【明慧日本2018年4月23日】吉林省松原市乾安県の法輪功学習者・楊宝森さんは懲役10年の実刑判決を受けた。同省の公主嶺刑務所に9年間拘禁され迫害を受けてきた楊さんは、2018年2月27日に公主嶺市センター病院で救急手当を受けた後、再び刑務所に戻された。3月7日、気息奄々(きそくえんえん・息が絶え絶えになり余命が幾ばくもないようす)の楊さんは治療のため、仮釈放されたがすでに歩けず、話すことも困難だった。そして、4月7日の3時に死亡した。享年61歳であった。
2018年3月3日、楊さんは吉林市人民病院に搬送されたとき、内科で胸部のCTで検査し、「感染性肺疾患、二次結核の疑いあり、右肺の上葉に空洞あり、心嚢液貯留、胸水あり」などと診断されたが、入院を拒否された。それで、楊さんは長春市新康病院に送られ、入院した。3月4日、家族は病院に行き、楊さんの病状を聞くと、「ご飯を食べられないので、栄養剤を与えている」と教えてもらった。
その後、楊さんは3月7日、仮釈放されて帰宅したが、刑務所の警官や長春市司法関係者、乾安県司法関係者らは仮釈放の手続きをするという理由で、楊さんの家に来て騒ぎ立て、さらに乾安県第二派出所の警官らも家に来て、写真を撮るなどして騒いだ。
楊さんは2008年12月23日、自宅で地元の宇宙路派出所の杜学明など数人の警官らに、無理やりドアを抉(こ)じ開けられて入室され、連行されて家宅捜索を受けた。そして、派出所では楊さんは拷問を加えられ、10本の足指の爪が全部、警官に鉄パイプで打たれて浮きあがった。それに加え警官は真冬だというのに、冷水を楊さんの全身に浴びせかけ、そのまま楊さんを室外へ連れ出した。そして、酒を飲まない楊さん口の中に酒を無理やり注ぎ入れた。迫害により楊さんは下半身が紫色に腫れ上がり、歩行が困難になった。
2009年3月末、乾安県裁判所は家族に開廷のことを通知せず、弁護士を雇うことが出来ることも知らせず、秘密裏に楊さんともう1人の法輪功学習者・宋生さんに対して不当な開廷をした。それで、法廷で楊さんは自己弁護したが、裁判長は楊さんの自己弁護は無効だと言い出し、楊さんに懲役10年、宋さんに懲役12年の重刑を宣告し、裁判を早々に終わらせた。その後、やっと、判決書をもらった家族は松原市中級裁判所に上訴したが、中級裁判所は省の高級裁判所の圧力の下で、2回も裁判を延期した。最後には公開して開廷することもせず、原裁決を維持するという結論を出した。
2009年5月6日、楊さんは公主嶺刑務所に収容された。刑務所で楊さんはベッドに縛られ、スタンガンで電気ショックを加えられた。それに数年間、楊さんは手のひら大の小さな椅子に長時間座らされたり、真冬に冷水を頭上から浴びせられるなどの拷問を受け、迫害された。
2013年4月から楊さんは六監区の教導員に「厳格管理隊」に入れられた。それから、七十数日にわたって、楊さんは毎日、小さな椅子に座らされて、上半身を真っ直ぐにさせられた姿勢を強いられた。また、少なめのお粥しか与えられず、満腹になったことはなかった。その後、六監区に戻された楊さんは法輪功の功法を煉ったため、再び「厳格管理隊」に送られた。「厳格管理隊」で楊さんは警官らに4本のスタンガンで、同時に電気ショックを与えられたため、胸、背中、太ももが焼け焦げ、傷だらけになった。
楊さんは「抻床」(ベッドで四肢をそれぞれの方向に引っ張り、吊るし上げる)で、1週間縛られたことがある。それで、健康状態が悪化した楊さんは公主嶺刑務所病院に送られたが、病院でも手足をベッドに1週間縛られた。
2018年2月27日朝8時過ぎ、楊さんの家族は刑務所から「楊宝森は意識を失った。今から公主嶺センター病院に送る」という電話を受けた。
そして、家族は当日の10時半に病院に駆けつけた。楊さんは脳のCTと胸部のCTを受けたが、検査結果が出ないうちに、すぐさま強制的にまた刑務所に戻された。
家族は病院で検査結果を待っていた。検査で「小脳の萎縮、肺結核、肺空洞、肺感染、肺の炎症、糖尿病」などがあり、重い病状だと医者が説明した。
2月28日の面会の日、家族は9時過ぎに刑務所病院で楊さんに会った。楊さんは言葉が流暢に喋れず、顔が赤くて、点滴を受けていた。そして、家族は院長と交渉して、治療のための仮釈放を求めたが、その条件を満たしていないという理由で断られた。
しかし、身体の状態が悪化した楊さんは3月3日、人民病院に搬送されたが病状が重くて、入院を断られ、長春市新康病院に移送された。
3月7日、やっと治療のための仮釈放ができた楊さんであったが、すでに瀕死の状態にあった。そして、4月7日にこの世を去ったという。