文╱中国の大法弟子が口述し、同修が整理する
【明慧日本2019年5月25日】私は黒龍江省の大法弟子で、1999年に修煉を始めました。修煉を始めた当時、字が読めない私は録音を聞くことしかできませんでした。その後、天目からカラフルな文字が見えました。それは師父が本を読みなさいと導いてくださったのですが、私はそれを悟りませでした。その後、同修が明慧ネットの交流文章を読んでくれたため、やっと本を読むべきだと分かりました。
こうして、私は『轉法輪』を読み始めました。読めない字があれば人に聞きました。時には、聞ける人がいなくて、焦って泣きました。この頃ようやく『轉法輪』を読めるようになりました。
同修達は私を助けるため、わが家を学法拠点にしてくれました。しかし、私は皆の読むスピードに追い付けず、ついて読んだり、内容を飛ばしたりして、結局、法を学んでいても形に留まり、法をしっかり心に留めていませんでした。
ある年の12月、私は豚皮で煮こごりを作りました。夫はこの鍋をひっくり返して、せっかく作った煮こごりを床に落としました。私はとても腹が立って愚痴を言いながら、箒で床を片付けました。煮こごりを踏んだ私は滑って転び、手首が腫れ上がり、手の甲も腕も腫れました。夫は「早く病院に行きなさい」と言いましたが、私は「師父が私を管理してくださっているから、病院には行きません」と拒否しました。手首はかなり腫れましたが、しかし痛くもなく、2カ月で治りました。師父は私を守ってくださいました。
内に向けて探せば、やはり普段から法を学んでいても、法を心に留めず、心性をしっかり守ることができなかったため、このような結果を招いたと私は悟りました。
同修は「あなたは真に修めていないよ」と指摘してくれましたが、「自分は三つのこともしっかり行なっているし、功も1日も欠かせずに煉っているから、どうして真に修めていないのか」と納得しませんでした。昨年の秋、私達の学法チームは警官らに家宅捜索されて、多くの迫害の真相資料と大法の書籍が押収されました。幸いに師父の写真は無事で、同修達も危険から逃れられました。
この時、私の天目からまた一行一行の文字が顕れました。師父は私にもっと法を学びなさいと気付かせてくださいました。「自分が法を学んでいても法を心に留めていないため、発正念をしても、煉功をしても心が静かにならず、隠れている執着心を見つけることができず、なかなか向上できませんでした。その結果、自分と同修達に余計な魔難をもたらしてしまった」と私は悟りました。
今度の迫害によって、私は法を学ぶことの重要性を痛感しました。法を学ぶことを通して、本当に法を心に留めることによって、私は隠れていた執着心を見つけ出しました。恐怖心、情、名誉心、色欲心、顕示心、好奇心、私心など多くの執着心を見つけ出しました。
まず、「情」を考えました。息子は経済的に余裕がないため、私はいつもひ孫に財産を残そうと考えました。これは子供に対する情でした。これらの思いが頭に現れると、私は絶えず一掃し、それらを排除しました。「人にはそれぞれ運命があり、情を放下しなければならない」と私は認識しました。
「食べものに対する執着心」もありました。美味しいものを食べたい時、何日間も思い続け、時には、満足するまで食べました。冬になると、大好きな凍らせた梨をずっと食べていました。
「名を求める心」も見つけました。親戚が亡くなっても、私は葬式に参加しませんでした。すると、「親戚は私の噂をしていないか、情の薄い人だと言われていないか」とあれこれ心配して、気になって仕方がありませんでした。
車に乗った時、若い男女がくっついているのを見ました。「私にはきっと『色心』がある、さもなければどうしてこのような場面に遇ったのか」と思いました。
人から「お子さんは最近どうですか?」と聞かれると、私は「お陰様で元気です」と答え、ついでにマンションを何軒、車を何台、商売はどうだ、などと自慢話をしました。それは「顕示心」でした。
また、噂話が好きでした。人の噂を教えてもらえないと、気になって仕方がありませんでした。これは「好奇心」です。
「恐怖心」も未だにあります。少し怪しい車を見かけると、尾行されていないかと心配しました。そうした場合、私は発正念をして「恐怖心」を一掃しますが、時にはその気持ちを排除できず、抑えられませんでした。
その後、法を真に学び、法をしっかり心に留める
法を真に学び、法をしっかりと心に留めることによって、これらの執着心を取り除きました。
それらの執着心は私ではありません。大法に同化した自分だけが真の自分です。法を学ぶ時、別の空間からの妨害があって、法を読んでいるうちにウトウトして、本が手から落ちてしまいました。そうした場合、私は師父の写真の前で跪いて、法を学びました。こうして、少しずつ妨害を排除することができました。
心性が高まると、周囲の環境も家族の態度も変わりました。数十年来、夫は私に関心を持たず、時々、暴力を振りました。今、夫は私に優しくなり、好きなものをなんでも買って食べなさいと言ってくれます。これは法を真に学んで、向上した後に起きた大きな変化です。
これらの向上は、すべて師父のお導きと慈悲なるご加護のおかげです。私にはまだまだ多くの執着心がありますが、これからの修煉の中で必ず精進して、執着心を一つ一つ取り除き、師父の慈悲なるご済度に背かないようにして行きたいと思います。
正しくないところがあれば、同修からのご叱正をよろしくお願いします。