文/古金
【明慧日本2020年5月30日】2013年10月25日、中国や米国で映画『大明劫(大明滅亡)』が上映された。この映画は同年11月3日に、第9回中米映画祭(Chinese American Film Festival)で最優秀映画賞を受賞した。明が滅びる直前、疫病のため明の軍隊は戦闘力を失い危機に瀕し、孫伝庭将軍が命令を受けて民間の医師・呉有性(呉又可とも呼ばれる)を起用した。呉又可が兵士や庶民の病気を治療して、疫病を収束させる物語である。
この映画は、今の疫病と次の大きな疫病と関連しているようである。
映画の物語は歴史上に起きたことで、呉又可という人物も存在している。1642年、明朝末期の疫病によって、山東省、河北省、江蘇省、浙江省などの地域に疫病が蔓延し、多くの人が亡くなり、酷い時には10軒のうち9軒が空き家になった。呉又可は伝染病を治して人々を救い、「異気」(戻気・癘気ともいう雑気の一種)という疫病説を提唱し、また『温疫論』を著した。呉又可の「漢方薬『達原飲』の隔離と服用」の治療方法は疫病にたいへん効き目がある。2003年SARSの時、「達原飲」を補助の治療方法として飲む人がいて、SARSにも一定の効き目があった。
これらのことから、三つの疑問が出てくる。
一、明朝末期の疫病はなぜ明の軍隊だけに影響し、清の軍隊には影響なかったのか?
この時期の歴史に対して、多くの人が疑問に思っている。明朝末期の疫病はまるで清の軍隊と約束したかのようで、明の軍隊だけに感染し、明の軍隊の戦闘力を激減させた。これら李自成の軍隊に対して、清の軍隊は疫病にまったく感染しておらず、清の軍隊の中の漢民族の軍隊も無事であった。また騎兵、歩兵、さらに清に投降した明の軍隊も無事であった。清の軍隊と呉三桂などの漢民族の軍隊は、北からずっと南へ迫って行ったが、疫病とは無縁であった。呉又可が疫病を徹底的に除去したのか? 疫病自体が消えてしまったのか? または清の軍隊の運が良かったのか?
二、「達原飲」は本当に効き目があるのか? SARSの時にも役に立ったのか?
「達原飲」は疫病に対して、一定の効果がある。しかし、科学は今まで発展したが、人間世界でウイルスに対する治療の特効薬はまだ無い。風邪を治療する特効薬さえも無い。体外のウイルスを殺すことは容易だが、体の中のウィルスを殺す場合、体内の細胞も一緒に殺してしまう。ウイルスに対するすべての薬は、人間の免疫力を向上させ、人間自身の抵抗力によってウイルスに抵抗させる。なぜ風邪の薬を飲むと眠くなるのか? その薬は人を寝かせて、多めに寝て、免疫力を向上させるためである。免疫力がウイルスの活力より高いなら、人は回復する。
「達原飲」は漢方薬として、免疫力を向上させる上で、また内臓の詰まりを解消する作用があるので、普通の免疫力を向上させる西洋の薬より効果がある。しかし、疫病神が指定した人に対しては、効き目はなくなる。
では、呉又可はなぜ疫病を除去できたのか?
三、疫病を除去する神方(しんぼう)は、薬でなく「訣」である
呉又可が疫病を治療するときに使う神方は、「薬引子(日本人は漢方補助薬と言うが、実は補助ではなく、薬の効果をもっと発揮できるようなもの)」である。「達原飲」は単純に補助的な保養する漢方薬である。「薬引子」があれば、「達原飲」は疫病を除去する特効薬になる。「薬引子」がなければ、「達原飲」は普通の薬である。しかし、漢方の「薬引子」は、往々に補助とされた。中国古代の絶技(ぜつぎ)の伝承は、すべて「口で伝えて心で悟り、文字にしない」という形で伝えていた。恐らくこれが原因で、呉又可は、『温疫論』を書く時、「薬引子」を書かなかったのだろう。
もし、あなたが世外奇人(仙人)と出会って、或いは一定の次元に達した修煉者(聖人)と出会って、「達原飲の薬引子」のことを聞けば、彼らは、「呉又可は修煉者です。病気治療をすることは彼の修行です。薬引子は呉又可が修煉する法門の口訣です」と教えてくれるだろう。口訣はまた真言とも言う。心を込めて念じてから、薬を飲むと、その法門の護法神(ごほうしん)がこの患者に対して授記する(守るための印を付ける)。この授記は護符なので、疫病神はこの人を見ると避ける。もしこの人がすでに重病になった場合、この人の体からすべての毒を抽出し、この人は徐々に回復する。
実は、昔ローマ帝国で疫病が蔓延していた時、キリスト教の信者が、疫病の中で、疫病に罹った患者に福音伝道したことも同様である。患者はキリスト教の信者が教えた真相を聞いて、心からローマ政府がキリスト教に強制的に押し付けた噓を拒否して、福音を受け入れれば、キリスト教の神の授記を受けられる。この授記があれば、罹った疫病が自然に消えていく。人は現実的である。もし、疫病が治るという奇跡がなければ、異教徒であるローマ人は、子供の頃から信仰している神を放棄して、キリスト教を信仰することはできないだろう。
もう一つ「授記」の例がある。上記の図のマーク(Chi-Rho)は、キリスト教の神によるコンスタンティヌスの軍隊への授記である。コンスタンティヌスの軍隊はこの神符を挙げて戦う時、いつも連戦連勝して、敵の人数より少なくても勝ち、最終的に断片化されたローマを統一した。なぜこの神符をコンスタンティヌスに授けたのか? コンスタンティヌスはキリスト教を立証する使命があったからである。
また、「呉又可の口訣は何か? 公開して達原飲を加えれば、中共ウイルスに対して特効薬になるのか?」と質問する人がいるかもしれない。実はそうではない。
すべての授記には、その時代の特定の人と背景を離れると、役に立たない。人間の異なる地域に、異なる神が交替で当直している。各地域に対して、該当の担当の神の授記しか役に立たない。時が移り状況も変わると、以前の授記はすでに無効になる。中共ウイルスは末劫の時期の難儀である。末劫の時期には、すべての宗教は解決の力がなくなる。昔の神や、佛にお願いしても、役に立たない。唯一の希望は、全世界の各民族の伝説の中の救世主である。中国の伝統文化では聖人と呼ばれている。
諸葛亮の預言『馬前課』の中に、「拯患救難,是唯聖人」と書かれている。つまり「患難の中で人々を救い済度するのは、聖人である」ということだ。聖人が末劫時期の災難から人々を救うことは、今の時期にも対応している。どのような人が残るべきか、歴史を見ると答えが見つかるだろう。