5年の冤罪を経た76歳の技師・劉嗣堂さんに懲役3年
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 【明慧日本2019年5月28日】(山東=明慧記者)留置場で7カ月以上拘禁された山東省済南市の法輪功学習者・劉嗣堂さん(76)は、2019年4月19日、済南市天橋区裁判所により懲役3年の実刑判決を言い渡され、さらに5000元の罰金を科すという判決文を受け取った。劉さんはこれを不服とし、すでに控訴したという。

刘嗣堂
劉嗣堂さん

 済南鋼鉄会社のエンジニアで、設備製造機動部門の課長だった劉さんは2018年9月6日、妻の張慧清さんと一緒に天橋区桑店市場に行き、人々に法輪功がひどく迫害されている事実を伝えたが、桑店派出所の警官らにより不当に連行された。劉さんは高齢のため当日に解放されたが、張さんは留された。警官らは張さんの拘留期間について、10日だと言ったが、15日間に改めた。張さんが拘留されて13日目の9月18日、警官らは劉さんを再び連行し、そして、劉さん夫妻を済南留置場に送り込んだ。

 2018年10月25日、妻の張さんは仮釈放されて帰宅した。同日、済南市天橋区検察庁は、劉さんに対して「前科」(かつて懲役5年6カ月の実刑判決を受けたこと)があるため、逮捕令状を交付した。妻の張さんは弁護士に委託して「不起訴意見書」を天橋区検察庁と桑店派出所に手渡した。しかし、2018年12月、天橋区検察庁は劉さんの案件を天橋区裁判所に移した。

 2019年2月19日、済南市天橋区裁判所は遠隔操作のモニターを通して、済南市留置場で劉さんに対する裁判を行った。当日に結果を出さなかったが、裁判官は「裁判結果は上の指示によるものである」と明言したという。

 劉嗣堂さん夫婦がかつて受けた迫害

 2005年11月30日、会社側は劉さんに中国共産党の「再勉強会」に参加するようにと通知したが、劉さんは「私は脱党したので、行きません」と参加しなかった。すると、会社側の書記と保衛科長は6、7人の警官らを引き連れて劉さんの家に行き、家宅捜索を行い、法輪功を中傷する内容の書面を取り出し、劉さんに署名するように強要した。しかし、劉さんはそれを拒否し、逃走した。

 そのため、劉さんは約2カ月ぐらい放浪生活をして家に戻った。しかし、2006年3月2日晩8時頃、劉さんは自宅に侵入して来た警官らに連行され、済南市の劉長山洗脳班に送られて、8カ月あまりひどい迫害を受けた。

 2009年2月4日、劉さんは歴下区軽騎路派出所の警官らにより自宅から連行され、家宅捜索を受けた。警官らは劉さんの家にある多くの家財や、息子の結婚資金の9万元の現金を押収した。2009年12月9日、歴下裁判所は劉さんに対して開廷をしたが、家族の傍聴を許さなかった。同18日に懲役4年の実刑判決を宣告された。前判決と併せると、懲役5年6カ月の実刑判決となる。

 妻の張さんは夫を救出するためにあちこちを駆け回り、やっと歴下区610弁公室の責任者・李東方に会えた。李東方は「公安支局に決定権がある」と言ったため、妻の張さんは公安支局を尋ねたところ、「610弁公室の李東方を尋ねなさい」と言われた。そのため、張さんは再び李東方の所を尋ねた。李東方は隠れる場所がないことを見て取り、「泉城広場で待つように」と答えた。そして、妻の張さんはご飯を食べる間もなく、厳しい寒さを忍んで数時間待っても来なかったという。そのワケを電話で聞くと「俺は、時間がない」との一言で終わらせたという。それだけではなく、李東方はこっそりと秘密裏に、張さんを山東省女子労働教養所に送り、拘禁した。

 劉さんは刑務所に拘禁された間、酷い拷問を受けたため、何度も武装警察病院に救急搬送されたが、家族との面会は許されなかった。2013年5月2日、家族は刑務所に面会を求めたところ、刑務所側は「病院側が面会することに同意していない」とウソを言った。家族が病院側に聞いてみると「私たちとは関係ない。刑務所側が面会を許さないのだ」と返答があり、病院側の問題ではないことがハッキリした。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/10/386447.html)
 
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