師と法を信じて難関を乗り越え 新しい命を得る
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文╱東北の大法弟子 口述 同修 整理

 【明慧日本2018年8月23日】私は今年77歳です。22年間にわたる法輪大法の修煉過程において、苦しいことも嬉しいこともありました。修煉は辛いことですが、私は幸せを感じていました。なぜならば、師父が私に与えて下さったものがあまりにも多く、私は大法の中で幾度も新しい命を頂きました。大法の真・善・忍の光は私の心の重い霧を吹き飛ばし、人生の真の意義を分からせてくださいました。人はなぜこの世に生まれて来たのか、人間の苦しみから離脱するには、真に大法を修煉し、大法に同化することで、神聖なる彼岸に上がれるということを教えていただきました。

 一、死地に活路を開く

 1995年10月、私は不幸にも悪性リンパ腫を患い、病院から3カ月の余命しかなく、長くても半年と宣告されました。やせこけて皮と骨ばかりになり、ほとんど歩けなくなり、あとは死を待つばかりでした。さらに命が燃え尽きそうな年末のころ、食道がんも見つかり、飲み込むことすら大変で、スープを飲むことしかできなくなりました。当時、家族の者が本当のことを言わなかったため、自分が不治の病だとは知らず、ただ毎日十数種類の薬を飲んでいました。死神に追い詰められ、まるで天が崩れたかのようで、妻は毎日ひそかに泣き暮らし、同僚や友人も私のことを心配してくれました。

 人生に絶望している時に、遠くに住んでいる親戚から電話がかかってきて「『轉法輪』を読み、人生の真理がすべて分かることによって、薬と本当にさよならできる」と言われ、私の心が動かされ、『轉法輪』は「宝の本」だと思いました。

 精神が一瞬にして爽快になり、私は自転車に乗って本屋へ行きましたが、『轉法輪』がなかったので、探していると、スーツ姿で背が高く、優しそうな顔をした若者が現れ、郵便局の前にその本があると教えてくれました。さっそく行くと、遠くからも『轉法輪』の三文字が見え、嬉しくて感極まりました。

 家に帰って本を開き、本の中の写真を見たとき、本屋で会ったスーツ姿の若者だと思いました。さっきの方はこの『轉法輪』の著者でした!

 私は両手で『轉法輪』を持ち、寝食を忘れるほど読みふけりました。昔、私は3~4種類の気功を習いましたが、いずれも浅かったのに対して、法輪大法は人間はどこから来てどこに行くのか、人間としてどうすべきか、修煉とは何か、どう修煉すべきか、などの根本的な問題について、はっきりと説かれていました。2日かけて『轉法輪』を読み終えたとき、前述の親戚が来て、私に五式の功法を教えてくれました。

 その後、私は『中国法輪功』も読み、正式に大法を修煉し始めました。

 修煉してから奇跡が現れました。全身の痛みが消え、日増しに元気になり、とても愉快でとても楽観的になりました。同僚達からも顔色がよいと言われ、1週間もしないうちに病気が完全に治りました!

 2カ月後、正式に仕事に復帰した私を見て、同僚たちも皆びっくりし、まさか死ぬ寸前の人が回復して、働けるなんて信じられないと言いました。

 二、正念を持って難関を乗り越える

 2005年に、私の肛門は腫れて痛かったのですが、昔に痔疾を患ったことがあったので気にしませんでした。しかし1カ月後、我慢できなくなるほどひどくなり、それは直腸がんの症状だと分かっていました。しかし、私は恐怖に潰されることなく、正念を持って対処しました。私は大声で正法の口を繰り返しました。「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する。法は天地を正し、現世で直ちに報いがある」 。夕方の6時から翌朝3時まで唱え続けました。

 疲れたところで、ふと一念が生じました。「私を動かせるとでも思っているのか? 私には師父がおられる、大法がある。寝よう」と思い、 私は何も考えずにそのまま寝て、3時間熟睡しました。目覚めたら肛門の痛みがなくなり、腫れも消え、すべてが正常になりました。私がその心を放下して、病気だと思わなかったからこそ、本当にこの難関を乗り越えることができたのです。

