明慧法会 | 師を信じ、法を信じて難関を乗り越える
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文/遼寧の大法弟子

 【明慧日本2017年12月11日】2年の間に、私は大きな身体の魔難を二度経験し、苦難な修煉の過程を歩んできました。

 昨年8月、私の両足が潰爛(かいらん・やぶれただれること)し膿が出て、痛み、異臭を放ち出しました。また同時に、ひどい悪寒と発熱の症状を伴っていました。その後だんだんと左足に穴が現れ、ますますひどく大きくなり骨まで見えてきて、終いには歩けなくなりました。私は修煉において何か落とし穴があり、旧勢力に隙に乗じられてしまったのではないかと考え、自分の今までの修煉の全過程について、改めて見つめ直しました。

 一、内に向かって探し、過ちを償う

 私は同修と共同で原材料の商売を経営しています。普通の常人なら、偽物を混ぜたり、水を加えたり、高品質の商品の中に二流品を入れたりすることも考えられますが、私達はこれらを一切やらず、公正で、正直に商売をしているため、業界の中で高く認められ、商売は益々繁盛して大きくなりました。一方、社会との付き合いや応対も多くなり、心を静めて学法することが出来なくなっていきました。そして、名利心、顕示心、嫉妬心、色欲の心が膨らみ、修煉の厳粛さについての認識が甘くなり、商売を経営する中で正しく行えず、いくつかの過ちを犯してしまったことがあります。その一つに、お客様が高品質の商品の中に混ぜる目的で二流品を買うことを知りながら、私が彼に商品の供給源を提供したことが挙げられます。自分は直接混ぜませんが、間接的にこのような社会の気風を助長しました。師父は私達に「世の堕落を窒ぎ截る」[1]と教えられていましたが、私は逆に大波の中で一役を買ってしまいました。

 師父は次のように説かれています。「常人の中で修煉する人は、どれだけ大金持ちになっても、どれだけ地位の高い官職に就いても、個人経営で会社を興してどんな商売をするにしても、心を正しく保ち、公平かつ良心的に取引しさえすれば、何ら問題はありません。人類社会においてさまざまな職業があるのは当り前ですから、人間の心が歪むことこそが問題で、どの職業に就くかが問題なのではありません。昔から『商いをする者は、十人中九人がずるい』という言い方がありますが、それは常人の言い方です。わたしに言わせれば、それは人間の心の問題です。心を正しくもち、公平に取引をすれば、多く働くだけ多く稼ぐのは当然のことです。『失わないものは得られず』と言われているように、それは常人社会のあなたの働きに対する当然の報酬です」[2]。私は学法を通して、大法弟子は商売を経営する際に、必ず正しく歩まなければならないことを悟りました。そして、自分の過ちを同修に公開し、すべての不当な商売を直ちに停止しました。

 しばらく経って、同修Cが私と交流しに来て、以下の師父の説法を言い聞かせてくれました。「以前、従業員たちが工場からタオルの端切れを家に持ち帰ることがしばしばあり、みんなやっていました。しかし功を学んでから、彼はタオルの端切れを家に持ち帰ることをやめただけでなく、それまで家に持ち帰った分も工場に返しました」[2]。同修が話した直後、私ははっと悟りました。不当な商売をやめただけではまだ不十分で、不当な手段で儲けたお金も所有すべきではないのではないかと。しかし、このようなお金はすでに私の全資産の中の大きな割合を占めていたため、私の内心は揺れ動きました。「その一部分を手放したらどうだろうか?」と考えた後、「不義の財をもらってはいけない、この良くない念をこれ以上放任するわけにはいかない!」と考え直しました。最終的には、このお金の真相を明かし、衆生を救うために使うことを決心しました。

 商売を経営する中で正しく歩んでいなかったことが、身体の魔難を招いてしまった主な原因の一つです。その後、私は現地で商売を経営する同修と交流しました。法を正す時期の大法弟子として、法の私達に対する要求は非常に高く、道はとても狭く、商売をする際に、心を正しく保たなければならず、ほんの少しのずれもあってはいけません。

