【慶祝513】師父と同行した思い出の日々
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年5月28日】

 一、幸運にも第一期の法話講習会に参加し、身体が奇跡的に快復した

 私は子供の頃から病気がちでしょっちゅう病院に行き、医者たちに「林黛玉」(りん たいぎょく)(※1)と呼ばれました。私の記憶の中では病気のない日はほとんどなく、気管支炎や胸膜炎、心筋炎、肺炎などの病気に始終悩まされていました。

 1990年、私は突然に心臓の痛みに襲われ、北京の外循環器専門病院で検査を受け、不整脈と診断され、すぐに入院することになりましたが原因は分かりませんでした。 当時、1分間の心拍数が40数回しかなく、早い鼓動は30回以上にまで達し、様々な方法を使ってもコントロールできず、何度も生命の危険にさらされました。私は改善が見られないまま4カ月間入院し、その後、他の病院に転院されましたが、再び生命の危険が生じました。 救助された後、病院から退院を求められたので、やむを得ず病院での治療を断念しました。

 家に帰った後、私は寝たきりになり、酸素吸引に頼って命を保ち、自立した生活が出来ず、すべて夫に頼るしかありませんでした。私は毎日泣いてばかりでしたが、現状を変えることが出来ず、生きていく希望すら見えませんでした。1992年に、同僚が私にある非常に素晴らしい功法がもうすぐ教室を開くと教えてくれました。それで、私は家族の支えがあって、幸運にも師父が北京で開かれた第一期の法話講習会に参加することが出来ました。師父にお会いした初めての印象はとても背が高くて身体が大きい方で、それに人柄が立派で、穏やかで親しみやすい方でした。当時、師父は40代でしたが、非常にお元気で、純朴で飾り気がない若者のように見えました。

 師父の説法を聞いている中で、私は人間がこの世に来る目的は先天の本性に戻り、最後には返本帰真するためで、そして、「真・善・忍」に基づいてより良い人になることだと分かりました。今まで学んだすべての気功の中で、人間としての道理を教えてくれる気功が一つもなかったので、師父はこれまでの気功師とは違うと感じました。

 師父が学習者たちのために身体を調整してくださる間、私は法輪が全身で回っているのが感じ取れ、大ホールに漂う檀香(だんこう)(※2)のいい香りを嗅ぎました。説法を聞いている内、私は自分の身体から強い漢方薬のにおいがすることに気付き、この1年ぐらい漢方薬を飲んでいないのに、と不思議に思いました。しかし後の説法を聞いて、それは師父が私の身体を浄化してくださり、病巣にあった悪い物質を追い出して下さっていると分かりました。

 また、師父は学習者に法輪を植え付けると言われ、会場の全員に手を伸ばすように言われました。私も手を伸ばしました。師父は皆さんに「何を感じますか?」と尋ねられ、私は掌が熱くなると共に、法輪が回っていることを感じました。師父はいつもやさしく、丁寧に学習者たちの質問に答えてくださり、この和やかな雰囲気の中で、私は初めてリラックスした穏やかな気持ちを体験し、心の中に溜まっていた恨みや悩みが全て消えました。

 数日間の法話講習会に参加しただけで、心身ともに大きな変化が現れ、心拍数と不整脈の症状が大幅に改善されました。 その後、修煉を始めましたが、しばらくして私の身体は完全に快復しました。

 その後、私は師父の第二期の法話講習会にも参加しました。最後の日に、学習者たちは師父を囲んで記念写真を撮ったり、署名を求め、私も署名をお願いしました。師父は1枚の紙に2行の文字を書いてくださいました。

 「功を修るに路有りて、心を徑と為す 大法は無辺 、苦を舟と做す」

                     (『洪吟』「法輪大法」)

師父の署名

 この貴重な署名を私は今日まで大切に保管しています。当時、修煉に対する認識がまだ浅かったのですが、これから法輪大法をずっと続けていこうと決意しました。 

 大法を修煉してからは全身が軽くなり、家庭もより睦ましくなりました。近所の人や親友はみな元気になった私を見て驚き、大法を始めた人もたくさんいました。

 二、法話講習会で見た奇跡の数々

 (一)空間を隔てて腫瘍、血管腫を取り除く

 師父は気功の形式で大法を伝えられ、初期段階では学習者や常人の病気を治療されたこともありました。この期間、私はたくさんの奇跡を目にしました。

 私の親戚の人がお腹に異常感があり、病院で検査した結果は稀な胞状奇胎でした。子宮を摘出して腫瘍を取り除くしかないと言われました。当時、彼女はまだ若かったので、出産能力を失いたくなかったのです。そんな彼女は師父の法話講習会に参加して、師父に身体の調整をお願いしました。師父は空間を隔てて身体に向けて数回掴まれましたが、彼女は腹部の何かが引っ張られたように感じた後、いきなり軽く感じました。その後、病院で再検査をすると、腫瘍が奇跡的に消えていました。手術もせず、1銭も使わずに、彼女は健康になりました。

