唐山大地震で起きた青龍県の奇跡
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 【明慧日本2020年2月11日】1976年7月28日、中国の河北省唐山市にマグニチュード7.8の大地震が発生し、死者24万人という未曽有の大惨事をもたらした。

 実は、地震の2週間前の7月14日、全国地震災害対策交流会が唐山市で開催された。国家地震局の汪成民さん(※)は大会で地震予測について発表しようとしたが、拒否された。そこで、汪さんは危険を冒して、無断で、17日、18日の夜の座談会で、7月22日~8月5日の間に唐山、灤県周辺にマグニチュード5以上の地震が発生するだろうと皆に知らせた。

 青龍県から会議に参加した代表はそれを聞いて、迅速に対策をとり、そして、地震予測情報をすべての県民に知らせた。結果、唐山から115キロしか離れていない青龍県は、唐山大地震で1人の死者も出さず、国連に「青龍県の奇跡」と称賛された。

 しかし、「中国共産党」に同調した唐山市は地震の被害から逃れる機会を失った。中国共産党の幹部の1人である劉華清は回想録の中で、「唐山大地震は天災だったが、人災が天災を煽りたてた事は事実だ」と記録した。

 同じように、2003年、北京301病院の蒋彦永教授は、「医者が真実を言わなければ、人は死にます」と道義心を持って、勇敢に北京で初めてのSARS(重症急性呼吸器症候)患者の病例を公表し、数え切れないほどの人命を救った。しかし、彼は今でも政府によって自宅で監禁されていると言う。

 目下、武漢で発生した「新型コロナウイルス」が猛威を奮っている。中国の財新ネットの2人の記者・蕭輝さんと王和岩さんは武漢に入り、感染状況を調査したところ、当局に抑え込まれた。

 蕭輝さんはSNSで、「大晦日の当日、ウイルスの発生源と言われる華南海鮮市場で写真撮影をしていると、直ちに4人の警備員に囲まれ、写真を削除するよう強要された。1人の警備員は私を指差して、大声で『早く写真を削除しろ。ここは撮影禁止だ』と怒鳴りつけた。もう1人の警備員は私からカメラを奪い取り、写真を削除し、そして、『これは上からの命令だ。昨日、日本人記者がここに来たが、派出所に連行されて行った』と叫んだ」と書き込みをした。

 王和岩さんもSNSで、「感染した医療関係者の数を確認するため、同僚とあちこち探して数人の医師と連絡を取った。しかし、医師たちは、『医療関係者は取材を受けてはいけない、内部情報を漏らしてはいけないと当局から命令されている』と言った。匿名にするとか、情報提供者を公にしないことを約束しても、結局、取材は拒否されてしまった」と書き込んだ。

 (※)汪成民: 地理学者、研究員。中国科学院、中国地震弁公室、国家地震局などで主任、副主任などを歴任。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/1/400552.html)
 
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