香港法会|十数年の難関を越え真相伝えの拠点を堅守
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文/香港の大法弟子

 【明慧日本2019年11月16日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1997年に幸運なことに大法の修煉に入り、現在(訳注:2019年)すでに22年になりました。修煉を始める前、私は身体が悪く、さまざまな病気や痛みのため、西洋医、漢方医に診てもらい、多くの薬を飲み、手術をし、試すべきものはすべて試しましたが、それでも治りませんでした。そのころ職場に出勤していた古い労働者が大法を修煉しており、大法書籍を読むように私に勧め、読んでみると、その本で説かれていることは本当に素晴らしいと思いました! 修煉する前、私はいつも自分のことをしっかり行ないたいと思っていましたが、どのようにすべきかわかりませんでした。常人の学校では徳育・知育・体育という「三育」を伝えていましたが「徳」とは何でしょうか? 私はずっとわからずにいました。『轉法輪』を読んだ後に、ぱっと明るくなる感覚があり、自分がずっと探したいと思っていたものをついに探し当てたと思いました! それから絶えず師父の説法の録音を拝聴し、また煉功へ功を学びに行き、しばらくして学法と煉功ができるようになり、自分の病気のことを思い出さなくなり、ごく自然に、さまざまな病気が消えてなくなりました!

 一、確固とした正念を持ち家庭の関を越える

 中国共産党は1999年から法輪功を迫害し始め、中国では多くの大法弟子が不当に捕まり、拘禁されましたが、私が働く職場では運よく誰も私のことを通報しませんでした。私の夫が当時すでに香港に住んでいたので、その後私も中国を離れて香港に定住しました。しかし、夫は共産党のデマの影響を受け、私が大法を修煉していることを知ると非常に反対し、私が出勤して家にいない隙に、私の大法書籍をすべて捨ててしまいました。2001年になり、夫は脳腫瘍が視神経を圧迫したためものが見えなくなり、私に反対することもできなくなりました。私はこの機会を利用し、師父の説法の録音テープを流して夫に聞かせると、聞き終わった後、夫は「なんと法輪功はこんなにも素晴らしいものだったのか!」と言いました。夫も共に煉功をし始め、説法を聞き、3年以上続きました。その後、関が大きすぎたために、夫は耐えられず修煉を続けなくなりましたが、もともと共産党を信じていた夫は大法を信じるように変わりました。

 二、妨害を恐れず真相伝えの拠点を堅守する

 共産党が大法を迫害したので、2003年ごろ、私たち数人の同修は香港に真相伝えの拠点を開設し、法輪功が共産党に迫害されている真相を人々に伝えました。当時私たちは横断幕をかけ、パネルを設置し、共産党の邪悪な行為を展示し、また大法のすばらしさを人々に知ってもらいました。当初真相伝えの拠点を設立する過程は容易ではなく、真相伝えの拠点の場所は人の往来が比較的多く、ものを売る露店の行商人の中の共産党寄りの店主が妨害しに来ることがあり、さらに私たちの横断幕を切り刻みました。しかし私たちは全く動揺せず、自分の持ち場を堅守しました。このようにして真相伝えの拠点も少しずつ安定し、多くの市民も私たちを支持しています。

 その後もともとの場所で整備と建て直しの工事が入ったために、私たちはまた真相伝えの拠点を設けるため他の場所を物色しました。その拠点は繁華街の歩行者専用道路で、毎日午後4時以降は車が入れず、道の両側に多くの大道芸人や行商人の露店があり、人の流れが比較的多く、私たちはさらに多くのパネルを置くことができ、真相を伝える効果もよかったのです。当時は毎日真相伝えの拠点に来る同修は多くなく、人手不足のため、毎日私は車を押して真相伝えの拠点に行きました。少し力不足でしたが、私は「大法のために行なえることは幸せであり、この機会を大切にすべきだ」と思いました。新しい真相伝えの拠点も露店の行商人が場所を取り合うことがありますが、何人かの善良な行商人と、真相を理解した店主が積極的に私のために場所を確保してくれることがあり、他の人に占領されないので、十数年来、私は場所を確保できなかったことはありません。真相伝えの拠点は野外なので、雨が降る時があり、曇りの日になると、私は心の中で「少し遅くなってから雨が降れば助かります」と師父にお願いします。何度も試し、私が拠点を片付けた後に雨が降り出しました。師父がいつも私たちを見守ってくださっているのだと本当に感じています!

