真・善・忍を信じ 息子は新しい膝蓋骨ができた
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 文╱中国の大法弟子

  明慧日本2018年5月9日】

 息子の難病は治療が出来ない

 息子は6カ月の時、わきの下に紫のしこりが出来ました。息子を病院につれて行くと、医者から「毛細血管が破れただけですから、大丈夫です」と言われ、私もさほど気にしませんでした。

 しかしその後、息子の体に紫のしこりがますます多くなり、おしりにも卵大よりも大きなしこりが出来ました。私と夫は地元の医者を家に呼んで、診察してもらいましたが、医者は「瘡(そう・はれもの。できもの。かさ)ですね。湿布を貼れば大丈夫ですよ」と言われました。しかし、湿布を貼っても効き目がありませんでした。

 私達は怖くなり鄭州市の大病院に行きました。採血をして検査をして専門医に見てもらいました。しかし、「稀な血液型で輸血が困難なため、手術が出来ない」と言われました。医者が「整体の施術を受けましょう」と言われ、息子の足が変形するまで施術を受けました。私達はあの手この手を試し、祈祷師までお願いしましたが、やはり治りませんでした。

 北京にも行きました。医者は治療が難しいと言って、他の人から採血した血液と比較をしましたが、やはり治療が出来ないとの結論でした。仕方なく、私達は家に帰って来ました。

 ある日、ある仏教徒が息子が歩けず地面で這っているのを見て、「仏教を信じなさい。仏教を信じれば、息子さんの病気は治る」と言われました。そこで、私は息子と一緒に仏教に帰依(きえ・仏や神などすぐれたものを頼みとして、その力にすがること)しました。私達はお香を上げ、叩頭をし、尼僧を家に招いて災難から免れるよう、読経をしてもらいました。私達一家、そして親戚全員も寺に行き、仏様にお願いをしました。しかし、息子の病気は治りませんでした。それからというもの、私は毎日涙を流してひどく落ち込み、家に引きこもってしまいました。

 法輪功を修煉して、息子は新しい膝蓋骨(しつがいこつ)ができ健康になる

 1997年11月のある日、実家に帰ったら2番目の姉も来ていました。姉は「法輪功を習ったらどうですか?」と勧めてくれました。当時、母も病気で字が読めず、母はいつも孫娘に大法の本を読んでもらっていました。その日の夜、姉は私達に法輪功の功法を教えてくれました。第二式の功法の「腹前抱輪」(おなかの前に法輪を抱く)を煉った時、私の左手の掌に法輪が急速に回転をしていて、掌がとても熱くなり、言葉で表現できないほど気分が良くなりました。それから、私と息子は修煉を始めました。息子は7歳で学校に入った時、私は「息子よ、学校に行きなさい。師父はあなたの体を浄化してくださいました」と言って、息子を送り出しました。

 息子の足は片方が太く、片方が細く、しかも、膝蓋骨(しつがいこつ・三角形の骨で、大腿骨に繋がっており、膝の前面を保護して、人体の中では最も大きな種子骨である。その形状から、膝の皿とも呼ばれている)がなくなりました。それから、息子の足が一度痛くなれば膝蓋骨が少し膨らみ、それからまた、一度痛くなれば膝蓋骨がさらに膨らみ、しだいしだいに新しい膝蓋骨が出来上がり、正常な足になりました。

 ある時、師父は息子の頭を浄化してくださいました。夜、息子の頭がボールのように腫れましたが、3日後にすっかり良くなりました。またある日の昼頃、息子がウトウトしていると、1人の人が注射器を持って、彼の体から採血をしているのが見ました。師父は息子の血液を入れ替えて下さったのです。師父は再び息子の体を浄化してくださいました。

 その後、息子は3日間も食事が喉を通らず、ずっと熱が出ました。3日目の夜、息子はご飯を少し口にして、叔母が買ってくれた乳酸菌飲料を1本飲むと、血の塊を吐き出しました。翌日、息子はすっかり元気になりました。師父は息子を救ってくださいました。

