人間社会のことに迷わされず、住宅配分の問題などで人と争ってはならないと認識しました。たとえ、この住宅を自分が手に入れたとしても、他人に譲ることにしました。師父は一つの例を話されました。「ある日勤め先が住宅を配分することになり、上司が、住宅事情の困っている人はみんな申し出て、事情を説明し、どうして住宅が必要なのか申し立てるようにと言いました。それぞれが自分のことを申し立てたのですが、その人は黙って何も言いません。しまいに上司は、その人が他の人より困っていることを見抜いて、住宅を彼にあてがうべきだと言いました。他の人は、『それはいけません。彼に割り当てるべきではなく、わたしがもらうべきです。わたしのほうがこれこれの事情で困っているのだから』と、言います。すると彼が『ではもっていきなさい』と、言ったというのです」[2]

 私は師父の要求どおりに行いました。私は個人の利益を重くみず、住宅のために争わず、たとえ私に住宅をもらう充分な理由があるとしても、穏やかな心でこのことに対処しました。その後、この住宅をある女性の同僚がもらいました。それは私の予想外でした。病院の規定によると、すでに住宅の一時的な補助金を受け取った従業員は、再び住宅配分を受けられない規則になっていました。該当する同僚はすでにこの補助金を受け取っており、その上、彼女にはすでに住む住宅があるのです。規定によると住宅をもらえないはずです。これは皆が知っている事実でした。

 修煉者として自分に理があるとしても、相手を許さなければなりません。当時、私がもしどうしてもその住宅をもらおうとすれば、上司は必ずその住宅を私に割り当ててくれるはずです。なぜなら、私は彼女より住宅をもらうべき条件が揃っているからです。私がもし譲らなければ、その同僚は住む家がありながら、再び住宅を配分してもらおうと思っても、それはほとんどあり得ないことです。人に住宅を譲ると決心した私は、天地が本当に広々と感じられました。大法弟子が師父の要求とおり、真・善・忍に同化し、旧宇宙の我(われ)のためという私(し)の特性を変え、人を先に自分を後にする人生の道を歩めば、必ず人間社会のために美しい未来を切り開けると私は固く信じました。

 住宅配分は小さなことでしたが、その影響力はとても大きなものでした。住宅配分で揉め事が起きましたが、人のために考えると私の心は平静になりました。人類の道徳水準が低下している今日、会社での住宅配分がこれほど静かに穏やかによい結果になったのは、大法の善い人を目指す修煉の原則を現したからです。住宅をもらうべき人が既得利益を放下し、争わないことを皆が目にしました。普通の人には出来ないことを成し遂げたということで、皆が「法輪大法は素晴らしい!」と言いました。人のために考え、境地が高い大法と大法弟子を、皆が賞賛しました。

 真・善・忍の要求通りに振る舞い、他人のために考え、住宅を他人に譲った私の心は、非常に平然としていました。ただこの過程において、一つ足りないところがあったのは、そのことを妻と息子に相談しなかったことです。

 このような住宅配分を、私は2回も体験しました。

 ただ、最終的に私は大きな福の報いを受けました。それは、130平方メートルの広くて、心地よい住宅を手に入れることが出来ました。これは当初、想像だにしなかったことです。

 師父、ありがとうございます!

 注:
 [1]  李洪志師父の著作: 『精進要旨』「退職した後に修煉する」
 [2]  李洪志師父の著作: 『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/8/350649.html)
 
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