 2006年に、咳(せき)、痰(たん)、冷や汗などの肺結核の症状が現れました。真相を伝える資料を配りに行った時、前なら続けて三つのビルの階段を上っても、全然疲れなかったのに、今は一つだけでも疲れて、びっしょりと汗をかきました。迫害の資料を配って、人を救うことを妨害させるわけにはいかないので、どんなに疲れて汗ばんでも困難を恐れず、面倒でも着替えをしながら続けました。

 雪の上に霧が降りると言われるように、新たに難がやってきました。肝臓と胆嚢のあたりが棒に刺されたように、咳をする時も、笑う時も、体が動くたびに痛みを感じました。現れたのはみな病業の虚像でしたが、私はきっと乗り越えられると信じていました。師父は私たちに、「この場合、二通りの選択しかありません。一つは病院に行って、関を乗り越えることを止めます。もう一つは、心を徹底的に放下し、れっきとした大法弟子らしくなり、怨みも執着もなく、残るか去っていくのかを師父の按排に任せます。このようにすることができれば、つまり神なのです」[1]

 私は師父を信じ、法を信じ、れっきとした大法弟子になろう、師父の按排にお任せしようと思いました。妻が一緒に娘の家に遊びに行こうと言ったので、私は「自分は病気ではない、行っても大丈夫だ」と思いました。重い荷物を手に持って列車に乗りました。列車の中で荷物を下そうと腰を曲げた瞬間、激痛が走り思わず叫んでしまいました。周りの旅客が「病気ですか?」と尋ねるので、私は「大丈夫、病気ではない」と答えました。列車を降りたら妻が山に登ろうと言ったので、私は「病気ではない、登っても大丈夫だ」と思いました。山の上で娘の姑に会うと、彼女から海に行ってみようと提案されましたが、私は病気なんかない、行っても大丈夫だと思い一緒に行きました。帰る途中、肝臓と胆嚢のあたりの痛みがひどくなり、歩く事すら困難でしたが、大丈夫だと信じて力を入れると、本当に歩けるようになりました。引き続き妻とスーパーで買い物をして、私が荷物を持って娘の家に行きました。翌日『轉法輪』を一日中読んでいるうちに体の痛みが消え、せきも止まり完全に治りました。2日後、娘と婿が私たちを世博園に観光に連れて行ってくれました。一日中歩き回り、娘は疲れ切ったようになりましたが、私はぜんぜん疲れを感じませんでした。

 2013年5月のある日、私は突然めまいに襲われ、同時に吐き気がして立っていられませんでした。自分は大法弟子だ、倒れてはいけないと思い、ヨロヨロしながらトイレに行き、吐いたり下痢したりを何度も繰り返しました。私は壁をつたって少しずつ居間に戻りソファーに座り込み座禅を組んで立掌し、「私を迫害しようとする邪悪なものは死ぬ!」と念じ、発正念をしました。それから法を暗唱しました。「しかし、いずれにせよ、師父は旧勢力を認めていません。皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します。しかも、師父の周りに多くの護法の神がおり、多くの佛、道、神、更に大きな生命があるので、彼らも参与してきます。なぜならば、認められていない無理やりに加えた迫害は法を犯しているからです。宇宙の旧い理もこれを許しません。理不尽な迫害は絶対だめです。このようにしたら、旧勢力も手を下すことが出来ません」[2] 私は大声で師父の法を暗唱しました。一つは自分の正念を強め、もう一つは私を迫害しようとする邪悪な生命を震え上がらせるためでした。法を一段落暗唱したら発正念をし、終わったらまた暗唱しました。「宇宙の生命は皆位置を配置し直されています。人にこの大法を試す資格はありません。神にもありません。あえて試した人がいたら、それはその人の罪です」[3] 「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[1] 私の体験から深く悟ったのは、生老病死は低い次元の法理であり、常人を制御できますが、大法弟子は師父に地獄から除名されており、すでに常人ではなく、師父に守られ、大法に守られているのです。3時間後、脳血栓の症状は一瞬にして消え、体は正常に回復しました。

 2014年、私にまた一年前のように突然脳血栓の症状が現れ、前と同じように法を暗唱したり発正念をしましたが、3時間経ってもよくなるどころか、のど、食道、胃まで痛くなり、吐いたり下痢したり、めまいがしたりして動けなくなりました。その時ふと師父を思い出して、大声で「李洪志師父、助けてください!」と叫びました。一回だけ叫びましたが、数分後に奇跡が現れました。めまいが消え、吐き気も下痢も止まり、のども食道も胃も痛くなくなりました。師父は私を助けてこの難関を乗り越えさせてくださいました。師父に感謝する気持ちは言葉で言い切れません。