 師父が第二砲兵講堂で説法された時のある日、40代の女性学習者が師父に治療をお願いしました。彼女の首のあたりに一つの大きな血管腫が気管のすぐそばにあり、リスクが高いため、手術もできないと言われたそうです。師父は事情を聞かれた後、彼女を対面に立たせ、手で彼女の首のあたりを数回抓まれました。周囲に数十人の学習者が見ているうちに、腫瘍がだんだん小さくなり、わずか数分間の内に消えました。その場にいた人はみな驚き、そして、その女性学習者と共に喜びを分かち合いました。女性は家に帰った後、口から血の塊と、どろどろとしたものをたくさん吐いて、それから完全に快復したそうです。

 (二)師父はその場で聾唖者の子どもを治された

 もう一つ印象に残る事がありました。師父と娘さんが第二砲兵講堂の後ろ舞台から歩いて来られた時に、若い父親が5、6歳の男の子を連れて師父の前までやって来て、丁重に師父に声をかけました。男の子は顔が丸くて目が大きく、とてもかわいくて元気に見えましたが、父親の話ではその男の子は聞くことも、話すことも出来ない聾唖者(ろうあしゃ)で、師父に治してもらいたいというのです。

 師父はやさしく了承された後、男の子の耳を見てから調整を始められました。師父はその子の両側で空間を隔てて2回掴まれた後、娘さんに男の子の両耳を軽く叩くように言われました。最初、男の子が女の子に叩かれたことに少し抵抗したように見えましたが、しばらくすると、奇跡が現れました。師父は男の子に声をかけられ、5までの数字を数えるように言われました。すると、男の子は師父の声が聞きとれ、その通りにはっきりとした発音で数字を数えました。

 男の子の父親がそれを見て感激のあまり、その場で師父に叩頭して感謝しました。当時、私と他の学習者も現場で見ていて驚いたと同時に、とても感動しました。当時の光景は今でも忘れられません。

 (三)師父はもう一度、私の命を救ってくださった

 1994年以降からは法話講習会に参加する人がますます多くなり、毎回1000人を超え、ある時は数千人にも達しました。1994年4月に、私と十数人の学習者は北京から長春に行き、長春で開かれる第七期の法輪功法話講習会に参加しました。

 この法話講習会で、私にある現象が現れました。初日から、師父が説法されると、私は思わず涙が流れ、2日目と3日目も同じく、なぜか師父にお目にかかるだけで、訳も分からず涙が止まりませんでした。その答えはある出来事から得られました。

 法話講習会の3日目、私と数人の学習者が泊っていた旅館から講習会の会場である吉林大学の鳴放宫に行く途中で、1台のトラックが鉄筋をたくさん積んで私たちの前をゆっくりと走っていました。鉄筋の長さが様々で、長いものはトラックの後ろにはみ出ていました。私たちは話しながらその後ろを歩いていたので、誰もトラックが突然路上で止まったことに気づかず、そのまま進んでいました。突然、何かに足を止められたかのように感じ、前を見ると、ちょうどはみ出た鉄筋があと10cmぐらいで、私の首に突き刺さりそうになっていました。後ろで歩いていた同修たちもそれを見てビックリしましたが、その時、師父が私を守ってくださったのだ、と分かりました。

 他空間で師父が私のためにしてくださった事が見えなくても、自分に分かっている一面があり、その時、師父が私の難を阻止してくださった、と思いました。言葉で言い表すことができない感謝の思いが湧き上がり、思わず涙が流れてきました。私のような体験をした学習者は数え切れないほどおり、師父は私たちのために、どれほどの難を受け持ち、取り除いてくださったのか、 誰も知ることが出来ません。

 講習会の最終日に、学習者たちは師父と記念写真を撮りました。以前、写真を撮ったことのある学習者が今回は撮らないようにと聞いていたので、私は後ろで他の同修たちが師父と記念写真を撮るのを見ているしかありませんでした。師父が北京の学習者たちと撮影される折、私を見て「あなたも北京の学習者なので、ここに来て一緒に写真を撮りましょう」と呼んでくださいました。当時、私はとても光栄に思い、些細な事にも心を砕かれる師父に、とても感動しました。

