明慧法会|自分を修めて家庭にもたらした変化
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年7月4日】

 慈悲なる師父、こんにちは!

 同修のみなさん、こんにちは!

 私は小さい頃から農村に住んでおり、父親は生まれつき怒りっぽくて私は負けん気が強く、父親によく殴られていたので、心に多くの恨みがあり、家を離れようと誓っていました。その後、中等専門学校に合格し、家から4、500キロ離れた町に配属されました。そして、その町で夫に出会いました。

 夫の性格はむしろ父親の方がましなのではないかと思えるほどで、自制心が少しもなく、自分の思った通りに行動し、家庭に無責任でした。そこで、私は毎日怒りましたがどうにも手におえず、体を悪くしました。子供はまだ小さく、このようなどうにもならない、無力で、見込みがない苦痛の中で、すでに本当に崖っぷちに立たされていました。

 その後、身心が支えきれなり、体は薬物に対してアレルギー症状を起こしたので、川のほとりに行って皆と気功を練習し始めましたが、私は何もわからず、病気が治ると聞けばすぐになんでも学び、多くの憑き物の功法を学んだことは非常に残念なことでした。どれだけ残念なことかというと、病気だらけになってしまい、それでも他人の病気を治しに行ったので、顔中が真っ黒になってしまいました。

 ある時、偶然の機会が訪れ、同僚から『轉法輪』を借りて読んだ後、以前練習した功が憑き物の功法であったことをその時初めて知りました。そこで、憑き物の功法をすべて投げ捨て、法輪功を学ぶ準備をしました。

 一、一つの大火事でピンときた

 当時、私の悟性があまりに悪かったために『轉法輪』を1回読んだ後、私は職場のデスクの引き出しの中にしまってしまいました。私は当時、憑き物の功法を練習することはできないということだけはわかりましたが、『轉法輪』の中のさらに深い内涵には全く気づきませんでした。そのため毎日、疲れはてながら家事と子供の世話をしました。しかしそれでも、この本は私を守ってくださる、という一種の直感がありました。

 ちょうど私が『轉法輪』を借りていた間に、職場は真夜中に大火事で燃焼してしまいました。私の職場は量販店で、中に置かれていたものはすべて商品でした。引火しやすい多くの商品があったので、商品はすべて燃えてしまい、火勢は強く大きく、1階から5階まですべての階が焼け崩れました。

 数日後、保険会社から人が来て燃えていない帳簿がないかどうか、建物に入って調べに来たので、私は保険会社の人と一緒に中に入りました。中に入ってみると痛ましいほど、すべての商品が焼けてしまっていて、廃墟のようになっていました。

 私の事務所は5階にあり、タオルを湿らせて頭に巻き、事務所がどうなっているか見に行きたいと思いました。なぜなら、事務所にはお金と私物があったからでした。私は廊下に沿って歩いていき、すべての事務所内の物が灰になってしまっているのを見ました。また、同僚は事務所に置いてあった金のネックレスなどの金の装飾品をさがしましたが、大火事のためにすでに小さな金の塊になっていました。

 事務所に着いた時、私はあることに感激しました。というのも、私の事務所には火が入っておらず、ただ入り口付近が燃えてなくなっただけで、事務所内のすべての机と棚などの物品は、すべて良好な状態で残っていましたが、どこを触っても熱のために手をやけどしました。そこで、私は興奮しながら他の人に「事務所の『轉法輪』が事務所を守ってくださいました」と言いました。その時、私はまだ修煉していませんでした。

 この大火後、本当に法輪功を修煉しようと決めました。すると突然、体がピクピクする状態が現れ、体が冷えたり、熱を出したりして夜も眠れず、それが連日続きました。そして、窓の前にいた「白いうさぎ」(憑き物の功法を練習して招き寄せたものだと後でわかった)のようなものが、私の体の上に上がってこようとするのが見えましたが、上がってこられませんでした。そしてこの時になって、苦しみもがきながらも、幸運にも修煉を始めました。

