台湾の企業管理士 輝かしい人生の大道を歩む
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文/台湾の大法弟子 佳鴻

 【明慧日本2017年11月5日】現代の多忙な社会環境の中では、多くの人々が名利を追求して、1日中東奔西走し、争い戦いながら一生を過ごしています。しかし、現代のある著名な作家兼医者が「末期がんの病人のほとんどが自分の命のある間に、愛する人と仲良くできなかったことを後悔したり、自分の一生に意味があったのか、ほかの人の助けにはなったのだろうか、この世界に何か貢献したのだろうか? と気に留めている」ということに気付いた。さらに、多くの人が自分の人生で時間を浪費したと後悔し・・・。

 しかし、強く言えることは「もし、法輪大法を修煉していなかったら、私も一生を後悔の中で過ごしていただろう」ということです。

 小さい頃から、家庭と学校教育では「すぐれていること」が必要だと教えられ、先生たちは学業成績が優秀であるかどうかで人を判断していました。学校生活では、1日中、点数と人間関係にかかずらっていなければならなかったので、毎日、生きていくのが疲れました。そして、中学3年から高校に上がる試験の時は、プレッシャーが大きくなり気持ちが落ち着かず、いつもなぜか憂鬱になって勉強できず、成績もぐらついていました。高校統一模擬テストの前日は、体を洗いながら「試験なんか受けたくない!」と泣きわめきました。そのため、両親と先生は心配しました。結局、高校統一模擬テストは成績がいつもと異なり、ずっと行きたかった学校に行くことが出来ませんでした。

 私は小さい頃から体が弱く、4歳で扁桃腺を取り除き、しょっちゅう病院に行っていたので、医者はみな友達になりました。さらに、全身に赤い斑点ができたことがあり、大病院で特殊な病例として研究され・・・。さらに、インフルエンザなどにも必ず「かかり」、常に病弱でした。

 これらすべてが、18歳の時に法輪大法を修煉して大きく変わりました。

 18歳のある日、母が『轉法輪』を見せてくれ、「会社でこの本が流行っている」と母は言いました。私はすぐに興味が湧いて読み始めましたが、少し読んだだけでたまらなくなり、涙が絶えず湧き出てきて、心が衝撃を受け、心の中で「ついに見つけた! ついに見つけた!」と大声で叫び続けました。

 「『轉法輪』は天理を述べている天の書物であり、本当の真理であり、修煉で次元を突破することができる」とすぐに感じました。そして、丸一晩かけて一気に『轉法輪』を学び終えて、次の日の朝、目が覚めてから日記に「今日からは新しい人生の始まりです」と書きました。

 「運命は性格の中にある」と言われます。修煉してから、非常に利己的で自己中心的な性格を改め始め、努力して真・善・忍の教えに従って自分を律し、人を思いやるということがわかり始めました。私の気質はだんだん温和になり、体もとても健康になり、病院に行く必要はなくなり、容姿もだんだんきれいになってきました。そして、修煉の年月が増加するにしたがって、容姿が変わらなくなり、永遠に20歳ちょっとの年齢にとどまり、周囲の人はいつも私のことを「小公女」というあだ名で呼び、私の実際の年齢を聞くと、いつもびっくりし「どうやってお手入れしているんですか」と必ず聞きました。

 さらに重要なことは、私の心が平和に穏やかになったことで、以前はいつも、他人と一言でも合わないとすぐ衝突していましたが、修煉してからは人と人とのトラブルにこだわらなくなり、異なる人や異なる意見をだんだんと包括できるようになり、他人の困ったことを理解できるようになり、結果『轉法輪』の中に書かれている「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」のようでした。周りの人たちもだんだんと私と仲良くしたがるようになり、以前いつも頭を悩ませていたような人間関係は、もう問題ではなくなりました。

 不思議なことに、大法を修煉してから、師父が知恵を開いてくださり、本の知識が簡単にわかるようになり、もともとどっちつかずだった成績がめざましい勢いで伸び始め、大学と大学院は第1志望で合格し、その後も、思惑どおりに世界的に有名な会社に入り、企業管理を担当し、仕事の内容はおもしろく、仕事量も合理的で残業の必要はなく、とても良い給料と福利厚生が伴っていました。

