武漢の崔海さん 刑務所を出所後 19日目に死亡
■ 印刷版
 

 【明慧日本2018年1月23日】湖北省武漢市の法輪功学習者・崔海さんは懲役5年の実刑判決を宣告され、武漢女子刑務所に収容された。先月、出所したとき、崔さんはとても痩せ細り、髪の毛が真っ白だった。その19日後の1月1日、崔さんは死亡し、享年69歳であった。

崔海
崔海さん

 中国共産党が法輪功迫害をしてから、崔さんは迫害を避けるため、余儀なく放浪生活を強いられた。2012年10月、崔さんは武漢市公安局の国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官に尾行されて、連行された。それから、崔さんは洗脳班、留置場、安康病院などで迫害を加えられた。洗脳班での2カ月、崔さんはひどい灌食をされ、薬物による迫害を受け、猛打され、冬に冷たい水を掛けられ、睡眠の剥奪などの拷問を受けた。2014年1月6日、崔さんは懲役5年の実刑判決を言い渡され、武漢女子刑務所に収容された。

 崔さんは幼い頃、演劇学校に入り、卒業後に軍人になった。退役してから、崔さんは武漢市輸入輸出会社に就職し、重任を任せられたが過労で、胆石、胃病、婦人病を患い、治療しても効果はなかった。しかし幸いにも、1996年に崔さんは法輪功に出会い、学んでから病気が完治した。その後、健康を得た崔さんは一層仕事を真面目にやり遂げ、上司にも同僚にも仕事ができる人だと認められた。

 しかし、当局が法輪功迫害を開始してから、法輪功を堅持している崔さんは繰り返し嫌がらせを受け、騒がされ、拘禁され、判決を下され、会社を解雇された。

 一、連行 強制洗脳 拷問 薬物迫害

 2012年9月6日、崔さんは武漢市漢口香港路に住んでいたが、武漢市公安局の警官に家の電気を切られ、ドアを叩かれた。そのため、崔さんは仕方なく家から離れた。

 同年10月16日、崔さんは広州から昆明に行くバスに乗ったが、昆明に到着前の石林駅で武漢市国安(国家安全局)の警官3人に連行された。崔さんは武漢に送還され、江漢区二道棚の「法教班」に送られた。「法教班」で公安局の警官7人はすでにここで崔さんを待っていた。

 その日の夜、警官らは崔さんを深夜3時まで尋問した。その後、崔さんは警官らや外にいた人員6人によって監視され、壊れていたベッドに寝かせられ、汚れて臭い布団を使用させられた。

 翌日、国保大隊隊長・王燕という人がやって来て、責任者だと名乗った。王は崔さんに「我々はお前のことについて、いっぱい調べたからすべてを把握している。お前の案件は大きな案件だ。お前と関係する法輪功の者を皆ここに連れて来るぞ。お前を重刑にしてやる」と脅かした。崔さんは何にも喋らなかった。王また、「今、お前が喋らないと、ある場所に連れて行くぞ。あそこで口を開かないことはあり得ないない」と脅した。

 10月23日、崔さんは断食して迫害に抗議した。午後、湖北省法制教育所(いわゆる洗脳班)に送られた。当直の医者は高血圧220mmgの崔さんの入所を拒否した。しかし、警官は省、市の610弁公室の警官に1時間以上もかけて電話し、入所させるように強引に説得し、崔さんは入所させられた。

这是2010年前汤逊湖湖北省法制中心
 2010年前の湯湖湖北省法制センター

这是2010年后南湖板桥湖北省法制教育所
2010年後の南湖板橋湖北省法制教育所

 崔さんは生前、「私は洗脳班で70日の迫害を受け、痩せこけました。あごが数度も外れそうになって、血圧が200mmg以上で、髪の毛が真っ白になり、記憶力が衰え、身体がいつも震えていました。右手の小指以下が腫れ、ものを掴めません」

 「断食して7日目、私の手足は椅子に縛られ、内容不明な薬物を注射されました。8日目から灌食を始められ、その部屋に警官がいっぱい来て、私の身体を固定して、1メートルほどの太い管を口から挿入され灌食されました。私は『それは拷問ではないか』と問い詰めましたが、『お前、ここが病院だと思っているのか、刑罰だ』と警官に怒鳴られました」

