メディア法会に師父が臨場され 説法される
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 【明慧日本2018年11月19日】年に一度の新唐人テレビ、大紀元メディアの修煉心得交流会が、10月27日、ニューヨークで開催された。ネットワークを通じて大紀元全世界の各支社、新唐人テレビの各支局の18カ国と地区の44都市の社員たちも参加した。各地から20人の学習者が自分の体験を交流し、慈悲で偉大なる師父が臨場され説法された。

新唐人电视台与大纪元媒体在美国纽约召开法会
新唐人テレビ、大紀元メディア法会がニューヨークで開催される

 師父が法会に臨場されたことで、会場の学習者達は驚喜した。師父は弟子に説法され、よりよくメディアをうまく経営できるように、次の二つのことをしっかりと行なうべきであると語られた。「一つは自身の修煉を良くすることです。もう一つはメディアは伝統文化に基点を置き、普遍的価値を基礎とすることです。このように取り組んで、はじめて、すべてをしっかりやり遂げることができます」

 師父が説法される会場は穏やかさと喜びに満ち、殊勝ですばらしいものであった。多くの学習者は涙を流しながら師父の説法を聴いた。師父が学習者に挨拶をされた時、多くの学習者は感動して涙が流れ、両手を合わせて合掌し、師父を囲んで大いなる佛恩が訪れた喜びを感じた。

 多くの学習者は初めて近距離で師父の慈悲を感じた。ある学習者は「師父の慈悲なる笑顔は、まるで自分のすべてを溶かしたような感覚でした」と話し、もう1人は「師父が手を一振りされた瞬間、自分のよくない思想と業力が取り除かれた」と話した。

 法会の中で、ヨーロッパ、アジア、アメリカから参加した20人の学習者が、各自の修煉体験を分かち合った。それぞれの修煉ストーリーは、修煉の厳粛さと殊勝さを感じられた。発表者の中には、メディアの仕事を十数年続けている「古い社員」もいれば、職に就いて1、2年の新人もいた。彼らは、メディアの仕事に従事して、修煉の道にある衆生を救い済度する貴重な機縁の力になったと語った。

 ある学習者は新聞の読者に真相を伝える過程の中で、「善」の力について新たに認識することができた。ある学習者は同僚と一緒に法を暗記して、今まで隠れていた自分の執着心を見つけた。ある学習者は家庭と仕事のトラブルの中でたびたび関を乗り越え、最後にメディアで仕事を続ける信念を固めた。

 学習者たちは、学法煉功発正念をすることが修煉向上の重要な基礎であることを認識し、今後一段とメディアの仕事での恵まれている環境を大切にし、師父の大きな期待に応えられるように、初志貫徹して修煉の道をしっかりと歩むことを決意した。

 師父の何度もの悟らせの下で難関を乗り越える

Teresa
テレサさん

 テレサさんは5歳の時に法を得て、1996年に北京で幸運にも師父の説法を聴いたことがあり、両親と共に1999年の「4・25」陳情の経験者でもある。迫害が始まった後、両親と一緒に天安門広場で横断幕を広げたり、煉功をしたりした。中国共産党の警官による法輪功学習者に対する連行、恐喝などの迫害手段も自ら目撃した。

 テレサさんは大きくなって海外へ留学し、卒業後に大紀元のフルタイムの記者として就職した。両親のもとを離れ忙しく働いているうちに、「三つのこと」の時間をだんだん圧縮し、修煉が緩んだ。ある日、夢の中でまっすぐな壁を急速に登ったが、突然地面に滑り落ちた。その時、師父が厳しい表情で「あなたはどうやって速く登るか考えただけで、自分の修煉がどうであるかを全く考えていません!」と語られた。

 テレサさんは驚いて目が覚め、自分の修煉に問題があることに気づいた。しかし、修煉が着実にできていないため、力不足を感じて、自暴自棄の心理状態で仕事を辞めた後の数カ月を、一生の中の「最も振り返るに忍びない日々」と表現し、どのように引き続き修煉すればよいかわからず、自分は大法弟子になる資格がないのではないかと疑った。

 しかし、心の中にある信念がずっと彼女を支えていた。それは「自分が諦めず、大法を離れない限り、師父は見捨てられない」の一念であった。やはり、師父は再度悟らせて下さった。夢の中で、師父は「あなたの最近の修煉はどうですか?」と聞かれた。テレサさんはうつむいて小さな声で「まあまあ良いです」と答えた。「永遠に忘れられないのですが、言葉で表現できないほど、師父は比類ない慈悲な眼差しで私を見ておられました。まるで過ちをした子供を見るように」と、テレサさんは語った。

