文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年4月21日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
今日、明慧ネットの明慧法会の原稿募集のお知らせを見て、なぜかわかりませんが私は涙が出てきました。ここ数日、私は生死をかけた戦場から帰ってきたばかりのように、何度も死地を乗り越え、やっと改めて出発できました。
前回、刑務所から出た後、中国共産党の勢力が悔しがり、暗闇の中で私を尾行したので、私は家を離れなければならず、職場を離れ長期に路頭に迷いました。数年間仕事を失い、自由を失いながらも三つのことを行なうことはできましたが、正々堂々と法を実証し衆生を救い済度することはできませんでした。そして、この状態を改めなければならないと気付きました。私は正々堂々と法を実証し、強大な正念を用いて邪悪を除去し衆生を救い済度すべきだったのです。
私は心を静めて「私は李洪志師父の弟子であり、法を正す時期の大法弟子であり、宇宙の護法の神であるので誰も私を動じさせることはできない!」と強大な正念を発しました。それは、師が法を正すことを手伝い衆生を救い済度し、縁のある人を救い済度するために、歩み出さなければならなかったからでした。
私の心ははっきりしており、今回歩み始めるにあたって、職場に行って手続きをするにせよ、警察に行って手続きをするにせよ、私の出発点は人を救うことにあり、その後にはじめて個人の問題がありました。これまでの長い間、警察はずっと私を指名手配していたので、今回職場に行って手続きをすることは危険だったのです。
以前、労働教養所で警察は非常に邪悪で、まるで狂ったかのように私を死ぬような目に追いやり、気を狂わせようとして、さまざまな拷問によって私に苦痛を与え、非常に残忍で非人道的な手段で私の体と神経系統(外傷が残らないように)を傷つけました。現在思い出してもやはり身の毛がよだちます。今回歩みだすにあたっても様々な危険に遭ったらどうすべきか、厳しい現実と生と死の魔難に私は直面しなければなりませんでした。
この数年、共産党勢力による残酷な迫害は人々を非常に恐れさせ、妻(未修煉者)は何度も私に「外では何も言わないように、人に修煉しているかどうか聞かれたら絶対に修煉していると言わないように、絶対に警察に捕まらないように」と私に言いました。家族がこのように恐れた理由は、私が毎回刑務所から出てくるたびに、ほとんど九死に一生を得たような状態で、このままでは生きながらえられるかどうかさえわからないような状態だったからでした。
家族は非常に心配し恐れていましたが、私は自分が何をすべきかわかっていました。
その日、私は妻と一緒に職場に手続きに行きました。すると案の定、次の日に警察署の警官が数人やってきて私を連れて行こうとしました。すると妻は警官たちに「私もいっしょに行っていいですか?」と尋ねました。すると警官は「いいですよ」と言いました。思いもよらなかったことに、か弱い妻は私と一緒に行くことになり、妻の目にはある種の確かな勇気のようなものがにじみ出ていました。
私がつらい思いをしていた時、かつて妻に「あなたは何も言わなくても、私のそばに立って、黙って私と一緒にいればそれでいいんですよ。このように1人ずつ多くなり、1人ずつの力が増えれば、悪人は簡単には私たちを動かせないから」という話をしたことを、忘れずにいたのかもしれません。そして、今回妻は覚悟を決めたようでした。
私たちは警察署に着きました。すると、警官は私たちをまず座らせて待たせました。そこで私は引き続き「私は李洪志師父の弟子なので誰も私を動かすことはできない! 私はここの警官を救い済度しなければならない。ここにあるすべての邪悪な生命と要素をすべて解体する!」と正念を発しました。
私は「どうなろうと必ずできるかぎり警官に基本的な法輪功の真相を伝えなければならず、大法が素晴らしく、大法と大法弟子が迫害されているのだ、ということを警官にわからせて、はじめて警官たちに救われる希望が生まれるのだ」と思いました。
続いて一群また一群と、何回も正邪の戦いがありました。警察署、分局、市局、案件処理センター、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)などの各警察の事情聴取の攻勢が続々にやってきて、立ち直るすきもありませんでした。表面的にはこのすべてが静かに進行しているかのように見えましたが、これが正邪の戦いであることが私にははっきりわかっており、まるで師父が説かれた「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[1]のようでした。私がここに来たのはここの警官を救い済度するためであり、恨む気持ちをもって警官に対するのではなく、私の一念が純粋であれば、この戦いで私は必ず勝つことができます。しかし、もし私の一念が正しくなく、恨む気持ちを抱くか、恐れる心を抱いていたなら、たとえ少しの恐れる心であったとしても再び魔の手に陥るでしょう。旧勢力は虎視眈々と見ていました。