 二、家族が窮地に臨み、自分を追い込んで内に向けて探す

 大法に出会い修煉を始めた後、私の体は何度も大きな業力を消し、師父のご加護の下、歩いて来ました。しかし、私の体は他の人のように体中が軽いと感じることはなく、体はいつも過酷な状態にありました。特に頭がまるで業力の塊の球のようで、頭の中がタガでしっかり絞め付けられているかのようでした。その状態は止まることなく辛く、ひどい時は頭の中で「ばりっ、ばりっ」と鳴り響き、ある時は静功の時に顔がずっと捻じ曲げられ、首の中がカチカチになりました。

 1999年7月、中国共産党が法輪功への狂ったような迫害を開始し、私は信仰を放棄しなかったために、二度にわたって合わせて4年以上にも及ぶ、不当に労働教養に科せられました。釈放された後、体の状況はさらに大変になり、常に煉功に頼って生命を延長させていました。そして、労働教養に科されていた間に、夫は別の女性と暮らし始め、子供の面倒を見ずに、子供はいつも親類の家に預けられていました。労働教養所から出てきた後、私は一文もなく、その時、職場はすでに私を除名にし、どちらにしても当時の体は迫害されて、その状況では仕事はできませんでした。

 4年以上にわたって刑務所に入所させられていた間、夫は一度も会いに来ず、私を知っている人に会うと私のことに触れて罵りました。そこで、私は心の中でも夫から離れたいと思ったので、夫に「離婚手続きをしましょう」と提案しました。すると、表面的にも夫は道理にかけていたので、すぐに同意しました。私自身は大変な時だったので、子供は自然に夫のところに引き取られました。私がこれらのことを行なった時、考慮したのは完全に「私」だけであり、夫と子供を救い済度することなど考えてもいませんでした。その後、長い期間が過ぎていき、前夫と子供からの音信は途絶えました。しかし「前夫と子供が大変で、とても悪い状態にある」ということを偶然に知りました。前夫は運転士で他人とケンカを起こし、相手にケガをさせて、損害賠償したので100万元以上の借金がありました。そこで、私は子供と連絡を取りましたが、子供は電話を取りませんでした。子供は私に抵抗を感じており、ほとんど私のことを知らなかったので、まったくコミュニケーションがとれませんでした。

 修煉して成長し続けていくにしたがって、家族への対応について、私は大法弟子としての責任を尽くしていなかったことを知りました。私は修煉ができておらず、さらに、前夫と子供を救うことなどとはとても言えませんでした。そして、私は心の中で師父に「私は彼らを救い済度したいという願いを持っていますので、どうか按排してください」と申し上げました。

 子供が一人で地方に行ったと聞き、子供に会いに行きたかったのですが、子供がどこにいるのかさえ知りませんでした。すると、頭の中に情報が出てきて、情報では息子が死にそうで、すでに窮地に陥っている、ということでした。しかし、どのように息子を探せばよいのかわからなかったのですが、息子が他の人と契約を結んだ紙がパソコンデスクから出てきて、契約書に住所が書いてありました。そこで、切符を買って地方へ行き、息子が借りた店を探し当てましたが、店の戸は閉まっていました。そこで、他の人に聞くと「この人はもう何日もここへ来ていません」と言われました。

 長い間たってから息子がやって来て、顔を曇らせて私を相手にせず「何しに来たんだ?」と私に連れない返事でした。そこで私は「気になっていたのに連絡がとれなかったので、自分で会いに来たのよ」と言いました。そして、息子の家の中に入ると、部屋の中には荷物以外に、床に一山の空の酒瓶が転がっていました。そこで私が「何か食べますか」と言うと、息子は「何にもない」と言い、息子は何日も食事をしておらず、もう生きるのがいやになったようで、いつか死んだらそれでよく、死ぬのを待っていました。息子のこの大変さを見て、胸の内が切なくしゅんとなり、私は食べ物を買いに出かけました。

