明慧法会|私の清掃人としての仕事と按排された真相伝え
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 文/中国の大法弟子・袁縁が口述し 同修が代筆

 【明慧日本2018年3月20日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は華東のある行政機関所在地の大法弟子で、今年58歳で、1996年に法輪大法を修煉し始めました。この20年以上の修煉の道で、私は社会の大変動を体験し、今日までよろめきながら歩き、その中で無駄な道を歩んできました。師父の慈悲に感謝申し上げ、ずっと私をあきらめずに導いてくださったことに感謝申し上げます。

 以下では、私自身の修煉過程の中のいくつかの体験を師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 「あなたが数十万元持っていたとしても、私はあなたの世話をしに来ない」

 修煉は第一番目に重要なことであり、それは、真相を伝え人を救うための前提です。

 姑が80歳の時、体に5、6種類の病気がありました。ある時、病院に診察に行くと、医者は私たち家族に「外科手術が必要です」と言いました。そこで、姑の年齢と医療費がとても高いことを考慮して、私たちは手術をしないことを決意し、を退院させました。家では姑に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じるように教えました。は「わかりました!」と言いました。そこで、がいつも念じていると、その結果、お年寄りの病気は消失しました。が90歳になった時、再び病院に行って人間ドックを受けると、医者は驚いて「こんなにご高齢なのに、どうして病気が一つもないのだろうか?」と言いました。は家に帰った後、私に「袁さん、私は今、法輪大法が素晴らしく、真・善・忍が素晴らしいことを知っているので、毎日念じ、さらに寿命が延びるでしょう」と言いました。

 このようにして、姑は私を信じ、私と大法を修煉した後に、心性が向上したことが重なった出来事でした。

 私の夫は夫の両親に対して恨みを持っていたので、自分の母親を「お母さん」とは絶対に呼びませんでした。姑は舅と再婚しましたが、前夫との間に生まれた子供の方がより好きでした。そのため、母親は兄を可愛がりはするが自分のことは好きではなく粗末に扱っている、と夫は感じており、なぜなら、姑は夫を生んで4カ月目の時に、夫を夫の祖父と祖母の家に置いて来てしまったからです。そのため、夫は少年時代に祖父と祖母と一緒に生活しており、両親のそばにいませんでした。また、私と結婚した後に子供が生まれても、姑は一度も私たちに会いに来たことはありませんでした。

 2006年、姑は転んで寛骨を骨折し、孫が仕事をしている地方の病院で寛骨を取り換える手術をしました。そこで、私は自分から地方へ行き病院で姑の世話をし、家に戻ってからも引き続き姑の看護をし、全体で2カ月以上かかりました。床に伏せて起き上がれない高齢の重病人を看護することは、その辛さは推して知るべしですが、私は恨み言を言わず、細心に真心込めて世話をすると、姑は本当に感動してくれました。そして姑は「私は本当にあなたを信じていなかったのに、あなたはよく世話をしに来てくれました!」

 深センに住んでいる兄が帰って来て、私に会いに来て「あなたは母親の世話をしているが、実の娘よりも素晴らしい」と褒めました。そこで私は「私は法輪大法を学んでいます。大法を修煉していなければ、私もここまでやりませんでした」

 2016年6月、姑は血尿が出たので病院に入院しました。そこで、私が姑に「大法は素晴らしい」と念じさせると、姑の病状がすぐによくなったので、姑は「あなたがそばに立って『法輪大法は素晴らしい』と念じてくれさえすれば、私は心地よくなります」