 夢の中で泣き崩れたテレサさんに、師父は「あなたは今後どのようにすべきであるかわかっていますか?」と聞かれた。目が覚めた後、テレサさんは変わり、時間を切り詰めて法を学び、発正念をして、三つのことをしっかりと行なうようになった。だんだんと、彼女は師父が多くのよくない物質を取り除いてくださったと感じ、ようやく、すべての難関を乗り越える勇気が出てきた。

 「自分は最も難しい時期に、最も根本的な正念を守ることができたのかもしれません。それは師を信じ法を信じる一念です」と話した。

 現在、テレサさんは引き続きメディアプロジェクトで三つのことをしっかりと行なっている。

 指導者の心を取り除き、万事は内に向けて探す

 常人会社の上層管理者・シヤマクさんは、昨年からフルタイムの職員としてメディアの仕事に就いた。しかし、思いもよらないことに、このことで地元の同修とのトラブルを引き起こしてしまった。毎回地元に戻って同修に会う度、気まずい雰囲気だった。その時、シヤマクさんは、自分がメディアのプロジェクトに参加したから、これに対する妨害だと内に向けて探さなかった。

 数カ月後のある日、シヤマクさんは、自分がメディアの仕事に参加する目的はただ「大手会社を作り、常人の視点から意義ある事に挑戦するため」であることに突然気づいた。メディアの仕事について理解したあとシヤマクさんは、メディアの仕事の中で大手会社の指導者のような職に就く可能性がないことを知り、名利心と自己に執着する心を放下し、謙虚な心で着実に仕事をしっかりと行なおうと決意した。

 考え方が変わったシヤマクさんが、再び地元に戻って学法に参加した時、同修たちは暖かく親切に接してくれたことに気づいた。「トラブルの前で内に向けて探すことを学びました」とシヤマクさんは言った。

 同修とのトラブルがなくなった後、同僚間のトラブルが相次いで現れた。シヤマクさんは時には責任者に提案したが、なぜか受け入れてもらえなかった。同様に、部下が重要な提案をした時、シヤマクさんは無視した。それは、部下が提案した時に同僚に対して強烈な不満をこぼしたため、話の中に価値のある部分が耳に入らなくなったからだ。その後、改めて考えてみると、自分が責任者に提案した時にも他人に対する不満があったということが分かった。

 「話の中に執着心が隠れている」ことは、話し合いが順調に進まない重要な原因である。責任者に提案をする時、顕示心あるいは自分を実証する心があってはならず、もし、アイデアが採用されなければ、内に向けて探すべきだとシヤマクさんは実感した。

 時には責任者はシヤマクさんに本職以外の仕事を分担させたりするため、耐えられないほどのプレッシャーを感じ、甚だしきに至っては上手くできなければ辞めようという念まで芽生えた。しかし、意外にある言葉が頭の中に浮かんできた。「失敗することが恥ではなく、逃避することこそが恥である」

 「自分はメディアの仕事に従事するため、すべてを放棄しました。毎日法を実証することができ、常人の仕事をする必要はありません。頑張らない理由がないではありませんか? 多く行なえば行なうほど、得るものも多くなります。責任者が自分に多くの仕事を与えることは良い事であり、貴重なチャンスを見逃さないように手助けてくれているのです」と語った。

 メディアの仕事に入り修煉しなおす

来自法国巴黎的华裔女生Emilie
エミリーさん

 フランスのパリからきた中国系のエミリーさんは、小さい頃から父親と一緒に修煉していたが、学法や煉功、大法の活動に参加したとはいえ、すべて受動的なもので、「真修」とは言えない。そのため、大学に入った後、常人のようになった。

 大学を卒業する前に、幸運にも神韻芸術団の公演を鑑賞することができ、芸術家達の完璧な技巧に震撼させられた。そして、大法と自分の修煉について考えるようになり、正式に修煉を始めた。自身が法を正す時期の大法弟子の要求と未だかなりかけ離れており、この神聖な称号にふさわしく、自ら「三つのこと」をしっかりと行なわなければならないと認識し、同時に目覚める機会をくださった師父に感謝した。