 その頃、私はまだ修煉できず、どう修めるべきかわかりませんでした。息子は毎日、眠る以外はゲームセンターに行ってゲームをしており、考え方が深刻に異変したのを私は見ました。そこで、私は大法の法理で息子を変えたかったので、息子の気持ちが落ち着いている時に、自分の方から話題を見つけて話をしました。息子に大法を受け入れてほしいと思い、大法は息子の運命を変えることができる、と息子に伝えました。しかし、息子は無遠慮に「たとえあなたの言っていることが本当でも、俺がひどい目にあうことを承知したとしても、俺はあなたからは何も受け取らない」と私にはっきりと伝えました。特に、私が同修に会いに来るように連絡しているのを見ると、息子は私を追い出し、私に渡したカギを取り戻し、息子の家をすぐに離れるように言われました。この様子を見て心の中で苦しみが本当に極限にまで達しました。そして翌日の午前中、私は帰宅することにしました。

 翌日の朝、五式の功法を煉功した後、眠気が差してきたのでベッドで寝ました。すると、すぐに夢を見て、息子が部屋の中で一抱えのアイスキャンデーを玄関に置いて積み上げ、玄関から2人の人が入って来て、ケーキを持っていました。私は息子の家に残って食べなければだめで、この2人の人は共に劉という名字で、一人は中等専門学校の時期の親しい同級生で、もう一人は前夫の親しい友人で、厚情を以って私を行かせないようにし、そこで目が覚めました。私は師父が悟らせてくださっているのだと悟り、私を残らせようとなさっており、「アイスキャンデー」は長さが3尺で溶けるように、必要な時間を表しており「ケーキ」は私を向上させようとしていました。起きた後、私はご飯を作って食べ終わっても出て行かずに、息子も何も言いませんでした。

 続いて十数日間、息子の家に泊まりました。そして、私はもう息子を変えようとは思わず、時間があれば真相を伝えに出かけて行き、戻ってから学法しました。私は「自分の修煉には大きな問題があるので、今、必要なことはまじめに学法し、法理から向上することだ」ということを知っていました。

 十数日後、息子が長い間遊びに行っているのを見ました。今は息子が手におえないということを自分でもわかっていたので、私は市内に戻り、息子の父親と相談しようと決めました。息子を私たちのところに戻そうと思いました。私はバスを降りるとまっすぐ息子の父親の家に向かいました。数年会っていませんでしたが、子供の祖父と祖母は親切に私を家に入れてくれました。すると、ちょうど前夫が外から帰って来て私を見ると、私が話をする前に足を踏み鳴らして腹を立て、台所から包丁を持って来て騒ぎ立て、私を殺そうとしました。その時、子供の祖父は一切を顧みずに、自分の息子の手を引っ張ってビンタをかまし、子供の祖母も懸命に自分の息子を引っ張り「早く逃げなさい」と私に告げました。私が前夫の家を出るとすでに目まいがして、バスに乗って長い時間をかけて家にたどり着きました。

 家に帰ると師父の写真の前にひざまずき、涙を流しながら「いったい弟子のどこが良くないのでしょうか? 弟子は本当にしっかり修煉したいと思っていますし、どんなに難が多かろうと弟子は前に進みたいし、彼らを救いたいのです」と師父にお尋ねし、啓示を求めました。

 翌日、同修の交流体験を読み、その中では、同修の夫は以前に同修を殴り罵り、一日中ギャンブルに明け暮れて正業につかず、などなどと書かれていました。しかしその後、同修は変わり、恨まずに夫に慈悲深く対処すると、最終的に同修の夫は完全に変わったそうです。私はまじめに学法し、ついに自分の問題がどこにあるのかを知りました。

