大慶の姜湃さんの惨死は11年も表沙汰にならず
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 【明慧日本2018年9月26日】大慶市の法輪功学習者・姜湃さんは、ガッチリとした体格の女性で、いつも純真な笑顔を見せる好人物で、大学卒の頭がよく記憶力が優れていた。良い仕事に就職し、両親が大変可愛いがり、皆にも好かれる娘でもあった。11年前に姜さんは迫害により惨死(ざんし・むごたらしい死に方をすること)した。当時、34歳の若さであった。

姜湃
姜湃さん

 姜さんは2007年4月26日、大慶市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官・馮海波らに連行され、苦しめられた。わずか2カ月後の6月28日、姜さんは大慶油田総合病院の重症監査室で息を引き取った。亡くなった時、両足には5キロの重さの足かせが付けられていた。姜さんの体が極度に衰弱した状況下で、しきりに警官は暴力を加え、姜さんの髪を引っ張っていたが、それだけではなかった事が判明した。

 姜さんが亡くなった10日後、遺体は火葬された。当時、十数人の警官らが葬儀場に配置され、厳重な警備体制が引かれた。この冤罪は11年も表沙汰になっていない事実である。

 しかし、時間が経つにつれ、皆の記憶から姜さんの冤罪が抹消されるどころか、かえって、目撃者と事情を知っている者達により、多くの事実と手がかりが提供された。11年もたった今になって、姜さんの死因がますますはっきりと見えてきた。

 一、騙されて 落とし穴に入る

 1999年7.20から、江沢民勢力が法輪功を迫害し始めた。当時、姜さんは何度も連行され、仕方なく放浪生活を始めた。期間中、姜さんはネット封鎖を突破する技術を覚え、それを利用して自分の専門技術を活かして、法輪功迫害の真相を伝えるために学習者たちをサポートしていた。

 2007年4月26日午前9時頃、姜さんの勤務先の責任者から、仕事を復帰させるという連絡があったため、姜さんは約束通りに出勤した。しかし、勤務先の入り口には大慶市公安局と臥里屯公安支局および大慶市国内安全保衛部門の警官らが姜さんを待っていた。

 二、姜さんの死因は断食によるものではなく、拷問であった

 姜さんは連行される前に70キロの体重があり、健康だった。しかし、留置場に拘禁された後は、ひどく痩せこけてずっと嘔吐し、咳が止まらず、咳をする度に吐血し、よく昏睡状態に陥った。警官はぶ厚い本を姜さんの腹部に置き、その上から力を込めて腹部を叩き、衝撃を与えた。この種の暴力的拷問によって激しい痛みが生じ、内臓に致命的な損傷をもたらした。しかし、外見からではぶ厚い本により妨げられ、非常にこれらの暴力は分かりずらいものとなる。

酷刑演示:绑在铁椅子上电击
拷問の実演:鉄の椅子に縛られ、電気ショックを与えられる

 警官・馮海波は「あんた達がネット上で言ったことは、すべて事実だ。姜湃がなぜ死んだのか知っているか? 3日間鉄の椅子に縛り続けて電気ショックを与えると、姜湃はディスコ・ダンスをしていたよ」とよく他の法輪功学習者を脅かすために、いつも例を上げて話した。

酷刑演示:野蛮<span class='voca' kid='74'>灌食</span>
拷問の実演:つらい野蛮な灌食を無理に受ける

 また、他にも姜さんはわさびのオイルを注ぎ込まれた。この拷問は、外見的には痕跡が見えずらいが、深刻な内傷をもたらし、治りにくいものである。拷問を受けた被害者の症状としては、呼吸困難に陥り、窒息したようになる。そして、胸が息苦しく感じ、咳が出てモノが食べられず、食道はヤケドをしたようにタダレルなどの症状が現れるが、外見からでは見えずらく、わからないものである。

 三、野蛮な灌食は 姜さんの死を加速した

 留置場では、死亡する人数の目標値があるため、死亡する事件がよく発生する。2002年から2005年の間に、法輪功学習者・呂秀雲さん、王淑琴さん、楊玉華さんの3人が灌食により死亡した。

 拷問によって、内臓や食道、呼吸道をひどく負傷した姜さんは、食事をする能力を失った。それにもかかわらず、警官らは管理に従わず、断食していると言ってごまかし、無理やり管を挿入して残酷な灌食を行った。

酷刑演示:野蛮灌食(绘画)
拷問のイメージ図:野蛮な灌食

 四、留置場は拷問を覆い隠し、集団で汚職して人命を助けず、救急時期を遅らせている

 2007年5月22日、人事不省になった姜さんは、大慶人民病院に運ばれた。数日後、馮海波と張義清は姜さんを退院させたが、留置場で引き続き自白を強いた。家族が重病のための一時出所を要求した際、張義清は「病気がないのに、何を治療するのか! 他の者なら一時出所を認めるが、姜湃だけは絶対駄目だ」と返事し、さらに、判決を下すなどと脅した。

 五、警官は姜さんの両親を騙し、遺体を火葬し、証拠隠滅を図る

 姜さんの両親は娘の死に直面して、非常に悲しみ、心が痛んだ。馮海波と張義清は「姜湃は政府と対抗し、法律を犯して重罪を犯した。また、法輪功を学んで断食し、自殺した」と言った。国内安全保衛部門の李育春は「姜湃は脳膜炎を患って、死亡した」と言った。市留置場の張・所長は「姜湃は心臓病の発作で死亡した」などと言って、それぞれが好き勝手な死因を言ってだました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/1/373211.html)
 
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