 結び

 幾度となく経験した生と死の関門を師父の慈悲なるご加持の下で乗り超えることができました。旧勢力は私を潰すため早く死亡させようと、我々を壊します。当時私は2種類のがんを患っている中で法を得て新しい命を頂いたので、我が地域で最も典型的な法輪功学習者として知られ、また地域の一人の輔導員として同修の中で一定の威信があり、私がなにかすればほかの人も同じようにして、知らず知らずのうちに皆さんの手本になっていました。これを見た旧勢力は私を早く死なせることで皆さんを試そうとします。まさに、師父の最新の説法にある弟子が尋ねた問題と師父のお答えの通りです。「弟子:ここ数年来、所在地区にこの世を去った学習者が少なくありません。大きな作用を果たした協調担当の学習者もいます。病業で去った学習者は本心からこの世から離れたくありません。ある種の不可抗力のような要素があると多くの人は思っています。師父:私は話したことがありますが、生命を失った人の中に、他の人のため、他の人に修煉させるための人がいます。これは旧勢力の按配です。この人の行ないが良くないのではありません」[4] 

 7.20以降も私は大法を修煉し続け、常に人々に、特に警察官や法輪功の迫害を担当する町の委員会の人たちに自分の奇跡的な生還体験を語り続け、人々に勇気を与えました。この人たちもひそかに法輪功を認め、私をあまり構わなくなりました。その中には私の肩を叩きながら「修煉してね」と言う人もいます。彼らは皆心から法輪功を敬服しています。

 この20年近く中国共産党は法輪功に対する迫害を続け、地域の610弁公室、政法委、公安局、派出所、町の委員会などの人員は上からの圧力で、私に対してしょっちゅう嫌がらせに来るばかりではなく、捕まえて刑務所に入れようと企みました。師父のご加持のおかげで私は幾度もの危険を無事に乗り越え、邪悪な迫害は思いどおりにできませんでした。私は師父の教えられた「三つのこと」をやり続け、同修たちと一つの全体を成し、人を救う道を止めませんでした。なぜならば、法輪大法は私を救ってくださったので、私も多くの人々を救いたいのです。これは師父が与えてくださった神聖なることですので、我々は必ず続けて、必ずきちんとやり遂げます。

 私は固く大法を信じ、100パーセント師父を信じて旧勢力の按排を否定し、自分に対する迫害を排除し、さらにほかの人が動揺するかを見るために私を潰そうとする旧勢力の仕業を破ることができました。ここまでたどり着いた過程の中で、どれほどの師父の心血が滲んでいるか計り知れません! 私には知ることもできませんが、それは師父にしかお分かりになりません。師父がおられなければ私の今日もありません。師父が私にすべてをくださいました。新たな命を与えてくださった師父に感謝します! 何度も何度も私を助けて難関を乗り越えさせてくださった師父に感謝します! 私は真の修煉者として最後まで師父について天国にある自分の故郷に帰ります!

 最後に師父の最新の説法から学び、同修の皆さんと切磋琢磨したいと思います。「業力が大きくても、あなたの正念さえ充足していれば、いつか無くなります。しかし、業を滅する必要があるので、ぶり返すことがあります。それを試練、修煉だと思えば良いのです。正念を強く持ち、そのつど乗り越えれば良いのです。ですから、修煉は同じパターンにならないのです。それぞれの状況も違います。しかし、皆さんにすでに教えましたが、大法があって、すでに法を得ているため、あなたという生命はすでに大法に属しています。捨て身になって正念をもって正しく行ない、師父の言う通りにすれば良いのです。今は修煉ができておらず、このように行なうのはまだ無理で、乗り越えられないなら、(師父が笑って)病院に行って、修煉が向上したら正しく行なえば良いのです。しかし、私はこのように話しましたが、自らを緩めてはいけません。(弟子の皆さんが拍手)」[4]

 正しくないところは慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『導航』「北米五大湖地区法会での説法」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDC説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/31/371253.html)
 
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