台湾法会 | 大紀元のプロジェクトに参加する中で初心を取り戻す
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文/台湾の大法弟子  

 【明慧日本2019年12月16日】

 尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2004年に法を得た大法弟子です。15年近く修煉しており、その大半の時間は大紀元プロジェクトに参加することで過ごしました。ここで、私の僅かな体験を同修の皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、修煉の初心を取り戻し、私心を放下し、法を正す道を歩む

 長い間、メディアのプロジェクトに携わってきましたが、かつて、初志を取り戻す方法に困惑していました。学法は重要ですが、修煉は心を修める事に重点を置かなければなりませんので、学法の基点がとても肝要になってきます。以前、師父が私たちの過去は私(し)のための生命であるとおっしゃいました。また、師父は「​旧勢力の最後の要素は法を正すこと自体に対して邪悪的であり、利己的で、法を正すことに設けた宇宙の巨大な難なのです​」[1] と言及されました。

  私は、法を正す時期の大法弟子は全て他人の為の生命のため、旧宇宙の私(し)のための要素から脱却しなければならず、その上、旧勢力の全てを認めないで、大法弟子の自分の道を切り開けなればならないと実感しました。

   例えば、私達の学法と煉功は自分の状態をもっと良い状態に保ち、もっと多くの衆生を救える保障であり、自分の健康保持と幸福を保障するためのものではありません。心性の関を乗り越える時に、損をすることを恐れれば恐れるほど状態が悪くなります。仮に、身体に不調が現れ、機嫌も悪くなるとします。その場合、妨害されることや、迫害されることを恐れていれば、急いで自分の修煉状態を変えたくなります。すると、同修と交流しても、学法を懸命に頑張っても、効果が現れないのです。実は、その時こそ、自分の基点を見つめ直す時なのです。あれやこれや行なっても、ただ自分のトラブルの回避策を探したいだけで、根本的に私(し)の為の行為なのです。そのため、効果がありません。

 私の理解では、私達は角度を変え、衆生を救い済度することに専念しなければなりません。旧勢力は何ものでもありません。なぜなら、衆生を救い済度する大事なことを目の前にして、私達には師父が按排された道があり、師父には私達の業力の取り除き、向上させる方法があるからです。このすべては如何なる生命も検証する資格はありません。全ての生命は師父が正される対象なのです。

 如何なる時にもまず自分の困難や、苦しみを考えるのではなく、考えるのは自分の業力の消去と負債の返済でもありません。私達が専念すべきなのは自分達が担っている責任を全うすべき事なのです。身体から出た不調を全て無視して、「何があっても自分がしなければならない事を成し遂げる」という一念を抱いていれば、直ちに病業の関を突破できることに気付くはずです。同修との衝突や、家のトラブル等の心性の関に遭遇する時、常に頭に現れるのが衆生を救い済度する責任のことであれば、私達は自分の肩の力が抜けて意地を張る事を辞められるのです。個人修煉の泥沼に陥っていくこともなくなってきます。

 師父はこのように説かれました「​ですから、私はいつも皆さんの円満成就は問題ではなく、衆生を救い済度するという重大な使命こそ最大の問題だと言っています。この使命を果たせるかどうかが肝心で、自分自身を成就させるのは問題ではありません。以前すでにその威徳を樹立したから、大法弟子になる資格があるのです​」[2]

 ある日突然、私は「初心を忘れずに修煉する」[3] ことについて、もう一つの意味を悟りました。 一体、何が私の初心なのでしょうか? かつて、自分が神の輝きを捨てて、地上に降りた時に自分の世界の衆生を救いたい、その衆生たちに大法と縁を結んでほしいという願いを抱きながら、人間界にきました。はじめて、この願いこそ自分の初心だと気づきました。私は人を救うためにきました。自分の壊滅を恐れるためでもなく、幸せを求めるためでもありません。

 二、衆生を救うことに専念し、法は全ての怨念を溶かす

 大紀元のプロジェクトに参加してもう十数年経ちました。法を実証する過程において、幾つか心性の関を乗り越えた経験がありました、ここで数例を挙げて、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。ある日、父が病院の検査を受けたら、癌と他の幾つかの重病を患っていると医者に診断されました。同時に、兄が自分の事業経営の危機に陥り、私の身体にも異変が現れ、数カ月の間に、髪の毛が大量に抜け落ちて、頭皮が露出寸前でした。重なるプレッシャーの中で、如何なることも私が大紀元の仕事を停止する理由になる可能性がありました。

 当時、私は大紀元での仕事量が非常に多い中、担っていた責務も重かったのです。しかし、 大紀元時報は主流のメディアを目指して、運営の局面を切り開こうとしている真っ只中で、同僚の皆さんが全力投球で仕事に臨んでいる時に、私がどうして仕事を停止できるでしょうか、想像もできませんでした。

