明慧法会|良い人になることから始め 法を実証する
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文/山東省煙台市の大法弟子

 【明慧日本2017年11月25日】私は1999年「7.20」以前に法輪大法を修煉し始めた古い大法弟子です。師父は「あなた方が法に圓融することはまず良い人になることです。皆さんが良い人間になろうとする時、すでに法に圓融しています」[1]と説かれました。そして師父は「なぜかと言うと、一人一人の学習者の常人社会においての表れは、みな法輪大法のイメージを代表しています。こういうことではないでしょうか。もしもわれわれが皆最善を尽くさなければ、きっと大法に泥を塗ることになります。同時にわれわれが法に圓融しているとは言えません」[1]と示されました。師父は「法に圓融することはまず良い人になることだ」と要求なさっています。

 私自身の次元では「大法弟子が『三つのこと』をしっかり行う過程では、人々に真相を伝え三退を勧める以外に、法に圓融し、人々に対して法を実証するために、真・善・忍の規準に基づいて、良い人になることから始めなければならない」と悟っています。「こんなにも多くの良い人が法輪功を学んでいるのに中国共産党の迫害に遭っているが、法輪大法は必ず無実を証明する」ということを人々に見せなければなりません。中国共産党のデマと中傷については、反論しなくても自ら崩れ去るでしょう。

 以下では、どのように良い人になることを目指し、法に圓融し、法を実証するのかについてのいくつかの出来事を書きますので、ご批評、ご指摘をいただき、ともに向上したいと思います。

 法に圓融し小さなことから始める

 法輪功を学び始める前、夫と共に他の省のある県の財政部門の仕事に転勤になりました。法輪功を学び始めた後、師父の教えに従い、よい人にならなければならなかったので、そこで職場ではまず、よい従業員にならなければなりませんでした。私が所属していた職場は全国でも貧困の県で、各方面において遅れていました。その職場に転勤になる前、職場の衛生状態は汚れ、乱れ、劣っており、事務所のガラス窓は誰も拭いたことがないかのようでした。その職場に勤め始めた後、毎日30分早く職場につき、事務所の内外、机や椅子や腰掛、およびガラス窓をきれいに掃除し、日数を重ね、毎日このように行いました。局のリーダーは私の行動を充分認め、さらに、他の事務室にも私たちの事務室を見習うように呼びかけました。すると、他の事務室もどんどん大掃除を始め、環境を美化したので、職場が徹底的に変わり、職場環境が一新しました。

 私たちの職場が県委員会と県庁、および関係部門が出勤し、必ず通過する場所であり、同時にまた、全県の経済の中心でもあったので、環境と景観が改善したことはすぐに県委員会直属の各部門に伝えられました。そして、私たちの職場の変化が県の主要なリーダーの目に留まりました。ある時、全県の精神文明大会で、県の主要なリーダーが点呼をとった時に私を表彰し、「xxさんが他県から本県へ転勤した後、職場の環境と景観が一新したことについて、私たちすべての職場の幹部と従業員は、彼女を見習わなければなりません」と言いました。

 県長の妻は、「お姉さんはよい人ですから、彼女を批判することはできません!」

 定年退職前は、県長の妻と机を向かい合わせにして仕事をしており、1997年、法輪功の修煉を始めてから、毎日、朝早くから夜遅くまで働き、大真面目に仕事に取り組み、自分の職責を果たし、自分の損得に構ったことはありませんでした。こういったことを県長の妻はその目で見ており、煉功した後の私の変化をその身で感じていました。ですから、普段から私はいつも県長の妻に大法を紹介していました。私たちが一緒に仲良くしていた日々の中で、ある出来事に県長の妻は感慨深くしていました。

