腎臓結石がなくなり 人生が180度大転換した
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 文/中国の大法弟子 正宇

 【明慧日本2019年1月10日】私は中国の大法弟子で、今年(2017年)42歳で、1996年に修煉を始めました。

 私は知識階級の家庭に生まれ、小さい頃から無神論を頭に叩き込まれ、神佛をまったく信じておらず、さらにイエスや釈迦牟尼は伝説上の人物であり、実在していなかったとさえ思っていました。では、私はどうして佛法修煉に入ったのでしょうか?

 血尿と結石に悩まされる日々が続く

 小さいころは体が健康で、大病を患いませんでした。ところが1990年高校に上がった頃から、頻繁に血尿が出るようになり、激しい運動をするとすぐに血尿が出ました。病院で検査し、病状が重いことがわかりました。毎回トイレに行くたびに真っ赤な血尿を見て怖くなり、「冗談じゃない!」と思いました。両親は焦り、私を連れていろいろな病院で検査し、超音波検査やさらに静脈造影まで行いましたが、血尿の原因はわかりませんでした。

 1995年大学2年の時、血尿の症状が重くなり大病院に検査に行き、ついに原因がわかりました。なんと腎臓結石を患っていました。高校時代に行った検査結果を大病院の医師に見せ、医師は「この検査結果にもすでに結石は表れており、この頃の石が小さかったので医師が見落とし、わからなかったのかもしれません」と言いました。この医師は残念そうに「もし当時わかっていれば、こんなに小さな石であれば石を排出させる漢方薬を飲んで、尿道から自然排出できたかもしれません。数年が経ち、結石はすでに2.7cm x 1.9cmの大きさになり、輸尿管の直径(正常な人の輸尿管の直径は0.8cm)をはるかに越えており、今は排出できません」

 医師は二つの方法を示し、一つ目は、手術で石を取ること。二つ目は、超音波で体外から石を砕き、砕いた石を尿道を通して排出する、というものでした。腎臓結石の手術は大手術で、メスの切り口も大きいので、女性の私が耐えられないのではないかと両親は心配し、そこで超音波で石を砕く方法を採用することにしました。1995年の夏休みに石を砕く技術にすぐれている隣町の病院に手術を受けに行きました。手術代に入院費、食事代に交通費、夏休みだけでも数千元を費やします。両親は一般的な会社員で、1990年代当時の我が家にとっては、これらの出費は少なくない費用で大変な額でした。

 結石の悩みはこれで終わるのかと思いましたが、石を砕くというのは医師が言ったような粉々に砕いて全部排出できるものではなく、一部分だけしか排出できず、結石の一部は腎盂にとどまり、その結石を核として、すぐにまた大きな結石に成長するということでした。医師が排出された結石を検査すると、シュウ酸カルシウム結石であることがわかりました。この結石はすぐにまた再生し、たとえ体外から砕いて出したとしても、またすぐに再生します。たとえ手術で全部取り出したとしても、やはりその後、また再生するだろうということでした。

 医師にもどうにもならず、長期に飲むようにと大量の漢方薬を私に処方しました。しかしこの漢方薬は結石の成長速度を抑えることができるだけで、根本的に石の成長を止めることはできず、結石をなくすことなどは到底できませんでした。

 そして、私の大学生活は他のクラスメイトに比べて仕事が一つ多くなりました。それは毎日漢方薬を煎じて飲むことでした。当時の大学宿舎は安全上の理由で、学生が電気こんろを使用することが禁じられていました。しかし私の病状を鑑(かんが)みて、私が電気コンロを使用することは特別に許可されました。毎晩自習が終わった後、漢方薬を煎じ始めますので、当然、クラスメイト達は自分たちの寝室にいる時に、濃い漢方薬のにおいをかぐことになりました。

 私はこのことでひどく落ち込み、困惑しました。腎臓結石は不治の病ではないのに、どうして病院で治せないのでしょうか? 私は一生涯薬から離れることができないのでしょうか? クラスメイト達が大喜びで体育の授業に参加するのを見るたびに、私1人だけが静かに授業を眺めてとても寂しく感じ、みんなと同じように存分に跳ね回りたいといつも思いました。しかし私にはそれができず、跳ね回ったりしたら、また大量の血尿が出てしまいます。

 漢方薬を飲んでいる間に、体がだんだんと弱ってきました。それは漢方薬のせいではなく、体外から超音波で石を砕いた時、超音波が腎臓に対して強力な打撃を与えたために腎臓に極めて大きな傷を作り、そのため内傷になったのでした! その頃はもう歩く力もなく睡眠の質も悪くなり、昼間は授業を聞く注意力さえなく、勉強に集中できず苦労しました。以前は私の専攻学科の成績は全学年で第3位でしたが、しかし、劣等感が強くなって広がり始め、私の心身全体を覆いました。