 こんなにも長年修煉していながら私はずっと「私」を中心に据えており、「修煉」を狭く理解していました。「修煉しなければならない」ことは何よりも重要で、誰も私の修煉をしくじらせることはできないし、誰も私の修煉に影響を及ぼせないように、修煉が最も重要であると思いました。私の修煉に影響するであろうと思ったすべてを私は放下し、投げ捨て、排除し、遠くへ押しやり、必要なくならせようと思い、修煉において極端に走ったのです。そして、大法を実証することを含めて基点が「私」に立っていたので、私の修煉はいつも問題が起きていたのでした。家庭関係もその一部で、前夫と息子が私の修煉のためにやって来たのだとは思いもよらず、前夫と息子が起こす問題は自分とは関係がないと思っていました。しかし、前夫と息子は私の鏡であり、前夫と息子を見て自分を探すべきであったのに、私は内に向けて探さず、私は自分を修めていませんでした! 前夫と息子が追い詰められていることに私は目を覚まし、自分を探し始め、多くの人心を探し出しました。

 私は腹の中で前夫に対して差別していたので、前夫が何かをやっても私は軽蔑する心を抱いており、息子に対してもこのような心を抱いていました。これはもっとも典型的な嫉妬心ではなかったでしょうか?! 私は自分を修めることを知らず、前夫と息子が気に食わなくなればなるほど、旧勢力は衆生を崩していったのです。そして、私がいつまでも自分を修めることに気が付かなかったので、旧勢力は前夫と息子を一歩一歩、破滅への道へと押しやり、最終的に前夫と息子を陥れました。これらの魔難によって、私は自分の修煉がひどく大法から逸脱してしまったことに気が付きましたした。私の嫉妬心はこの程度にまでひどくなってしまったのに、「修煉の円満成就」などとどうして語れるでしょうか?! そして突然、私は「家族と子供が病気なのではなく、自分が修煉の道を正しく歩んでいなかったのであり、私は自分を修めておらず、しっかりと修めておらず、その結果、衆生をこんなところまで押しやってしまったのだ」ということが、ようやくわかりました。そして、私は自分を修め心性から探しました。

 その後しばらくして、子供が北京へ行くと、私はすぐにまた外に向かって探し、前夫と息子はどこへ行っても良くないことをする、という観念がまた戻ってきて、前夫と息子をバカにしました。しかし、それに気づくとすぐにこの一念をつかんで解体し、頭の中の古い観念に向かってまじめに「これから、私の衆生は大法と同化し救われるために来たのであり、彼らのことは師父にお任せします」と言いました。子供と家族のすべてのことは師父が按排してくださるのであり、旧勢力とは何の関係もなく、誰かが介入すればそれはその人の犯罪になるのです。つまるところ、家族を一面の鏡とし、家族を救い済度することを基点とし、家族が問題を起こせばすぐに自分を探し、家族が行うすべてに対して恨みを抱かず、黙って家族への大切さを補充しました。

 この数年前、子供はこの街におらず私のところに来なかったので、すでにそれが習慣になっていました。この1年、子供が北京から帰ってきて私を見に来た時「2日後に、あなたのおばあさんの家に行ってきます」と子供に伝えました。すると、子供は私に「お母さん、今年は行かないでよ、何もなければ俺はここに来て住むから」と言いました。師父が説かれた「修は己にありて、功は師にあり」[1] を私は心の中ですぐに体験会得しました。何年も経ちましたが、息子を求めても息子はやって来ませんでした。しかし、私が自分を正した時、息子は頼まれなくても向こうから、やって来てくれました。

 さらに、息子はすでに30歳過ぎでしたが、これまでに見つけた交際相手を私に知らせず、また、その相手ともうまくいきませんでした。しかし今回、息子が帰ってから数日後、息子がまたやって来て、嬉しそうに「お母さん、結婚相手を見つけたよ、とてもいい人で、学校を卒業したばかりの大学生なんだ。彼女はお母さんに会いたがっているんだよ」と私に伝えました。私が観念を改めた後、衆生が正しい道に戻って来たことを私は知りました。そして最近、子供の祖父が新しい家に引っ越したので、今まで住んでいた家を私の息子に与えました。

