明慧法会|世の人々を身内として 常に人を救うことを念頭に置く
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 文/河南省の大法弟子が口述し 同修がまとめた

 【明慧日本2018年5月17日】慈悲深く偉大なる師父、こんにちは! 大法の同修の皆さん、こんにちは! 私は今年69歳で、1997年5月に法輪大法を修煉し始めた古い大法弟子です。私は1日も学校へ行った事がありませんが、1999年の年末から2001年の正月まで、13カ月の時間をかけて『轉法輪』を読みました。法輪功を修煉した後、それまで患っていた肝炎、胆石、胃潰瘍、眼病、お産による全身のむくみなどの十数種の疾病が薬を飲まずに治りました。長年薬を飲み続け病気に取りつかれていた人間、薬ばかり飲んでいた人間から、医者に診てもらうことのない無病で全身が軽い健康な人間に変わったのです。私は心から師父に感謝し、私の命を救ってくださった大法に感謝しています。

 今まで修煉してきて、1日も学法煉功を休んだことがありません。私は進学したこともなく、もともと一文字も知らなかったのですが、この徳の高い大法を確信することで、『轉法輪』を読むことができました。それは100パーセント師父と大法を信じることによって、関と難を突き破り、確固として師父が按排してくださった修煉の道を歩み、師父のお手伝いをして人を救ってきたからです。

 1、進学したことがなくても『轉法輪』が読めた

 私は1日も学校へ行った事がなかったので、字がまったくわかりませんでした。迫害前、集団学法の時、他の人が読んでいるのをただ聞いているだけか、あるいは師父が法を伝えるビデオを見たりもしましたが、それだけで心地よかったのです。後に学法環境が破壊されたので、毎日、師父が法を伝える数本のテープを聞きましたが、聞く前も後も集中できず、時には聞きながら居眠りをしてしまいました。師父の新経文や明慧資料などは、字がわからない私には読むことができませんでした。そこで「字をマスターしたらどんなにか素晴らしいでしょう! 読みたいだけ読めるし、時間がある時にいつでも読めるのですから」と思いました。

 しかし、私にも字がわかる時が来たと師父が按排してくださったのだと思いますが、その頃、ずっと字がわかるようになりたいと思っていた。毎日『轉法輪』を抱えながら、本の上の字を見ていましたが、まったく手も足も出ませんでした。しかし、師父が悟らせてくださったのですが、師父が法を伝えるビデオを見ながら『轉法輪』と照らし合わせると、ある部分は本と本当にぴったり合っていました。しかし、『轉法輪』だけを単独で読むと、やはりさっぱりわからず、字がわからなくなってしまいました。

 私は「誰に対しても教えを乞うのを恥としない」と決心しました。家族、隣人、同僚、小学生など、会った人には教えを乞い、昼間学んだ単語を、夜にビデオで照らし合わせながら読み、読めなければ寝ませんでした。1999年の年末から2001年の正月まで、13カ月間の時間をかけて私は『轉法輪』を読み通しました。その後は、『明慧週刊』や真相資料など、何でも読めるようになりました。今は、師父の数十冊の経文を何回も読み、十数回読んだ経文もあり、三つの『洪吟』の詩もたくさん覚えました!

 字がわかって行く過程では、何度も眠れない夜を過ごし、何度もつらい涙を流しました。そして、夫からの罵倒され、いやみを言われ、いやがらせなどの苦痛を何度も正念で制止しました。さらに字がわかるように師父の法身が手伝ってくださった不思議な体験は、紙数に限りがありますので、ここでは多くは話しません。

 2.大法を信じれば 修煉は動揺しない

 『轉法輪』という本は宇宙の法理ですから、読めば読むほど集中していきます。最初はいつも「真・善・忍」という3文字を覚え、心を修め良い人になろうとしました。

 1997年5月、煉功を開始して少し経ったある日、突然、一昼夜高熱が出て、高熱のために意識がぼんやりし、飲まず食わずになりました。次の日の朝、熱は引き、全身大汗をかき、水浴びをしたようになりましたが、体中の不快な病状はすべて消えていました。それ以後、1粒の薬も飲まず、一度も医者にかからず、30年以上私の体を苦しめた根深い病気は、いつの間にかなくなってしまいました。私は師父の写真の前で感動して喜びと感謝の涙を流し、「師父! 師父は私の命を救ってくださり、命の恩人ですから、今後どんな危険や困難があっても、たとえ天変地異が起きたとしても、大法を堅く修め続けます!」と涙ながらに訴えました。このゆるぎない決心とその一念を持つと、師父の法身がいつでも加護してくださいました。