 二、人心と正念の戦いの中で意志を固める

 病業の最初の頃、ふだんの学法の基礎がないため、激痛に襲われる度に常人の観念が湧いてきました。「この状態はいつまで続くのだろうか? 人の苦痛はこれほどまでに高まるものなのだろうか? 果たして治るだろうか?」といつも考えていました。悲観、悔しさ、阻喪(そそう・意気がくじけて元気がなくなること)によって忍耐力は限界になり、私の意識は崩れる寸前でした。

 私は病院に行こうと思ったことはありませんが、常人の方法で苦痛を緩和しようと思いました。周りの同修の心理状態も不安定で、私の家に来る時に私の足を見て、消毒液を買って「消毒」したりしてくれました。医師である同修Aは「この症状は、常人の方法ではすでに治癒は不可能だけど、法理上での認識が高まれば、この関を乗り越えることがきっとできる」と同修の妻に話しました。しかし、妻も心が動じていたため、よく病院に行くように勧めてくれました。家の中では深い夫婦愛、同修への情および魔難に対しての無策、消極的な考えなどが充満していました。

 その後、同修が他の医師を連れて来てくれました。医師は足の潰爛した部分を麻酔を用いず、メスで削り取りました。私は同修に押さえられながら、あの我慢できない苦痛の中で震え、泣き叫びました。削った後には、足の骨が見える状態でした。医師は「潰爛は神経と血管に沿って深い所まで進展しています。病状を把握したければ、医師による専門の測定が必要で、足の切断が必要になる可能性が高いです」と説明しました。妻は耐えられなくなり、すぐ病院に行くことを勧めましたが、私は同意しませんでした。

 そのあと、私の左足はさらに大きく腫れて、潰爛した部分も深刻になり、膿や水状の汁が流れ出ました。看護師である同修は、かさぶたの中に膿がいっぱい溜まっていることを知って、「穴を開いて膿を出さないとどんどん悪くなりますよ」と言って、処置しに来てくれました。処置した時、膿の流れる通路はとても不規則であることに気づき、鋼の針で中の蜂の巣状の組織を切り開き、膿の流れる通路を通じさせました。その全過程は想像を絶する痛みでした。同修は毎日2回家に来ては膿を絞り出してくれましたが、だんだん多く溜まるようになったので、妻も一定の時間を置き、絞り出してくれました。しかしこれらの常人の手段は、私の苦痛を軽減するどころか、かえって症状を悪化させました。

 どんなに痛くても、私は毎日大量の学法、発正念、朝の煉功を続けていました。そして、そのうちにだんだんと私の考え方が変化していきました。私は修煉者で、大法の法理で自分を指導すべきなのに、なぜ常人の観念で治療しているのだろうかと考えました。師父は「真に修める人には病がなく、私の法身がすべて取り除いて、やるべきことは全部してあげました」と説かれています[3]。このますます悪化している症状は全くの幻であり、ちょうど私に自分の師と法に対する信心の程度を意識させました。私は実際のところ、師父を信じていませんでした! 実質自分を常人とみなしていました。1人の修煉者として、師と法を信じなければ、すべて空論であり、何も変わらないことは当然で、いつまでも常人のままです。私が常人の方法を使った以上、私の身体に大法の超常現象が現れるはずがないではありませんか!

 師父は次のように説かれています。「修煉だから、困難に圧倒されないでください。どんなことがあっても、いくら難しくても、師父があなたに与えた道をあなたはきっと歩んでくることができます。(拍手) 心性さえ向上すれば、乗り越えることができます」[4]。ここで私ははっきりと分かりました。常人の手段を通して症状と苦痛を緩和することは全く低い次元の考えで、膿を絞り出す方法は常人のやり方ではないでしょうか。常人の方法でこれらの問題を解決することができるでしょうか。翌日、私は看護婦の同修に「今日から、手伝わなくても大丈夫です。今後、いかなる常人の方法をも採用しません!」とはっきりと言いました。すると同修は驚いて目を見開き、「膿が体内に溜まったらどうするつもりですか?」と尋ねたので、私は「その問題を考える必要はありません」と即座に答えました。

 意外なことに、その日から膿の量は毎日次第に減っていきました。しかし、激痛と潰爛はまだ続いていて、ひどくなったような気さえしました。ただ、私は法を信じていたため、恐れも心配もなく、常人のように我慢をする必要はありませんでした。毎日心を静めて大量に学法し、煉功を行い、発正念をしました。そして、私が到達した次元で、師父の法に対する認識を改めました。「どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます」[5]