 半年以上が過ぎ、息子が結婚したいと言ってきましたが、子供の父親にどのように対応すればいいのか、と思いました。そこで、私は子供に「あなたの結婚式に、私が行った方がいいの?」と言いました。すると子供は「お父さんと相談してから伝えるよ」と言いました。そしてある日、前夫がやって来て、私はやはり心の中で心配して、ずっと何も言わず、夫が何を言い出すのかを待っていました。私はすでに前夫を恨まず、いやだとは思わず、夫を救い済度することに心を一変させました。

 前夫は今回来た時は完全に変わっており、心を込めて私に「子供のためにいろいろとありがとう」と礼を言いました。私が前夫と子供を全力で助けてくれたことに感激している、と言ってくれ、「今回の子供の結婚式はあなたのためであり、子供の祖母の家の人も来るので、あなた達の同修も参加してください」と私に伝えました。しかし、前夫はやはり理解しておらず、「あなた同修が他の人に法輪功のことを話さないようにしてください」と私に伝えました。そこで、私はこの機会に真相の一部を前夫に伝えましたが、前夫も何も言わず、ニコニコしながら帰って行きました。

 子供の結婚が数日後に迫った時、頭が特別つらくなり、極度に耐えがたくなり、ひどい時には頭が絶えず揺れ動き、表情もとても苦しそうになり、これでどうやって子供の結婚式に参加すればいいのか? どのように法を実証すればいいのか? と思いました。ある日、子供が買った服のことで前夫から電話があり、電話で激怒していました。そこで、私が行なったことはすべて間違っている、と私を責め、さらに、子供の結婚式に私を参加させない、と伝えてきましたが、私は黙って静かに電話を聞き終わりました。

 電話を置いた後、すぐに自分を探し始め、自分のどこが法に基づいていなかったのかを探しました。当時、大きく無実の罪を着せられている、と感じましたが、自分が修煉者であることを思い出し、師父が説かれた「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません。もう一つは、トラブルの中に業力転化の問題が絡んでいるので、具体的に対処する時、われわれは大らかな態度を保たなければならず、常人と同じようにしてはなりません」を思い出しました。

 私と前夫は輪廻の中で多くの悪縁があることを私は知っており、というのも以前、私たちが口げんかした時、前夫が「俺は恨みを晴らしに来たのだ」と言ったからです。私たちは一緒にいてもまるで仇敵(きゅうてき)と一緒にいるかのようでした。しかし、今生で私は大法に出会い、これらの悪縁を大法の中で善解することができ、以前私がどれだけ家族を傷つけたのかを考えると、今は前夫が私に対して例えどうであろうと、私は修煉者の考え方に基づいて夫に対応できるはずなので、「以前の悪縁をすべて大法の中で善解する」という一念を発しました。

 その日の夜半に正念を発するとエネルギー場が特別強く感じ、引き続き正念を発し続けましたが、その後、何が起こったのか私にはわからず、目が覚めたのは夜中の1時半でした。体が床にうつぶせになっており、頭の前額にこぶができてよだれを流しており、顔がよだれにつかっていました。しかし、頭は楽だと感じ、そんなにつらくありませんでした。そこで、師父がまた手伝ってくださり、以前の借りをこの方法で家族に返し終えてくださったのだ、とわかりました。そしてその後、私を結婚式に参加させないことを子供の父親が言い出すことはありませんでした。

 結婚式では子供の父親は本当に熱心に私の家族を招待し、また、以前来た同修に対しても熱心に招待し、非常にわだかまりが解けていました。また、前夫たちの家族の私に対する態度も大きく変わりました。特に私が警察に騒ぎを起こされている間、義弟は自分から警察署へ行き、状況を尋ねすぐに知らせを伝えてくれ、前夫の姉は私の代わりに子供の面倒を見てくれていました。そして90歳の舅は心配して、自らご飯を買って私が住んでいる所へ送ってくれ、とても関心を持ってくれているようで、私を理解し、私を非常に尊重してくれていました。過去の敵視やさげすみ、排斥、抵抗の態度は、その場から完全になくなりました。