 1999年「7.20」、大法は中国共産党の迫害に遭いました。当時、私が働いていた工場にいた十数人の大法修煉者は洗脳班を設置され連行されて行きましたが、私は行きませんでした。工場長が門口まで私に会いに来て「煉功しないという保証」を書かせようとしました。そこで私はゆるぎない口調で「私は字が書けないし、また何の保証も書けません。煉功させないですって? 煉功せずに私が発病しないことをあなたは保証できるのですか? もし私の病気が再発したら、あなたの家に住まわせてもらえるのですか?」。当時、「煉功前、私の病気が深刻だった時、顔が腫れて目は1本の線になり、足は腫れ続けていた」ことを工場の誰もが知っていました。そのため私の話を聞くと、工場長は去って行ってしまいました。

 私に話が通じないと見てとった工場長は私の夫に会いに行きました。夫は技術担当の副工場長で、私は3人の娘を産みましたが、息子は産んでおらず、夫がずっと私を見下していたのを、工場の人はみな知っていました。夫は会議の席上で「妻は文盲で、出かけた時にトイレでさえ見つけられないのに、何が学べるというのですか? いっそのこと彼女のことを取り上げて重要視する必要はありません!」と態度を表明しました。これ以降、誰も私に関わらなくなりました。後に、私が妨害を受けないように師父が夫の口を借りて保護してくださったのだ、ということを悟りました。

 煉功する場所がなかったので自宅で煉功しました。集団学法もなかったので、師父の講義録のDVDを3セット頼み、さらに再生機とDVDプレイヤー、MP3プレーヤーを買いました。毎日家で、師父の講義録を3~5講聞きました。中国共産党の迫害が最も激しかった日々の中で、度重なる困難を克服し、夫の暴力による迫害と外来からの邪魔をじっとこらえながらも、学法と煉功を途切れさせたことはありませんでした。

 3、法を念頭に置けば 真相を伝える時の恐怖心はない

 2001年4月、その頃、私たちの地区には資料拠点がなかったので、真相を伝えるのも舌先三寸でやらなければならなかったのですが、私は口下手で何かを言葉にするのが下手でした。ですから最初は自分の身をもって受益した内容で法輪大法の素晴らしさを伝えていました。『明慧週刊』を見ると、交流文章の中で「正念で場を清め、他の空間における旧勢力の妨害要素を排除する」と言っていました。電車や輪タク(訳注:自転車式のタクシー)に乗っている時や人々の間を歩いている時、発正念の口訣や「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい!」を心の中で繰り返し念じました。しかし数日後、効果が良くないことに気が付きました。なぜなら人は私に「何をやってるのですか?」と聞くからです。そしてその時、私が返答できないからです。このような時、師父が説かれた「今になって、なぜわたしがいつも皆さんに本を多く読むようにと言っているのか、皆さんもよりはっきりと分かったでしょう! 法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]を思い出しました。

 字がわかるようになってから、毎日少なくとも1~2講の法を読み、さらに師父の新経文と『明慧週刊』を読み、昼間読めなかったら夜に補いました。私は真剣に学法し、その場限りのいい加減なものにせず、毎週少なくともグループ学法に3回参加し、他の人が読む番の時は、私も黙って一緒に読みました。毎日1食抜かすことはできましたが、法を1講少なく学ぶことはしませんでした。よく法を学ぶことで『轉法輪』の中の法理を悟り、そうしてはじめて人々の疑問に対して、スラスラと答えることができるのです。ある人が「あなたは法輪大法が良いと言いますが、それならなぜ共産党は修煉させないのですか?」と聞かれた時、その人に「法輪功は徳の高い大法で、宇宙の特性『真・善・忍』に従って心を修め良い人間になるように教えています」と伝え、さらに、江沢民の政治集団が法輪功を誹謗中傷した嘘を暴露しました。