 これ以降、私の心理状態は非常に安定しました。

 三、旧勢力を否定し、真相を伝え衆生を救う

 ある同修は「大法弟子はきちんと三つのことを行うべきで、あなたは一つ欠けています。それは中国共産党の真相を人々に伝えていなかったことです。人を救うことは目下、最も大事な事です」と私に助言してくれました。私は自分の胸に尋ねてみました。自分は家でこの「病気」の療養に専念していればよいのだろうか? 私はそれを大きく捉え過ぎて、師父の要求通りに衆生を救っていませんでした。その時、私には真相を伝えることで、病業を取り除きたいという考えは全くなく、大法弟子にとって、衆生を救うことは当たり前の事だから、そうすべきだと思いました。そして私は外に出て真相を伝える電話をかけることを決心しました。

 その時、左足はひどく腫れていて動かすことができず、階段を降りるだけでも困難でした。しかし、もうすでに決心したので、激痛を我慢して身体を震わせながら一歩ずつ、階段を降りました。幸いなことに右足の症状はそれ程ひどくなかったため、ブレーキとアクセルを踏み、車を運転することができました。1日目は車を止めて、歯を食いしばって700メートル歩きました。一歩一歩がとても痛かったのですが、できる限り正常に歩くように努めました。その時、左足の靴のサイズは45センチで、右足は40センチで、足が腫れていたために踵(かかと)が入り切らず、外にはみ出していました。通行人は皆、びっこを引きながら歩いている私に驚き、異様なものを見る目で見ていました。

 2日目、私は我慢して2キロメートルを歩きました。「病業の仮相を認めず、引き続き大法弟子の行うべき三つのことをしっかりと行うことこそ、実際の行動で旧勢力を否定することである」。これが私の個人的な理解でした。

 四、恐怖心を克服して対面で真相を伝え、病業が消える

 現地の2人の女性同修はいつもオートバイに乗って、農村へ中国共産党(以下、共産党)の迫害の真相を伝えています。ある日、雪で道路の状況が悪く、オートバイを走らせることが難しかったため、私は2人を車に乗せて農村へ向かいました。この2人の同修は常に衆生を救うことを考えており、よく出来ていました。しかし、私は対面で真相を伝える勇気がありませんでした。同修は「私達も恐怖心を克服したので、あなたもこの難関を突破する必要があると思います」と私が一歩前に踏み出せるように、背中を押してくれました。

 3日目、私はついに下車しました。マージャン館に入り、みんなの対面で共産党の迫害の真相を伝えたところ、その場で6人が「三退」しました。私はとてもうれしくなり、師父が本当に私を加持して下さっているのだと思いました。それ以降、私も対面で真相を伝えることができるようになりました!

 真相カレンダーを配布した時、同修は私を前に歩かせて、人の多いところに行くようにと励ましてくれました。配布しているうちに私の恐怖心はだんだんと少なくなり、自由自在に真相を伝えることが出来るようになり、足の腫れも少しずつ引いていき、膿もだんだんと減っていき、終いには傷口がふさがりました。

 師父は「いかなる心も放棄し、何も考えず、ただ大法弟子として行なうべき全てを行なえば、全ては既にその中にあります」[6]と説かれていました。

 この交流文章を書く半月ほど前には、傷口はまだ完全にふさがっていませんでした。旧勢力による迫害の存在を認めることは、その事自体、自分の空間場の範囲内に旧勢力が存在することを許可することに等しいのです。自分は悟ったので、必ずそれを解体しなければなりません! 「私の師父は認めておらず、弟子の私も勿論認めません!」とこの一念を発した後、傷口はすぐにふさがりました。

 真相を伝える電話をかける時、ある経文の言葉がいつも私の頭の中に現れます。「強大なる佛法のこの世での再現なのです!」[7]。これは『精進要旨』の「警告の言葉」の中の言葉です。私はこの経文を探し出し学びました。師父はこのように説かれています。「修煉の中で、皆さんは自ら真に着実に向上することによって、内面に巨大にして本質的な変化を生じさせているのではなく、わたしの力に頼り、外在する強大な要素を頼りにしています。これでは永遠にあなたの人間としての本質を佛性に変化させることはできません。もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現であり─強大なる佛法のこの世での再現なのです!」[7]