師父は「もちろん、修煉者には敵はおらず、誰も大法の敵になる資格はありません。邪悪を暴露するのは悪行を制止するためです」[2]と説かれました。共産党の警官たちはかつてあんなにも私を殺そうとし、私を死地に追いやり気を狂わそうと、さまざまな拷問を加え私の体を傷つけましたが、警官たちは私の敵ではなく警官たちの背後に邪悪な生命と要素があることを知っていました。私は警官たちの背後にある邪悪生命と要素をすべて取り除き、警官たちを救い済度しなければなりませんでした。
警官たちが私の事情聴取をする時がまさに真相を伝えるチャンスでした。警官たちは尋問調書を取ってから私のサインを求めました。そこで私は「もしその調書が私が伝えた真相の内容であり、大法に反する内容ではなく、大法弟子と衆生に不利なものでなければサインしてもよい」と思いました。なぜなら、これは警官と衆生を救い済度するチャンスであり、警官たちに実名を書いた真相の資料を残すことになるからでした。しかしそうでなければサインするつもりはありませんでした。
どのレベルの、どの等級の警官であろうと、私は一人一人に「法輪功は修煉者に真・善・忍に基づいて修行を積み良い人間になるよう教えており、さらに病気治療と健康保持に不思議な効果があり、法輪功は正法を得る大道であり邪教ではない」と伝えました。特に警官たちに「中国共産党中央委員会事務局と国務院弁事室が正式に認めている邪教は7種(庁字50号公文書)あるが、その中に法輪功がないこと。公安部が正式に認めている邪教は7種(公通字39号公文書)あるが、その中にも法輪功が入っていないこと。ということは、中央と中国政府が正式に認めている明確な邪教は14種類あり、その中に法輪功は入っていないこと。『刑法』第200条も法輪功が『邪教』であるとは明確に規定していないこと」を伝えました。
私は「江沢民は法輪功に『X教』の帽子をかぶせるために、法輪功に対する誹謗中傷を人々に信じ込ませて法輪功を罪に陥れましたが、これはひどい違憲行為です。1999年10月25日、江沢民がフランスの『フィガロ』の記者のインタビューを受けた時、法輪功を『X教』と誹謗中傷し(1999年10月26日『人民日報』第1面)、続いて1999年10月27日『人民日報』がすぐに江沢民に追随し、法輪功を誹謗中傷した特別解説者の文章を発表しました。江沢民と『人民日報』の特別解説者の文章は法律ではありませんが、中国共産党がコントロールする国を挙げての一方的なマスコミはなんと『文化大革命』のように人間性をまったく喪失した政治運動を起こした」ことを明確に警官たちに示しました。
ここまで話してきて、多くの警官が中央の「庁字50号公文書」と公安部の「公通字39号公文書」を知らないことに気が付きました。警官たちは「そうなのか? この文書はまだあるのか? ちゃんと調べに行ってくる」と言いました。そして、うんともすんとも言わない警官もいて何かを理解したかのようでした。
警官を救い済度するために、大法と大法弟子を迫害することに法的根拠はない、ということを私は警官たちに伝え、さらに「第十八期中国共産党中央委員会第四回全体会議の一つの決定」を警官たちに伝えました。そして私は「2014年10月23日、中国共産党の第十八期中国共産党中央委員会第四回全体会議で『法による国家統治の全面的な推進における若干の重大問題に関する決定』が審議採択されました。この中央の『決定』には二つの重要な内容があります。(一)案件の処理に参与する一人一人がその責任を一生負わなければならないという終身責任制という決まり、(二)誤判責任をさかのぼって調べ説明責任を負わせる制度。現在、現政権は『法に基づく国家統治』を強調しているので、現政権を信じる公正な人は違法な犯罪を行なった人を本当に厳しく罪状を調べて必ず処罰するでしょう」と言いました。
私は警官たちに「『罪刑法定主義の原則』は『刑法』の最も基本的な原則です。中央の公文書でも、中国の法律でも、法輪功が『X教』であるとはっきりと規定していません。ですから、大法と大法弟子に対する誤判は将来必ず説明責任を負わなければなりません」と伝えました。
空はすでに暗くなりましたが、正と邪の戦いは続いていました。そして、ある警官が私に「私たちは『法執行センター』に行かなければなりませんが、ちょっと行ってまた戻ってきます」と言いました。
どこへ行こうが私にはすでに恐れる心はありませんでした。私は心に大法を持っており、衆生を持っており「警官たちと縁のある人たちをできるだけ多く救い済度したい」という大法弟子の心からの願いを持っていたからでした。
出口まで歩いて見てみると、妻がまだそこに立っていました。警官たちが私を連れて行こうとするのを見ると、妻の目から思わず涙があふれ出て、悲しみのため声が潤んでいました。私は鼻がツンとして、妻の手をしっかりつかみながら「最後は必ずもっともよくなるから、必ず私を待っていてくれ」と妻に伝えました。すると、私たち2人の動きと妻の悲しそうな顔を見ていた警官が小さい声で「まるで・・・」と一言言いました。