 偽の気功と人生に対する思考

 結石の悩みから抜け出すために、さまざまな民間処方を試し、さらにはめちゃくちゃな気功まで習いました。結局大金を払い、石は私の体内でちっとも動かず、それどころか「たくましく成長」していました。はっきりと覚えているのですが、ある時ある気功師が「まかせてください」と言って、その気功師に気功治療をしてもらいました。「功」を発し終えた後「治った」と言い、300元を徴収されました。その後、病院に検査に行くと石はまだ残っていました。私はレントゲン写真を持って行って気功師に見せ「どういうことですか?」と尋ねました。私は気功師が返金するのかと思っていたのですが、気功師はカッとなってレントゲン写真をわきに押しやり、大声で「病院の検査が間違っている、石はないと言ったらないのだ、一銭も返金しない!」と叫び出しました。その横暴で筋の通らない様には本当に驚かされました。そして、そういう気功師はよく「徳をつかめ」とか「良いことをしろ」などと、口癖のように言っていました。

 治療と薬を求めながら、私は人生について考え始めました。もしこの病気にかかっておらず、好調に勉強し、卒業し、仕事をし、結婚していたら、この日のような根拠のないことを考えたりはしなかったかもしれません。しかしその時私は確かに「人はどこから来たのだろうか? そしてどこへ行くのか? 人は何のために生きるのか・・・」と困惑していました。

 この疑問を解くために、図書館へ行って多くの本を読み、学術カンファレンス(「会議・協議」を意味する用語)へ行って多くの専門家の講義を聞いても、自分を信服させるような答えは見つかりませんでした。その頃の自分は丁度、1艘(そう)の小舟が風雨の中を漂泊しているかのように、目標を失い、方向を見失っていました。近くに先生がいて、クラスメイトがいて、家には両親や家族がいても、いつも孤独を感じ、苦悶し、迷いの中にいました。その時期、もし自分の生活を色で例えるとしたら、それは「グレー」で、色の濃い黒に近いグレーでした。

 しかし、暗闇の中で一つのはっきりとした声で、間もなくある人物が現れ、あなたの人生を180度変えるだろう、と私に伝えてきました。

 私の人生は180度変わった

 大学3年の時、1996年6月、クラスに講義を聴講しに来た女性が来て、しとやかであまり話をせず、聴講生だったので、みんなもその女性とあまり話をしませんでした。その女性が気功を学んでいることをある日偶然に、クラスメイトが話しているのを聞き、興味を掻き立てられました。ある日授業が終わった後、その女性に「気功を学んでいるんですか?」と聞くと、その女性は「そうですよ」。私は「どんな気功ですか?」とさらに聞きました。その女性は紙に3文字を書き「この気功です」と言って、差し出された「法輪功」という3文字が私の目にとまりました。その3文字を見た時、頭が震え、すぐに「私も学びたいのですが、教えてくれますか?」と尋ねました。その女性は「いいですよ、夜になったらグラウンドの煉功に来てください」と言われ、私はすかさず「学費はいくらですか?」と聞きました。なぜなら以前どの気功を習うにもお金が必要だったからです。その女性は微笑みながら「学費はいただきません」と言いました。ああ、それならよかった!

 その女性との簡単な会話から、私が法輪大法の修煉に入り、私の人生が180度変わるとは当時、まったく思いもよりませんでした。

 その晩、さっそく私は煉功場へ行きました。

 煉功場に着くと、なぜか心地よく感じられ、気持ちがスーッとよくなりました。

 煉功場をぐるりと見渡すと20人くらいの人達が集まっており、年配者や若者、教師や学生、労働者や主婦の人もおり、全員私の知らない人達でしたが、すべての人が私のことを親友のように扱い、煉功を教えてくれ、動作を正してくれました。あるおじさんが私に座禅するための敷き物を使わせてくれ、私に座禅を教えてくれ、少しも違和感を感じませんでした。私は心の中で「ここは浄土のようだ」と思ったほど、暖かくて、和やかでした。

 こうして、毎晩煉功場へ行き功を学び煉功しました。煉功場はグラウンドの端にあり、隣は大きな草むらでした。その時は暑い季節で草むらは蚊が群がり、私たちが座禅している時を狙って血を吸いに来ました。しかし、そこで座禅している間は、全身にエネルギーがあふれ、本当にエネルギーが体内を駆け抜けるのを感じました。それはとてもすごいエネルギーで、蚊は私たちを全く刺すことができませんでした。時には煉功していると蚊が来たのを感じ、目を開けてみてみると、蚊がひざの周りをまわっており、刺そうとするのですが私の体に近づくことができず、そのまま飛び去って行きました。