 数日後、私ははっきりとした夢を見ました。その夢では、大勢の人があるボロボロになった工場の建物の外部を表装していました。翌日、同修と交流した際に、「外部を表装していることは、ただ表面だけの装いの修煉であり、本質の変化がないということです。表面だけは立派になっても、内面が変わっていないことを表していると思う」と同修は言いました。

 私は強いショックを受けました。今回の身体の魔難は、師父が逆手を取って、旧勢力の迫害を利用して、私を自分を欺いていた「口先の修煉状態」から、本当の修煉、着実な修煉にまで、感情的な認識から理性的な認識にまで連れて行って下さった過程だと気づきました。師父が私を悟らせて下さったことを、私はようやく内心から分かりました。人の観念に阻まれていたため、歩んで来たこの過程は非常に苦難に満ちた過程となり、私のために師父が耐えて下さった分も巨大になりました。自分はいくら辛くても、ほんの僅かしか耐えていませんでした。修煉とは、簡単に口先で言うものではなく、表面でみんなに見せるものではなく、自分の一つ一つの観念、一つ一つの人心を着実に取り除いていくものです!

 病業の最もひどい3カ月の間で、私は学法し、内に向かって探し、発正念を続けている一方、痛みと潰爛は日増しに悪化していました。表面上はまったく望みが見えない時、修煉者が師に対して、法に対して正念を失えば、誤った方向に走りやすいのです。旧勢力は大法弟子の忍耐する極限を見ており、それらの按排は壊滅的なものです。人心は私の正念を動揺させ、正念も絶えず人心と戦い、最終的に、師父の法理が私の意志を固めました。

 この過程の中で、大法弟子の全体の力が大きな作用を発揮しました。同修は私と一緒に学法、煉功、発正念をし、真相を伝え、私の不足を指摘し、励ましてくれました。みんなの内心が動じたこともありましたが、これも全体の向上、正念を固める過程で、最終的に、みんなは私と一緒に関門を乗り越えました。

 五、交通事故の中で、師父は再度私を加護して下さった

 今年6月19日、それは私がオートバイに同修を乗せて、真相を伝えた後の帰り道の途中でのことでした。オートバイのスピードが出過ぎていたため、急ブレーキを踏んでも間に合わず、曲がって来た乗用車と衝突してしまいました。私が意識を回復した時、地面に座っていて、変形したオートバイが私の足にのしかかり、5メートル先には二つのドアが潰れた乗用車がありました。同修も地面に座ったままで、地面には衝突した瞬間に、私が吐いた血のついた跡がありました。私の額は約5㎝隆起し、触ってみると骨は柔らかく、顔面は暗紫色になり、鼻血が止まりませんでした。口の中は黒紫色で、歯も緩んでいました。同修は立ち上がって、私に「大丈夫ですか?」と聞き、私は「大丈夫です」と返事しました。私達2人は共に師父に、「感謝いたします!」と言いました。

 事故現場には、すぐ大勢の人だかりが出来ました。乗用車の運転手は救急車を呼んで、私を病院に運ぼうとしました。私が「大丈夫です。病院には行かないので、あなた方は帰っても構いませんよ」と言うと、車内の医者は「あなたは内傷を負っており、命の危険があります。どうしても病院に行かないと言うのであれば、ここにサインして下さい。そうすれば問題があっても私達とは無関係です」と言われ、私はサインをし、救急車はそこを去りました。

 集まって来た村民はさらに多くなり、「こんなにひどい交通事故なのに、なぜ病院に行かないのか?」とか、「自分が聞いた話では、法輪功の修煉者は病院に行かなくても大丈夫なんだって」とか言っている話し声が耳に入りました。そこでフラフラしていた頭が急に覚め、そうだ、これは真相を伝える良いチャンスだと思いました。

 私は早速、皆に向かって「私は法輪功の修煉者です。師父が守って下さるので、病院に行かなくても大丈夫です」と話しました。「なるほど、法輪功の修煉者なのか」と素朴な村民達は理解したようです。ある村民は乗用車のところに行き、運転手に話かけました。「あなたは今日良い人に出会いましたよ。彼は法輪功の修煉者なので、金をゆすり取ることはしませんよ。彼の体を見てください、早く家に帰らせましょう!」。そこで運転手は交通警察官を待つことにしました。

