明慧法会|明慧編集の仕事を行う中での修煉体験
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 文/海外の大法弟子

 【明慧日本2018年9月12日】私は2004年から明慧編集の仕事に参加し始め、その後の6年間、明慧編集を大法を実証するプロジェクトの一つとし、同時に、地元の各種の協調の仕事を行いました。2010年から、明慧ネットというこの大法を実証するプロジェクトを専門にやり始めました。

 地元の協調の仕事を行っていた時は、大きな心性の衝突はありませんでした。また、明慧ネットの仕事に集中することは私自身も納得し、ここで誓約を果たせている、と感じていました。しかし、地元の協調人としての全ての職責を辞める、と地元の佛学会に話した時、一部の同修が私が引き続き協調を取ることを望んだために、各種のトラブルが起き、各種の心性の関が現れました。しかし、自分の修煉がしっかりしていない各種の部分が着実にさらけ出され、師父の説かれた「このような状態に到達したのは、みな自分自身の根基のおかげでしたが、それ以上向上しようとすれば、基準もさらに上げなければなりません」[1]  のようでした。

 ですから、ここ数年、私は常にこの心性の衝突の中におり、心性の試練の中におり、また、心性の向上の中におり、しだいに歩み寄りましたが、師父は「しかしこれは、どうして修煉者が最終的に圓満成就する時の基準と言えるのでしょうか? もっと高い次元に向けて修煉するには、まだまだ先が遠いのです! 引き続き自分を高めなければなりません」[1] と説かれました。

  (1)編集の修煉体験の中で 師父が目覚めさせてくださった

 常人の中で修煉しているので、名、利、情は最も根本的な執着です。今まで私は名やお金は要らず、人間社会の得失を気に掛けないと思っていました。しかし協調人でなくなると、修煉環境が突然ガラッと変わり、同修との付き合いと交流がなくなり、今までの場合では自分の話によって自分が「優勢をしめ」、自分が同修の同意を得ていましたが、今は自分の習慣上の行為と思想はなくなってしまいました。当時、ある明慧の同修が「あなたは一番地味な人にならなければなりません」と言ったのを私は今までも覚えています。私にとって、最初は本当に容易なことではなく、何かあるといつも何か話したくなり、その心が落ち着かず、黙って周りを見ることが出来ませんでした。

 自分の独りよがり、顕示心、向上心、負けず嫌いの心、自分を実証する心、情などを私は見つけました。幸い、中国の大法弟子が迫害された知らせを編集する以外に、毎日、中国の大法弟子の修煉体験も編集しなければならず、修煉がしっかりしている中国の大法弟子の多くの修煉体験には得る所があり、相応の修煉体験を師父はいつもその場で私の目の前にお示しになりました。それで私は法理がはっきりし、さらに、執着の中から出ることができたので、師父が自分の身辺にいらっしゃることを心の中で身にしみて感じました。私の手元に届けられる投稿はすべて、修煉と法を実証することに関係があるものでした。

 毎日、編集する文章を分配するのは編集担当の同修と私が共同で分担しましたが、多くの不思議なことを経験しました。同修が私に分配した交流文章はちょうどその折、私が考慮していた修煉の問題であるか、ちょうど乗り越えようとしていた関でした。編集が終わると、私の法に対する認識は作者の認識にしたがって向上していきました。同修が私に分配した原稿はその同修が判断したのではなく、師父の心を込めた按排であると、終始感じていました。自分で分配した原稿であっても、自分の好みで行おうとは思っていませんが、自分自身で分配した原稿であっても自分が判断したものではなく、すべてが師父の決定されたものであり、私の修煉に対するものである、と感じていました。

  (2)明慧ネットの仕事に専念する

 明慧ネットの仕事をしている間、多くの具体的な各種の執着の認識と修煉があり、時間の原因によりすでにはっきりと伝えられず、修煉したと感じても話しだせませんでした。しかしある関については師父の手引きがあり、ずっと心の中で明晰なのですが、地元の協調人をせずに明慧に専念しました。最初はこのようにするのは正しいのかどうかいつも疑い、師父が按排してくださった道を歩んでいるのかどうかを疑いました。

 私が躊躇していた時、師父は私にはっきりとした夢をお見せになりました。ある日の朝、室内で私たちの地元の同修と整然とした隊列を組んで集団煉功していました。煉功が終わると、同修はすぐに全員帰りました。私は自分のパソコンを手に取って背中に背負うと、数人の懇意な同修が前方のハイウェイを走っているのが見え、すぐに姿が見えなくなりました。私はすぐに追いかけて行き、ハイウェイで待っていましたが、同修たちはアッという間に見えなくなりました。振り向くと、遠い所に狭くてただ1人が通過できる吊り橋が見え、吊り橋の両側に高い転落防止の柵があり、ちょうどその時、1人の人が両手で柵を持ち、ゆっくりと吊り橋を歩き始めました。ここが私の歩むべき道であると悟りました。師父はすでに「自分の道を歩まなければならない」と伝えておられました。師父はすでにちゃんと手配りしてくださっておられ、それが自分が進むべき安全な道であったのです。そうです、「修煉は他の人に従うことは出来ず、自分の道を歩まなければならず、師父が按排してくださった道を歩んで行くことが最も安全である」ということに気づきました。