 真・善・忍の基準で自らを律する

 1999年7.20、江沢民は法輪功を弾圧し始めました。法輪大法の素晴らしさを知っている私はちっとも怖がらずに、人に会う度に「法輪大法は素晴らしい」と伝えました。派出所の警官が家にやって来ると、私は警官らにも息子の病気のことを話し、大病院でも治療できなかった病気が法輪大法を習って完治した、と話しました。

 ある日、自転車に乗って出かけました。歩道を走っている時、道端に止まっていた車のドアが突然開き、私の自転車に接触し転倒しました。車の中の人は私が彼からお金を巻き上げるのではないかと恐れて、車から1歩も出て来ませんでした。私はゆっくり立ち上がって、彼に「私は法輪大法の修煉者です。あなたからお金を巻き上げることなどしません。安心してください」と言って、彼に大法の真相を話しました。一緒に乗っていた彼の母親も真相を聞き、親子揃って三退をしました。

 息子は帰省して父親の所に行きました。常人の中にいると、息子は法を習うのも、煉功するのも疎(おろそ)かにしていた結果、足がまた痛くなりました。父親が電話で事情を話してくれると、私は早く息子を叔母の家に送るように頼みました。叔母も修煉者ですので、すぐに息子に法を習わせました。私も自分の心性に問題がないかと探し、息子に対する情を放下していなかったことに気付きました。息子は家に帰ってからも法を習い、煉功をし、しばらくすると病気は良くなりました。

 最近、私の歯が痛くなり、痛くてたまりませんでした。内に向けて探し、自分の闘争心、怨恨心、嫉妬心などを見つけました。母は体が弱く家でテレビばかりを見ており、私はそんな母を変えようとして、大法を修煉させようと執着していました。原因が分かれば歯の痛みもなくなりました。

 息子は店舗を借りて商売をしています。今年になって、息子はその店舗を譲渡しようと思いましたが、しかし、費用が想像以上にかかることが分かりました。大変困った時、今まで、大法を認めていない息子の嫁が「師父に線香を上げて、師父にお願いしましょう」と言いました。最近、息子の嫁は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じるようになり、そして、「夫の体に起きた奇跡を見て、大法を信じざるを得ません」と言うようになりました。ある日、彼女はお腹の調子が悪くなり「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じると、とても早く元気になりました。

 苦難の中で 真・善・忍を固く信じる

 夫は私が最も彼を必要としていた時に、私と離婚しました。当時、娘は16歳、息子は13歳でした。私は本当に離婚したくありませんでしたが、しかし、彼はすでに他の女性と暮らしていました。師父がおっしゃった「百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看 る 世上の苦に堪え得れば 世を出ずれば是れ佛陀」[1]を思い出しました。自分の運命がそのように按排されているとすれば、私はその情を修めなければならないと思いました。私は彼に対して何も怒りませんでした。彼に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と知ってほしいと思ったからです。

 嫁ぎ先の人は皆法輪大法の素晴らしさを知っていて、全員三退をしました。私もずっと師父がおっしゃった真・善・忍の基準で自らを要求し、利益の前で人と争わず、「円満となって佛果を得る 苦を嘗めるをもって楽とす 身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し 関という関は全て闖えるべし いたる処すべて是れ魔 百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る 世上の苦に堪え得れば 世を出ずれば是れ佛陀」[1]と念じながら、この人生の難関を乗り越えて来ました。

 師父は人を救うためにやって来られました。私は師父の弟子ですので、しっかり師父が求められた三つのことを行い、もっと法を習い、煉功をし、発正念をして、もっと多くの人を救いたいと思いました。三退を勧める時、私はいつも息子の病気のことを例にして、話せば話すほど元気いっぱいになりました。私はすべての人に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えてほしいと願っています。そして、多くの縁のある人達が三退をしました。

 本当に師父に感謝いたします! 我が一家を救ってくださった大法に感謝いたします。私はただただ、しっかり修め、しっかり三つの事を行い、師父のご恩に報いたいと思います。師父に感謝いたします!!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/10/363971.html)
 
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