 1時間後、ようやく交通警察官が到着しました。彼は私が意外なことに現場で立っているのを見て、とても驚きました。私は彼に「自分は法輪功の修煉者で、師父が守って下さるので、病院に行かなくても大丈夫です。絶対にお金をゆすったりしません。私のオートバイのスピードが出過ぎていて、曲がって来た車にぶつかりました」と言いました。交通警察官は私の責任を転嫁しない姿勢、重傷を負っても穏やかな態度を見て、何も言わず、親指を立てました。最終的には、私と乗用車の運転手は各自で損失を負担することにしました。

 その後、事故の情報を得た同修がやって来ました。「タクシーに乗って帰りましょうか」と同修は勧めましたが、私はオートバイに乗って帰ることに決めました。オートバイに乗った瞬間、全身の力が抜けて、口の中から血や血の塊を絶えず吐き出し、非常に辛くて、こと切れるような感じがしました。しかし、私はまったく動じず、師父が用意して下さった修煉の道を必ず終点まで歩み、圓満して師父について帰ると固く決心していました。

 市街地に入った後、同修が「病院? それとも家?」と確かめた時、私は「家」と答えました。家に着くと、妻は私を支えてソファーの方へ行こうとしましたが、私は師父の部屋を選びました。妻に師父に線香を立てさせ、師父のご加護に感謝しました。

 私は吐血し、鼻から血が流れ出て、口の息が冷たくなり、手足も冷たくなりました。妻は6、7人の同修を呼んできて発正念をしました。私も発正念をしようと思いましたが、初めは足を組むことができませんでした。歯を食いしばって激痛を我慢することでようやく組むことができました。私は強大な正念を発しました。「旧勢力の私に対する迫害と妨害を一掃し、私のいかなる漏れも、すべて大法の中で正すことができ、誰にも大法弟子に試練を与える資格はありません」

 1時間後、同修達の固い表情が和らいで、「あなたはすでに乗り越えました、顔に血色が戻っています」と言われました。「師父がおられるので、必ず大丈夫です」と私は言いました。

 その時、喉がからからに乾き、体内に燃えるような熱さを感じました。そこで私は1本の氷水を取りましたが、自分の体調を考えると飲めるかどうか、やめようかと思いました。しかし、このような考え方に導かれるのはいけないと思い、断固としてそれを否定し、思い切って飲みほし、ご飯もいっぱい食べました。

 翌日、私は站椿の時、腕が上がらず、我慢してクリアしました。座禅の時、「師父」を呼んで、一気に足を組みました。痛みで涙が出ました。その後、足と膝がまん丸く腫れましたが、私はそれを一切認めず、普段通りに行うべきことを行い、速やかに正常な状態に戻りました。

 昨年の病業の中で、私は大量に学法、発正念をし、真相を伝えることも実質の突破があることから、最後に旧勢力の迫害を否定し、心性の面においてしっかりとした基礎を築きました。今回の交通事故の中で、私にはまったく人心はなく、100パーセント師に対し法に対して信じる正念と、旧勢力に対しての徹底的な否定があったため、師父のご加護の下で早く乗り越えることができました。「師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す 弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[8]。正に言われる通りでした。

 2年来の経歴を振り返って、師父の慈悲深さと済度のご恩に無限の感謝をいたします! そして、私を見守って、心性の面で助けてくれた同修達にも感謝します! 私の経験したこれらのことが、いま魔難の中にいる同修のお役に立てれば幸いです。文章の中に法に則っていない所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 

 注:

 [1]李洪志先生の詩と詞:『洪吟二』「普く照らす」

 [2]李洪志先生の著作:『轉法輪

 [3]李洪志先生の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」

 [4]李洪志先生の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」

 [5]李洪志先生の著作:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」

 [6]李洪志先生の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」

 [7]李洪志先生の著作:『精進要旨』「警告の言葉」

 [8]李洪志先生の詩と詞:『洪吟二』〈師徒の恩〉

 

(明慧ネット第14回中国国内の大法弟子の修煉心得交流会より)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/15/356180.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2017/11/16/166414.html)
 
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