 三、師父と同行させていただける幸せ

 1993年1月、北京での1992年東方健康博覧会で、師父が表彰を最も多く獲得された気功師となられました。正月前に、私と関わっていた同修たちは皆、1枚のグリーティングカードを受け取り、非常に歓喜しました。

 私がいただいたグリーティングカードには、次のように書かれていました。

 望み:中国法輪功を発揚するために、さらなる貢献を

                   李洪志

                  1993.1.13

グリーティングカード(迫害が続いているため、写真の名前を消す)

 学習者としてやるべき事を少し行なっただけで、師父はこのように暖かく、貴重なプレゼントを贈ってくださるとは思いもしませんでした。私はとても感動し、師父の望みが私自身の決意でもあり、大法を広めるためにさらに頑張っていきます。この貴重なグリーティングカードは今日まで大切に保管し、当時の記憶は私の心の中にずっとしまっています。

 1993年12月、師父は再び弟子たちを連れて東方健康博覧会に参加され、私は幸運にも再度スタッフとして携わることが出来ました。当時、100以上の漢方と気功のブースが展示されていましたが、他のブースには客が少なく、法輪功のブースだけに客が大勢集まりました。師父は弟子たちを率いて患者のために身体を調整し、現場で治療を行なわれました。当時、カメラで撮影する人もいましたが、大法弟子の手に光る輪と治療する場面の光柱が写真に撮られていて、それを見た人は皆驚嘆しました。

 ある大法弟子が治療中に、患者の身体の霊体を掴み出し、私はそれが叫んでいるのが聞こえました。また、大法弟子の手が凶暴な霊体に噛みつかれて血が出たり、水ぶくれができたりし、本当に師父の説法された内容と全く同じでした。

 もう1人の大法弟子が患者を治療する時に手から功を発し、放電されたかのように患者が次々と治り、奇跡だと言うしかありませんでした。ガンや腫瘍の患者でも、車いすで来た患者でも、また、身体に憑き物がついている患者でも、数々の難病患者がいずれもその場で快復しました。これは私が自ら目にした事実です。

 法輪功の奇跡的な治療効果ゆえに、今回の東方健康博覧会で、師父は「辺縁科学進歩賞」と大会の「特別金賞」及び「群衆に歓迎される気功師」の称号を獲得されました。同修たちも皆喜びました。私たちの功法は師父の言われた通り、宇宙の大法であり、最も正しいものです。携わったスタッフ全員も大会からの名誉証書を受けました。大法を発揚することに力を尽くすことは、私たちにとって最高の幸せです。

 四、迫害の前でも動揺せず

 1992年から今まで、私の人生の半分は法輪大法を修煉する中で過ごしてきました。私は常に大法の「真・善・忍」に従い、師父の望みを忘れずに、長年の迫害の中で信念を守ってきました。

 1999年7月、中国共産党は法輪功に対する迫害を引き起こしました。大法の受益者として、私は大法の無実を訴えたために、何度も連行されて不当に労働教養をさせられました。この20年余りの修煉の道で、雨の日も風の日もありましたが、私の信念は一日も動揺したことはありませんでした。中国共産党による法輪功への迫害は天理が許さず、大法の真相が明らかにされる日はそれほど遠くないと信じています。

 2020年の「5.13」世界法輪大法デーにあたり、私は心から師父に感謝を申し上げます! 師父は私に第二の人生を与えてくださり、千万人に新たな人生を与えてくださいました! 師父は「わたしが洪く伝えているということは、つまり、普く済度していることなのです」[1] と語られました。しかし、この言葉の真の意味を誰が本当に理解しているのでしょうか? 「普く済度」の背後に師父が多くの事を耐えられていることや、多くのものを与えられたこと、そして、師父の無量な慈悲は人間の言葉では表現しきれないものです。 師父は素晴らしい大法を現在の濁世に広められ、世の人々に希望と光をもたらしてくださいました。

 師父、ありがとうございます。お誕生日おめでとうございます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』「師を拝む」

 (※1)「林黛玉」(りん たいぎょく・曹雪琴の古典的な中国の小説「赤い部屋の夢」の主要キャラクターの1人)

 (※2)檀香・だんこうとは、白檀(びやくだん)・栴檀(せんだん)などの香木の総称。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/13/405085.html)
 
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