7人の法輪功学習者 北京の警官らによる迫害
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 【明慧日本2017年10月12日】法輪功学習者・涂暁敏さん、趙平さん、李淑雲さん、ほか全員7人が、今年3月8日、車を運転して外出し、夕方に北京へ戻る途中、高速道路の交差点検査所で差し止められ、不当に懐柔留置場と順義区留置場に別々に拘禁された。

 現在、陳春花さん、趙平さん、涂暁敏さん、李淑雲さん、譚守礼さんの5人は、すでに解放された。崔国梅さんは懐柔区の九神廟山荘思想改造施設に移送され、自宅に戻ったかどうか分からないままである。王如勝さんは、3月31日に房山留置場に移送された。

 一、北京懐柔案件管理センターでの法輪功学習者に対す迫害

 今年3月8日、警官らは身元調査により、涂さん達7人全員が法輪功学習者であることを知った。その後、まず一人一人の携帯電話を監視し、多くの警官を出動させた。夜9時頃、7人の法輪功学習者が北京市公安局懐柔管理センターに移送され、身の回りの所持品をすべて押収された。

 7人は全員別々の部屋で隔離された。警官は涂さんに対して指紋を取り、撮影や採血することを要求したところ、涂さんに拒否された。そのため、警官らは強行に涂さんの頭を押さえて写真を撮ったり、腕を捕まえて採血した。そのため、涂さんの体の多くの箇所や、指、腕やに負傷し出血し、腿の数箇所が青紫色になった。ある警官は「今は政策が少し緩和している、以前なら、打ち殺していた!」と怒鳴った。

 夜中の2時過ぎまで苦しめられた涂さんは、ある部屋に入れられた。そして、趙平さん、李淑雲さん達や他の法輪功学習者も尋問された後、この部屋に閉じ込められた。皆は一切飲食せず、疲れ果てて翌日を迎えた。

 3月9日、警官は李淑雲さん、趙平さん、崔国梅さんの家の家財を押収した。夕方になると、警官はすべての携帯電話を持って来て、「それぞれ自分の電話を取りなさい」と言った。皆はその話を信じて、自分の電話を確かめて受け取ろうとした。しかしその際、警官はそれぞれの携帯電話に名前を書き、そのまま渡さずに持ち去った。夜10時、皆はそれぞれ懐柔留置場と順義区留置場に拘禁された。

 二、順義留置場での法輪功学習者に対する迫害

'顺义看守所大门'
順義留置場の入り口

 順義留置場は、手錠、足かせ、釘板、座る板などの刑具を使って、法輪功学習者を虐待し、また、トイレに行くことを制限し、日常品の買い物を許さず、着替えと入浴も禁止した。そして、肉体的にも精神的にも迫害を加え、法輪功学習者たちに「三書」に署名させようとした。

 1、涂暁敏さんが受けた迫害

 3月10日、涂さんは留置場の警官の指示に従わず、報告しなかったため、孟という警官が、「明日から、同じ監室の16人が一緒に『板に座る』」と命じた。

 「板に座る」とは、大きな板ベッドに両足を組み、腰をまっすぐに伸ばし、長時間に座らせることで、少しでも動くことを許さず、声を出すことも許されない。

 留置場は法輪功学習者を屈服させるために連帯責任を取らせ、わざと同じ監室の受刑者を巻き添えにさせる。3月11日の朝、監室では涂さんに対する責める声、罵る声、説得する声、泣いている声などが、部屋中を騒がせた。涂さんは受刑者たちの法輪功に対する恨む感情を引き起こさせないように、また、この人達を連座させないように、留置場の指示通りに報告することを仕方なく承諾した。

 そうすると、他の受刑者は板に連座しなくてもいいし、涂さんだけが毎日12時間以上座れば済んだ。しかし、さらに、「罪を認める自白書」に署名することを強制された。警官は「ここに入る以上、態度をはっきりと示せ。お前の態度によって、拘禁する時間を決める」と強制したが、涂さんは署名を拒否した。

 涂さんは監室に戻った後、「まだ署名しないのか」と受刑者からの責める声が次々と上がった。そして、だんだんと参加者が多くなり、声も高まり、汚い言葉で罵る声が遠くまで伝わった。当番の警官に「何を騒いでいるのか?」と聞かれ、「涂暁敏を説得中です」と答えると、警官はすぐに黙った。

 3月16日、涂さんは重たい足かせを付けられ、廊下を通過する時に、耳障りな鉄製のチェーンの音が響いた。警官はわざと各監室にその姿を見せた。監室に戻った涂さんは、手錠と足かせを付けたままで板に座らされた。ある雲南省の女の子は、涂さんが苦しめられる姿を見て、涙を流した。涙を人に見られたらまずいと思い、女の子は頭を両腕の間に隠したが、それでも警官に気づかれ、叱られた。

 ある受刑者はこのように言った。「私に500万元をくれても耐えられない」。涂さんは順義留置場で28日間拘禁され、そのうち20日間は「板に座る」という拷問を強制され、毎日12~13時間座らされた。

 2、趙平さんが受けた迫害

 趙さんは留置場に拘禁された後、すぐ「反省書」を書くように強制された。趙さんはそれを書かないため、同じ監室の受刑者は皆体罰を加えられた。警官はすべて趙さんのせいにして、受刑者に趙さんを攻撃するように唆(そそのか)した。受刑者らは趙さんを囲んで法輪功と法輪功の創始者を罵ったり、趙さんを罵った。その中の1人は激昂して持病が再発した。警官は「見ろ、お前のせいでこうなった。俺は保証しないぞ」と脅した。

 再々に侮辱されたことについて、趙さんは抗議し、所内に駐在する検察官に会うと申し出たところ、警官は「検察官は、お前が会いたい時に、簡単に会える人であるとでも思っているのか」と怒鳴った。最後に趙さんは血圧が高い状態が続いた。そのため、留置場は責任を負うことを恐れて、3月18日に保証人を立てる条件で解放された。

 3、崔国梅さんが受けた迫害

 崔さんは順義留置場で、両手で頭を抱えて地面にしゃがむ姿勢を要求された上、手錠をはめられた。人間の尊厳を傷つけるような扱いに対して、拒否した。するとその仕返しに、釘板の上に「大」の字の形に3日間固定されたまま、まったく動くことができなかった。崔さんはトイレに行くことができず、体を受刑者らにコントロールされていたため、部屋中に臭いにおいが充満した。

 3月の天候はまだまだ寒く、それでも崔さんは布団もかけずに3日間固定されたまま、ほったらかしにされた。釘板からやっと外された時、崔さんの四肢は動かなくなっていた。4月8日、崔さんは順義留置場に解放された当日に、またも現地の610弁公室、政法委、派出所などの人員らにより、懐柔区の九神廟山荘思想改造施設に移送された。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/16/352577.html)
 
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