文/米国の大法弟子
【明慧日本2018年1月14日】私は1994年に法を得た大法弟子です。この文章を書き始めた時、以前の修煉していた光景が一つずつ頭をよぎりました。その中には法を得た生命の落ち着き先を見つけた時の喜びとか、大法を広める中で佛光を浴びる幸せが含まれています。師父は「少なからずに休み自省して正念を添え、不足を明らかに分析して再び精進す」[1]と説かれました。宇宙の中で法が正されている最後の段階で、私は最後の道をしっかりと歩んで行こうと思います!
すべてが法を得るための下地
幼い頃から私は多病で、感傷的で傷つきやすい性格で、考えることが好きでした。兄弟の中で最も下で、比較的多く配慮されていましたが、常に風邪を引いて熱が出たりして、病状が厳しい時は非常に大変で、人間としての幸福感を感じることが出来ませんでした。当時、毎朝目が覚めると、母は薬と水を私の口元まで持ってきました。時には大きなお椀いっぱいの煎じ薬を飲まないといけませんでした。
その後、また関節リウマチと胃病にもかかりました。膝の関節はリウマチのため大きく腫れ、夜になると痛みで眠られなくなり、消炎薬を飲んでも痛みを弱めるしかできませんでした。学校に入る前、私は常にリウマチを治療する薬を飲んでいて、歩く時目眩(めまい)がし、足元がしっかりせず、口の中では酒の匂いがしました。いま当時の状態を思い出すとおかしくてたまりません。
私は本当に病気だらけでした。病気で痛む中、私は幼いのに体調がこれほどよくない、このままだと両親を巻き添えにするのではないかと思いました。私は両親にあまり心配をかけたくありませんでした。長く病気になると医者になります。身体の調子があまりよくなかった母は、常に漢方医の書籍を読んでおり、私に多くの漢方の理論を教えてくれました。そして、私自身も身体の状況に応じて、どんな薬を飲んで陰陽のバランスを取るかを考えていました。
年齢が大きくなるにつれて、私は常に人生の真諦(しんたい・ 仏語で、絶対不変の真理。究極の真実)を考えていました。一度、佛道思想に近い書籍を読んだことがありますが、答えが見つかりませんでした。心の中には微かな苦悩と悲しみがありました。その年代はちょうど気功が盛んになっており、家族も気功をやっていました。私は非常に気功を信じていて、気功は病気治療と健康保持ができるということを知っていました。しかし、心の中では、将来私を高い境地に導く功法に出会ったらまた煉功する、今のこれらのものはまだまだダメだ、という一念も持っていました。
1992年に私は佛教に触れ、佛教の修行に頼って生死を超脱しようと思いました。非常に敬虔でしたが、当時、如何に修めるかを知らず、ベジタリアンになり、戒めを守れば向上できると思い、たくさんの経典を購入しましたが、読んだ数は少なく、最終的に『金剛経』の中で説かれた二言、「法輪聖王」と「法輪聖王の法輪は非常に凄い」ということだけでした。
師父が長春で開催された 第七回目の親授班に参加する
1994年4月、心が惑い乱れ、不安が込み上げてきました。この紅塵の中には留まりたくなく、出家したい考え方がますます強くなりました。ちょうどその折、吉林大学の鳴放宮で法輪功伝授班が開催されるという情報を得ました。チケットを買いに行くと最後の数枚しか残っていませんでした。そして、一冊の『法輪功』の本を購入しました。帰宅後、一気に読み通しましたが、あまりにも素晴らしいと感じました。この書籍の内容は素晴らし過ぎる。気功は本来、修煉にほかならないのか、と目から鱗が落ちたようでした。