 十数年来、真相を伝える時の恐怖心はなく、知り合いであろうと、見知らぬ人であろうと、人に会えば真相を伝えました。たまに心の状態が悪い時は通報しようとする人に出会ってしまいますが、いつも心の中に大法があり、正念を持ち正しく行えば、師父はいつも私が無事に危険を免れるようにしてくださいます。

 4、人を憎まず慈悲を修めて はじめて人を救うことができる

 慈悲心とは口先で言うだけのことではなく、心性を修めることによって得られるものです。慈悲を修めたければ、まずは人を憎まない事です。

 修煉前、私は慈悲心に欠けており、人を憎んでばかりいました。学校に通わせてもらえなかったために、自分に教養がないことで両親を恨み、不幸な結婚で嫁ぎ先を間違えたことを恨み、舅と姑の心が正しくなく夫が私を虐待することを恨み、息子が生まれないために夫からのいじめを受けたことで、天が私に対して不公平だと恨みました。前半生は恨みの中で過ごし、そのため食べられず、眠れず、まだ年を取っていないのに体は全身が病になり、恨みの涙は本当に目を見えなくし、40歳にならずに糸を通す針の穴がはっきり見えなくなりました。

 大法を学んだあと、師父は「いかなることにも因縁関係があり、偶然ではない」ということをわからせてくださいました。良い夫に出会わず、息子に恵まれず、お金がないのはそうなるように運命づけられていたのです。夫や舅姑が私によくしてくれないのは前世で夫や舅姑に借りがあったからです。借りがあれば返さなければならず、その天理こそ正義なのです。そこで私は今までの恨みを越えて、積極的に両親を家に住まわせ、両親のためにおいしい料理を作ってあげると、両親は感動して何度も涙を流しました。

 舅がなくなった後、80歳で自分で生活できない姑を引き取って世話をし、姑の体や頭を洗ってあげ、下の世話をしました。修煉後に身心ともどもに私に大きな変化が起こったのを姑は見て、いつも「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じていました。数十年間患っていた肺結核が完治し、認知症も大きく好転し、姑は90歳代で病気をせずに天寿をまっとうしました。夫の5人の弟を含む数十人の人達が当初から大法を全く理解しなかった態度が変わり、20人以上の人がすでに中国共産党の党、共青団、少年先鋒隊を脱退しました。

 3人の娘と娘婿、それに孫と孫娘は早くから中国共産党の全ての組織を脱退しました。娘婿の1人は警官で、私がいつもその娘婿に真相資料を見せていたので、娘婿は真相を知ると、二度と大法弟子への迫害に加担しなくなり、さらに何度も密かに修煉者を保護しました。娘婿は善行により福報を得ました。娘婿の両親は共に70歳代ですが体は健康です。そして娘婿には息子さんと娘さんが1人ずついるのですが、2人とも聡明でかわいらしいのです。さらに今まで名が出るようなことがなかった若い巡査は、ある地方の市の警察署の署長に昇任していきました。

 もともと私は田舎町の出身で、代々田植えをして生計を立ててきました。若い時の夫はハンサムで聡明で、1970年代の初めに労働者の募集によって街へ行き、その後、技術担当の工場長になりました。夫には浮気相手がいて長い間家族のことを顧みなかったので、私は80年代末に街に出て夫を「監督」することにしました。するとしばらくして工場がつぶれ、夫は自分で仕事を請け負うようになり、その後また行政機関の所在地の都市に行って工場を設立しました。事業は成功し、財布が膨らむと周りにいる女性も増え、2号さんと3号さんは秘書兼愛人になり、私のことは振り向きもせず、ちょっと気に食わないと私と派手にやり合いました。夫は外で工場を設立したので、もともと家に住んでいた「愛人」は夫を連れて来ることはできず、祝祭日にだけしか「夫に会う」ことはできませんでした。愛人たちは夫に代わって私を監督し、私が外で真相を伝えに行くと、その晩に夫は電話で私を罵りました。そして家に帰って愛人からの告げ口を聞くと、私を殴ったり罵ったりしました。