 家族の中である人は真相を受け入れましたが、ほとんどは真相を受け入れてもらえませんでした。しかし、私はすでに家族たちに動かされることはありませんでした。というのも、大法の洪大な慈悲は必ず家族を救うことが出来ることを私は知っていたからです。そして、氷が解けるのに時間がかかることを私は知っており、修煉者の行為こそ真相であることを、また、自分を真の修煉者とすることを私は知っていました。私は内に向けて修め、内に向けて探し、徳をもって恨みに対処し、衆生はみな救われに来たのであり、特に大法弟子と関係のある家族はなおさらでした。そして、家族が大法の中で救われるであろうことを私は固く信じていました。

 三、自分を修め 魔難を溶かす

 2016年の正月に孫が生まれ、嫁が「家の改装をしたら、匂うようになったので住めない」と言ったので、私は「それなら私の家に来なさい」と言いました。孫が生まれるまでの間、私はちょうど警察に嫌がらせを受けており、なぜなら、洗脳班を解体する地元のプロジェクトに参加したからです。その時の雰囲気はとても険悪で、何人かの同修が不当に連行され、県から来た警官が毎日会議を開き、多くの警官らが中国共産党によって操られて悪いことをしました。そして、警官らが私が泊まっている場所のドアをトントンと叩いた後、私は家を離れ臨時に部屋を借りました。

 正月の前日、私は家に帰りました。家に着くと、息子たちがちょうど引越しをしていましたが、息子たちの表情が芳しくなかったので「ここに住むことに決めたのではないですか? どうして引っ越すのですか?」と息子たちに聞きました。すると、嫁の母親が「子供が泣くからです」と言いました。そこで、私は嫁に「子供に向かって『大法は素晴らしい』と念じなさい」と言うと、嫁は顔をそむけ何も言わず、嫁の母親を引っ張って行ってしまいました。そして、息子たちはとても早く引っ越しを済ませ、そそくさと行ってしまいました。息子たちの表情が正常ならぬものであることをはっきりと感じましたが、何が起きたのかわからず、ただ私一人で家で正月を過ごすことになりました。

 大みそかの夜半に息子が激怒しながら入って来て、家に入ると力みながら私に向かって大声をあげて不平を言いました。私のここが良くないとか、あそこが良くないとかと言って責め、俺たちに迷惑をかけるなと私を責め、さらに、これからは俺たちの家に出入りするな、と私に警告しました。私は心を動かさずに静かに聞き、その時は内に向けて探しながら、息子を操っている邪悪要素を解体しました。息子は話し終わると激怒しながら帰って行き、いったいどういうことなのか、私にはさっぱりわかりませんでした。

 30分後、息子がまた戻って来て私にひざまずき、鼻水を流しながら涙を流して私に謝罪したので、私も一緒に泣き「正月なのに、いったいどうしたのですか?」と言うと、息子はいきさつを私に伝えました。なんと、息子の子供は最近は毎晩強く泣いて、息子と嫁がどんなにあやしても、泣き止まないというのです。すると、嫁の母親と父親が占い師を探してきて、占い師が「この家は法輪功を学んでいる人が住んでいる家なので、この子供はここには住めない」と言い、さらに「子供の祖母の体には功があり、この子供を抱いたので、子供は耐えられずに泣いたのだ」と言ったので、息子たちはすぐに引っ越したそうでした。しかし、子供は息子たちの家に戻った後もやはり泣き止まず、嫁は私を恨み、子供が泣いたことを私のせいにしたそうでした。そして、家族はせわしなく占い師に頼み、1000元以上を払ったそうです。そして、新年も楽しく過ごせず、ケンカばかりしたそうです。そして、息子は話し終わると何度も私に「母さん、母さんが無実の罪を着せられたことは、俺は知っているけれども、嫁たちは今はこんなにも道理をわきまえていないので、母さんも子供のことにかまわず、これからはもう子供の所に行かないようにしてください」と言いました。