 息子が中学からストレート式に高校に上がる試験に1点差で不合格となったので、6千元払わなければ進学できなくなりました。しかし、私たちの職場が学校の得意先だったので、新学期が始まった後、すべての生徒に3千元が払い戻されることになりました。他の人たちは皆、払い戻されたお金を受けとりましたが、私の払戻金は職場のある従業員が私の名前をかたって持ち去って行ったのでした。この事を知った後も、私は何も言いませんでした。1990年代の3千元は小額ではありませんでした。県長の妻は心の中で不平を訴え、ある日「学校の払戻金の事を知っていますか?」と聞いてきました。そこで「誰が持って行ったかは知りませんが、払戻金の事は知っています」と言いました。県長の妻は我慢できずに私に事情を伝え、私の名前を騙(かた)って金をちょろまかした人は、この間県庁に転勤になり秘書になった人だ、ということを言いました。その人に払戻金をちょろまかされないために私がリーダーに会うことを、県庁の妻は提案してきました。そこで私は静かに「どこにいても他人のことを先に考えるようにと、私の師父は要求されており、彼は暮らしに困っており、奥さんはレイオフされ、子供はまだ小さいのですから、彼が持って行きたいのであれば持って行かせましょう。このことがもし県のリーダーに知られれば、この若者の前途はなくなります。これは私のお金ですから、いりませんので、彼にチャンスを与えましょう」と言いました。私の話を聞いて、県長の妻はとても感動し、とても敬服し、大法が人間を善に向かわせる影響力にさらに深く感服しました。

 2000年春、法輪功のために北京へ陳情に行き、不当に4カ月以上拘禁され、さらに不当な懲役刑が下されそうな局面になりました。私が不当に拘禁されている間に、私が懲役刑を受けそうだ、と県長の妻がうわさに聞いて、県長の妻は夫に「xxさんはとてもよい人で、私たちの職場の人は皆知っており、法輪功のために陳情に行き、ただ陳情の手紙を渡しに行っただけで、どうして拘禁し、懲役刑を科す必要があるのですか?」と言いました。そして、県長の妻は職場の局長に会い、公安局に行って私の解放を求めるよう局長にお願いしました。その間、私の夫も政法委員会に行って私の引き渡しを要求しました。すると、正法委員会の書記は私の夫に、「奥さんの事は聞いており、県委員会直属の役所の人も皆、彼女がとても良い人だと言っており、多くの人が彼女のために頼んできているので、安心してください。まもなく解放されるでしょう」と言いました。その後間もなく、本当に私は解放されました。

 3期にわたって村の書記が「法輪功の修煉者はみな良い人だ」

 2003年、夫と帰省先に住み始めました。私たちは村の公益事業にずっと熱心で、「真・善・忍」の法理に従って自分を律し、人々に良いことであれば積極的に支持しました。2007年、村の貯水池が大雨で荒らされてしまいました。貯水池は村の半分の水利を保証しており、2008年の増水期までに壊れた貯水池にあいた穴をふさぐのに間に合わなければ、増水期が来た後、上流から流れ落ちてくる土砂が貯水池に堆積してしまうことが予想されました。そこで、村人たちはもどかしくなりました。試算によると、貯水池の穴をふさぐために、10トン前後のセメントと、石がいくらか必要でした。しかし、村民委員会は1銭もお金を出せませんでした。そこで、夫(同修)と相談し、セメントを購入するための2千元を村民委員会に寄付し、また、貯水池の近くで私の家で買った古い家の石を寄付したので、石材の問題は解決しました。村の書記もボランティアを募集し、村民に呼びかけたので、貯水池の穴は修復されました。こうして、全村民が大喜びしました。書記は喜びながら「あなた達のように法輪功を修煉している人が、あと数人村にいれば、もうそれでいい!」とまで言ってくれました。

 ある日、敏感日に警官が村を取り締まったので、書記は失礼な態度で警官に「あなた達は他にやることがないのですか、村の貯水池が壊れましたが、法輪功修煉者がお金と石材を寄付してくれたので修復できました。あなた達の誰かが1元でも寄付してくれましたか?」と言いましたが、それでも、警官は信じませんでした。そこで書記は「信じられないのなら、村で適当に聞いて回ってみればいい! 法輪功修煉者のおかげで、村はもうとっくに良くなりましたよ!」と言いました。警官はやむなく帰って行きました。これは帰省後、第1期の村の書記が法輪功に同意した出来事でした。