 私は学法して、それが夫との因縁であることがわかりました。修煉者は情欲に対して冷めた見方をするのですから、着々と欲を絶つのです。常人を見てみると、情欲と金銭のために争い、前世から負わされた債務だらけとなって苦しくなるのですが、それは常人たちが生々世々に犯した業力により、もたらされたものなのです。ですから私はもう他人を妬(ねた)んだりせず、逆に憐憫(れんびん・ふびんに思うこと。あわれみの気持)の心が生まれました。

 初め私は人を選んで真相を伝え、愛人たちは救いたくないなどと思ったりし、時には嫌悪する心が生まれました。その後、師父が経文の中で「自分の敵を愛することができなければ、圓満成就することはできません」[2]と説かれているのを拝読しました。そこで憎しみを放下し、自分が植えた野菜をいつも愛人たちに食べさせ、困っていたら助けてあげ、相手が急にお金が必要になると愛人にお金を貸してあげました。機会を見つけては愛人たちに法輪功がぬれぎぬを着せられた真相を伝えると、愛人たちは真相を理解し、三退しただけではなく、夫に私のことを知らせることはしなくなりました。愛人の1人の「おしゃれな娘さん」は感動して涙を流しながら、「お姉さん、お姉さんの話を私は信じます、私に対するお姉さんの態度は法輪功が素晴らしいことを十分に証明できます!」

 私が真相を伝えようとしても夫はずっと聞こうとせず、ある時、夫が苦痛で耐えがたかった時、脱党するために自分の名前をいやいやながら書きましたが、後になってその脱党を認めませんでした。行政機関の所在地の都市に設立した夫の工場は今にも潰れそうになり、夫本人は高血圧や冠状動脈心臓病、さらに性病などを患いました。行政機関所の在地の都市にいる2人の娘は仕事のため夫の面倒を見れないので、私は夫の以前の過ちを越えて、夫を地元に戻らせて治療のために入院させました。毎日5、6回、夫のためにご飯を運び、丹精込めて介護しました。病院は家から4キロ離れていましたが、真相を伝えて人を救うために、雨の日以外は基本的に毎回歩いて行きました。夫は1カ月あまりずっと入院していたので、病院と病院の付近で100人以上に三退を勧めました。

 5、正念が十分であれば たくさんの人を救うことができる

 全世界で4回の正時での発正念を師父が要求された後、毎日十数回正念を発し、少なくても8、9回は正念を発し、全世界での4回の正時での発正念は一度もやり残したことがありません。最もやり逃してしまいそうなのが夜12時の発正念ですが、私は毎日10時55分から静功を始め、続けて発正念をした後に寝ます。毎回発正念は長ければ1時間、短くても15分間行います。時には、昼間は正時になれば正念を発し、十数年がまるで1日のようです。これらはすでに習慣となり、家事を行っている時や菜園で作業をしている時、歩いている時など、いつでも正念を発しました。毎日、人を救いに出かけていく前に、家で15分から30分間正念を発するのですが、たまに正念が足りないと雑念が多くなり、三退を勧める効果が悪くなります。三退を勧める中で、師父が説かれた「大法弟子の正念は威力あるものである」[3]を実際に悟りました。

 毎朝起きて煉功をした後の第一念は「今日は多くの人を救わなければならない」でした。親友、同僚、隣人には2008年より前に一度真相を伝えており、中には何度も伝えた人もいました。私が働く工場では、副工場長、会計係、出納係など十数人(工場の中に住んでいない2人を除く)はみな三退しました。その中の1人の副工場長は、大法が迫害に遭った後、一度も見かけなかったので、その副工場長の住所を調べて副工場長のお宅を訪問して三退を勧めようと思ったのですが、副工場長はガンで亡くなったと聞きましが、副工場長はまだ40歳代でした。私は本当に副工場長を悲しみ惜しむとともに後悔し、さらに時間を大切にして、急いで人を救わなければなりませんでした。

