明慧法会|言行により法輪功のすばらしさを伝える
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 文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2019年6月10日】私は小学校の教師で、2008年に法輪大法の修煉を始めました。師父の慈悲深いご加護の下、ずっと着実に法を正す修煉の道を歩んできました。第15回の法会をお借りして、修煉の中で大法のすばらしさを伝えた少しばかりの体験を書いて、同修の皆さんと交流したいと思います。初めての投稿ですので、法に則っていないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします!

 心性を守り、父兄からのお礼断る

 現代社会では、すべてがお金で取引されます。父兄になると学校で子供が先生の配慮を受けられるようにと、先生にお金を送ったり、物を送ったりします。私は修煉者であるため、当然、大法の要求に基づいて行なわなければなりません。教師として、責任が重大であることを深く知っており、子供に真相をわからせるだけではなく、言葉と行ないで、つまり言行で大法のすばらしさを伝えなければなりません。また、メディアの嘘偽りの宣伝を受けたために、大法に対して起きた誤解を徹底的に取り除かなければなりません。

 私は大法の法理である真・善・忍の基準に基づいて自分を律しています。仕事では教科をしっかり教えるだけでなく、生活の上でも細心の注意を払い子供の面倒を見ており、子供が風邪をひいて熱を出せば、子供のためにお湯を沸かし薬を飲ませ、おなかが痛くなれば、電気ホットパットで子供のおなかを温め、冬は子供にお湯を沸かして飲ませたりします。私のやり方に父兄たちは感動しました。父兄たちは私が大法修煉者であることを知っており、私の行動から、大法のすばらしさを見て取り、大法に対する誤解を解消してきました。

 私が子供に対してよくしているのを父兄は見ており、教師節になるといつもお金や物を送ってきますが、私は全てそれらを断りました。子供に対する私の努力を見て、父兄たちは自分たちの気持ちを「お礼」として、とても表そうとします。すべての児童の父兄が300元ずつ出して校長に渡し、校長がそのお金を私に引き渡すようにある父兄が手を打ちましたが、それを校長に拒絶されました。校長は父兄たちに「あの先生は受け取りませんから、持って帰ってください」と返しました。これらのことを私は上司から聞きました。

 また販売の仕事をしているある父兄が、学校で私と会って「本社が私たちの支社にお酒を奨励しており、台にしまってあったもので、ここでは買えません。あなたが物を受け取らないことはよく知っていますが、このお酒は私がお金を使って買ったものではないので、どうぞお納めください。この6年間あなたは子供にしっかりと教え、普段は自分のお金で子供に賞品を買い、夏には子供のためにアイスクリームを買い、この数年の子供に対するあなたの努力に、私たち父兄は感激しています! 先生、もし受け取っていただけないのなら、私はとても残念に思います」と父兄に言われました。もちろん私はやはり婉曲(えんきょく・遠まわしなこと)に断りしました。この父兄にまた「この物欲の強い社会で、あなたのような先生に出会うことができて、私はあなたを敬服します。あなたたちの学校は本当に浄土です」と言われ、私は「法輪功という浄土があって、はじめて学校が浄土になるのです!」と言いました。

 子供が入学した時から父兄は私が法輪功を修煉していることを知り、以前は皆、子供を転校させたがっていましたが、今では、私に対して敬服しています。それは私が自分の言行によって、大法の尊厳を守り、師父の偉大さを実証しました! 父兄は大法のすばらしさを感じています! このすべては大法が私に与えたものであり、師父が弟子に与えられたものです。

 名利心と嫉妬心を取り除く

 最近ある出来事が起こり、自分には強い名利心があることがわかりました。

 今年、学校は優秀な教師を選考しました。仕事の成績によると、私は優秀でした。ある若い女性教師は自分が優秀教師になりたくて、泣きながら校長に訴えました。校長は他の人の仕事に口出しできず、最後に私に会いに来て、優秀教師の肩書を私は譲り渡しました。私はすでに3年連続で「優秀教師」の肩書を譲っており、今回も校長が私に会いに来て、何も考えずに同意しました。