 その後、ともに修煉者である夫と出会い、生活において行き届いた配慮をしてくれ、結婚して8年、いつも譲り合い、私を保護してくれました。舅姑は実の両親以上に私をかわいがってくれ、いつも料理を作ったり、買い物をしたりしてくれ、家庭生活はとても幸せで、これらすべては修煉前には想像すらしたことがありませんでした。

 しかし、修煉の道にはさまざまな試練がありました。以前、職場の直属の上司が転勤になり、新しいマネージャーになると、マネージャーは私の働きぶりに不満でした。そこで心をこめて話してみると、なんと、マネージャーは私の仕事に積極性が欠けていると思っていました。上司が私に何かを頼むと、私は速く的確に処理するのですが、積極的に職に当たっておらず、仕事をするにおいてもまるで上司の手足のようで、自分の考えというものがありませんでした。

 私はとても不満に感じ始めました。なぜなら、前任の主幹は私の仕事のやり方がとてもいいと思っていたのに、主幹が変わったら考え方が全く異なっていたからです。しかし、法輪大法の修煉者として、自分が行うことは無条件に「内に向けて探す」ことだとわかっており、反省し、改変すべきだ、ということがわかっていました。そこで、勤務態度と仕事のやり方を調整し、積極的に自分の仕事を準備し始め、主幹が仕事の方向を提示したら、さまざまなリソースを運用して具体的な計画を立てなければならない、と自分に要求し、さらに、それを実践し、最終的に結果を出しました。

 このように数カ月間努力すると、私の進歩が大きいと主幹自らが称賛しました。ほかの部門の主幹も、私が間違いなく進歩している、と私たちの職場に伝えてきました。現在、主幹が初歩的な仕事の方向性を提示するだけで、私は様々な条件を運用して具体的な仕事の計画を立てます。そして、しっかりと準備し、仕事に対する自分の考えを提案し始め、第一線の状況を報告します。主幹が効果と効率を兼ね備えた解決策を行う助けとなったので、上司は安心して私に仕事を任せられ、職場の主幹と同僚から信頼される対象となりました。

 仕事の後の時間を、評論文を書くことを学ぶために十分に運用し、慈善映画のプロデューサーにつき、社会のため、ほかの人のために積極的に貢献しました。師父が教えておられる法理を通して、現在の私は楽観的で積極的な態度を保たなければならない、ということを知りました。焦ってはならず、人の話を受け売りしてはならず、ほかの人が功成り名を遂げたのを羨ましがってはならず、一つの目標を成し遂げるために自分に要求するだけなのです。実際、表面的な名利を追及してはならず、もしそのようにすれば自身の貪欲さを助長し、しばらくしてからさらに多くを求めたくなり、最後には一生絶えず追いかけるようになり、人生の道における本当のやりたい事をとり逃がしてしまうのです。さらに「人に旦夕の禍福あり」(訳注:運命はどのように変わるかわからない)と言われるように、たとえば金融危機が起きれば、多くの人の畢生(ひっせい・ 生を終える時までの間。終生。一生)の蓄積がみな損失になり、もしこの蓄積のために生きていたとしたら、それこそ本当に苦しい目に合うでしょう!

 大法を学ぶ過程において、人生の中で光明と希望が永遠に前方を導いていることを感じ、人生が軌道に乗っていることを感じています。そして「本当の成功とは、社会の中で自分が行うべきことをしっかり行い、ほかの人と社会のために有益になれることだ」ということを悟りました。もし本当にこれを行うことができれば、財産と名声は自ら共にやって来るはずで、求めるべきでないものは、いくら追求しても手に入りません。しかし、法輪大法は一般社会の中で修煉し、真の修煉者たちはみな大法の基準に基づいて最もよく行うよう努力しているので、自然と相応の福報を得るのです。

 ここで私は心から師父に感謝の気持ちを表し、幾千の言葉の中から「法輪大法は素晴らしい!」という一つの言葉を紡ぎだしました。縁のある人たちと一緒に返本帰真への輝かしい道をしっかりと歩めることを願います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/16/352563.html)
 
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