 工場内をローラー作戦(  片っ端から ・ 丹念に ・ 徹底的に )で真相を伝えた結果、50歳代の李工場長は何度真相を伝えても三退せず、資料も受け取ろうとしませんでした。その数日間に、いつも李工場長に向けて正念を発し、李工場長の体に憑いている邪霊を取り除きました。また、私の目の前に連れて来てくださるように、師父に加持をお願いしました。すると次の日の正午、工場の門の所で本当に李工場長とばったり会い、微笑みながら目の前で「李工場長、こんにちは!」とあいさつしました。李工場長は喜んで私に「こんにちは、あなたの体はますます健康そうですね!」。そこで私は「ええ! 嬉しいお言葉をありがとうございます、大法のおかげで今日があるのです」。すると李工場長は「知ってます、知ってます、大法が素晴らしいのだからあなたは家でしっかり煉功してください、外に出て大法のことを話してはいけませんよ」

 真相を知らないために李工場長には恐怖心が存在していると見て取り、李工場長に「法輪大法は佛法で、大法弟子は『真・善・忍』に従って心を修め良い人間になろうとしています。憲法に違反せず、法も犯しておらず、法輪功を邪教と定めたり、『天安門焼身自殺』などはみな江沢民が法輪功に濡れ衣を着せ罪に陥れ、民衆を扇動し法輪功を憎ませたものです。この十数年にわたる大法に対する迫害はとんでもない冤罪事件なのです。いまのところ迫害に追随した悪人の首魁である薄煕来と王立軍はすでに判決を受け、その後ろ盾である江沢民と周永康も、もうすぐ訴えられるでしょう」と伝えました。すると李工場長は私の話を真剣に聞いていました。

 その後、李工場長は会議に行かなければならなかったので、私に手を振り「また今度話しましょう!」。そして、私は粘り強く行い、新年に贈り物を持って李工場長の家に行って新年のあいさつをし、『共産党についての九つの論評』などの真相資料を渡しました。その後は、李工場長に会うたびに真相を伝えました。2014年の秋になり、李工場長の息子さんがお嫁さんをもらったので祝儀を包み、この時は李工場長夫婦2人に、息子さんと娘さん一家4人が皆「三退」しました。数えてみると、この李工場長に真相を伝えたのは10回にとどまらず、李工場長に対して発した正念はもっと多かったのです。

 2014年の年末までに、娘と姑の2家族、親類と友人、同僚、隣人がほとんど三退しました(一部は同修と協力し合い真相を伝えました)。いったい何人三退したのか、よく覚えていませんが、多い時には毎日2、30人、少ない時でも2人か3人は三退しました。三退した人が多くても歓喜心は生じず、三退した人が少ない時は内に向かって原因を探しました。

 真相を伝え人を救い始めた時は、時間と競争するために、人力の三輪客車からタクシーや電気三輪客車まで乗り、5毛だろうが、5元だろうが、運賃がいくらだろうと構わずに乗り、値引き交渉をしたこともありません。なぜなら、三退するようはっきり説明することが目的だったからです。ある時などは、客車に乗ったら数分で三退し、客車を降りたらまた縁のある人を探しましたので、1日このように行うと、ある時は乗車賃が数十元にもなりました。はじめは親友の家に行って真相を伝え、常人の利益心に従ったので、私は本当に何も持たず行くようなことはなく、1かたまりの肉や1包みの卵、それにお菓子か飲み物などを手みやげに持って行きました。その頃、毎月の退職金は100元余りでしたので、数日で使い切ってしまうこともあり、時には生活費さえなくなりましたが、平気でした。人々の災いを除くためにお金を使うことは命を買うことですから、お金を使う価値があるのです!

 2013年から、街の近くの家から10キロ離れた町の外れまで行って真相を伝え始めました。始めはバスや輪タクに乗っていましたが、今は歩いて行くようになりました。なぜなら、歩いていると縁のある人に出会うことがあるからです。真相をまだ伝えていない人やまだ真相を知らない人は、みな縁のある人ですから、知り合いだろうが見ず知らずの人であろうが、私はその人たちを救いました。