私は書籍を読みながら、功法を自習しました。すると師父の説かれた身体を浄化する症状が現れました。1日中絶えずトイレに行きましたが、排出された便はすべて黒いものでした。二式目の功法を学ぶ時、両腕の間が非常に熱くなり、旋回する力を感じ、夜になると可笑しな夢をみました。夢の中で、自分が蘇州の園林の中を遊覧していました。景色がきれいで、赤い壁、緑の池、またアーチ橋もありました。その時、頭をあげると天上には金色に光る龍と鳳が悠然と飛び回り、舞い上がったりしていました。遠い所から1人の尼僧がやって来ました。額が広く、愛想がよく慈悲でした。私は彼女に「師、私を連れて行ってください」と申し出ました。彼女は微笑みながら「縁があればまた会います」。私もすぐに「ご縁があればまたお会いしましょう」と言い残し、夢から覚めました。夢の中で私はもし縁があれば、彼女に再会できると信じていました。
4月29日にいよいよ伝授班が開催されました。私が参加したのは夜の班で、また学員証も支給されました。私の座席は後ろから数列前で、師父がはっきり見えませんでしたが、師父のお声は朗々として、まるで耳元でお話しされているようで、非常にはっきりと聞こえました。初日は宗教の理念に阻まれていたため、師父が説法される時、思想の中で微かに排斥し、心地よくないと感じましたが、聞けば聞くほど師父の説かれたお言葉は、すべて理に適っていると思いました。師父が説かれた先史文化、天目などの名詞については以前ある程度理解していたため、説かれた時すべて理解できました。翌日には法を聞くことを阻む観念はすべて消失していました。なぜだか心の中で、師父に対する尽きない感激の思いで一杯になり、涙がたくさん流れました。心の中で「私はどうやって先生に応えられるの! これほど素晴らしい先生にどうやって応えられるのか!」という一文を繰り返していました。
師父が説法される時、私はまた師父の左側の肩の上にある金色の光を目にしました。師父はまた私たちに両掌で法輪の存在を体験するようにさせてくださいました。旋回していて、重く、重さがありました。また非常に冷たい大風が礼堂の前方から観客席の間の通路に沿って出口まで吹き通し、風はまた非常に速度の早い急なものでした。その後、私は当時師父が学習者のために身体を浄化し、業を滅し、打ち下ろしたものはすべてよくない陰性のもので、風を形成したと分かってきました。後で師父の説法を聞く中で、師父こそ経典の中で説かれていた「法輪聖王」だと認識し、師父の説かれた大法こそ心の深いところでずっと待ち望んでいた法であると認識できました。
その伝授班は私に一生忘れられない記憶を残しました。それは師父が説法し終わってから、功法を教える前の休憩時間のことでした。私は座席の間の通路に立って動作を学ぶ準備をしていましたが、なんと師父は演壇から降りられ、学習者の中まで歩んで来られ、歩きながら後ろの学習者にはっきり聞こえたかと尋ねられながら、ゆっくりと私の立っていた通路に向かって歩んで来られたことです。はじめて師父がはっきり見えた時、私は驚きました。驚いて唖然としました。師父はそれほど偉大でした! 私の天目は見えないのですが、一種の巨大な不可思議な境地を描く画面が師父の後ろにありました。師父はそれほど偉大で、超然(ちょうぜん・世俗的な物事にこだわらず、そこから抜け出ているさま)とされており、慈悲深いお方で、これらの光景は人類の中では二度と再び永遠に見られません。
私は頭が真っ白になり、心の中にはただ「このお方は佛ではないか? このお方は佛ではないか?」と繰り返しました。私は頭脳が回転せず、ただ師父が私の前を通られるのを見ていました。師父は慈悲な目つきですべての人を見つめながら、礼堂の後ろへ歩いて行かれました。なぜか私は口から「本当に佛光があまねく照らせば、礼儀が円明となる」と一言言いました。当時、私はすでに多くの授業を受講しましたが、座席があまりにも遠くて、師父のお顔をはっきりと見ることができませんでした。しかし師父は弟子の気持ちを配慮されて、私たちに師父がはっきり見えるように、後ろまでわざわざ来てくださいました。師父はいつも衆生を配慮してくださいます。師父、ありがとうございます!