 真相伝えの拠点は繁華街の街道にあるので、通り過ぎる多くの市民が真相パネルを目にし、何人かの市民はデータが表示されているパネルを見終えた後「見るまではわかりませんでしたが、なんと法輪功とはこのようなもので、中国共産党はこんなにも残忍に皆さんに対処しているのですね」と真相を理解しました。しかし真相を理解する市民もいれば、妨害する市民もいます。ある時、私が真相伝えの拠点のそばで座り正念を発していると、1人の男性が突然やって来て、真相伝えの拠点のテーブルを足でけり倒したので、私はすぐにその男性と議論すると、その男性は私の右目を殴ったあと逃げ出し、私は追いかけながら叫び、市民の協力でその男性を捕まえて通報しました。その時私はその男性に「香港は本当の話ができる場所であり、中国共産党はこのように残酷に人々を扱っており、私たちが真相を人々に伝えることは間違っていますか?」と厳粛に伝えました。その男性は何度も私に謝り、最後に私も男性を追及せず「今後はもうこのようなことをしてはいけません、二度と私たちに嫌がらせをしに来てはいけません」というと、その後男性は再び謝りました。私は目に少し傷を負いましたが、翌日私はまたいつものように真相伝えの拠点に行きました。なぜなら「これは大法弟子としての場所であり、止めることはできない」と思ったからです。このようにして、私は一晩中仕事をし、昼間は身体が不自由な夫の面倒を見、毎日、黄昏時になると真相伝えの拠点に行くような状況をずっと何年も続けました。

 2012年、このように真相伝えの拠点を妨害する邪悪な団体が現れ始め、様々な手段で私たちに嫌がらせをしました。たとえば私たちと真相パネルを大きな布で邪魔をし人々に見えないようにしたり、私たちがうっかりしている隙に私たちの横断幕を切り刻んだり、さらにいつも私たちに対して騒ぎ立て、汚い言葉で私たちを口汚くののしります。邪悪の徒たちはいつもあらゆる方法を用いて私たちを挑発し、また携帯電話で私たちの写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしました。しばらくの間、私たちの真相伝えの拠点の場所を邪悪の徒たちに占領されないように、同修たちはさらに一晩中真相伝えの拠点を守らなければなりませんでした。

 ある時、邪悪の徒たちのリーダーがまた私たちを嫌がらせに来て、さらに携帯電話で私たちの写真を撮り、ビデオを撮りました。私はあわてず、リーダーを指さして指摘したので、リーダーはその場を離れなければなりませんでした。リーダーがすぐに携帯電話を手放すとはわからず、滑り落ちた携帯電話をまたつかみ、まるで私がリーダーの携帯電話を叩き落したかのように装って通報し、私がリーダーを殴ったと中傷しました。こうして、私は襲撃罪で告訴され、政府が手配した法廷の当番弁護士が私を弁護しましたが、この弁護士は何も私を弁護せず、すぐに罪が決定しました。その時私は「どうして私がこのように罪になるのか?」と思いました。香港は法治社会であり、私は実際罪を犯しておらず、最も重要なことは、私は大法弟子であり、このように罪を着せられたら、他の人は大法をどのように見るでしょうか? 私のせいで大法が辱めを受けるわけにはいかないので、私はすぐに控訴しました。

 しかし控訴の申請をした後、さまざまな難題が起こりました。私の経済状況は十分ではなく、どこから弁護士費用を捻出すればいいのでしょうか? 相手が嘘を言い、私を中傷したことを証明するためには証拠を集め、相手が全く信用できないことを証明しなければならず、証拠を集める過程も困難をきわめました! その過程で、数人の同修がずっと私を支え助けて、私の代わりに弁護士に連絡をとり、関連する法律の条文を研究しましたが、何人かの同修は控訴して訴えるべきではないと考える人もおり、これらのことはみな心性の試練になりました。しかし私はずっと「私は大法弟子であり、罪がないのに罪を着せられたが、大法に辱めを受けさせてはならない」という一念を抱きました。私のこの一念が相当強かったのか、慈悲深い師父が私のために按排してくださったのかわかりませんが、その後ある同修が私の代わりに大学のロースクールの無料法律相談サービスに連絡し、ある法学部の講師が私のために訴えてくれることになりました。この弁護士はその後警察から証拠を取得することに成功し、その邪悪の徒のリーダーが3年の内に90回以上通報していることを証明し、そのすべてが法輪功に対するものであったので、まったく客観的に信用できる証人でないことがわかり、最終的に私は控訴できる事になりました。