 卒業後、エミリーさんはニューヨーク本部のメディアの仕事に従事することを決めた。最初の3カ月はとても順調であったが、間もなく試練がやってきて、「とても疲れた」という苦しい時期もあった。仕事の内容はメディアの収益と関わりがあるため、プレッシャーがとても大きく、100メートルのラスト・スパートに入ったような毎日だった。

 パソコンの前に座って、するべきだとわかっていても集中してやり遂げることができず、落ち込んでいた。人間のあらゆる考えが湧いてきて、ホームシックになり、悲しみ、孤独、最後に我慢できずに大泣きした。その瞬間、これがすべて情の現れであることに気づき、師父の説法を思い出し、「強くなれ」と自分に言い聞かせた。だんだん、頭が明晰になり、集中して仕事を成し遂げただけではなく、収益状況も好転した。

 3カ月の実習期間が終わった後、修煉していない母親と兄は、エミリーさんがメディアの仕事に就職することに猛反対した。エミリーさんはパリに帰って家族を説得しようと試みたが、理解してもらえなかった母親は、憤怒して「どいてくれ」と言い、兄は「利己的だ、失望した」と言った。エミリーさんは、これは自分が乗り越えなければならない家庭の関だと悟り、「もしも家族の支持がなく、多くの給料をもらえなければ、まだメディアの仕事を続けるでしょうか? もしもすべてを放棄しなければならないのであれば、衆生を救い済度するだけであれば、まだ会社に戻りたいと思うだろうか?」と自分に再確認した。

 解答がすべて「イエス」になると、すべてが順調になり、母親は突然エミリーさんがニューヨークに戻ることに賛成した。エミリーさんは師父が苦心して按排してくださったことに感謝した。「自分の考えを固めた後に、修煉の道にある障碍の要素が一掃された」と話し、今回の出来事は内に向けて探した巨大な突破であったという。

 人を救う心があれば奇跡が現れる

新唐人“传奇时代”的制片人马女士
新唐人テレビの「伝奇時代」番組の製作者・馬さん

 馬さんは新唐人テレビの「伝奇時代」番組の製作者である。馬さんは真相を伝える映像を製作する中で、師父の慈悲と大法の奇跡を体得した。大法が迫害を受けて以来、理工学科だった馬さんは、映画製作の方法で迫害を暴き出し、大法の素晴らしさを伝えたいという強い一念が生じた。そして、自ら努力して映画やテレビに関連する知識を学ぶと、大法の不思議が製作過程の中でおのずと現れた。

 製作する前に、馬さんはまず映画のテーマや、視聴者に感じて欲しいものは何かを考えた。第一部の作品を製作した時、まだ設計について分からなかった馬さんは、ベートーベンの音楽を使って映画の各段階の情緒を表現しようと霊感が湧いてきて、その映画は大成功した。

 馬さんによると、「感動的な物語や視聴者たちの好きな方法と受け入れやすい角度から、如何にストーリーを展開し、人々に大法を理解させ迫害に反対することを分からせるかは、私達の仕事です」という。製作の中で、馬さんはいつも視聴者の視点を忘れずに仕事をしている。例えば、どのようにして人に興味津津に見続けさせられるか、人に悲しみや喜びを感じさせるタイミング、視聴者が重苦しく感じた時、どのように解決するかなどであった。

 その他、馬さんは、個人修煉と仕事の状態は緊密に関係していると分かった。多くの場合、頭の中にいくつか分散しているアイデアしかないとき、学法や煉功をする中で、ぱっと霊感が湧いてくる場合がある。文章を書く時、よい考えがなく、パソコンの前に座って自分に行動するようにと求めた時、その結果、アイデアと霊感が一体になり、最初の構想や、映画を見た視聴者に持ち帰って欲しい情報と感動が浮かんできた。

 そのため、真相を伝える映像作品を完成した後、振り返ってみると、「その時、どうやって作ったのだろうか!」と毎回驚いた。成功の理由は「修は己にありて、功は師にあり」なのだ。「自分に人を救う心があったから、成功するように師父が導いてくださいました。そして、人を救う役割を果たせたのです」と馬さんは語った。

 観念を変えて氷山が解けた

 テレビニュース番組担当のウエンディさんは、ある時期一緒に仕事をしている同修との間に心性の摩擦があった。ウエンディさんは絶えず内に向けて探す中で、「真」と「善」の更に深い内包を発見した。ウエンディさんの話によると、その同修は突然自分を相手にしなくなり、席を移して離れただけではなく、業務上の話をする時にずっとパソコンを見つめていて、ふだんの顔はさらに曇っていた。2人の間には氷山が横たわっているように、「芯まで冷たくなっていた」と感じた。