 仕事を終えて帰宅する時、このことを私は同僚に伝えました。同僚に「あなたが譲るべきではなく、あの先生はいつもきちんと仕事をしておらず、それなのに優教師になりたいですって? この不健全な風潮とよこしまな気風を助長すべきではありませんよ」と言われました。その時は同僚の言っていることが正しく、譲るべきではないと思いました。翌日、教務部に行って、今度は副校長にこのことを話しました。副校長は「そうですね、私たちの学校であなたが最も忙しく、クラスの成績も突出しており、1人の優秀教師を選ぶとしたらあなたでしょう。あなたはいつも優秀教師を譲っており、今は肩書を昇格するのに優秀教師でなければ否決されます。ここ数年あなたは一度も優秀教師になっておらず、これはあなたにとって不公平だと思います」。私も副校長の言うことに道理があると感じ、本当に譲り渡すべきではないと感じ、段々と心の中がとても不愉快になってきました。

 家に帰った後、夫(同修)とこのことについて交流しました。夫は法に則って私と交流し、私にアドバイスしてくれました。師父は「ある日勤め先が住宅を配分することになり、上司が、住宅事情の困っている人はみんな申し出て、事情を説明し、どうして住宅が必要なのか申し立てるようにと言いました。それぞれが自分のことを申し立てたのですが、その人は黙って何も言いません。しまいに上司は、その人が他の人より困っていることを見抜いて、住宅を彼にあてがうべきだと言いました。他の人は、『それはいけません。彼に割り当てるべきではなく、わたしがもらうべきです。わたしのほうがこれこれの事情で困っているのだから』と、言います。すると彼が『ではもっていきなさい』と、言ったというのです。常人から見れば、この人は馬鹿に違いありません。彼が煉功者だと知っている人がいて、『君たち煉功者は何も要らないというのですが、では要るものは何ですか?』と彼に聞きます。彼は『他人の要らないものが要る』と、答えました。実のところ彼は全然馬鹿などではなく、かなり賢いのです。ただ個人の現実的利益については、こういうふうに対処するのであり、自然に任せることを重んじるのです」[1] と説かれました。私は自分がどのように行うべきかをよく考えてみることにしました。

 私は「どうして私は他の人に『優秀教師を譲る』ことを伝えたのだろうか?」と心を静めて内に向けて探しました。この「名」を放下していないからで、「名」の背後は何でしょうか? それは「利」です。優秀教師は肩書きを昇格させる資格で、肩書を昇格させれば毎月6、700元の給料が上乗せされて支給され、1年で7、8000元が支給され、しかもそれが永遠に続きます。これは少なくない財産です。「名と利」はすべて放下したものと自分では思っており、いつも「利」・財産についても淡々と見ており、「名」についても軽く見ていると思い込んでいました。さらにはいつも他の人に「財産は死ぬ時に持っていけません・・・」と言っています。しかし、実際の目の前の「名と利」の試練の下では、私は本当には放下しておらず、隠された深い「名利心」を見つけました。この方面では表面だけで修めていただけで、本当には放下していなかったことがわかりました。

 師父は「人の修煉はつまり最大限に人の執着心を取り除く過程です。どうしてこのことをこれほど重く見なければならないのでしょうか? あなたの頭で考えている、執着している、大事にしていることは即ち一つの壁です。常人から離れさせない壁です」[2] と説かれました。

 私は隠された深い「名利心」を掘り出し、今になって初めて、「名利心」を解体して取り除くことを認識し、師父の慈悲深いご加護の下で本当に「名利心」を修煉して取り除きます。師父は私たちに他人を優先し、自分を後にする覚者になるように要求されています。仕事においては最もよい行いをしなければならず、「名と利」の前では自然に任せて得ても得られなくても、心は水のように静かでなければなりません。どこでも「真・善・忍」の基準で自らを律し、同僚たちに大法のすばらしさを感じさせたいと思います!

