文/中国の大法弟子 無意
【明慧日本2019年2月14日】(慶祝513明慧特別記事)私は高校の教師です。18年間勤務するなか、学校と学生との間でトラブルが発生したとき、責任者が仕事の按排がうまくいかず窮地に立たされたとき、私はひとりの教師としてしっかりやるべきことをやり遂げました。
ある夏休み、3年生を送った後、私は観光地へ旅に出ました。通常は長期休暇をとった後は再度、高1から教え始めます。旅行中、突然、校長から電話がかかってきました。私に高2の担任を通常したので、早く帰って来てほしいということでした。あまりにも突然でした。高2では文系と理系に分かれることになり、通常は高1のときの担任が引き続き担任になります。途中から担任になると比較的厄介なことになります。しかも私は担任になったことがなく、どうして急に校長は私にと思ったのか分かりません。
私は法輪大法の修煉者ですから、学校のために考えるべきで、校長を煩わせることはできません。私にやってほしいということは、私を信頼してくださったからだと思います。
旅から帰った私は汽車から降りると直接学校に行きました。その日はちょうど授業が始まった日でした。教室に入ると、学生の視線はとても挑発的にみえました。仲の良い同僚が密かに教えてくれました。このクラスは2年生の中でも最も良くないクラスで、成績の良い学生はみな別のクラスの担任に選ばれていき、そして家庭が裕福で、威力のある家庭の学生はみな手を尽くしてほかのクラスに移ったのです。いくら苦労して頑張っても良い結果を出せないので、誰もこのようなクラスを担当したくないと思っています。校長はこのクラスの担任を誰にするか困っていたようです。私は「大丈夫だ。私は大法弟子だ。大法の基準で自分に要求し、学生からは何も見返りを得ようと考えない。どんなに大変であっても職務を果たそう!」と思いました。
しかし現実は私が予想したほど簡単ではありませんでした。絶えず問題が発生しました。最も私を悩ませたのは、数人の男子学生が常に授業をサボり、校外のネットカフェに行くことでした。私は授業が終わるとネットカフェを一つずつ回りながら彼らを探しました。見つけた後、ネットカフェの隣にある冷たい飲み物を販売する店に連れて行き、アイスクリームを買い、食べるように促しました。学生達は非常に驚き、アイスクリームを食べようとしませんでした。この先生が何をしようとしているか分からなかったからです。多分、クラスに連れ帰り、激怒して、保護者に電話をするか、教務課に連れて行くだろうと思っていたからです。以前の先生は皆このようにしていました。
私は心から学生達と話し合い、彼らの考えを良く理解し、それから私の要求を話し始めました。「物事が今ある状況になったのは、急にそうなったのではなく、長い間の積み重ねによるものだ。先生は君たちに一気に完璧になり、心を静めて勉強するようにとは要求しない。ただし、授業をサボることは学生として最大の間違いであり、私は絶対に許さない! 君たちは少しずつ遊びを止め、少しずつ進歩してほしい」と伝えました。学生達は自分たちのことを、私が理解してくれていると感じ、再び授業をサボらないと約束しました。当時私はまだ若く、またはじめて担任になって、まったく経験がないため、学生達の話を信じ切っていました。
実際の状況として学生達の意志の強さには非常に限りがあり、彼らは続けて授業をサボりました。なす術もなく、私は保護者を呼び出しました。しかも学生は何回も約束を守らなかったため、私は保護者の前で泣いてしまいました。学生と保護者は私が心の底から彼らのために考えている姿を見て、みな感動しました。
その間、校長がまた他の授業の担当者が困っていて、差し迫った状況なので解決するよう私に助けを求めてきました。それは高3の浪人生のクラスの学生達が担当の先生の授業に不満を覚えていたため、私にその二つの浪人生のクラスの授業を担当してほしいとのことでした。どうしよう! そもそも私は高2の三つのクラスの授業と、それに担任の仕事もあり、すでに困難な状況に追い込まれているのに、またほかの学年の授業の準備もしなければなりません。かつ浪人生は先生に対して大変要求が高いのです。もし私が修煉していなかったら、どう言われても校長の要求を受け入れなかったはずです。しかし、大法の修煉は私に対していつでも、どこでも人のために考え、無私無我であるよう要求します。
私は再び、躊躇することなくその要求を受け入れました。その日から、毎日朝早くから夜遅くまで授業の準備をし、常に睡眠時間はとても少なくなりました。なぜなら私は授業の経験が足りず、それに学生に対して責任をもち、毎回の授業の質をあげるため、自分の時間をさいてしっかりと授業の準備をしなければならなかったからです。昼間は授業以外に、クラスの担任の仕事もしっかり対応しなければなりませんでした。
しばらくの期間を経て、私の担任するクラスの学生達はもう故意にトラブルを起こさなくなりました。しかし、クラスの数人の学生の性格は比較的偏屈であることに気づきました。その学生達はみな片親だけの家庭で育てられていました。この数人の学生の生活と情緒面において関心を払い、励ましたり、授業中は発言を促したり、また楽観的な学生には個別に配慮して彼らに接触しました。給料をもらうと、専門店に行き、母親がいない2人の男子学生に衣替えの服と靴を買い、また学習上での進歩を褒めて激励しました。当時私の給料は300元しかなく、学生達への買い物をすると、自分の生活は苦しくなり、節約しなければなりませんでした。
当時、先生は補習用の資料を注文するとリベートを受け取っています。私は大法修煉者なので、自分に対して厳しく要求し、資料を注文して受け取ったリベートは全て学生達の知識面を広めるよう、毎回、参考書や世界的に有名な書籍を購入しました。クラスの図書棚には学生のために入念に選んだ良い書籍がたくさん並べられています。クラス全体の精神面も少しずつ変わり、成績も大幅に上がりました。
高3に進級し、トップの学生を選抜するとき、かつて最も良くなかった私達のこのクラスからなんと6人の学生が選ばれました! 全学年で私のクラスが最も多かったのです。選ばれた学生で新しいクラスを編成しますが、6人の中の2人は現在のクラスを離れたがりませんでした。私は根気強く2人を説得しました。トップの学生で編成されたクラスの授業と学習の雰囲気は彼らの潜在能力を発揮するのに最も有利だと伝えました。私とは逆に、他のクラスの担任は選ばれた学生をなるべく残そうとしていました。なぜなら、成績の良い学生はその年の大学入試結果の奨励金の金額を決めるからです。
私が担任した学生達が高3を卒業後、校長は私に担任としての業績に対し、県レベルの優秀教師という栄誉を授けてくださいました。同時に我がクラスの本科への進学率は高く、私がいただいた奨励金は全校で最も高額でした。これはまさに師父の説かれた「求めずとも自ずと得る」[1]ではありませんか。
保護者はみな自分の子どもが素晴らしい先生に恵まれるよう望みます。同様に、校長はみな教師が献身的に自分の任務を遂行するよう望みます。大法修煉者として、私はほかでもなく学生に対して責任を負うべき先生であり、仕事に対して責任を果たすべき教師です。なぜなら、法輪大法の修煉の最低の要求がまさに常人社会で、真・善・忍の基準に符合する善い人になることだからです。同時に、中国人がみな大法の真相を理解するよう望みます。もしあなたが真相を知ることができれば、あなたを祝福します。なぜなら、あなたはすでに人生で最も貴重な財産を得ることができたからです。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』