親授班が終わった後のある日、私は突然思い出しました。夢で会ったあの尼僧は、他でもなく師父ではないのか? 広い額と慈悲で愛想がよく、夢の中で聞いた「縁があればまた会います」はまさに大法と縁を結ぶことを指しているのではないでしょうか? その後間もなく、一度偶然の機会に補導員会議の際、私は再び幸運にも師父にお会いできました。師父は私の前方の非常に近いところを通られました。私は師父のお顔が輝き、あのエネルギーの顆粒を目にしました。会議室に入ると、私は師父の向かい側の師父から非常に近い席に座り、嬉しくてたまらず、ずっと笑顔でいました。心の中で、師父、今回師父は私を目の当たりにされ、やっと私という弟子の存在をお知りになり、師父も優しく喜ばれ、笑顔で私達を見ていらっしゃいました。1994年8月5日に、私はまた、ハルビンでの親授班に参加しました。これらの幸せな時間を弟子は永遠に心に刻みます。師父、ありがとうございます!
法を広める中で昇華する
法を得てから、法をしっかり覚えるために、私は数人の若い同修と一緒に『法輪功』を暗唱しました。続いて、経文が発表される度に暗唱しました。当時、冬でも夏でも、毎日喜び勇んで公園に行き、集団煉功と学法に参加しました。当時はまだ若く、補導員が私に煉功点で動作を教えるように言われ、私はその通りにやりました。正しく、わかりやすく教えるために、私は『大圓満法』の図解部分を暗唱しました。こうして、師父の功法を教える写真の図解を話すと、学ぶ人はみな理解でき、学ぶのも速かったのです。基本的に10日で学べるようになりました。それから、引き続き次の人を教えました。学びに来る人がますます多くなり、一部は郊外に住んでいる人も私達の煉功点に功法を学びに訪れました。その時はまさに師父の説かれたように「修める人は日をもって多くなり、その数は計ることができません」[2]でした。その後、学法を通じて、師父の法身が縁のある人を連れて来られていると知りました。毎朝、私はいつも功法を教え、自分が煉功する機会が非常に少なく、時間が長くなると補導員に対して不満の心が生じました。「どうして人を変えないのだろうか、私も煉功しないといけないのに、なぜいつも私が教えないといけないのか」と不満に思いました。
ある日の朝、私が煉功点に着いた時、補導員がちょうど人に功法を教えていました。私が着いたのを見た補導員は、私に功法を教えるように頼みそこを去りました。私は教えながら、毎日いつも私が教えている、あなた達補導員は何をしているんだと思いました。帰宅する時、私は歩きながら、自分に問いました。大法を学ぶ目的は何か? 真・善・忍に同化し、完全に人のために役立つ人になるためではないのか? 宇宙の真理のために自分の命を犠牲にできる人になるためではないか? そうであるならば、自分の煉功時間を利用して、人に功法を教えることは人のために役立つことではないのか? 私はまだ何を求めているのか? 例え私の修煉が影響されても、自分が修めて上がらなくても、人を助けて圓満成就させる手伝いができたなら、私も彼らのために喜ぶべきではないのか? なぜなら、私はただ真・善・忍に同化した生命になれれば充分だから、他に何を求めるのか。ここまで考えつくと、私は豁然(かつぜんと・ 心の迷いや疑いが消えるさま)と明白になり、心身ともに一瞬にして空になりました。歩くのにただ空っぽの人間の殻(から)みたいでした。その時、私は広大なる宇宙と通いはじめたと感じ、それはまた、奇妙で比類ないものでした。
その後、大法を広める数年間、私は同修と一緒に方方の郷、鎮に法の宣伝に行き、法輪功の功法を教えました。忙しく、辛いことも多々ありましたが、自分の担うべき責任だと感じており、非常に幸せでした。その間、師父の法身の保護と多くのまれで不思議な体験をしました。
注:
[1] 李洪志師父の詩: 『洪吟二』「理智醒覚」
[2] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』「師を拝む」
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