警官は妻に「私たちはすぐに戻ってきます」と伝えました。すると妻は「私もいっしょに行っていいですか?」と尋ねました。すると警官が「乗用車ではこんなに多くの人が入らないので、どうしていいかわかりません」と言いました。この警官は話し振りがとても礼儀正しく「安心してください、彼はすぐ戻ってきますから」と言いました。
「法執行センター」へ行く路上で、私がパトカーの中に座っていると、二つの小さなものがぴかぴか光っているのに突然気づきました。左右に一つずつあり、警官たちが全過程を録画、録音しているようでした。そこで私は「いいことだ、見ている人や聞いている人が多ければ多いほど良い」と思いました。
パトカーの中で私は警官たちに貴州の「蔵字石」について伝えました。私は「石が話しているのです! あの大石を必ず見に行ってください、百度(訳注:中国のインターネット検索エンジン)で検索できます。これは私たち法輪功が行なったものではなく、中国国内で公開されているものです。百度は私たち法輪功のものではなく、貴州も私たち法輪功のものではないので、あの大石は本物です。2億7000万年前の石で、500年前に断裂したときに6個の大きな字が表面に現れました。しかし現在、人々が見ることができるのは前面の5文字、つまり『中国共産党』だけで6文字目は見ることができません。なぜかというと、6文字目は『亡』という字で、6文字目を合わせると『中国共产党亡(訳注:中国共産党滅亡)』になるからです。中国科学院の会員が二度視察し、結論は『自然にできたものだ』ということでした。あなたたちも自分でインターネットで見てみてください」と言いました。
公安局で警官を「三退」させることはうまくいかず、警官たちは最初は静かに私の話を聞いていましたが、しばらくすると「さあ、一服しましょう」と言いました。私の心性がまだ低かったのかもしれず、この方面ではうまく行なえませんでした。そこで、私はただ警官たちにその他の基本的な真相だけを伝えました。
あの警官が言った「法執行センター」とはなんと「案件処理センター」のことで、いわゆる「簡易式」の案件処理センターでした。そして、警官は私に「あなたの案件は二つの結果が考えられます。一つはあなたを家に帰すこと、もう一つは保釈です」と言いました。その警官の意味は、私はすぐに家に帰れるので安心していられる、ということを私に伝えていました。
「案件処理センター」で警官たちは私に対して「簡易式」の全面調査のようなことを行ない、警察署、分局、市局から案件処理センターまで、各警察の事情聴取はこのようにして終わりました。そして、警官たちは私を警察署に連れ帰りました。私は具体的な結果がどうなったのかわからず、ただ引き続き警官たちに真相を伝えました。
すでに時間は遅くなり、最後に2人の国保警察がやって来ました。「案件処理センター」ではすでに何事もなかったのですが、国保警察は悔しがっているようで、警官たちは最後の一手をさしはさみたがっていました。しかし私は「彼らは真相を聞きに来たのかもしれない」と思いました。そこで、私は警官2人に真相を伝え「中国共産党事務局公文書と公安部公文書のx教に関する文書」について伝え「法の番人が法を犯してはいけない」と警官たちに伝えました。
警官たちの態度を見る限り、警官たちは私を自分たちの都合のいい場所に連れていきたがっているようでした。もちろん、私は警官たちについていく必要はなかったので、国保大隊の警官に「あなたたちは私の案件の責任者ですか? あなたたちの名前を教えてくださいますか?」と厳粛に聞きました。しかし、警官は一言も話しませんでした。そこで、私は静かに、そして厳粛に「現在、中央は『案件の処理に参与する一人一人がその責任を一生負わなければならないという終身責任制という決まり』と『誤判責任をさかのぼって調べ説明責任を負わせる制度』を決定しました。あなたは一生、私の案件の責任を負うのですか? それならば、将来必ず責任を取らされるでしょう」と言いました。警官の表情が少し緊張しましたが、やはり何も言いませんでした。しばらくすると、警官たちは低い声で何かを話し始めました。そこで、私の話がすでに警官の背後にある邪悪要素を取り除いたことを私は知りました。
夜中近くになって警官が「行ってください」と言いました。そこで私は「どこへ行くのですか?」と聞きました。すると警官が「あなたの奥さんがずっと待っているのではありませんか?」と言いました。警官たちはそのあとは何も言わずに入り口のところまで私を送り出しました。
私は警官たちに「感謝します、大法弟子を大切にすれば福報があるでしょう」と言いました。
門を出てみると、妻の孤独な影は依然としてそれほど離れていないところにありました。私を見つけ出すと妻はすぐに走り寄ってきて私の手をつかみ、私たちは腕を取り合い、ゆっくりと家に帰りました・・・。
慈悲で偉大なる師父に合掌いたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「世間に向かって輪を回す」
(明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)