一つの粒子の修煉の道
■ 印刷版
 

文/香港の大法弟子

 【明慧日本2019年12月27日】

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2015年に香港のメディアの仕事に参加し始めてから、この5年近く、思ってもいなかった修煉の道を歩んできました。法の中から多くの悟りを収穫しました。皆さんと交流して、切磋琢磨したいと思います。

 印刷工場で働き始める

 学校に通っていた頃は、学法煉功以外に真相の新聞を配布し、通り沿いの店鋪に大紀元の新聞を配り、真相拠点で真相を伝えていました。以前は外科医だったので、さらに勉強するため、医科大学で博士課程に入りました。常人社会でのこの仕事は印刷工場とは全く関係がありませんでした。私も今世に印刷工場で働くなんて思ってもみませんでした。しかし、私は修煉者なので、修煉の道を選んだため、考えられないことが起きました。

 ある日、仏学会の責任者から、印刷工場が人手不足だから手伝ってくれないかと相談がありました。印刷工場の仕事は夜勤なので、昼間に学校に行くのは大変でした。私は他の学習者とこの問題について話し合い、その学習者は、大学に行きながら、新聞を配布していれば十分であり、学法と煉功を保証することができ、工場に行ったら、法を学ぶ時間がなく、これは極端なやり方だと言いました。私は、責任者が私に助けを求めているのは、きっと人手が大変不足していて、しかも、修煉者が遭遇することは何事も偶然なことではないと思いましたが、時間をやりくりすることは本当に難しいと思いました。私はどうやって責任者に返事をすべきか悩みました。

 ある日、坐禅のとき、師父の法が私の脳裏に映し出されました。「われわれの法輪大法という法門は、宇宙の最高の基準─真・善・忍に基づいて同時に修煉するので、われわれの修煉する功はとても大きいのです」「1」と、突然、ひらめきました。学校で本当に基準に達した学生になるのは、「真」を修めているのであって、印刷工場に行き、人を救う仕事に参加するのは「善」を修めているのです。二つのことをこなすには、時間のやりくりに問題が現れ、私は「忍耐」して乗り越えなければならないのです。これは「忍」を修めていることです。これはつまり「真・善・忍に基づいて同時に修煉する」道を歩むことになります。また他の同修を見てみると、彼らは三つのことを全部こなしながら、いろいろな困難を乗り越えて、すべての面で「真・善・忍に基づいて同時に修煉する」道を歩んでいるのではないですか。どうすべきかが分かるようになりました。そこで私は、その責任者に自分の決意を話し、印刷所で働き始めました。

 それから私は昼間は授業に出て、研究を進めていました。夜は工場に行って仕事をしていましたが、忙しいため時々、朝の4時、5時まで仕事していました。ちょっと寝て、すぐバスに乗って大学に行かないといけません。難しい研究課題に合ったり、またはテスト期間中、24時間寝ずに1日一食しか食べられないことがしばしばありました。このような困難な時にはいつも、「我々は真・善・忍を同時に修めています。私たちは大きな功を煉っています」と考えています。印刷工場での最初の1年半の間は、米国への法会以外に1日も休暇を取ったことはありません。

 フルタイムで印刷工場に勤務する

 印刷工場の従業員はすべて常人であり、大法弟子の技術者はいません。「人心は安定しないものであり、常人に正念があるとは思わないでください」「2」と師父は説かれました。あるとき、邪悪の破壊活動に遭い、印刷工場が不安定になり、工場の運営は極めて困難になりました。この現状に心を痛め、大法弟子の技術者がいないことは大きな不足であり、この不足を補うため、印刷技術を習おうと思いました。

 この考えが生まれてきて、最終的な決断に至るまで、私は人心のもがきを経験しました。小さい時から成績優秀で、大学で名門大学の医学部を卒業し、卒業後は外科医として香港大学で博士号を取得しています。工場で印刷工をやるなんて、私にはとても考えられないことです。工場でボランティアとして働いても、ここに残るという考えは全くありませんでした。その責任者は私が将来、大紀元で編集者として働くよう手配してくれました。印刷工場は徹夜で仕事をし、インクも汚くて疲れるため、多くの人がこの仕事をしたくないのです。