 息子が帰った後、私は冷静に自分を探し、最近は警察にいやがらせを受けたので自身の空間場が悪くなり、学法と発正念が追い付かなくなっていました。しかし、どうして占い師などを招き寄せることになってしまったのでしょうか? 私は以前、占いの本を見て、いつも人に名前を付けていたことがありました。そして今回、孫に名前を付けようと思ったのですが、嫁が嫌がったので私は名前を付けませんでした。占いの本を見て名前を付けることが法に基づいていなかったことがわかり、さらにこれが不二法門のことでもあり、そのことは、私の頭の中にまだ以前の情報が残っていることを説明していました。修煉後は占いの本を見て名前を付けることはしていませんでしたが、厳格に対処し取り除いていなかったために、これによって潜在的な執着を邪悪に利用されて隙をつかれ、このいざこざを引き起こし、衆生を救えなくなったのです。

 続いて、私は自分に存在している多くの問題を探し出し、家族に恨みを抱きませんでした。すでに夜中の12時半になっていたので、私はまず正念を発しようと思いました。そして、しばらく正念を発していると、心臓が喉元まで上がってきたような感じがし、その後、何もわからなくなりました。そして、意識を取り戻したのは夜の1時過ぎで、頭が枕もとのベッドの隙間に挟まっており、頭は下向きのままでけいれんを引き起こしていました。この時、ある業力によって構成された私は再び死去するところでしたが、師父が再び私の以前の借りを返してくださったことを私は知りました。心から師父に感謝いたします!

 法輪功を学び始めてから何度もこのようなことが起き、以前どれだけの業を作ったのかが自分でもわからず、業力で構成された私はすでに数回死んでおり、毎回、師父に命を救われ、救い出されてきたのです。修煉を始めた初期を思い出すといつでも泣いていましたが、今は「それは生命のわかっている一面が、師父が私のために何をなさってくださったのかを見て、感謝に堪えなかったのだ!」ということを知っていました。

 息子の家のことに直面し、私にどれだけの執着があるかにかかわらず、邪悪要素が衆生を救うことを妨害していることを言い訳にはできませんでした。やはり私は息子たちを救うことをあきらめることはできませんでした。このようにしてしばらく経ってから、私は土産を買って息子の家に行き、最初に行った時、息子たちの表情は冷たく、特に正月に行った時はテーブルの上に料理が並んでいるのに、誰も私に料理を勧めませんでした。息子たちは自分たちの子供を私に会わせなかったので、私も息子たちの子供に会わずにみやげだけを届け、二言三言話をしてから帰りました。帰宅の路上を歩いている時に胸の内が切なくしゅんとなりました。いつもは他人が自分に対して良くない態度をとっても心は動きませんでしたが、実際、身内の冷ややかな表情に遭った時、心が大きく動揺し、時には知らないうちに涙が流れ落ちていました。

 なぜこんなにも辛いのか、私は自分を探しました。そして私は「メンツを重んじる心や虚栄心、自尊心などの心がいつも重く、以前はそれをよけることができ、避けて通ることができましたが、すでにあまりに多く集まりすぎてしまったのだ」と知りました。修煉の時間がこんなにも切迫しているので、これらの心を養うことはできず、引きずり出さなければならないことを知っていました。そして、私は捨て去るべきものを捨て去り、基点は息子たちを救うことにありました。毎回土産を買い、というのも息子たちは真相を知らない常人だからで、人を救うには息子たちの執着に従わなければならなかったからです。そしてだんだんと、息子たちが私に対してそんなに冷たくなくなっていることを知りました。