 今年(訳注:2017年)の元宵節が過ぎた後の1カ月余り、私はまた姑の世話をし、日夜看護をしていましたが、実の娘は食事を作り終えるとさっさと帰ってしまいました。ある日、姑は私に「私には数十万元がありますが、それでいいでしょう」。その意味は、私にほうびを与えたい、ということでした。そこで私は「あなたが十数万元持っていたとしても、私は世話をしには来なかったでしょう(その意味は、他の実の息子や娘は「私がお金欲しさに争うように姑の世話をしている」と思っている)。私は一銭だっていりませんよ。お母さん、私は大法を修煉しているので、師父のお言葉を聞いてはじめてこのように行えるのです」。すると姑は「本当にすまないね、あなたは本当にしっかりと学んでいるので、あなたの師父にお礼を申し上げます! 私の両親は私ほどには長生きしなかったけれども、これも師父が私をお守りくださり、寿命を延長させてくださったのでしょうね!」

 重大な事故に遭っても夫が危険を免れたことで、真相を伝え人々を救った

 師父は「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[1]と説かれました。これは絶対に間違いのないことです。

 2016年6月17日、私と夫と息子は朝から出かけて用事を済ませに行きました。6時に私たちは大通りを渡り、私と息子が先を歩き、その後ろを夫が続き、私たちが大通りの向こう側に着いた時、突然後ろから車がぶつかる大きな音がしました。振り返ると、なんと、スピードを上げて突っ走て来たマイクロバスに夫がひかれ、10メートル以上離れた地面に跳ね飛ばされ倒れており、車のバンパーも折れていました。私は夫のところまで走って行きながら師父に助けを求め、大声で「師父、夫を助けてください! 法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。そして、息子は急いで「120番」に電話して救急車を呼びました。

 6、7分すると、顔面血だらけの夫が目を覚まし「ここはどこだ? 何が起きたんだ?」と聞きました。そこで、私は夫が車にぶつけられ、跳ね飛ばされたことを伝えました。30分後、救急車が来て、救助するために夫を病院に運びました。

 夫はすねを骨折し、医者は鉄板を当てました。夫の回復は早く、1週間しないうちに脳水腫の症状が消え、ひどかった顔の傷も消え、かえって血色が良く顔がツヤツヤになりました。家族が夫に会いに来て「重傷の人のようにはまったく見えない!」と言いました。夫は災いを転じて福となし、すぐに回復しましたが、それは大法のおかげでした!

 事件を引き起こしたマイクロバスの運転手は30歳の若者で、2人の子供の父親でした。その日の朝、会社に豚肉を運ぶ途中で、スピードを出していました。その時に人を引くとは思ってもいなかったようです。事故当時、運転手は驚いて震えていました。事故後、運転手の家にたくさんの人が来て、車の運転がめちゃくちゃだ、と皆が運転手を非難しました。運転手のプレッシャーを軽減するために、私は運転手の家族に「彼を責めないでください、彼は年がまだ若く、このような事故を誰も起こそうとは思っておらず、予想していなかったことです。これからは注意して車を運転してくれればそれでいいです」と言いました。私は物事を処理しながら、時間を割いて運転手の家に来た人たちに「『三退』すれば平安が保たれます」と伝え、一人一人に伝えました。

 夫が入院している間、私は日夜看病し、事故を引き起こした運転手の家には頼まなかったので、相手はとても感激しました。私の家の家族は修煉していなかったので、私がこのように行ったことを理解せず「事故の責任を負っている方が看護しに来て、夫の面倒を見るべきだ」と主張しました。しかし、私はとても落ち着いており、なぜなら、この機会を利用して、夫が大法の保護を受けた実例を病院内の患者の家族にも伝え「三退」させ、多くの人に大法のご加護が得られるようにしたからです。

 2016年9月、家に3人の人がやって来て、彼らは地元の政法委員会の責任者と団地の居民委員会(訳注:共産党の最下部組織)、運転手などでした。その人達は、私のこの法輪功学習者の「落ち着き」に触れました。そして、私はこの機会を利用して、その人にも真相を伝えました。私はその人に「師父が夫を救ってくれたこと」や、「師父は人に良い人になるように教えていること」、「真・善・忍に基づいて良い人になり、さらに良い人になること」を伝えました。また、その人に「『三退』すれば平安が保たれ、福が得られる」ことを伝えました。すると、政法委員会と居民委員会の2人の責任者は共産党の党、共青団、少年先鋒隊を脱退し、喜びながら「あなたの家に来たら自分の家にいるような感じで、本当に素晴らしい」と言いました。