 明慧ネットの重要性は師父の説法の中ですでに非常にはっきりしています。大法弟子の中で中国の大法弟子の占める割合、人を救う力、迫害に見舞われた程度を見れば、明慧ネットが担っている責任がわかり、必要とする投入時間や精力、苦心、多くのことをなさなければなりません。しかし私個人としては行っていることが少なすぎ、たとえすべての精力を投入したとしても、ただ「1人」のフルタイムの仕事でしかありませんでした。ですから、明慧ネットの仕事をしっかり行い、二度と気を散らしてはなりません。しだいに心の中で確固たるものとなり、たとえ越えなければならない関があり、人間の執着心と観念があったとしても、取り除かなければなりません。

 特に今年の修煉では、いろいろな執着がありましたが「動かない心があってはじめて、しっかりと明慧の中で仕事をすることができます。同時に明慧の成熟する過程は、私たち明慧関係者の修煉の成熟する過程でもあり、どうして明慧以外の仕事の中で探すことができるのか?」ということを悟りました。私の修煉は明慧ネットの成功と互いの密接な関係にあるので、全力で明慧ネットをしっかり行うことだけで、自分の使命と先史の誓約を果たすのです。

 このことに気づいてから、修煉の中の苦難に満ちた道を歩むことができ、現在、ついにある程度において師父が説かれた「柳暗花明又一村」[1]に達しました。

  (3)明慧ネットのそれぞれの活動の中で 修煉し楽しさを体得する

 毎年の「明慧ネット中国大陸大法弟子の修煉体験交流会」と、毎年の「法輪大法デー作品募集」は明慧ネットが広範囲に全世界の大法弟子に原稿を募集する機会で、大法弟子の盛会です。これはまた、明慧ネットの編集部が多忙な時期でもあり、当然ですが編集者たちの収穫の季節でもあります。

 まずは簡単に言うと、100篇近い中国の同修の文章については、長いものもあれば短いものもあります。これらは同修の各種の修煉状態や、各種の人生体験や問題を解決する各種の手法に相対します。また、自分が放浪しているように感じたり、ある文章などは書き方が理性的で法理が非常にはっきりしています。ある文章はまじめで人を感動させます。ある文章は全文を入選させることはできなくても、往々にしてある面において、大法を実証できていてうまく書けています。ある文章は短くても同修の本当の修煉過程であり、素朴で感動的でした。私たちは編集者として、このようにして同修を助けながら受益の中で大法を実証しました。

 よい文章を選び出した時は、いつも編集する楽しみを感じます。それは自分の学法と修煉に対する検査であり、責任でした。よい文章を読んで編集した時、同修がしっかり修めていることが嬉しくなりましたが、時には自分が法を理解していないために、文章の細かい部分の不適切な所を見逃し、編集の責任において全力を尽くせないこともありました。

 今年の「法輪大法デー」の祝賀に際して、全世界の大法弟子に向けて原稿を募集し、同時に西洋人の大法弟子に向けても原稿を募集しました。原稿量が比較的多く、締め切り間近に西洋人大法弟子の中国語翻訳文を選んで編集した時、とても心を打たれました。「党文化」のない西洋人の大法弟子の純粋な交流を読んで、長短を問わず、大法が西洋人の大法弟子の心の内側に持たせた衝撃を本当に交流していました。また、西洋人の大法弟子の返本帰真の道を交流しており、そこから私は党文化の自分への反応が見えました。たとえば話をする時に隠す心があり、自分の心を真実に表すことができません。話をする時に絶対的な単語(訳注:~べき、~が必要、など相手を強制しようとする単語)を愛用し、一つのことを十分な程度に正確に表すことができず、隠したがるためにすぐに嘘をつき、恨み、闘争心を抱いていました。これはここ何年もの間で、初めての西洋人の大法弟子への作品募集でした。私は本当にこの機会を非常に大切にし、しっかりと読み、原稿を編集し、西洋人の同修の大法修煉の道を心を込めて体得し感じました。

 毎年の重要な祝賀では、編集、および私たちに配られる至尊なる師父への祝賀のご挨拶と法輪大法デーの祝賀の原稿は、明慧ネットの特別な光栄です。私はいつも編集の過程で大法弟子たちとその家族や世人の師父に対する心からの感謝に感動し、震撼し、自分が本当に運がいいと感じます。一人人の大法弟子の挨拶と祝賀が、私たち編集者の手を一度通り、たまにすべての祝辞を私の手を通して編集したいと思い、その同修たちと一緒に一度祝賀を述べ、そうすれば多くの同修の1回ずつの祝賀で私は師父におびただしい回数の祝賀を述べることになります。同修が一度「師父に深謝いたします」と唱えるたびに、私も1回1回自分で唱えるのです。編集を行う過程で、大法によって心が洗い清められるのをいつも感じました。私がかつて中国の同修の師父へのご挨拶を編集した時は、できるかぎり正時に正念を発し、その時期が来ると、仕事量が多くなっても、仕事をすればするほど楽になり、協調人が私たちに気を使って「疲れたでしょう」と言った時、私は心の中で「まったく疲れていないし、本当にうれしい、なぜなら私たちは偉大なる師父にご挨拶しているのだから」と思いました。