 私は絶えず内に向かって探し「問題はどこにあるのか」と自問しました。しかし、執着心は掘り出せず、状況も改善されませんでした。私の意志は崩壊寸前でした。

 絶えず学法することを通じて、「私は法を正す時期の大法弟子であり、過去の修煉ではなく、自分のすべての執着と心性の向上は師父が按排されたものであり、このような試練があってはならない」と悟りました。直ちに、私は一念が生じ、師父と全宇宙の全ての生命に「このすべてを認めない。邪悪は如何なる手口でも衆生を救い済度することを妨害してはならず、如何なることも起きない」と言いました。また、私の家族の分かっている一面に向かって「私はこの法を実証する道をずっと歩み続けるつもりで、決して撤回しません。あなた達も私と一緒に法を実証し、妨害を排除して、生々世々の旧宇宙の按排を否定しましょう。師父が大法で全ての怨念を溶かされます。私を信じて、師父を信じてください」と話しかけまし た。

 残された時間がどれほどあるかに関わらず、たとえ1日だけでも全力を尽くさなければと考えました。これからの毎日を修煉の最後の日だと思い、心性を向上させる全ての機会だと捉えて、どんなことも自分を磨き、自分を浄化させる良いこととみなし、修煉を続けました。すると、ある日、頭の禿げたところに、一晩で髪の毛が生えてきました。しばらくしたら、父からの電話で、病院の再検査により、癌は見つからなかったことが分かりました。兄も良い仕事を見つけて、すべてが雲から出た光のように、先が明るくなりました。このように、私は大法の不思議な素晴らしさを実感しました。師父が私のすべての怨念を溶かしてくださいました。

 ある日から、私は咳が1カ月も続き、痰の中に血がにじんでいました。毎晩座っていなければならず、眠ることが出来ませんでした。しかし当時、全身全霊で大紀元の仕事に没頭することしか考えませんでした。毎日、仕事のことと衆生を救い済度することが滞ってはならないと考えていました。咳の痛みや、出血が止まるまで我慢し、咳をしなくなれば、また仕事を続けました。集団学法の時間になれば、集団学法に参加しました。およそ1カ月が経った時、咳が止まりました。何も起きませんでした。後にこのことを振り返ってみると、衆生を救い済度することをまず念頭に置いたため、自分の事は頭になかったので、旧勢力の妨害すら思い浮かびませんでした。大法弟子のするべきことをしただけで、この関を乗り越えたのでした。

 また、ある朝、目が覚めると、自分の頚髄が硬直して全身が動けないことに気付きました。一瞬、私は驚きました。自分はまだ若いし、全身麻痺になるのは不可能だと思いました。そして、自分は大法弟子であり、不正な念があってはならない。全ては師父が按排しておられ、大紀元に衆生を救い済度する仕事がまだたくさん残っていることが頭をよぎりました。私は目を閉じて、妨害を取り除く正念を発すると同時に、師父に助けを求めましたが、私はまだ動けませんでした。しかし心の中で「​あなたのものであれば、あなたの言うとおりになります。あなたの腕と足、手と口はあなたが思うままに動かすことができます​」[4]という師父の説法を思い出しました。

 そして、私は力を尽くしてこの虚像を排除することにしました。私は身体を左右に動かしてみました。激痛が走っても、私は身体を動かし続けました。30分経って、身体が少し動くようになりました。長い時間をかけて、私はベッドから起きました。しかし、その後あまりの痛さで、常人の観念に左右され、もう少し横になったほうがいいと考えました。しかし、少し横になったら、もう前のように自分で身体を起こす気力がありませんでした。私は少し冷静になり、旧勢力を否定しながら、内に向けて探しました。

 前の晩、私は口を修めなかったことを思いだしました。その夜、私は同修とのチャットで 「仕事をしたくない」というメッセージを書き込みました。大紀元の仕事は法を実証することです。仕事をしたくない考えは衆生を救いたくないことに等しいのです。冗談のつもりですが、心の中には長期にわたり、蓄積されたプレッシャーがありました。直ちに、私は師父にお詫びをしました。私はこのすべてを否認し、たとえ修煉状態に不足が現れても、旧勢力は私に試練を与える資格がないと改めて認識しました。巨大な正念により、私は身体の束縛を突破して、動けるようになりました。私は起き上がって、会社に向かいました。

 師父が私に正しく歩むように注意をしてくださいました。法を実証する道は困難であり、狭いのです。この道を最後まで歩み続けるには、よそ見をせずに、ためらってはなりません。ひたすら前を向いて、最後まで歩み続けるのです。少しのぶれでもトラブルをもたらします。今回の試練から、私は修煉の厳粛さを思い知りました。そして、大法から私への要求は、自分自身が正しく、心が正しく、意念が正しく、言動も正しく保たなければならないことでした。