 次にお話しするのは、娘が大法を修煉していたので、100歳のお年寄りが大法の福を得た話です。そのお年寄りはいつも孫娘の家で生活していました。2006年、お年寄りはすでに99歳の高齢でした。ある日、お年寄りの娘(私の同修)が突然電話してきて「袁さん、早く来て、母を助けてください」と言われました。

 なんと、同修の母親は病気だったのです。急いでお年寄りの孫娘の家に行った後、同修と一緒に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」とお年寄りに念じるように教えました。念じているうちに、お年寄りの病状は良くなりました。よくなった後、孫娘はお年寄りを老人ホームに入れました。同修は地方に住んでいました。お年寄りが老人ホームに入っている間、同修の母親のために週に1回ミートスープを作って老人ホームに持って、同修の母親の見舞いに行って欲しい、と同修は私に頼んできました。ある時、私は同修の母親に「法輪大法は素晴らしい、と念じることができますか?」と尋ねました。すると、同修の母親は「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 李先生は素晴らしい! 人を苦難から救い出し、人々を救います!」と念じました。後ろの二つの句は、私は教えておらず、同修の母親が自分で付け加えたものでした。

 老人ホームに行くたびに、私は老人ホームの職員と寄宿しているお年寄りに真相を伝え、三退を勧めました。

 大体2008年ごろ、同修の母親が102歳の時、ある日突然ベッドで倒れ瞳孔が開き、舌が短くなって、話せなくなっていました。その知らせを聞いて、私が急いで老人ホームへ行くと、お年寄りは裸でベッドに横たわっていました。看護師が世話をしていましたが、職責を果たしていませんでした。そこで、私はすぐにお年寄りの耳元で大法は素晴らしいと念じ、お年寄りにも心の中で念じるように教えました。そして、急いでお年寄りの娘に電話して戻って来るように言いました。同修は夜中にならなければ来れないということだったので、老人ホームの医者は「間に合わないでしょう、今晩は越せません」。しかし不思議なことに、お年寄りは娘が戻ってくるまで持ちこたえただけでなく、娘が一晩中お年寄りのために「法輪大法は素晴らしい」と念じると、なんと、お年寄りは完全に正常に戻り、その後はまた、健康に暮らしていました。

 お年寄りはあれからさらに6年間も長生きして、天寿をまっとうし108歳の高齢で亡くなりました。

 本職の仕事をして、さらに多くの人を救う

 私は環境衛生の仕事をしています。1999年、中国共産党が大法と大法修煉者の迫害を開始し、2001年、私は大法のために北京へ陳情しに行き、捕まって拘禁されました。その後、私は環境衛生の掃除の仕事を見つけました。しかし、環境衛生部門は法輪功修煉者を差別しており、私には240元の給料しか支払いませんでした。清掃人の給料は280元で、私の給料より40元も多いことを知った時、私は環境衛生局長に会い、610弁公室に行き「あなた達は私を差別することはできません、これは苦労して稼いだお金で、少ないということがあってはなりません。私は悪い遊びにふけったりせず、殺人や放火もせず、ただ真・善・忍に基づいて良い人になるようにしているだけなのに、あなたはどうしてこのように私を扱うのですか?」と伝えました。私のこの勇敢な努力により、少なく支払われていた給料はついに補われました。