 結局、決心させてくれたのは「地面に転がっている石ころは誰も要らないので、わたしはその石ころを拾うことにします」「1」という師父の教えです。印刷工場の仕事は地面の石のように蹴り出されて、多くの人が拾おうとしていないと悟りました。この仕事は私たちの人を救うことにとっては非常に大事であり、目下解決しないといけない問題なので、私はこの石を拾うと決意しました。法理から分かったので、他の悩みはただの試練であり、私の決意を揺るがすことができません。その責任者に私の考えを話して印刷技術を学び始めました。

 現在は印刷会社のチームができ、新聞を独立して印刷することができ、また、独立して印刷作業できる上級技術者を2人育成しました。

 印刷工場で多くの収穫を得る

 石ころを拾うのは簡単そうに見えますが、現実ではそれは容易なことではありません。まずは仕事環境の問題です。私は以前、手術台で無菌の手袋、無菌の機械を使用していました。現在は機械の鼻につくいやな臭いを嗅ぎ、身体中インクだらけになって、機械が稼働する時の巨大な騒音や、油汚れがひどい器具を使用しています。

 この天と地の違いには本当に堪え難いもので、いつも早く仕事が終わって欲しいと思っています。また、仕事の帰りに道具屋へ行って、防毒マスクとヘルメットを買おうと思い、苦痛を少しでも減らそうとしていました。時々、自分のこの選択が本当に正しいのかと自問自答しました。

 実は法理から考えれば、これらは人間の心による障害だということが分かっています。従来の身分と肩書きがまだ気になっていました。それは「名利心」の現れであり、周囲の環境を受け入れられず、耐えられないのは、人の観念が刺激されたからです。これらの身分と仕事の変化は、人間の世で「得」と「失」に対する試練であり、目の前を通り過ぎる雲のように重く見るべきではありません。油汚れや騒がしい環境も、人間の体に対する試練であり、私は修煉者の心からこの全てを見て、「人心」を取り除こうと努力する必要が大いにありました。

 少しでも人心を放下し、それを淡白に見るようになったとき、私はどんなことに対しても動じなくなりました。社会に目を向け、高官から庶民に至るまで、私はすべての人を無差別に平常心で見ることができるようになりました。するともう、油汚れが気にならなくなり、機械の内部に入って油まみれになって修理することができるようになり、周囲の環境にも強い忍耐力を持つようになり、何でも耐えられるようになりました。もう一度選ぶならば、やはりこの選択肢しかありません。

 印刷工場の仕事は、面倒なことを嫌がる心、闘争心、修煉より仕事を重く見る心、惰性など、私の多くの人心を取り除いてくれました。印刷工場での経験を振り返ると、ここは私の修煉にとって最適な場所だと分かりました。

 師父がそばにいらっしゃる

 印刷工場の仕事も、苦労ばかりではありません。私は人を救うことを心に置いた時、多くの不思議な経験をしましたが、その時には師父がそばにいてくださると感じることができました。二つの例を挙げます。

 ある時、私は印刷機の所で場所を変えなければなりませんでした。階段を降りるときに足を踏み外し、50センチ下へ落下しました。私はすぐに起き上がって、周りの人に大丈夫? と聞かれ、大丈夫ですと返事して、私は仕事を続けました。後で休んでいた時、私はこの場面を思い出し、本当に不思議に思いました。普段は地面に落ちたり、ぶつかったりすると痛くなりますが、高い階段からコンクリートの床に落ちたときに、クッションの上に落ちたように感じました。私はこれは師父の慈悲だと理解し、私のために難を取り除いてくださったと分かりました。

 ある時、印刷機に障害が発生し、二つの機械が接続できなくなったため、専門の電気工事を依頼して検査した結果、基板を交換しなければならなくなりました。新しい基板が工場に届くまでに数日かかりますが、その数日間は一つの機械で印刷するしかありません。新聞を発行するスタッフは、手動で新聞を一部ずつ重ねて、それを配布しなければいけません。作業量が多くて大変です。自分で直して、同修の負担を減せたらと思いました。基板のことは全くわかりませんが、同じ基板を3枚並べ、部品を一つずつチェックし、問題点を特定しようと思いました。しかし、私は徹夜しても何の問題も見つからなかったのです。