 まだたくさんの心性の関にまつわる例がありますが、みな不思議で素晴らしいのです。ここでは全部あげないことにします。しかし、みな共通点があることに気付きました。師父は「​物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います​」[5] と、説かれています。如何なる試練に直面しても、如何なる大きな出来事でも、常に自分は使命を負っている大法弟子であることを忘れずに、自分の責任を忘れずに、私(し)のためのためらいを無くせば、全てを突破できると思います。

 三、大紀元の社説を読む

 最後に皆さんと分かち合いたいのは共産党についての九つの論評』、『共産主義の最終目的』、『悪魔が世界を統治している』の3冊の大紀元の社説の読後感です。

 私達は共産主義が人類を壊滅させることを根本の目的としていることを知っています。旧勢力は自分のすべてを尽くして、壊滅的な方法で厳重な手配をしています。目的は宇宙の全てを支配して、師父の法を正すことを妨げると同時に大法弟子の身体に各種の機制を植え付けました。この機制を破るには、これらをはっきりと識別することがとても肝要なのです。

 『悪魔が世界を統治している』の中で、はっきりと共産邪霊は​憎悪、堕落、あるいは宇宙に存在する低次元の勢力によって生まれた邪霊であり、共産邪霊は全宇宙に悪意を抱き、全人類を壊滅させたい​と指摘しました。この内容を『共産党についての九つの論評』の内容と照らし合わせてみた時、私は自分にあるたくさんの執着が見えてきて、また、同修との間のトラブルの多くは嫉妬心から生じたものだと分かりました。

 そして、私は何故こんなにも大きな迫害が、ただ江沢民の嫉妬心からもたらしたかを理解できました。かつて、私はこの迫害の理由がただ一個人の嫉妬心から生まれたという、こんなに単純な理由について疑問を感じたことがありましたが、今考えれば、ちっとも単純ではありません。あらかじめ、師父は宇宙の最悪の要素を私たちに示されました。師父は「​すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです​」[5] と説かれました。

 私達の細胞や言動がこの要素を帯びていることに私達自身は気付いていません。大紀元のこの3冊の社説を読む過程で、私は絶え間なく腐敗した要素を取り除き、伝統文化への認識を深めました。初めは私は第三者の立場で読んでいましたが、後に邪悪の現れは旧勢力であり、私もこの按排の中におり、邪悪は私達を分断し、妨害しています。絶えず私達がまだ取り除いていない堕落した人心を利用してトラブルを作り、私たちの力を削っていることを認識できました。邪悪のこれらの手口は社説の中ではっきり暴かれていました。この内容を自分の修煉に照らし合せれば、自分の警戒心を高める作用があると思います。

 特に嫉妬心について私は更に深い警戒心を抱き、嫉妬心に対して更に深い理解がありました。ある同修は私に「心の中に常に一塊の怨念を抱いています。理由は分かりませんが、とにかく憤りを感じ、妬みを感じます」と話しました。またほかの同修は、恨む心が少しでもあれば「愚痴を言う」ことに現れ、恨む心が多くなれば「怨念」になり、更に深刻になれば「憎悪」の気持ちになると言ったことがありました。

 私達は必ずこの要素をはっきりと排除して、皆で重視しましょう。法を正す時期が最後に近づいているなか、なぜ邪霊はまだ生存しているのでしょうか。それは邪霊は絶えず人類の恨む心からエネルギーを吸収しているからです。私達が自分の修煉に専念せず、考えがこれらの邪悪要素に符合していれば、邪霊は私たちのマイナスのエネルギーに付着して依存します。しかも、それらの要素に符合すれば、直ちに支配され、脱却できなくなるのです。なんと恐ろしいことでしょう?

 ここ十数年のメディアプロジェクトでの自分の修煉をまとめてみました、常人の暮らしは簡素化されましたが、法を実証する道において、私は格別に充実していました。以前、常人の仕事で染まった良くない習慣や執着心が数多くあります。集団煉功に参加して、同修と交流し、純潔な環境に身を置いて、ようやく自分の不足を認識できたのです。現在、幸運にもメディアのプロジェクトに参加できて、ほぼ同修しかいない環境の中で、時々刻々自分を磨く機会があります。ここ数年、法を正す広大な勢いと師父のご加持により、メディアプロジェクトは飛躍的な成長を遂げました。私自身の飛躍的な向上の大部分も長い間、大紀元に参加して得たものでした。ここで大紀元に携わっている同修のご協力に感謝を申し上げます。また、最も感謝すべき事は、裏でメディアのプロジェクトを支えてくれた同修達の無私の奉仕です。

 以上は個人の体験です。次元に限りがあり、不足なところがあれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 ​師父に感謝を申し上げます! 同修の皆さんに感謝を申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大ニューヨーク地区での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『北米法会説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [5] 李洪志師父の著作:『轉法輪』「第七講」

  (2019台湾法会の発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/28/396241.html)
 
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