 私は多くの場所で清掃員をやったことがあり、文化機構のビルや町内の街道、団地や修理工場などでした。どの場所に行っても、どの場所のリーダーも、人々も、住民も皆、私がしっかりやっている、と言いした。また、私はその人に自分が法輪功修煉者であることを知らせました。私は毎日丸々8時間かそれ以上行い、一時も休むことなく一生懸命掃除を行い、清掃しました。しかし、清掃人の中には、リーダーが来た時だけ仕事をし、リーダーが帰ってしまうと怠けて休憩する人もいました。しかし、私は大法弟子なので、努力をせず小手先にたよってうまく事を運ぶことをせずに、どんなに苦しくも、どんなに疲れていても、8時間休まずに働きました。環境衛生の所長は私のまじめな働きぶりを見て、時には私が仕事をしている場所ではなく、特別に汚い場所や汚い水が多い場所、スイカの皮が多い場所や種子の殻が多い場所を私に掃除させました。私も断わらず、時にはゴミをみだりに捨てていく人の後ろで、ずっと掃除していたこともありました。

 ある日、環境衛生所の所長が表彰会に参加させるため私を環境衛生局に連れて行きました。私は環境衛生所で唯一賞を獲得した清掃人の代表で、さらに、金一封の奨励を受け、市長が私に会いに来ました。ある新聞社の記者が私のために専門に報道を書き、それが新聞に載り、文章のタイトルは『平凡な職場で平凡でない仕事をした』でした。

 ある自動車修理工場で清掃の仕事をした時、ある日、1人の客が修理工場に来て思わず感嘆して「この修理工場は閉めるのですか? どこにこのような修理工場があるのですか? きれいすぎる!」と言ってくれました。

 職場で仕事をする時は正午で仕事が終わるのですが、私はいつも12時半まで仕事をしてから仕事を終えました。職場の事務所や公共の場所で少額の現金や高額の紙幣、高級携帯電話を拾った時などは、私はいつも必ず管理室などの場所に行き、拾ったものを引き渡し持ち主に返すようお願いしました。

 2006年から2009年まで、私はある銀行で清掃員を行いました。銀行長は私に「どうしてあなたはこんなにすばらしく掃除ができるのですか、何人かの清掃人にお願いしたことがありますが、あなたほどきれいではなく、あなたは手を休めずに掃除しています。あなたのリーダーはあなたの給料を増やすべきだ」。そこで、私は銀行長に「私たちの師父は、大法弟子はどこでも良い人にならなければならず、さらに良い人にならなければならない、と説かれました」と伝えました。さらに私は「江沢民が法輪功を迫害していることは犯罪行為であり、いわゆる『天安門焼身自殺事件』は大法に濡れ衣を着せ、罪に陥れています」と伝え、さらに「大法の師父は人を救いにいらっしゃったのです」と伝えました。

 2009年、私がある省の局で清掃人を行うと、私の担当区域が非常にきれいなことをビルメンテナンスの社長が見て私を誉め、私に食用油を送って奨励しました。しかし、私はその奨励を断り、社長に真相を伝えると、社長は大法弟子の境地を目にし、私の話を信じて「三退」しました。そして、社長はその他の清掃人を呼んで、私が掃除した6階と7階のトイレを見学させ、清掃人たちに私を見習うように要求しました。その後さらに、他の階の職員が6階と7階のきれいなトイレを使うようになるという現象まで起きました。

 その後、私はこの局の宿舎ビルに派遣されて掃除をしました。ビルは26階建てで、私は13階を担当し、灰皿の片づけや床掃除、ゴミ捨てなど、13階に住んでいる人は皆私の仕事に満足し、これが私が真相を伝えて人を救う最も良い条件となりました。そして、この局の多くの幹部と家族が真相を知って「三退」し、局長だった人も三退しました。

 私の清掃員としての仕事場所はいろいろと変わりましたが、どこに行ってもだいたい真相を伝える仕事をほぼやり終えると別の場所に派遣されました。そこで私は「これは師父の按排であるかもしれない。また一方では、衆生は私に救われるのを待っているのかもしれない」と思いました。

 私はさらに精進して修煉し、さらに努力して人を救い、師父を安心させます。

 合掌

 注:
 [1]  李洪志師父の著作: 『オーストラリア法会での説法』

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/15/356181.html)
 
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