 ここ2年は、小学生(中学生や高校生も含む)が真相を伝え、三退を勧める重点となりました。なぜなら、若い生命が尊いと感じたからです。金曜日の午後5時と月曜日の朝7時前に、中学校の校門で地方から通学してくる生徒を待つのですが、ここはいつも守衛がいるので入って行くのが難しいのです。そこで、午後2時と5時前に、数か所の小学校の校門で通学してくる児童や下校する児童を待って真相を伝えると、児童たちは真相を聞くと普通は受け答えてくれます。私は字が書けず、名前を付けられないので、児童は自分で私のノートに自分の仮名を書きました。この数年来、ノートを3、40冊と、(手のひらに収まるくらいの大きさの)シャーペンを十数本買いました。最初は1日か2日おきに三退名簿を提出していました。今は毎週『明慧週刊』などの資料を取りに行った時に、三退名簿を資料拠点に提出しています。多ければ毎週30人前後、少なくても5~7人分の名簿ですが、今まで名簿を持たずに、空手で資料を取りに行った事はありません。

 執筆者(訳注:この文章をまとめた同修)の感想

 姉さん(訳注:この文章の主人公、以下・Aさん)は私の地区で非常に多忙で有名な人です。毎日、グループ学法に参加するか、外に出て真相を伝えて人を救っており、Aさんが15分以上どこかに座っているのを見たことがないし、同修とくだらない話や日常のことを話しているのを見たことがないし、ましてや常人と話している所など見たことがありません。いつもAさんを見ていると休んでいることがなく、行ったり来たりして、そそくさと通り過ぎていくのです!

 Aさんは毎日4時間以上は眠らず「時に一眠りすれば、それで大丈夫です」と言います。いつもAさんは多くを話しませんが、ある言葉がAさんの口癖です。それは「時間は命です、だから命を救いに行かなければなりません!」です。

 ここではAさんのために筆を取り、修煉体験を書きたいと思いますが、Aさんに家に来てもらって話してもらった中で、Aさんはいつも「学法しなければならず、人を救わなければなりません」と言っていました。その通りです、どんなことでも三つのことより重要なことがあり得るでしょうか? 私がAさんのお宅を訪問しなければならない時があり、それは午前中でした。ちょうど急いでAさんが外出して真相を伝えに行くところでした。私は同修の家でAさんを待つしかなく、午後の2時過ぎになって、Aさんは急いでやって来て、入って来るや否や「学法しなければなりません」と言い、私はそれについて行くしかありませんでした。

 Aさんの修煉体験を何度も理解した後、最後に2晩かけて初稿を完成させ、Aさんが原稿を校正するのを待ちました。

 Aさんは大法が人を救うために必要なお金に対しては、惜しみませんでした。親友の家に行き真相を伝え、三退を勧め、その中には自分の親戚もおり、同郷の人、同僚、一般の職人さん、また、行政機関の書記、行政機関の局長、また、県組織の部門で働いている幹部もいて、どの家に行くにしても、必ず贈り物を買って行きました。人は「彼女はばかだ、毎月の賃金を全部使ってしまい、一文の預金もない」と言いました。するとAさんはいつも「修煉者が貯金をして何をするのですか? 命を救うことこそ最も重要なことです」と言いました。

 ある年、Aさんの長女がAさんに500元以上する外套を買ってあげましたが、Aさんはその外套を着ずに、「体に合わない」という言い訳をして値段を下げて友達に売り、真相を伝えるカレンダーを作るために、そのお金を全部資料拠点に渡しました。2006年以前、私たちの地区には資料拠点がなかったので、Aさんはいつも行政機関の所在地の都市にいる娘さんの所に行き、いつもたくさんの資料を持って帰りました。資料を取りに行くのに毎回、300元から500元かかりました。その年、家に帰ってから冷蔵庫を買うようにと、娘さんがくれた2千元を全部行政機関所在地の都市にある資料拠点に渡しました。その後、その都市の同修が農村の苦しさに同情し、私たちの地元で資料拠点を設立させるためにと、そのお金を引き渡してくれました。そして私たちの地区で1つ目の資料拠点が誕生しました。