 煉功して十数日後、腎臓のところに一陣の涼しさを感じ、冷気がヒュウヒュウと外に噴き出ているように感じ、古い学習者に「どういうことでしょうか?」と尋ねました。学習者たちは「もしあなたの腎臓に病気があるのなら、先生が身体を清めてくださったのです」。私は「腎臓結石があるんです」と言うと、学習者たちは「病院に行って検査してみてください。先生がすでに清めてくださっているかもしれません」。次の日、病院へ行って超音波検査を行うと、わあ! 本当に石がなくなっていました! 腹部のレントゲン写真も撮ると、石は写っていませんでした! 心の中で喜びました。ついに十数年私を悩ませていた石から解放されました!

 その日の晩、このニュースを煉功仲間に伝えると煉功仲間は全く驚きませんでした。このようなことが煉功仲間の身の上にも起こり、周りの人にも多く起こっているので、特に新鮮なことではなかったのかもしれません。私は煉功仲間に「私は手術をしておらず、石が出て行ったのも見ていませんが、石はどこへ行ったのでしょうか?」と尋ねました。物理系の煉功仲間が「石は先生が他の空間に持って行かれたのでしょう」。他の空間が何のことか、どこにあるのか私にはわかりませんでした。物理系の煉功仲間は「家に帰って轉法輪』の本を読みなさい、本の中にすべてはっきりと説かれています」。あっ、前に『轉法輪』という本を借りましたが、自分の興味のある部分だけ選んで読みました。例えば病気治療に関する部分だけを読み、最初から最後までまじめに読まなければならないのだということに気がつきました。

 『轉法輪』を読んだ後、以前私を悩ませていた人生の問題がすべて明らかになりました。私の生命がどこから来たのかがわかりました。もし修煉しなかったら、どこへ行き、修煉すれば、私がどこへ行くのかがわかりました。なぜ私がこの世に来たのかがわかり、人生の目的と意義がなんであるかがわかり、今まで抱えていた多くの疑問が解けました。

 それから、私は本当に変わりました。人生の進む方向がわかり、目標がわかり、健康になり、日々が充実し、楽観的になり、自信に満ち、めざましい向上がありました。

 法輪佛法は私の知恵を開いてくださり、大学の後半の2年間の学生生活は、元気いっぱいで、反応が速く、1997年にずば抜けた成績で卒業しました。

 教職の道に進んでから、私は何事につけても教えられた「真・善・忍」の基準に基づいて自分を律し、同僚を大切にし、自分の学生を大切にしました。私は全校で唯一、父兄から贈り物や金品を受け取らない教師となり、学生からは一切補習授業料を徴収しない唯一の教師でした。

 江沢民の邪悪ピエロが下劣な嫉妬心から法輪大法への迫害を始めた後、私も多くの法輪功修煉者と同じように、残酷な迫害に遭い、何度も不当に拘禁され、拘留され、労働教養を科され、不当に判決を下され、さらに教師としての仕事を失いました。

 それでも師父のご加護の下、九死に一生を得た劫難を経験し、刑務所を出て家に帰りました。親せきや友人は「信仰のために、あなたはこんなにも多くのものを失い、こんなにも多くのことに耐え、どうしてこんなに頑固にも法輪功を放棄しようとしないのですか?」とみんな尋ねました。

 この質問に対して、私は逆に親せきや友人に「もしある功法があり、一銭も使わずに、長年苦しんできた病気から解放され、もともと薬とともに生涯を過ごしてきた人が、健康になり無病で全身が軽くなったとしたら、あなたは放棄しますか? もしこの功法によって、かたくなで利己的な人間が、大らかで、自信に満ちた私心のない人間に変わったのだとしたら、あなたは放棄しますか? もしこの功法によって、どこへ行っても輝きと素晴らしさが伴うのだとしたら、最も残酷な中国共産党の刑務所の中であっても『真・善・忍』の真理の光を用いることができ、刑務所内の最も暗黒な禁錮刑を打ち破ることができるのですが、あなたは放棄しますか?」と逆に尋ねました。

 友人たちよ、理性を以って考えてみてください。このような残酷な迫害を経験しても、なぜ修煉者たちは依然として、後へは引かずに修煉の道を歩んでいるのでしょうか? それは、法輪大法は本当に徳の高い大法で、法輪大法は本当に素晴らしいからです! 「真・善・忍」が本当に素晴らしいからです! 法輪大法は、すべての人に、すべての民族に、すべての地区に、すべての国に、本当に限りないすばらしさをもたらしています!! これが、1億人以上の人々が学び続けている理由です!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/8/350721.html)
 
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