  (4)編集の中で人心を取り除く

 もともと私の編集が終わると、次の日に原稿を発表し、特に迫害の事実を記した文章は、責任を持つ編集者に改善が見られるかどうか、たとえばタイトルや前書きなどで、もし文章の編集上に問題があったとしても、私は人心を持たずに、自分が修正をすればそれでよかったのです。しかし、今年はいつもと異なり、私が誤りを指摘する文章はありませんでした。

 今年は私が編集し発表された修煉体験文章が2回削除されました。最初の考えは「どうしてだろう」と、自分の理を述べ、自分のために弁解し、心が動きました。その後、私は自分あてに続けて5通のメールを送り「自分に道理を説き」、同修のアドバイスは正しく、私は交流文章の中のマイナス要素が読者に与える影響を周到に考慮していませんでした。実際文章が削除されたことに対して、自分の執着心が反映されたことに気づき、自分に宛てた5通のメールは自分の修煉に宛てたもので、その中の1通は次のようなものでした。

 A. 異なった意見や態度に対して、今までは考えたことも反論したこともないのに、今はどうしてそれを考えるのか、今回の件は良いことで、なぜなら修煉は法そのものを師としなければならないからで、私たちはさらに多くの文章を編集しなければならず、似たようなことにまた遭うであろう。

 以前、編集の決定を行った時、すぐに削除を決定しましたが、その後の文章を量る基準として、他の文章を編集する時、このような文章(訳注:削除された私が編集した文章)があった場合、削除される文章に属するのかどうか、自分で見通しがつかない時、考えにおいて波が生まれ、他の人に何か言われるのを恐れ、他の人が同意しないのを恐れ、同修の基準に符合しないのではないか、と思いました。これは典型的に他の人に従っているのであり、私は編集者であり観点を持たなければならず、その観点は私の法に対する理解であり、同修の観点を判断基準とした工程を踏んではならないのです。法に則って修煉するのです。

 同時に、恐れる心があり、異なった意見を言わなければならないのか、その時他の人は自分をどのように見るのだろうか、などです。大きな流れに沿って、人がそのように言うなら、自分もそのように行おう、と思いました。

 B. 他の人の異なった意見を聞き入れなければならず、ネガティブな思考を持ってはならず、正面から積極的に交流し、同時に、自分を放下しなければならない。

 C. 最近、異なる意見に対して、時に全く考慮せず、少年のような反抗心が現れており、これは取り除かなければならないもので、自分を放下できる時「自己、自我」も持たずに交流でき、そうしてはじめて知恵が生まれるのです。

 さらに、私には人にあれこれ言われたくない心がありました。これも取り除くべき「自我」であり、師父は「私は他でもなく、皆さんが自分のことより他人を優先的に考えるという正法正覚の圓満成就まで修煉するようにと要求しています。これは私心を取り除くことであり、これで『自我』を取り除くことができます」[2] と説かれました。

 当時、協調人も「どのように文書管理用フォルダーを作るべきなのか」と電話で私に伝えており、協調にとって便利なように管理することに対して、「自分にとって、どのようにすれば便利になるのか」と私は心の中で考えていました。「どうして私はこのように自分を重く見て、自分の角度から問題を考えるのか?」と私は突然気づきました。

 その日、私は職場の他の部門の同僚と協力して、ある問題を解決しました。もともとはその同僚がみんなに中間総括のメールを送らなければならなかったのですが、その同僚が送りたがらないことを知っていたので、私から積極的に研究結果の総括をみんなにメールしました。その日の午後、その部門の責任者が、あのメールは私が送るべきではなく、あの部門の同僚が送るべきだった、などと私に伝えてきました。私はそれを聞いても何も言いませんでした。

 帰宅の路上で、家に帰ってからも心が静まらず、部門の責任者の話が頭に浮かび「これは私に自我を放下させようとしているのではないのか?」と気づきました。よしやりましょう! まず他の人のことを考えることから始め、他の人に便利であることを出発点に考え、これこそ自我を放下することではないでしょうか。自分のことを気に掛けてはならず、何事においても気に掛けず、私は羅漢の果位に近づいたのではないですか。それは正に私が必要としていることではないですか。

 この時「正解不正解にかかわらず、正解不正解の中に陥らず、慈悲で慈善であるべきで、自分のことは考えないのだ」ということが私はわかりました。

 以上が、明慧ネットのプロジェクトの仕事の中での修煉の一部の体験です。不足の所があれば同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 (2018年明慧法会の発表文章より一部の内容を要約したもの)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/10/-370787.html)
 
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