 真相を伝え、人々を救う

 真相を伝え始めたばかりの時は、ただ写真付きのメールとパンフレットを送るだけでした。その後、私たちの地区で携帯電話で真相を伝えることが広まった後、同修の助けの下で、私も携帯電話を使って真相を伝えてみることにしました。初日は緊張し、さらに初めて直接相手と通話し、何を言えばよいのかわからず、先にメモを書いておき、電話がつながった後にメモの通りに読み、その時話がしどろもどろで、頓珍漢な答えをしましたが、師父のご加護の下でなんと9人を三退させました。はっきりと覚えていますがその日は2014年7月20日でした。同行した数人の同修の中で、私が三退させた人数が最も多く、その喜びは言葉では言い表せません。それが師父の弟子に対する励ましであり、弟子に外に出てくるように励ましてくださっているのだ、ということが私にはよくわかりました。その日から現在まで、私はずっと携帯電話で真相を伝え、衆生を救い続けています。

 私たちの学校には「高校に通っている子供が家にいる場合は、先生たちは正午に前もって家に帰り、昼食の準備をすることができる」という規定があります。私は毎日まず高校に通う子供のことをきちんと片付け、正午の時間を利用して、1人で学校のそばの麓(ふもと・ 山のすそ。山麓)の下に行って、真相電話を掛けました。他の季節はまだよかったのですが、ここ北方の冬は寒風が骨にしみ、ふもとに立っていつも厚い積雪を踏み、一度立ち始めると2時間は立ちっぱなしで、時には時間を忘れ、出勤時間を誤り、仕事の時間に間に合わせようと走りますが、門はすでにカギがかけられています。保安員に連絡するための携帯電話はないので門を開けてもらえず、門が開くまで待つしかありませんでした。職員室に戻った後、凍って赤くなってしまった手をお湯で洗ってから授業を始めました。

 その当時から現在まで丸4年が過ぎ、正午は基本的に昼食をとらず、それでも空腹は感じませんでした。心の中で思うことは多く人を救うことだけでした。仕事の日は毎日少なくとも、2時間の時間を割いて電話を掛けています。週末は時間に余裕があり、午前中に法を学び、午後は出かけて電話をかけ、ふつうは毎日2、3時間は頑張り、最も長い時には4時間の間、電話をかけ続けました。日を重ね、年を重ね、4年の月日の間に、私が三退させた人数は少なくとも、1万6000人以上でした。

 どこから来た根気と原動力でしょうか? 私は師父のご加護であることをよく知っています。大法の威力が私の絶え間ない精進を支えてくださっています。

 職場である時、凡庸(ぼんよう・すぐれた点がなく、平凡なこと)な教師である私と、学校の数人の上司が、強い日差しの下で草取りをしました。学校の総務部の主任に「やはり法輪功を修煉している人は暑さを恐れませんね。いつも、法輪功を修煉している人を敬服しています。そして、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心で念じていますよ」と言われ、私は自分の言行で大法のすばらしさを伝えていることを実感しました。このように学校にいる人達に真相を伝えると、皆すんなりと受け入れてくれます。学校の中では病気でこの世を去った1人を除いて、他の人は全員、中国共産党の邪悪組織を脱退し、自分のために素晴らしい未来を選択してくれました。

 注意して しっかりと修める

 1人の教師として、小学校から党文化で育ち、現在も教えているのは党文化なので、党文化のものが自分の体には特に重く感じられます。話し方が高圧的なだけでなく特に聞きづらく、他人の感情を顧みず、児童が間違えば、党文化式の語気で叱責します。この気性は、党文化のもので修煉で必ず取り除かなければなりません。数十年来、党文化の思想が根深いために、多く法を学び、しっかり法を学び、大法の中で着実に自分を修め、きちんと自分を修煉者と認めて初めて、党文化の思想がだんだんと弱まり、最後には徹底的に消滅されていくのです。

 今では腹を立てなくなり、いつも修煉者であるようにと自分に言い聞かせ、慈悲と和やかな状態を保たなければなりません。宿題をしない子供がいた時は、宿題を終わらせるように子供を励まし、子供と腹を割ってたくさん話し、法輪功を修煉している先生は素晴らしく、法輪大法は素晴らしいと子供たちにも大いに感じさせるよう、これからもなお一層頑張ります!!

 修煉の中で取り除かなければならないあまりにも多くの心があります。たとえば「恨む心」や「嫉妬心」、「顕示心」などですが、これらはみな修煉の道における障害物です。私は精進し着実に修煉して、慈悲で偉大なる師父に心配をおかけせず、三つのことをしっかりと行い、師父について何処までもついて行き、本当の家に帰ります!!

 ありがとうございます、師父!  合掌

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/11/376532.html)
 
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