迫害で心神喪失した趙玉紅さん 連行後に居場所が不明
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 【明慧日本2019年5月4日】(山東=明慧記者)山東省煙台招遠市の法輪功学習者・趙玉紅さんは、2018年10月の初めに警官により連行され、煙台市留置場に拘禁された。2019年の旧正月が過ぎた頃、家族は再度、招遠国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)と煙台留置場に行き、状況を尋ねた時に「趙玉紅は留置場にはもういない、どこへ移送されたかは知らない」と言われた。

 留置場から出てきた人の話によると、趙さんは所内で「狂人」と呼ばれていたという。それでも、趙さんはずっと迫害に反対し続けたという。

 招遠百貨店の店員だった趙さんは、1999年7.20以降、江沢民が法輪功を迫害して以来、繰り返し長期に渡り、ひどい迫害を受けたため心神喪失となり、深刻なうつ病の症状が現れ、ここ数年各種の幻覚症状も現れた。趙さんの父親・趙志勇さんはこの打撃に耐えられず、2004年2月11日に亡くなった。

 派出所で滅多打ちにされ、一晩中気絶する

 2000年元旦の前日、夢芝派出所の警官らは数十人の法輪功学習者を苦しめた。趙さんともう1人の女性学習者は脱走したが、間もなく捕まえられ派出所に戻された。そして、鉄のパイプに昼夜吊るし上げられ、食事とトイレは一切許されなかった。1999年12月31日の夜、身を切られるような寒さの中で、空腹の趙さんは吊るし上げられたまま、気絶した。警官の于文東はさらに4人を呼んで来て、5人が同時にゴム棒で激しく趙さんを叩いたり、手足で殴ったりして、口では「お前は死んだふりをしてるのだろう」と罵り、強烈に殴打した。気絶していた趙さんは殴られても、まったく声が出なかった。さらに、于文東は電気棒で電気ショックを加えたが、冷たいコンクリートの地面に横たわった趙さんは、依然として反応がなかった。またしても、于文東は気が狂ったかのように革靴で趙さんの頭を蹴ったり、踏み付けたりしたが反応はなかった。すると今度は「窓を全開にして、あいつを凍死させろ!」と叫んだ。終いには疲れ果てて、ようやく暴力をやめた。趙さんは雪が入り混じった骨を刺すほどの寒風の中で、気絶したまま一晩中コンクリートの床の上に横たわったまま、放置された。


拷問の実演:電気棒で電気ショックを与える

 労働教養所で苦しめられ、心神喪失する

 2000年4月、労働教養を3年間強いられ、山東第一女子労働教養所に拘禁された趙さんは、警官の指示に従わないため、蚊取り線香で身体を焼かれたり、手首も切られて血が出たままにされた。また「五馬分尸」(昔の残虐な刑の一種で、五匹の馬に人の首と四肢を縛り付けて体を引き裂く)にされて、長期にわたり吊るし上げられ、睡眠を剥奪されたことによって心神喪失した。心神喪失により、早めに解放された。

酷刑演示:吊铐
拷問の実演:吊るし上げる

 2002年、趙さんは「法輪大法は素晴らしい」と書いたシールを貼り付けたという理由で、夢芝派出所に連行された。警官は趙さんを鉄の椅子に縛り付けた上、電流を流した。趙さんは全身が蛇に噛まれたような、言葉で言い表せないほどの苦痛を経験し、目玉が飛び出そうな感じがしたという。また、唐辛子が入ったタバコに火をつけたまま鼻腔に差し込まれ、趙さんはむせて窒息しそうになり、鼻腔周辺もやけどをし、気絶した。その後、趙さんは懲役4年の実刑判決を言い渡され、済南女子刑務所に拘禁された。

 刑務所で拷問されて不具になり、不明薬物を注射される

 山東省女子刑務所で趙さんは煉功を続けたため、警官らにより苦しめられた。痛めつけられて両手の親指と人差し指は動かなくなり、機能を失った。2005年3月8日、趙さんの74歳の母親が面会に行った時、趙さんは人に支えられながら、歩行困難な中を少しずつ母親の前へ進み出たが、身体は骨と皮ばかりにやせ細り、顔色は薄灰色で、目はうつろで元気のない様相であった。思わず涙を流した母親は「なぜこのような姿になったの?」と聞いた。趙さんは不明薬物を注射されて力が出ず、足腰にも力が入らなくなり、歩けなくなったことが分かった。

酷刑演示:注射不明药物(绘画)
拷問のイメージ図:不明薬物を注射される

 洗脳班で苦しめられる

 2006年3月18日は、趙さんの冤罪が満期になる日である。75歳の母親は3月17日に山東省女子刑務所に行った際に、娘に会うことが出来なかった。また2006年3月18日、母親は予定通りに娘を迎えに行ったが、「洗脳班(法制訓練センターとも呼ばれる)に移送された」と告げられた。

 招遠市洗脳班で趙さんは暗い独房に閉じ込められ、大小便はすべて独房内でしなければならず、長期にわたり日光が入らず、風も通さないため、部屋の中は異様な匂いがして、息が出来ないほどであった。それでも趙さんは法輪功を放棄せず、堅持し続けた。5カ月後、趙さんはまた1年6カ月の労働教養を強いられ、シ博王村労働教養所に移送された。

 継続される残忍な迫害

 2008年6月、6、7人の警官らは趙さんの母親・葛玉蘭さんの家に押し入り、娘の趙さんを連行しようとした。その後、関係部門の人員らは、母親の毎月僅かばかりの200元の生活補助金までも差し止め、母親の葛さんの生計の道を断った。その後、母親の葛さんはひどい病状が現れ、2008年8月3日に娘の冤罪を晴らせないまま、亡くなった。

 趙さんは2011年3月、2013年5月、2017年7月と相次いで連行され、残虐な迫害を受けた。そして、2018年10月の初めに警官らにより再度連行され、煙台市留置場に拘禁された。現在、趙さんは行方不明になっている。

 明慧ネット2019年4月8日に掲載された文章の中で、煙台市留置場で、ある法輪功学習者が残酷な迫害を受け、心神喪失になり、旧正月の後にどこかに移送されたという内容があった。その学習者は招遠市の趙玉紅さんのことであると推測される。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/10/384946.html)
 
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