 4月か5月かのある日、息子たちの家に行くと、嫁の母親が「子供が泣いてしまい、というのもおなかが痛くなったからで、彼女たちが病院に行って小児薬をもらってきて子供に飲ませると、子供は泣き止みました」と言いました。最近では、息子の嫁たちの家では私への禁令は説かれ、子供を抱くことを許されました。そしてその後、嫁たちは私を非常に歓迎し、私と嫁たちの間のわだかまりはすでになくなりました。そして、嫁たちの機嫌がいい時を見計らって、適当な時に嫁たちに真相の一部を伝えました。そして現在(訳注:2017年11月)、嫁の両親は私に対して非常に遠慮深く、私を尊重してくれました。正月に私は嫁たちの家に呼ばれました。嫁たちの家に着くといつも、嫁の母親は嫁に「お昼に姑さんが来るからご飯を作りなさい、彼女は三食食べるのですから」と伝えていました。そのため行く度にお昼になると、嫁はこっそりとご飯を作って運んできました。

 その後、息子と嫁は地方に行き、嫁の母親が一人で子供を見るのは大変だと思ったので、1週間のうちにできるだけ多く子供の世話を引き受けました。嫁の母親は私のことを非常に理解し、できる限り私の時間を使わないようにする、と言ったのですが、それは、私の行なっていることが正しいことであることを嫁の母親は知っていたからです。

 ある時、子供が高熱を出したので、私は子供の目の前で「法輪大法は素晴らしい」と何度も念じました。夜になって、師父の説法録音テープを子供に聞かせるように嫁の母親にお願いすると、嫁の母親は師父の説法録音テープの音を小さくして、毎晩子供に聞かせました。そして最近、嫁の家が憑き物を供えることの危害について嫁に伝え、嫁たちは憑き物をしばらくはそのままにしていましたが、嫁たちを救いたいという私の願望と、大いなる善を用いた行為が嫁たちを感化し、時間の推移に伴って、すべてが師父の按排の下に、救い済度されました。

 これらの乱世での深い縁で恨みとなった衆生に対しても、大法の基準に基づいて行えば救うことができることを私は知り、また、私はいつも善解に関する師父の法を心に刻んでおり、師父は「これはいったい誰の罪なのでしょうか? 私に言わせれば、誰の罪でもないのです。宇宙の成住壊滅という特性によって衆生はこのようになり、これは宇宙の智慧が足りないからです。ですから、最も良い方法はすべての生命が善解することだと私は考えています。お互いに借りがあっても、誰も償いを求めず、すべての生命に罪があるからです。誰もが借りを放棄し、お互いに法を正す中で善報をもって解決し、未来に向かっていきます。これは何と素晴らしいことでしょう!(熱烈な拍手) 衆生はきっとこれを気に入り、皆喜んでくれると思います。これは私が当初行おうとしたことです」[2] と説かれました。

 今回のインターネットでの中国大陸大法弟子の修煉交流法会に参加して、自分が書いたことはとてもわずかなことであると感じました。しかし、このわずかな変化は、以前の自分と比べれば大きな変化ではなかったでしょうか? もし自分が以前このことに遭遇したら、と考えてみると、果たして生きていけたでしょうか? 何によって弟子はこのすべての魔難を解消できたのかというと、それは大法であり、何が弟子の心を絶えず大きくし、解決が難しいことも解決できるようにし、徳をもって恨みに対処することができるようにしたのかというと、それは大法だけです。

 大法は弟子のすべてを救ってくださり、大法は弟子にすべてを与えてくださいました。弟子はただ師父のお言葉を聞き、師父が説かれた「修煉とは人心を修め、自分自身を修めるということです。問題に遭遇したとき、トラブルや困難、そして理不尽な扱いを受けたときでも、自分自身の問題を探し、内に向けて探すことができれば、これこそ真に修煉していることになり、絶えず向上し、修煉の道を正しく歩み、円満成就に向かうことができるのです」[3]  、「自らをしっかり修めてはじめて、大法弟子の使命を着実に果たすことができます」[4]  を心に深く刻んでいただけでした。

 偉大なる師父の慈悲深い済度に、感謝申し上げます!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『台湾法会への祝辞』
 [4] 李洪志師父の経文:『南米法会への祝辞』

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/11/356201.html)
 
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