 ウエンディさんは交流しようとしたが、しかし、同修はまったく話そうとせず、毎回決心して交流しようと思う時、その同修は休みだったり、忙しくて話の時間がずれてしまったりしして、氷山に押さえられているような感覚で辛かった。

 心を静めて内に向けて探してみると、自分が先に同修と疎遠になったことが分かった。以前、その同修は嘘をついたことがあり、修煉者として嘘をつくことを絶対に許さないという観念に触れたからだと、気づいた。

 ウエンディさんは多く学法をし、修煉の中の「真」は「真を修め心性を養う」の意味で、「言いたい事を言う」ことではないと悟った。また、他人を自分の基準に合うように要求することは正しくなく、修煉者は他者に寛容に、他人を理解すべきであった。そのほか、自分がトラブルに直面することを恐れていることも原因の一つで、トラブルが生じることは良いことで、心性を高めるチャンスでもあり、同修に感謝すべきだとさらに認識することができた。

 観念が変わると、心のしこりも解けた。ウエンディさんは発正念をして妨害を取り除いた。休暇を取った同修が会社に戻ってきた時、お茶に誘い、素直に詫びて、「楽しい毎日を過ごすように」と話した。2時間あまりの会話はリラックスした雰囲気の中でスムーズに進み、同修にも数カ月ぶりに笑顔が現れた。その時、ウエンディさんは氷山が溶けて、心身の比類ない喜び、軽やかさ、世界中まで暖かく、穏やかになったと感じた。

 着実に修煉するとは何か? 法を暗記する中で昇華する

新唐人员工Tina
ティナさん

 新唐人テレビの従業員・ティナさんは、8年間の仕事の中で、「着実に修煉する」ことの内包と重要性を体得した。ティナさんは魔難の前で、心をえぐるほど内に向けて探し、常人の幸せな生活に淡白になり、新唐人の仕事に対しても真剣に行なっているので、着実に修煉していると思っていた。しかし、自分の修煉の上達は非常に緩やかであることを「安定している」と勘違いしていた。

 ある日、2人の同修が相次いで修煉中の問題を指摘してくれた時、ようやく真剣に考えるようになった。そして、大きな関、トラブルの前で、修煉者の基準でしっかり対処することができたが、小さな事に対して、いつも気にせず少しも考えずに常人の思惟ややり方で対処したことに気づいた。さらに言えば、自発的に修煉するかそれとも受動的に修煉するかの問題だったという。

 昨年から、ティナさんは2人の同修と一緒に法を暗記し始めた。毎日一段落ずつ暗記し、スピードが遅くても、ずっと続けている。雑念がなければ、十数分で二段落暗記することができたが、逆の場合は、目はある行に留まり、二段落を暗記できるまでとても時間がかかった。ティナさんは「雑念が多すぎて、状態がよくない」と感じた。

 暗記する過程で、時には焦って「数カ月暗記してきたのに、たったのここまでなのか? いつになったら最後まで暗記できるだろうか」とおじけるようになった。学法を通じて、これは急いで目の前の功利を求める党文化の観念による考えだと悟った。

 中国国内では、人々は無神論に洗脳され、何事についても成功と失敗で比べ、結果だけを重視し、過程はどうでもいいという考え方だった。ティナさんは考えを変え、「暗記を終える」という結果は重要ではなく、重要なのはその過程を大切にすることであり、「どこまで暗記しても、それなりに悟り得るものがあり、積極的に法に同化する」ことを思うようになった。

 ティナさんはまた長期に法を暗記している同修に「どのぐらい時間をかけて、暗記したのですか」と尋ねた。その同修は「特にわざわざ暗記したことはないのですが、読む回数が多くなると、自然に暗記できました」と答えた。ティナさんはとても驚いた。長年学法していた自分は、多くの段落について依然として熟知したとは言えず、これは学法の時に集中できておらず、脳に入らなかったからだと思った。続けて法を暗記しているうちに、法の内包について更に深い理解ができ、心性も平穏な状態に保つことができた。試練がやってきた時、トラブルが大きくなってから内に向けて探すのではなく、「小さな事」に気づき、そして、背後にある大きな問題を見つけることで、速やかに向上することが出来ると悟ったという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/31/376476.html)