 Aさんの生活はとても素朴で質素です。Aさんは1人で家に住んでおり、毎日2回しか食事をせず、時には2日連続で1日1食しか食べない事もある、ということを私たちが知ると、Aさんは「食事に時間をかけないし、力をかけないのです」と言います。そしてAさんはここ数年、肉や魚や卵類を食べておらず、いつも禁葷食(きんくんしょく・仏教の思想に基づく菜食の一種をいう)で、豆腐やもやしなどの野菜類を買っていることを同修たちは知り、「法に照らし合わせ、無理強いをしてはいけません」とAさんに勧めました。するとAさんは「わざとこうしているわけではありません、禁葷食を食べ始めるともう肉や魚や卵類は生臭い感じがして、無理に食べると吐いてしまうか、お腹が痛くなるのです・・・」。それを聞いた私は師父が説かれた「執着心さえなければ空腹を満たすために何を食べてもかまわない」[4]を思い出しました。

 Aさんの生活はつましいのですが、大法弟子として身なりにはとても注意しており、外に出て真相を伝えに行く時は、いつも清潔できちんとした服を身に付けて行きます。18年間Aさんは、同修の家で学法したり、常人に真相を伝えたりするときに、人の家で食事をしたり、水を飲んだり、トイレに入ったりはしませんでした。Aさんを理解できない人は「ひねくれ者」と言いましたが、Aさんは「修煉者は人に迷惑をかけません。真相を伝えてお腹が減ったなら、家に帰ってご飯を作って食事するので、外で買って食べたり飲んだりしないだけです」と言います。

 Aさんは学校教育を受けた事がなく、何かを言葉にするのが下手なので多くのことを話したがりません。真相を伝え三退を勧める中で、師父は何度もAさんが無事に危険を免れるようにしてくださいましたが、それらの具体的な事例についてAさんの話は不明瞭だったので、Aさんと長年付き合いがあり、一緒に真相を伝えた数人の修煉者が紹介してくれた状況を基に原稿を書きました。Aさんに聞いたのは「どのように危険を脱したのか」ということでしたが、Aさんはいつも笑いながら「正しい念を持って正しく行うことさえできれば、何かあるということはないでしょう」と言います。

 Aさんは三つのことを行う中で、特に三退を勧める時は、本当に1日中休みません。私の地区の三退名簿の半分かそれ以上はAさん1人が集めて来たものだ、ということで同修たちの意見は一致しています。その好評な意見を聞くとAさんは「それは大げさすぎではないですか? 実際、師父が人を救う道の下地を作ってくださったのであり、もし師父が私に知恵と能力を与えてくださらなければ、私はただの口下手な村の女であり、何ができるというのでしょうか?」と申し訳なさそうに言いました。

 毎年Aさんは手帳を4、5冊と数本のペンを買い、さらに名前は「三退」した人が皆自分で書いていました。三退に同意した人が字を書けないことがあると、Aさんは三退した人の名前を暗記し、急いで付近の同修の家に行くか、道で出会った学生に三退した人の名前を書いてもらいました。ある時、同修の家に着いて「張xxさん脱党、李xxさん脱党」と叫び、同修の書くのが少し遅いとAさんは一刻の猶予もならないような様子で「もし私がこの人の名前を忘れてしまい、この人の命を失ってしまったらどうするんですか?」と言います。

 ある時、共産党員だった電気自動車の運転手を三退させ下車した後、Aさんは特殊な状況に遭い、私の家に急いで向かっている間に、どうしてもその人の名前を思い出せなくなってしまいました。その時、Aさんがあせって顔に玉のような汗をかいているのに私は気づいたので、焦らないで心を静めて原因を探すように、とAさんに勧めました。するとしばらくしてAさんは「もしかしたら、真相をはっきり伝えられていなかったのかもしれない」と悟りました。そこですぐに、その人の方向に向けて正念を発し、「その人が真相を知ろうとすることを妨害する邪悪要素を取り除き、すぐに大法弟子に会って、その大法弟子が真相をはっきりと伝え、その人が中国共産党組織から脱退し、獣の印を取り除き、その人の平安が保たれるように」と師父のご加持を求めました。

 これは、かつて字がまったくわからず、病気だらけで、舅姑と夫から見下されていた農村の女性が大法というるつぼの中での錬磨を通して、今は字がわかるようになり、無病で体が軽くなり、無私無我で優しい心の人になったということです。そして、多くの人を救い多くの人を救出するために、Aさんはいつものように、師父が按排された修煉の道を今日も1日中忙しく走り回っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [2] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/2/318483.html)
 
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