酷刑演示:野蛮灌食
拷問のイメージ絵 野蛮な灌食

 「その翌日の灌食はもっと残忍でした。チューブを口からノドに入れたり出したりを繰り返され、のどから血が出るまでやられました。本当に想像できないほどの苦痛でした。その場にいた警官らは人間性を失い、変態になっており、苦しんでいる私を見て、笑いました。その後、ある警官が私に『灌食のとき、葬儀社の人も来たよ。灌食でお前が死んだらすぐに葬儀社に渡すつもりだったからな。それから、お前が心臓病によって死んだと公に言うつもりだった』と話しました。私はその灌食のせいで、ご飯を食べては吐くという後遺症がでました」

 「私は警官4人に交代で監視され、睡眠を許されなかったのです。警官らに『国保大隊に聞かれたことをちゃんと答えろ』と言われ、また、警官らに『俺たちにはお前を苦しめる方法はいくらでもあるぞ。お前を精神障害になるまで追い込んでやる。信じないのか」と言われ、私は『あなたたちの妄想です』と反論しましたが、ひどく罵られました」

 「数日後、私は法輪功の誹謗中傷の漫画がいっぱい貼っている部屋に連れて行かれ、それを強引に見せられ、精神的に苦しめられました。私は1枚を取って破り捨てたので、警官に長時間立たされました。警官は私の頭を机に押しつけ、タバコの煙を私の鼻に向けって吹き込みました。その翌日も、警官は私を罵って蹴り、綿の服で頭を殴るなどの暴力を振るいました」

拳打脚踢
拷問の再現 暴力を振られる

 「その日から、私の頭がボンヤリしていて、両足に力が入らず、記憶力が悪くなりました。私は食事するとき、部屋から出ることが許されませんでした。監視された人が食事を持って来て、指定され量を食べないといけなかった。ある日、私は指定されたご飯と監視の人のご飯を入れ替えたので、彼女はすぐそのご飯を捨てました。そのことから、私のご飯にいつも薬物を混入されているのではないかと疑い始めました」と話した。

 二、判決を言い渡され 女子刑務所で受けた迫害の実例

 2013年12月20日、江漢区裁判所は610弁公室に操られ、崔さんに対して不法な開廷をした。崔さんは法廷で「法輪功を学ぶことは合法で、この裁判を含む法輪功学習者に対する迫害こそ犯罪です」と訴えた。

 しかし、2014年1月6日、裁判所は法律を無視し、崔さんに懲役5年の判決を言い渡した。

 2日後の1月8日午後、崔さんは武漢市安康病院で判決書を渡された。その場で、崔さんは上訴すると明言した。

 翌日、弁護士は病院で危篤状態の崔さんに会った。崔さんは力を振り絞り声を出して、弁護士に「裁判の前、胃痛、吐く症状がありました。裁判後、流動食しか食べられなくなりました。病院側に地方病院へ検査を勧められました。12月25日、武漢市第十病院で胃カメラの検査を受けましたが、国保大隊の警官に協和病院の証明が必要と言われ、12月30日に協和病院に行きました。国保大隊の警官も一緒に行きましたが、その診断結果を教えてくれませんでした」と話した。

 弁護士は病院の院長を訪ねた。院長は、崔さんは十二指腸狭窄し、通過障害を起こしており、癌の可能性もある。その他に、胆石や高血圧症も患っている。崔さんの流動食の量が少なすぎて、生命を維持することができず、足りていないと話した。

 2014年4月の始め、中級裁判所は原判決を維持するとの結果を出し、崔さんは女子刑務所に収容された。

 4月の中旬、崔さんの家族は刑務所に行き、崔さんとの面会を求めたが拒否された。崔さんは刑務所で強制的に洗脳され、人との接触や会話、家族との連絡(電話、手紙)、買い物など、許されなかった。毎日、ご飯のときも寝るときもトイレのときも、24時間監視されていた。警官の言うことに従わないと、体罰を受けた。また、朝7時半から夜8時半まで13時間の労働を科された。

 崔さんはかつて、2000年5月13日、北京に行き、法輪功の陳情をしたため、懲役3年の実刑判決を下された。武漢女子刑務所の郊外にある漢西大隊に収容された崔さんは、長時間立つ、睡眠の剥奪、吊るし上げるなどの拷問を受けた。そのため、両足の膝以下が腫れ上がり、靴も履けなくなった。毎日、朝6時から農作業の労働を科された。

 さまざまな迫害を受けてきた崔さんは、出所後の19日目の1月1日に死亡したという。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/16/359675.html)
 
関連文章