 この訴えは3年近く続き、その期間私も少なからぬプレッシャーを受け、経済的な面と心性の試練になりました。困難に遭うたび、私は正念を発し、師父にご加持をお願いしました。この訴えには苦しめられましたが、その間も私はやはり毎日いつものように真相伝えの拠点に行きました。なぜなら衆生を救い済度することを無視することはできないからです! 事後この事件について「なぜこのようなことが起こるのか?」と内に向けて探しました。私は「自分が『善』をしっかり修めていないからかもしれず、あの時あの邪悪の徒に対する態度は善ではなく、さらにあの邪悪の徒のリーダーを指さしていた」と思いました。もし自分が穏やかさと善良を保ち、いつも顔に微笑みをたたえていれば、たとえあの邪悪の徒のリーダーが携帯電話で私の写真を撮りビデオを撮ったとしても、ただ私の善良な微笑みをたたえた顔が撮れたにすぎなかったはずです!

 師父は『轉法輪』の中で「われわれ煉功者においては、トラブルが突然現われることがあります。その時、どのように対処すればよいでしょうか? 平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです」と説かれています。

 さまざまな出来事を経験した後、師父が教え導いてくださった「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」を本当に体得しました。

 トラブルが起こり辛いことに出遭うたびに、いつも自分をしっかりと修めることを重視しなければなりません。

 三、苦難を恐れず難関を突破する

 数年前、仕事をしていた時、ある職員が清掃場所におり、私は濡れた床を踏んで不注意で転び、その時ズボンが濡れましたが、私は気に留めませんでした。その後発正念の時間になり、私は坐禅を組みましたが、座っているうちに、太ももがだんだん痛く感じ、その後、足の皮膚全体が黒くなっていることに気づきました。他の同僚が「あの清掃場所の消毒剤は、強力な腐食性があるかもしれず、そのため皮膚がやけどしたんだ」と言いました。私はその時『轉法輪』の中で説かれた例を思い出しました。ある学習者が道を渡る時もう少しで車にひかれそうになりましたが、心の中になにも恐れがなく、危険が起こることもありませんでした。私は仕事中に傷を負いましたが、私は職場に通知せず、労災補償を申請せず「あの人はただ清掃場所にいただけで、私を傷つけるつもりもなかったのだ」と思いました。私も他の人に面倒をもたらしたくなく、これはすべて自分の難であり、しばらくすればよくなるはずです。

 しかしこの関を乗り越えるのも容易ではなく、皮膚はひどくやけどを負い絶えず血が滲み出ましたが、ただ水で洗い流すだけでも、洗う時ひどく痛く、歯を食いしばって我慢しました。時に傷口はまだ血がにじみ出ており、皮膚とズボンが粘ってくっつき、皮膚が破れることがありました。なんと苦しいのでしょう! 私は「苦をなめることは消業であり、がんばり通すことができる」と思いました。このような状況がしばらく続きましたが、私は耐えて、法を実証することが体の状況によって妨害されることはなく、いつものように毎日真相伝えの拠点に行きました。なぜなら衆生を救い済度することは大法弟子の歴史的使命であり、これが私の責任だからでした。

 二十数年修煉して、私にはまだ多くの不足があると感じます。しかし私の一念は確固としており、どんな時であろうと、大法をいつも一番に考えます。家庭も、仕事も、苦難も、私の修煉を妨害できず、私が法を実証することを妨害することはできません。

 師父の慈悲深い救い済度とご加護に感謝します。私は必ず続けて努力し、大法弟子としての本分をしっかり行ないます。師父に感謝申し上げます!

 もし不足のところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 (2019年香港法会発表文章)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/29/388017.html)
 
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