 私の家の前は本街道になっており、1958年に石を敷き詰めた路面で、今ではすでにでこぼこで、高低のある道になっていました。リンゴを売る季節には、全村の半数の果樹栽培農家がリンゴを引っ張りながらこの道を通りました。この道を通る時はいつもスピードが神輿(みこし)のようにゆっくり進んでいました。しかし、このスピードであっても、ガタガタ道でリンゴはやはりひどく損傷を受けたので、果樹栽培農家は非常に苦しい思いをしていました。2013年、夫がある企業に技術顧問として招聘(しょうへい・人を丁重な態度で招く)されたので、私1人が家に残されました。寄付金を出すので道を直してほしい、と書記に提示すると、書記は同意し、村民委員会の名義で関係のある家庭に寄付を募りました。私が寄付した1万元以外に、関係のある家庭にそれぞれ5百元の寄付を募りました。寄付を募った当日の午後、書記に同行して会計係を務め、1軒1軒寄付を募りましたが、午後いっぱい回っても1元も集まらず、さらに、村民にとやかく言われてしまいました。村の幹部は途中でやめて気を落としてしまいました。

 多くの果樹栽培農家が内々に私に、「みんな村の幹部を信用していないので、村の幹部と一緒ではなくて、あなた1人で寄付金を集めに来てください」と言いました。次の日、村の幹部の参加を断り、1人で1軒1軒寄付を募りに回ると、寄付を募るべき58軒は1軒ももらさず、寄付金を全て集め終わりました。そして、道路工事の協調グループを組織し、路面を平らにするために村民にボランティアを呼びかけました。また、道路工事の作業チームに連絡し、各方面との関係を協調し、街道沿いの各家庭と道路工事に関するトラブルをバランスをとりながら処理しました。1カ月間に及ぶ努力の末、300メートル以上に及ぶ、全村の交通を制約していた本街道が復活しました。通行を宣言したその日、全村民が歓喜の叫びをあげました。すると、ある人がテレビ局に頼んでビデオを撮ってもらうようにと提案しました。しかし私は「それはやめておきましょう。このようにするように法輪功の師父が教えてくださったのだから、と言ったら、テレビ局は絶対ビデオ撮影をしないでしょう」。すると、その場にいた多くの村民が憤懣やるかたないといった様子で、「法輪功のどこが良くないのですか? 60過ぎのおばあさんがあんなに多額のお金を寄付してくれただけでなく、心がボロボロになるまで忙しくし、何と大変なことでしょうか? あの悪徳役人と比べて数百倍素晴らしい! 法輪功はすばらしい!」と言いました。

 今回の道路工事についても、第2期目の書記は感慨深げに「おばあさん、村民を引率しての道路工事を通して、何を信用というのかがわかりました! 何を人望というのかがわかりました! 私たちがうまくできなかったので、村民は信用していませんでした。安心してください! もし上層部が法輪功の事であなたに会いに来たら、必ず手を打ってあなたを守りますので、彼らがあなたに迷惑を掛けることはもう二度とないでしょう」と言いました。これが第2期目の書記の法輪功に対する態度でした。帰省したばかりの1年目の時は、この書記が治安主任を任されていた時で、「610弁公室」に協力して私たちを洗脳班に入れたことがかつてありましたが、今は態度がすっかり変わりました。

 2015年、村を離れ、夫が出勤している職場に行きました。村では国の支持の下、倉庫内の土砂の撤去と山道の修復が行われていました。第3期目の書記が電話して来て、「作業チームが山道の修復に来ているこの時に、全村で資金を集め、別の街道も改修したいのですが、村の仕事を支持していただけるかどうか、道路工事のための寄付をいただけませんか?」と言いました。そこで、二の句を言わずに実家に戻って5千元を寄付しました。すると、書記は私に会うと「法輪功修煉者を見習いなさい、他の人とは全く違う! 電話1本でお金を送ってきましたが、村の金持ちはいくらでもいますが、誰が法輪功修煉者のように行えるのですか? 法輪功を修煉すれば皆よくなるでしょう!」。これが、第3期目の書記が法輪功に同意した出来事でした。

 良い人になり、法に圓容すれば、法を護ることを世の人々が自覚する

 郷里に帰って住んだ数年間、公益事業に寄付する以外に、いつもどこかの家が経済的に困窮していると聞くと、できるかぎり全力で難関を越えられるように助けました。そしてこの数年来、助けを求めて我が家にお金を借りに来た人の中で、お金を借りられずに手ぶらで帰った人は1人もいませんでした。時には我が家に全くお金がなかったこともあり、その時でも他の人からお金を借りて来て、借りに来た人を手ぶらで帰させることはありませんでした。

