B型肝炎 劇的に完治!
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月20日】1986年、私は21歳で大学を卒業した後、大学に残って教員になり、輝かしい新生活を始めようとしました。しかし健康診断でB型肝炎と診断され、それから果てしない治療の人生が始まりました。

 病院で1年余り治療しましたが、あまり効果がなく、また漢方医に診てもらって、漢方薬を飲んでも病状は好転しませんでした。そこで、半年の休暇を取って地方の親戚の家に泊まり、親戚が紹介してくれた現地の漢方医院に通いました。そこに有名な漢方医がいて、その医師に診察してもらうには、数日前に予約しなればなりせん。親戚の家は医院から遠く離れた郊外にあり、予約と受診のため週に2回、片道3時間バスに乗って医院に行きます。夜、親戚の家で薬を煎じて飲みます。

 21歳の私にとって、本当に苦しい生活でした。半年の治療を通じて、ある程度好転したと感じたのですが、しかし、その後の健康診断で各検査値は依然として下がっていませんでした。結果を見た私は、思わず涙が流れ落ちました。

 B型肝炎との戦いで9年が過ぎました。私は結婚して娘を出産しましたが、母乳を飲ませることができず、娘は小さい時から体が弱くて病気がちでした。私はいくつかの気功を試したことがあり、気功は高いレベルのものだと知っていました。しかし、接触した何人かの気功師はみな金銭目的の人で、私は気功に対してとても失望していました。

 1995年のある日、私は偶然に大学構内で法輪功の「無料教室」の広告を見かけました。試してみる気持ちで、両親と夫を呼んで一緒に法輪功の無料教室に入りました。

 当時、夫はまだ博士後期課程を勉強していて、実験中によく有毒な試薬を使うため、もともと丈夫だった体が次第に衰弱していき、何度も休学を考えました。私と一緒に法輪功を学んでから、夫はとても早く健康を取り戻し、休学の考えを捨てて、順調に博士の学位を取得しました。私も肝臓の検査で各検査値が正常値に戻り、真・善・忍の基準に照らして充実した毎日を過ごしています。

 当時、私の弟も重症のB型肝炎を患って、ずっと入退院を繰り返し、仕事に復帰する気力がありませんでした。彼の肝臓はすでに初期の線維症になって(肝硬変の前段階)、黄疸指数が高いため、全身の皮膚は明るい黄色を呈していました。病院側は我々家族に「彼の病気は比較的重症で、よくなる見込みはない」と言いました。私は法輪功を修煉してから、弟にも勧めたのですが、しかし弟は信じませんでした。

 3回目の退院をして2カ月後、弟の症状はまたひどくなり、仕方なくまた入院しました。病院にも良い治療法がなく、通常の治療のほか、主治医は弟にある民間療方を教えました。それは毎朝自分の尿を飲むことです。弟は毎朝起きて、コップに注いだ自分の尿を見て、心中とても苦しみました。私はまた弟に法輪功を勧めると、弟は退院してから修煉を始めようとやっと承諾しました。

 3カ月後、退院した弟は私の家に滞在して、私たちと一緒に法を学んで、煉功を始めました。退院した当初、全身の黄疸は引いたのですが、しかし顔色は青味がかっていました。煉功を1週間しただけで顔の青い色は次第に褪せて、食欲も明らかに良くなりました。

 煉功して1カ月、顔の青い色は完全になくなって、白くてほのかに赤色がさしています。見る見るうちに変わった弟を見て、周囲の人はみんな驚きました。再度、健康診断を受けると、なんと全ての検査値は正常でした! それ以後、弟は薬を全部捨てて、また元の仕事に復帰しました。

 あれからすでに20年経ちましたが、弟は1粒の薬も飲んでいません。弟の変化を目の当たりにした我々家族全員は、その後の邪悪な迫害の中でも積極的に大法を支持しています。

 1999年7.20、法輪功が迫害されてから、私と夫は北京に陳情に行ったため、相前後して不当に拘束され、懲役刑を下され、仕事も失いました。それから私たちは故郷を離れ、小学生だった娘を連れて沿岸部のある小さい町に移り、それぞれ教師の仕事に就きました。戸籍がないため、一般の住民にとって容易いことでも、私たちにとっては困難に満ちたことが多々ありました。しかし、どんな苦難に遭っても、私たちは真・善・忍の基準を遵守し、対処しています。真・善・忍は誰にも必要で、真・善・忍の輝きは世界の隅々まで明るく照らし、道徳心が向上するよう、人々を導くと私たちは常に信じています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/8/345336.html)
 
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