 次の日は12月9日で、香港の法輪功学習者が国際人権デーで反迫害の集会とパレードを行ないました。集会の時、新聞を配布する学習者の大変さをずっと考えていました。彼らの多くは高齢者で、雨や風の中で新聞を配布するのは実に大変です。私は心から師父にお願いし、機械を正常に動かすことができ、年配の学習者が苦労しないようにとお願いしました。

 パレードが終わってすぐ、工場に戻って基板を取り付けて電源を入れました。機械は正常に動き出しました。私はこの上なく感激しました。師父の慈悲によって奇跡が現れたと分かっています。2日後に基板が届いたので、取り付けに来たメーカーの人はこの二日間、どうやって新聞を印刷したのかと聞きました。私は心から師父に助けてくださるようにと頼んだから、機械が直ったと返事しました。その人はとても驚いていました。

 テレビ局で仕事を始める

 予期せぬことがまた起きました。ある日、責任者は、新唐人テレビは香港でさらに多くの事業を展開しなければならない。中継やスタジオの建設などの仕事があり、この仕事の責任者になってほしいと言いました。

 長年修煉した弟子として、責任者の仕事に協調することの大切さはよく分かっています。私は多く考えず、テレビの仕事はあまり分かりませんが、一生懸命勉強して出来るようにすると返事しました。それが私の最初の考えでした。しかし後で思い出した時、心性の関が私に試練を与えました。

 まず、最初に思ったことは、不慣れな仕事で、テレビの技術は要求が高いはずだが、私は本当に対応できるのだろうか。うまくできなければ、責任者にどう説明すればいいのだろうか。印刷工場の仕事はどうなるのか。工場の仕事が始まって以来、新人を育成し、印刷チームを作っている最中だ。今テレビ局に入ったら印刷工場の仕事が滞ってしまうのではないか。それに加えて、テレビの仕事は最初からスタートし、その技術を新しく習得しなければならないし、チームのメンバーもいないし、どうやって探すかも分からない。この仕事は必ずチームで協力しなければならない。今は何もないし、これから先どうするのか等々、損得ばかりを気にしていました

 これらの人心が私を困惑させました。しかし私の心の中には、はっきりした考えがありました。修煉者として、すべてのことが偶然ではなく、師父が新たな修煉環境を用意してくださっていることをよく知っていました。様々な人心は正に私が取り除かなければならないものです。しかも、印刷工場では主に機械を相手にしていましたが、テレビ局では人と関わり、人の心に対する試練と魔難こそ、より難しい修煉であるということです。

 人心の妨害を取り除き、地に足をつけてゼロから中継のやり方、スタジオの設営、テレビ番組の技術などを学びました。このプロセスの中で、私の初期の問題を解くために、ニューヨーク本部の学習者がきめ細かな援助をしてくれたことに感謝します。たくさんの試行錯誤の結果、生中継を行なうチームを作っただけでなく、大型のパレードや集会で複数の機械が安定して生中継でき、スタジオでワン画面に統合して放映できるようになりました。香港の生情報をリアルタイムで本部に送り、全世界に伝えました。現在のスタジオの建設は着実に進んでおり、間もなく利用できるようになり、衆生を救い済度する中でもっと力を発揮することができます。

 結び

 この数年間、メディアのプロジェクトで歩んだ修煉の道で、事前に予測できないことが多く起きました。私は果てしない海に浮かぶ小舟のように、様々な局面に遭遇しました。今になって、この全てに驚いたりしなくなりました。ここまで歩んでこれたのは、実は必然的なことであり、一つの粒子として、師父が私に用意してくださった修煉の道であり、乗り越えるべき必然的な経験でした。

 師父が法を正す洪大な勢いの中で、私は一つの粒子として無条件に協力し、私を必要とする所に行き、そして、どこへ行っても自分のやるべきことを遂行してきました。また、どこへ行っても変わらないことが一つだけあります。つまりそれは、師父を信じ法を信じ、着実に修煉することです!!

 以上は、私の次元での浅はかな悟りです。不適切なところがあれば慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「片付けよ」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/5/396606.html)
 
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