 お金を借りに来た人の中で、最も突出していたのは60歳代の身寄りのない老人で、突然脳血栓になりましたが、治療のお金がなく、お金を返す能力もないので、その老人にお金を貸さないのではないか、と他の人は心配しました。そういうことで、この身寄りのない老人は薬を買うお金がなくなり、治療を停止され、家で死ぬのを待っていました。このことを知り、すぐに千元(治療の薬代)を送り、同時に、夫に頼んで市民政局と町役場に行ってもらい、その老人のために「生活保護世帯」の待遇の申し出を行いました。これに類した経済的困窮により、お金がなくて治療を受けられない多くの人が、お金を借りに来ました。これまでに、外に貸し出したお金は十数万元ありましたが、まだ返って来ていません。

 夫は果樹の技術者で、定年退職後はいつも新品種の試験栽培の導入を地方から頼まれ、常人が買って帰る新品種はみな秘密に試験栽培され、誰にも言いませんでした。そこで夫に「私たちは煉功者ですから、新品種の導入は秘密にせず、誰かに盗まれることも恐れず、公に皆に公開しましょう。誰かが優良品種の導入をしたければ、接ぎ穂と技術を無償で提供しましょう。大きなサクランボは、村民に連続して提供して3年という年月を経ましたが、毎年接ぎ穂を果樹栽培業者にドンドン送りましょう。こうすれば、今、その品種はすでに村の主要な栽培品種になり、売値も最も高くなり、経済的効果も最も良くなります」と相談しました。

 定年退職後、村で過ごした数年間は、自分が修煉者であるといつでも覚えており、修煉者の実際の行動をもって、法を実証し、法に圓容し、法輪大法の素晴らしさを全村民が見て感じました。法輪功が無実であることを、私の態度や行いから村民たちは見て取りました。村の幹部から村民まで、大法の名声を守り、また、大法弟子の安全を守っていることを人々が自覚していました。

 ある年のことをはっきりと覚えているのですが、定年退職する前に処理したお金について、監察局員が帳簿を調べましたが、お金のありかが見つからず(実際は帳簿を引き渡す部署の問題だった)、私に汚職の疑いが掛けられ、監察局員が元の職場に調査に行きました。しかし、職場では幹部から従業員まですべての人が「xxさんに限って、決してそんなことで問題が起きるはずがありません!」と言ったのです。それでも、監察局の職員は諦めず、はるばる遠くから事実確認の調査のために私たちの村までやって来ました。監察局員が村に入った後、街を歩いていた数人の婦人が制服を着ている監察局の職員を見て、法輪功修煉者を捕まえに来たのだと勘違いしたため、監察局の職員が長時間にわたって村人に聞いても、私がどこに住んでいるのかを誰も教えませんでした。最後に、事情をよく知らない婦人が監察局員を私の家に案内しましたが、その時、私は不在でした。そうこうしている間に、監察局員がおおよそわかったことは、村人が異口同音に私が村で最も良い人だと言っている事、そして、村のためにどれだけ良いことをしたかを、村人が監察局員に伝えて来た事でした。もともと監察局員は私を連れ帰って調査に協力させるつもりでしたが、職場と村での調査を経て、私への疑いは完全になくなりました。

 正午に家に帰った後、この機会を借りて監察局員に真相を伝えました。すると、局長は笑いながら「おねえさん! 私たちは法輪功の事で来たのではなく、あるお金のことで来たのですが、あなたが煉功した後、こんなにも多くの人があなたが良い人だと言っているのを見て、あなたとこのお金は絶対に関係がないことを確信しました!」。そう言い終わると、簡単に状況を確認して帰って行きました。監察局員が帰った後、村人が、監察局員が私の家で話していたのを村の数人の婦人が窓の外から聞いており、監察局員が私を連れて行こうとしてるのを聞いて、すぐに村の大スピーカーで叫び、町中で監察局員を阻んで私を連れて行かせなかったのだ、と教えてくれました。

 十数年来、師父のお教えに従って、良い人になることを目指し、法に圓融し、法を実証してきました。別の面から言えば、私たち大法を学ぶ者が世界で最も良い人であることを人々が見た時、人々に真相を伝え「三退」を勧めれば、人々は容易に受け入れ、信じるのです。

 次元には限りがありますので、同修の皆さんのご批評、ご指摘をお願いします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『シンガポール法会での説法』

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/1/336983.html)
 
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